上 下
43 / 54

今はまだ、後悔の中

しおりを挟む


『おにいちゃんっ まってて、いま、たすけてあげるっ!』


 上がる水しぶき。遠くで聞こえる悲鳴。そして背中にかかる重み。


『たすけてあげ・・・ぐばばっ、ごぼっごぼぼっ』











「・・・はっ」


 寝台から飛び起きる様にして目を覚ましたオスカーは、額にかかる前髪をかきあげながら「夢か」と呟いた。


 随分と昔の夢だった。


 まだオスカーが20歳そこそこの、今よりもっと多くの女性に囲まれ、追い回されて辟易していた頃の。


「あの夢は・・・そうだ。家族で避暑に向かった先の・・・」


 夢とは言っても、記憶もしくは思い出という言葉の方が正しいかもしれない。

 約11年前に起きた事を、夢は正確になぞっていたから。


「あんな昔の事をなんだって今頃・・・」




 ―――今は、それどころではないのに。


 2日前、ケイヒル伯爵家から使いが来た。

 その日より2日後、つまり今日、マンスフィールド邸を訪問したいと。


 訪問を知らせる手紙の中に、その目的については記されてなかったが、何の話をするかなど分かり切っていた。


 ひと月と少し前に屋敷を出て行った妻のことだ。


「シャルロッテ・・・」


 シャルロッテがいなくなった屋敷は、灯が消えたように静かだった。

 4か月前の、シャルロッテが嫁ぐ前に戻っただけ、そう言ってしまえばそれで終わりだが、屋敷内の誰も彼もが寂しそうにしていた。


 病気療養の為に実家に戻ったと言えば、使用人たちは心配するも、同時に安堵が顔に浮かんで。


 それなら元気になったら戻られるんですね、と言われ、病はアラマキフィリスだと告げたら、皆が皆、顔に絶望の色を浮かべた。


 それから少しして、製薬研究所が新たな薬の開発に取り組んでいるという報告を、レナートが持って来た。

 前にイグナートが言っていた事が実行に移されたらしい。例の異国の薬師も関わりながら、薬草の選定から始めているとか。


 だが、オスカーは知っている。

 世間の考えるシャルロッテの罹患時期と、実際のそれとは大きく異なると。


 シャルロッテがアラマキフィリスになったのは、もう2年近くも前なのだ。



 ―――きっと、今からでは間に合わない。


 そう心の中では理解しつつも、なんとか間に合ってはくれないかと奇跡を願った。


 病気だから、欲を持つべき未来がないから、だからこそシャルロッテの気持ちは美しいのだと、そう思っていた過去の自分を殴ってやりたい。


 どんなシャルロッテでもいい。

 欲を孕んで、醜い感情を見せるシャルロッテでもいい。

 どんな変わり果てた姿になろうとも、生きていてくれさえすれば、それでよかったのだ。




 ―――言えばよかった。

 ひと言だけでも、あなたが好きだと。

 好ましく思っていると。


 病気のあなたも好きだが、病気でないあなたと一生を添い遂げたかったと。



 あの時、あの夜、シャルロッテが青く染まった9本の指の爪を見せてくれた後になって、臆病なオスカーは己の気持ちに漸く気づいたのだ。




 レナートに命じて、薬学研究所の情報は定期的に取り入れている。

 異国の薬師は特効薬のレシピを持っているらしい。
 だが、必要な薬草の幾つかがこの国では手に入らず、今はその手配に追われている。つまり、まだこの国でアラマキフィリスの薬は完成していない。



 その中で、ケイヒル伯爵家がオスカーを訪問する目的は―――



 当然の流れとして導き出された結論に、オスカーは項垂れた。




 ―――まだこの時のオスカーは、手袋を外したシャルロッテを見た時の違和感の正体に気づいていない。


 今はまだ―――

























しおりを挟む
感想 102

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

【完結】私の婚約者は妹のおさがりです

葉桜鹿乃
恋愛
「もう要らないわ、お姉様にあげる」 サリバン辺境伯領の領主代行として領地に籠もりがちな私リリーに対し、王都の社交界で華々しく活動……悪く言えば男をとっかえひっかえ……していた妹ローズが、そう言って寄越したのは、それまで送ってきていたドレスでも宝飾品でもなく、私の初恋の方でした。 ローズのせいで広まっていたサリバン辺境伯家の悪評を止めるために、彼は敢えてローズに近付き一切身体を許さず私を待っていてくれていた。 そして彼の初恋も私で、私はクールな彼にいつのまにか溺愛されて……? 妹のおさがりばかりを貰っていた私は、初めて本でも家庭教師でも実権でもないものを、両親にねだる。 「お父様、お母様、私この方と婚約したいです」 リリーの大事なものを守る為に奮闘する侯爵家次男レイノルズと、領地を大事に思うリリー。そしてリリーと自分を比べ、態と奔放に振る舞い続けた妹ローズがハッピーエンドを目指す物語。 小説家になろう様でも別名義にて連載しています。 ※感想の取り扱いについては近況ボードを参照ください。(10/27追記)

私が我慢する必要ありますか?【2024年12月25日電子書籍配信決定しました】

青太郎
恋愛
ある日前世の記憶が戻りました。 そして気付いてしまったのです。 私が我慢する必要ありますか? ※ 株式会社MARCOT様より電子書籍化決定! コミックシーモア様にて12/25より配信されます。 コミックシーモア様限定の短編もありますので興味のある方はぜひお手に取って頂けると嬉しいです。 リンク先 https://www.cmoa.jp/title/1101438094/vol/1/

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った

Mimi
恋愛
 声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。  わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。    今日まで身近だったふたりは。  今日から一番遠いふたりになった。    *****  伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。  徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。  シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。  お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……  * 無自覚の上から目線  * 幼馴染みという特別感  * 失くしてからの後悔   幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。 中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。 本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。 ご了承下さいませ。 他サイトにも公開中です

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

9番と呼ばれていた妻は執着してくる夫に別れを告げる

風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から言いたいことを言えずに、両親の望み通りにしてきた。 結婚だってそうだった。 良い娘、良い姉、良い公爵令嬢でいようと思っていた。 夫の9番目の妻だと知るまでは―― 「他の妻たちの嫉妬が酷くてね。リリララのことは9番と呼んでいるんだ」 嫉妬する側妃の嫌がらせにうんざりしていただけに、ターズ様が側近にこう言っているのを聞いた時、私は良い妻であることをやめることにした。 ※最後はさくっと終わっております。 ※独特の異世界の世界観であり、ご都合主義です。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

処理中です...