あなたの愛など要りません

冬馬亮

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1巻

1-3

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     ◇ ◆ ◇


 センセーショナルな事件を起こした父の亡き後、僕――ランスロットは、十二歳で伯爵位に降爵されたバームガウラス家の当主となった。
 事件の時に母と祖父を亡くし、それから三年後に今度は祖母を亡くした。さらにはその二年半後、今から半年ほど前に、僕をずっと支えてくれた叔父上が病で亡くなった。
 そして今、バームガウラス家の直系は十八歳になった僕ひとりだけだ。
 その時から、いや多分それよりも前からだろう、僕には生きる意味が分からなくなっていた。
 この先、誰かが僕の隣にいる未来など想像できない。誰かを愛せる自信もない。
 僕もいずれ父のようになるのではないか、そんな恐れから、たとえ政略的なものであっても結婚する気が起きないのだ。そもそも「呪われたバームガウラス家」に、嫁ぎたい者など誰もいない。
 ――ああ、時が巻き戻せるなら。あの言い伝えが本当なら、どうかこの願いを叶えてほしい。どんなことをしてでも――
 叔父が亡くなる前に口にした願いは僕とて同じ。時の魔術を操る灰色の魔術師――単なるおとぎばなし、騙されて終わりだろうと思いつつ、使える伝手を全て使って得た情報を頼りに、爵位も屋敷も売り、いちの望みをかけてここに来た。
 これで駄目なら野垂れ死んでしまえばいいと、もはや自暴自棄の心境で。

「……なるほど、それがお前の人生という訳かい。なかなかに難儀だな、誰も幸せにならなかった物語だ」

 灰色のローブで全身を覆う謎の男にそう言われ、僕は苦い笑みを浮かべる。
 誰も幸せにならなかった物語とは言い得て妙、なにせ話をした僕自身そう思っているのだ。改めて他人からそう評されても笑うしかないだろう。

「……これで、願いごとをしに来た理由に納得したか?」

 彼の目の前に金貨の入った袋をこれでもかと積み上げれば、ローブの男はにやりと笑った。

「時を遡るには、関係者の体の一部を使うことが必要なんだが、何かあるか?」

 僕は首元に提げた袋の中から一房の髪を取り出す。今は輝きを失ったそれは母の、元は美しく艶やかな金髪だった。
 初め、ローブの男はこちらに何の関心も示さず、ただ淡々と話を進めていた。だが、僕が二十五年分の時間を巻き戻したいと話すと途端に態度が変わる。そしてなぜか僕の年齢まで聞いてきた。
 先月、十八になったばかりだと答えると、「お前が存在しなくなるのは構わないのか」と問われた。

「存在しなくて構わないどころか、むしろ僕などいないほうがいいんだ。だから、早く二十五年前に戻って、両親の結婚をなかったことにしてくれ」

 そんな僕の答えに、男は身の上話を聞かせてみろと言い出した。
 ――色々な大衆小説から悲劇の要素ばかりを集めて、ぐちゃぐちゃに混ぜ込んだような出来の悪い物語。男のそんな言葉に同意しかないが、残念なのはそれが実際に僕の身の上に起きたということ。
 それまでじっと聞き役に徹していた男は、手をひらひらと振って笑う。

「別に、疑ってたとかそういうんじゃないんだ。ただ頼まれた年数が年数だったものでな。四、五年ならともかく、二十五年なんて」
「……」

 ローブの男はずいっと顔を近づける。

「だって、頼んできた本人が生まれるよりもずっと前に時間を巻き戻してほしいって言われたら、一体何があったんだって興味も出るだろう?」
「では……願いは聞いてもらえるのだな?」
「いいや。残念ながらこれじゃ足りない。これっぽっちの額では二十五年も戻せないな」

 期待を込めて問うた僕に、灰色のローブの男は残酷な事実を突きつける。

「な……っ、一年につき金貨百枚と聞いている。だから僕は……っ」

 思わず声を荒らげれば、男は感情のない声で言葉を継ぐ。

「悪いが、別の客と契約したルールがあってね。ある一日にだけ、どえらい金額がかかってるんだ。その一日を超えるだけでも、少なくとも七百枚分の金貨が必要になる。だからお前の場合は、その日を含め、当初の希望通り二十五年の時間を巻き戻すのなら、合計で金貨三千二百枚必要になるな」
「三千二百……そんな……屋敷も爵位も売った……もうこれ以上は……」

