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イグお兄さま
しおりを挟む誓いの口づけの後は、神殿長が婚姻の成立を宣言して式の終わりとなる。
後はオスカーとシャルロッテが退場するだけだ。
騒ぐ第二王女や他の令嬢たちの心中は言わずもがなだが、実のところ花嫁であるシャルロッテも動揺しまくりである。
もちろんシャルロッテに限ってはいい意味だ。なにしろ初恋の人との結婚式で、思いがけず口づけをしたのだから。
―――胸がドキドキしすぎて爆発しそう。
オスカーと重ねていない方の手で、シャルロッテはそっと胸を押さえて数回ほど深呼吸をした。
一瞬だけシャルロッテの唇に触れた、ふにっとした感触。
柔らかくて、少しカサついた何かは、きっとオスカーの唇の筈だ。目を瞑っていたから推測でしかないが。
もう少し生きられる予定だけれど、たとえ今ここで命が果てるとしても悔いはない。そう言い切れるくらい、今のシャルロッテは幸せな気分に包まれていた。
「どうした? 行くぞ」
ぼーっとしているシャルロッテに、右斜め上から声が降って来た。
ドキドキしながら声の主を見上げれば、いつもと同じ、完全なる無表情の美丈夫がこちらを見下ろしている。
―――なんか、ズルい。
不意打ちの口づけはご褒美でしかないし、この件に関しては正直リベット王女に感謝したいくらいだが、オスカーがこうも動揺していないのは、少しだけ腹が立ってしまう。
だって分かってしまうから。
好きなのは自分だけ。
こちらがひとり勝手にドキドキして、照れて盛り上がって、恥ずかしがっているだけなのだと。
―――かと言って、口づけなんて、してくれなくてよかったのにとは死んでも思えないのが、また悔しい。
歩調を合わせ、出口に向かってゆっくりと祭場を歩きながら、シャルロッテは恋心の厄介さを改めてしみじみと自覚した。
どこかの国の諺だったろうか、『惚れたら負け』という言葉があると昔、2番目の兄が言っていた。あれはきっとこういう事なのだ。
好きなら相手の望む事は何でもしてあげたくなるし、きっと嫌な事があってもすぐに許してしまう。
それは、シャルロッテがオスカーには間違いなくそうなるという事で。
でも別にシャルロッテの事などなんとも思っていないオスカーには、決して当てはまらない事で。
―――つまり、私は余程の事がない限りオスカーさまを嫌いになったりしないけれど、オスカーさまの場合は、ちょっとの切っ掛けで即、私を嫌いになる可能性があるという事よね。
今さらながら、シャルロッテは片想いの切なさ苦しさを思い知った気分になった。
シャルロッテもよく分かっている。余命僅かという特殊な条件があったからこそ、今回の結婚は成立したのだ。
それがなかったら、シャルロッテもリベット王女や他の令嬢たちと立場は何も変わらなかった。
―――つまりは、見向きもされなかった。
と、そんな言葉が頭に浮かび、シャルロッテは小さく頭を振った。
―――自分で自分を追い込んでどうするのよ。
アラマキフィリスに罹ったと知って、2週間ほど泣き暮らして、もうこれ以上は時間を無駄にしないと決めた。
ちらり、とオスカーの手に重ねた自分の、白手袋をはめた手を見る。
手袋の下に隠されている、シャルロッテの命の期限を示す青色の爪。
それはシャルロッテにとって死を意味する絶望の印であり、同時に仮初ではあるがオスカーと夫婦にしてくれた恋のお守りでもあるのだ。
この病気がなかったら。
シャルロッテはきっと普通に社交界にデビューして、普通に家同士の繋がりによる婚約者を―――オスカーではない人を見つけていただろう。
そして、その人と普通に結婚して、普通に子どもをもうけて、それなりに長生きして。
きっと、それはそれで普通に幸せで。
―――でも、大好きなオスカーさまと、たとえ半年限定でも結婚できる今の私も、間違いなく幸せだ。
おまけに、口づけまでしてもらっちゃったんだも・・・
「シャル! おめでとう、よかったなぁ、お兄ちゃんは嬉しいよ!」
聞き慣れた、けれどここ最近はずっと聞いていなかった声に、彷徨っていたシャルロッテの思考が遮られた。
驚いたシャルロッテが視線を声の方へと向けると、そこには祭場の扉前でぼろぼろと涙を流す男性の姿があった。
「うそ・・・イグお兄さま?」
「そうだよ。お前の大好きな、優しくて強くて逞しいイグお兄さまだよ。ああ、やっと会えた。よかった、間に合って・・・っ」
彼の名はイグナート・ケイヒル。
1年と3か月前、シャルロッテの薬を探すと家を飛び出し、以来行方不明となっていた次兄であった。
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