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シャルロッテはもういない

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「俺って、余計なことしたのかなあ」


 ボーッと汽笛が鳴り、船がゆっくりと動き始めた。


 沖に向かうにつれ小さくなっていく船を眺めるイグナートがこぼしたその呟きに、まず反応したのは長兄ランツだった。


「余計な訳あるか。イグが薬を持って帰って来なかったら、シャルはあと数か月もしないうちに死んでたんだぞ。
 失恋しようが、オスカー殿と結んだ契約に違反する事になろうが、シャルがこの先もずっと生きられる事の方が、僕はずっと大事だ」

「分かってる、言ってみただけだよ」


 イグナートは苦笑し、ただ、と続けた。


「俺が同じ台詞をあの人・・・の前で言ったら、一体どんな反応するんだろうな、なんて、ちょっと意地悪な事を考えてみただけ」

「あ~・・・それはまあ、気持ちは分かる」

「女関連でよほど酷い目に遭ってきたんだろうけどさ、不治の病じゃないとシャルの恋心の純粋さを信じられないとか言われてもね。俺はシャルの兄ちゃんだから、どうしたってシャルの方が大事なんだよ。オスカー殿のトラウマとやらも『だから何?』って思っちゃうんだ。
まあ、病気を前面に押し出して結婚を申し込んだのはシャルだから、面と向かって文句を言うつもりはないけどさ」

 
 先ほど出港を見送った船、その船にはシャルロッテが乗っていた。
 新しい身分と新しい名前で、海を隔てた隣国トーベアナ王国で暮らす為に。



 マンスフィールド邸を出た日、シャルロッテはまずケイヒル伯爵家に向かい、契約結婚の早期終了を決めたこと、そしてその理由について家族に説明した。

 オスカーの女性嫌いの対象から外されているシャルロッテが、病気が治った事で対象内に入ってしまう。
 それを恐れて、これまで薬のことを黙っていたが、今は申し訳なさが先に立つようになったこと、一度は薬について打ち明けようと思ったものの、オスカーの本音を偶然聞いてしまい契約終了の決心がついたことまでを。



「デリケートな話だよなあ。アラマキフィリスに罹ったシャルなら『好き』って言っても大丈夫で、治ったシャルだと駄目で・・・やっぱり離れるしかなかったのかな。オスカー殿もシャルを特別に思ってる風に見えたけど」

「それは僕も同感だね。でも、シャルの事をオスカー殿に報告しないといけないし、その時に彼がどう動くか、それで本心が分かるんじゃないかな」

「父上、あんなだけど大丈夫? ちゃんと上手く話せるかな」


 イグナートは、ちらりと視線を父ジョナスへ向けた。
 実は今も、ジョナスは船が向かった方角に顔を向けたまま、膝をついておいおいと泣いているのだ。



「シャル・・・あっちに行ったら、少しは元気になるかな。ここのところずっとから元気だったから」

「僕たちの前でも、気を遣って笑ってたからね。まあ、元気になるのは少し時間がかかるんじゃないかな。あの子、本当にオスカー殿の事が好きだったから」

「オスカー殿の方は、不気味なくらい沈黙を保ってるけどな」



 オスカー・マンスフィールドの妻シャルロッテが病に倒れ、療養生活に入った事は社交界に知られ始めている。

 その病名がアラマキフィリスである事も。

 そして最近、ケイヒル伯爵家の支援により、薬学研究所がアラマキフィリスの特効薬の開発に着手したという噂も流れ始めた。

 イグナートが連れて来た謎の薬師の存在も、噂に拍車をかけている。


 事情を知らない者たちは、ケイヒル家がシャルロッテの為に特効薬の開発を急がせていると思うだろう。そして、果たして間に合うのかと勝手に騒いでいるのだ。

 間に合うとは勿論、アラマキフィリスに罹ったシャルロッテの投薬に、という意味。

 世間では、シャルロッテが罹患した時期はつい最近となっている。
 だから、ほぼ同時期に話題に上がった特効薬の開発と、オスカーの妻となった有名な女性の病状の進行と、時間的にどちらが先になるかと気にしているのだ。


 ここまで話題になってしまえば、愛する妻を亡くして悲しみにくれる夫として独り身を貫く予定のオスカーは、たぶん最初に立てた計画よりもスムーズに事を運べる筈。少なくとも、オスカーの縁談よけの役に立ちたいというシャルロッテの願いだけは叶う事になる。



 漸く泣き止んだジョナスを妻ラステルが慰めながら立ち上がらせた。
 そうして、家族4人で待たせていた馬車へと向かう。


「次に会う時はシャルと呼べないんだな。何だっけ、サシャだっけ」

「そうだ。アニーもアーニャに変わったから気をつけろよ」

「アーニャねぇ」


 ランツの指摘に、イグナートが口を尖らせた。


「アニーがアーニャなら、シャルもシャーリーとかでよかったんじゃないの? サシャだと呼び間違えそう」

「ううっ、ひっく、わ、私も、最初はそのつもりで準備してたんだよ。でも、あっちの商会に、シャーリーって名前の子が、ひっく、いたから」


 泣きすぎてしゃっくりが止まらないジョナスが、口を挟んだ。


 トーベアナ王国で、これからシャルロッテの使う名前は、サシャ・ケルルー。

 没落した男爵家の令嬢で、侍女のアニー改めアーニャはサシャの姉、つまり2人は姉妹という設定だ。

 トーベアナに到着したら、取り敢えずケイヒル家が持つ商会の支店の一つで働く事が決まっている。
 

「まあ、シャル・・・じゃなくてサシャの事は、落ち着いたら様子を見に行くとして、明日行くんだよね?」

「ああ」



 そう、明日。

 シャルロッテが出国したのを見届けたジョナスたちは、明日オスカーの屋敷を訪問する。


 そして、告げるつもりだ。


 ―――シャルロッテは、もうこの世にいないと。



 






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