 僕は体中の力が抜け、目の前が真っ暗になる。時を巻き戻せるなどでたらめかもしれないと疑いつつも、これが最後の希望だったのだ。

「そうだなぁ、今から十九年までなら、一年につき百枚でやれる。それより前となると、まずは七百枚払ってからだ」
「……っ、駄目だ、十九年では足りない、それでは意味がないんだ! だったらせっかく、時間を巻き戻しても、母上は不幸なままではないか……っ!」

 僕は激しく首を左右に振って叫ぶ。

「……十九年前だと母上は結婚している。それでは間に合わない、それでは……母上を救えない」

 男は、ローブの上からがしがしと頭をかくと、少しの思案の後に口を開く。

「詫びに今から三日分だけ時間を戻してやろう。それで爵位などを売る前に戻って、元の生活を続ければいい」

 その提案に、僕はまた首を左右に振る。

「……それはいい。僕はもう、生きたいとは思っていないから」

 僕が生まれたせいで、僕を産まねばならなかったせいで、僕がいたせいで、母上が不幸になりバームガウラス公爵家はちょうらくした。祖父母も、叔父上も亡くなった。叔父上は最後までそうじゃないと言ってくれたけれど、少なくとも僕にはそうとしか思えなかった。
 ……ならば、僕が生まれなければいい。僕が生まれる前に戻って、母上は父上ではない誰かと幸せになればいい。
 だからこそ、十九年では意味がないのだ。もっとずっと前、母上が父上に恋心を抱く前に時間を戻さなくては……

「……そうかな?」

 ローブの男の呟きが耳に届く。彼は目を瞑り、自分自身のこめかみをトントンと人差し指で軽く叩く。
 そうしてしばらくの間、何かを考える様子を見せた後に男は目を開ける。それから、やおら指を折って何かを数え始めた。

「……ふむ、なるほど。全く意味がないこともなさそうだ。。戻せるところギリギリまで時間を戻してやろう」
「……え?」
「全員が幸せに円満解決とはいかない。それでも、少なくとも全員、今の人生よりはずっとましな人生が送れるだろうよ」

 僕はしばし黙り込み、その言葉の意味を考える。

「……全員、この人生よりは?」
「ああ、そうだ。お前も、お前の母も、お前の父でさえも、今のこの最悪の人生よりはずっとマシになるだろう。てきたからそれは間違いない」

 灰色のローブの男はそれ以上何も言わず、ただ両手を軽く広げ僕からの答えを待つ。
 ――変わると言うのなら、今のこの人生よりは皆がましになると言うのなら。
 答えはひとつだ。うなずく以外あり得ない。

「どちらにしろ、僕はもう存在しなくなる。母が……皆が今の人生より幸せになると言うのなら、僕はそれでいい。時を……巻き戻してくれ」
「承知した」

 金貨の入った袋の上に男が手をかざすと、袋は次々と手のひらの中に吸い込まれて、どこかに消えていく。その光景を驚愕の目で見つめながら、僕はあることに気付き、付け加えるように男に告げる。

「時間が巻き戻るなら、この金は残しても意味がない。全部持っていってくれ」
「……気前がいいな。気に入った」

 そう言って男は笑った。

「ああ、そうだ。お前の記憶はないぞ」
「……は?」

 何のことだと問い返せば、巻き戻りの術の原則があるのだと言う。

「術を依頼した人物と、この術の媒体として体の一部を使われた人物は、通常は記憶を持ったまま時間を遡る。だが、お前の場合は時間を遡りすぎて一旦この世界にいなかった人間になる。つまり新しく生まれ直す訳だ。だから、お前に限っては一度目の記憶はない」
「……母上にはあるということか」
「そういうことだ」
「なら良い。記憶があるなら、きっと母上はすぐにあの男と離婚するだろう。僕はどうせ生まれないから、記憶など関係ない」
「そうかな?」

 灰色のローブの男は、わざとらしく人差し指を立てて左右に振る。

「もしかしたら、またこの世界に生まれ、今度こそお前の母親に愛され、大切に育てられるかもしれんぞ?」

 ……そんなはずはない、と僕は心の中で呟く。それに、僕の望みはそんなことではない。

「僕は、母が幸せになってくれればそれで……」
「まあ、じきに分かるさ」

 いつの間にかテーブルの上にあった袋の山は全て消え、男は母上のはつを手のひらの上に乗せていた。

「……ほう、残思がまだあるとは。この髪の主はよほど心残りだったと見える」

 小さくそう呟いてから、男は左手で空中に何かを描く。

「今度こそ幸せになれ」

 微かに慈愛の響きを帯びた声が僕の耳に届く。
 次の瞬間、何もなかったはずの空間が光を帯び、輝き始める。室内が、町が、都市が光で包まれ、僕の意識は遠のいていく。
 そうして時は巻き戻る。
 ――あの日、あの時の運命の瞬間、そう、父上と母上の婚姻が成ったあの時間へと。



   第二章 二度目の結婚式と二度目の初夜


 突然に現れた夫に背中と肩を切られ、息子の温もりに包まれながら、私――ラシェルは冷たい暗闇へと落ちていく。ランスロットへの精一杯の謝罪の言葉を口にして、ああ私は死ぬのだと思いながら。


「誓います」

 けれど、気がつけば私は大聖堂にいて、結婚式の宣誓を口にしていた。
 ……え?
 動揺を押し隠し、気付かれないようにそっと周囲に視線を走らせる。
 きらめくステンドグラス、覆いをかけた祭壇、見覚えのある婚礼衣装。私の隣には記憶と同じ、不機嫌そうな顔のヘンドリックさま。祝福を述べる祭司の顔も、参列者の顔ぶれも、何もかもが記憶通り。
 ……何が起きたというの?
 私は死んだはずだ。夫に、隣に立つこの男に切り殺された。
 最期の瞬間、顔をゆがめた息子の顔が視界一杯に映っていたことを思い出す。あの子ランスロットの眼は涙で濡れ、必死に私を呼んでいた。
 そう、確かに死んだ……はず。ではこの光景は一体なんだというの。
 視界の端に、会わなくなって久しい実家の家族の顔が映る。心配そうな父母や兄、妹を見れば懐かしさで胸が一杯になる。その隣には、あんの表情を浮かべて私たちを見守る前バームガウラス公爵夫妻と、静かに佇むキンバリーさま。
 ……これは夢? それとも……
 空気も、においも、ざわめく音も、あまりに現実的。ゆめまぼろしと片付けるには無理があるこの光景に、まず意識が向いたのは、自分の手のひらの下にある温もりだった。
 それは夫の、ヘンドリックさまの手だ。
 私からすれば、つい先ほど彼に切り殺されたばかり。夢かもしれない、私の頭がおかしくなったのかもしれないけれど、それでも。
 ほとんど反射的に、それまで儀礼的に重ねていた手を僅かに浮かす。そうすることで余計にヘンドリックさまの不興を買うとしても、今は彼に触れるのが怖かった。恐らく混乱していたのだろう、そうして生まれたほんの少しの隙間に、私はあんする。
 その動きに気付いたのか、ヘンドリックさまが微かに身じろぐ。向けられるいぶかしげな視線に、私は気付かぬ振りをする。
 ……なぜ、どうして。
 そう問いかけたい気持ちをぐっと堪える。きっと誰に聞いても理解してもらえない。むしろ頭がおかしくなったと笑われるだけだ、理由は分からないけど十三年前の結婚式の日に戻ったみたい、なんて。
 ……どうせなら、結婚前の時に戻れれば良かったのに。
 ふとそんなことを考えて、すぐに勝手がすぎると気付いた。ヘンドリックさまと結婚すると決めたのは私で、彼から受けた冷遇も、味わった孤独も、それ以外のことだって全部自業自得なのだ。
 けれど、あの子は……ランスロットは違う。何の非もないのに実の親からうとまれ、傷つけられた。
 もし過ちを正せるのなら、これが私の人生のやり直しなら、償われるべきは私ではなく、あの子だ。私のゆがみに染まらなかった純粋で心優しいランスロットこそ、救われなければならない。
 一度目の人生では愛せなかった、愛さなかった。
 夫のようになるのを恐れ、正しい成長だったのに性への興味を押し込めようと虐待までしてしまった。間違いなく、私はひどい母親だった。
 なのに、最期の瞬間、そんな私を、けななあの子は夫から守ろうとしてくれたのだ。あの痩せ細った体で、剣を手に夫に飛びかかるまでして。
 そんな優しいあの子は、今はまだ、この世にいない。
 ……結婚は成立してしまった。でも、それで良い。この瞬間からやり直すことになった意味が、きっとあるはず。
 もう間違えない。今度こそ、大切にすべきものを守る。あの子を産んで、愛し、守り育てるの。
 この人ヘンドリックの愛など要らない。
 うとんでいた妻だけでなく、望んで産ませた自分の子まで切ろうとする男の心なんてもう求めない。そう、求めてはいけない。
 ランスロットを幸せにするために、きっと私は時を戻ったのだ。


 果たしてその夜、夫婦の部屋に現れたヘンドリックさまは、記憶にある通りの言葉を口にする。

「お前を愛するつもりはない。初夜だからとお前を抱くこともない」

 その言葉はもう私を傷つけることはなく、むしろ微笑みを浮かべて答えた。

「結構ですわ。あなたの愛など要りません」
「……なんだと?」
「あなたの愛など求めておりません。私はバームガウラス公爵の子を産む道具として嫁いだのです」

 あの夜にヘンドリックさまが私に言ったことを、今度は私が口にする。ヘンドリックさまの眉間の皺がより深く刻まれた。

「……分かっているならいい。では、医者に孕みやすい日を算出させた後、その夜だけお前に種をそそぐためにここへ……」
「それも既に算出しています。私が今から言う日に、一度だけここに来てくださいませ」
「……は?」

 そんな返答は予想もしていなかったのだろう、ヘンドリックさまは間の抜けた顔で問い返す。初めて見る彼の表情に笑い出したくなるのを堪え、私は続ける。


「今日という日を迎える前に、既に確実な日を確かめてまいりました。互いに嫌な行為は、一度で十分。確実にあなたのお子を宿す日付を、私が申し上げますわ」
「……一度で孕めると言うのか」
「はい」
「何を企んでいる? もしやお前、処女を既に他の男に捧げたのではあるまいな?」

 結婚前から愛人を囲う男が何を言うのだろう。妙に必死に問いつめようとする彼の様子に私は鼻白む。

「まさか。れっきとした乙女でございます。それは、いずれねやを共にする夜に分かって頂けるかと」
の男の種を俺の子と偽るつもりか?」
「意味もないことをおっしゃる。私が乙女であることは、初めての夜に分かると申し上げたはずです。もしその後のことをお疑いなら、私に監視をお付けになればよろしいでしょう」
「……」

 やがてヘンドリックさまはうなずいて、その日付を問う。私は記憶を探り、一度目の人生で医師が示した日付のうちの六番目、つまり、ランスロットを授かった日を返答する。

「その日まで心穏やかに愛する方の元でお過ごしください。こちらの屋敷にお戻りになる必要はありません。今からでもアリーさんの元へお行きになって結構ですわ。どうか私のことはお気になさらず」

 そう言って扉を指し示すと、なぜかヘンドリックさまの口元がゆがんだ。


 そして私が提示した日までの半年間、ヘンドリックさまは本邸に顔を見せることなく、アリーさんの家で運命の愛を謳歌した。彼はアリーさんとの家から王城に向かい、団長として勤務し、夕方には再び彼女の元に戻る。
 当たり前だが、義両親やキンバリーさま、使用人たちを含めた周囲は大いに困惑し、初夜に私たち夫婦の間に何があったのかと心配した。そこで私は、医師の算出をもとにヘンドリックさまと子作りをする日をあらかじめ決めたこと、それまでアリーさんとの家に行って構わないと話してあることを報告する。

「正気か」
「ラシェル、まさかそんなこと」
「義姉上はそれで良いのですか」

 義父母とキンバリーさまは、口々に不安と驚きを口にする。それもそうだろう、彼らにとっては、私がヘンドリックさまを慕っていたということは、過去にもなっていない、つい最近までの現実なのだ。だからこそ、彼らは私の変貌ぶりに驚き、当惑している。

「私はここに嫁いだ自分の役目をよく理解しております。必ず立派な後継となる子を産み、育てますわ。ですから、どうか私を信じてください。今後もヘンドリックさまとは、穏便な関係を保ちたいのです」

 憂いなく明るい笑顔でそう語り、ねやについてとりあえずの了承をもらう。
 ただ、今はそれよりも、育児において彼らの力を借りられるよう話をしておかねばならない。一度目の人生で私が大きくつまずいた原因は、恥や弱みをさらすことを恐れて孤立したこと。
 一度目の人生の時、義父母もキンバリーさまも、きっとヘンドリックさまがこの先もアリーさんを手放すことはないと分かっていたから、援助を申し出たのだ。ランスロットのためを思うなら、あの時私は彼らの手を取るべきだった。
 結局、私は自分で自分を追いつめ、挙句ランスロットまでも追いつめた。
 同じ間違いを繰り返さないためには、彼らの助けが必要なのだ。

「皆さま方には、出産後のことを相談したいのです。きっとヘンドリックさまは、子どもが生まれた後もこちらにはお戻りにはならないでしょうから」

 私は三人に向かって、深く頭を下げる。
 今はまだこの世界のどこにもいないあの子を、私は今度こそ守れるだろうか。
 ランスロット、本当にごめんなさい。
 私を愛してほしい、なんておろかなことは言わない。だけど、今度生まれてくる時は、精一杯あなたを愛させてほしい。
 今度はもう、ひとりで抱え込むようなおろかな真似はしないから。
 あなたは、ただあなたを愛する人たちに囲まれて、今度こそ幸せに育ってほしいの。


 六ヶ月後、私はヘンドリックさまと本物の初夜を迎える。

「今夜はよろしくお願いします」
「……ああ」

 子作りのために本邸を訪れたヘンドリックさまは、記憶よりも物言いが大人しい。

「少しお待ちを」

 私は小棚の上に置いておいた小瓶に手を伸ばすと、夫に背を向け、小瓶の中身の液体を手のひらの上に取り出した。
 背中から夫の刺すような視線を感じるが、気恥ずかしさを押し隠して下穿きをずらし、を自身の秘部に塗り込める。

「……何をしている?」
「行為の際の痛みを和らげる薬を塗っております。私は初めてですので、相当な痛みが予想されます。行為をスムーズに終わらせ、体がダメージを負わないために、あらかじめ準備しておきました」

 背後から息を呑む気配がしたけれど、構うことはない。前回のような激痛は御免だ。無理矢理に引き裂かれた秘所は、その後もひどく痛みを引きずった。男はどんなやり方でも快感を得られるのかもしれないが、女は違う。
 もう夫のために痛みすら感じるのが惜しい。何を捧げても自分が壊れていくだけなら、それがランスロットの苦しみへと続いてしまうのなら、私は全力で心を守らなければならない。
 薬液を塗り込んだ後、自らベッドに横たわる。もちろん一度目の時と同じく夜着は着たままだ。

「……どうぞ」

 自ら裾を捲り上げて開始を告げれば、ヘンドリックさまは眉間の皺を深くする。

「お嫌でしょうが、それはお互いさまですので我慢してくださいませ。せめて早く終わらせましょう。ヘンドリックさまも、どうぞ服はそのままで結構ですから」
「……分かった」

 ヘンドリックさまは渋々とトラウザーズの前を寛げ、たかぶりを取り出す。

「挿れるぞ」

 愛撫や口づけ、優しい囁きや労りの言葉もないのは前と同じ。
 だが、それで構わない。もうヘンドリックさまの視線に怯えることも、彼の気持ちを気にかけることもない。ひとたび灼熱のような恋心から解放されてしまえば、世界は驚くほどに楽になる。
 射精が終われば、なぜかもう一度の行為に及ぼうとした夫を止め、もう十分だと退室を促す。
 こうして二度目の人生でのヘンドリックさまとの行為は、一度目と比べて遥かに楽に、痛みもほぼないまま終了したのだった。
 その後、願い通りあの夜のヘンドリックさまとの一度の行為で、私は子を身籠る。
 馬鹿馬鹿しいことに、ヘンドリックさまは本当に監視を送り込んできた。行為の翌日から私の部屋の前に立つようになった公爵家の私兵を見て、義父母はもちろん、キンバリーさまも目を丸くする。
 一回で妊娠すると言う私をヘンドリックさまが疑うのも、仕方ないのかもしれない。けれど体裁を取り繕うためだけに、あの拷問のようなねやを繰り返そうとは思えなかった。ランスロットを宿すためでなければ、私はあの夜のたった一度の行為さえ拒否していただろう。

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