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プロローグ
しおりを挟むカイラン王国の南部にあるケイヒル領。その南端に位置する海辺の街の高台には、一軒ぽつんと可愛らしい煉瓦作りの家が立っている。
窓を開ければ海が一望できるその家に、うら若い女性が使用人を連れて引っ越して来たのは約半月前。
女性の名はシャルロッテと言った。
シャルロッテは家から出る事もなく、ただ窓を開けて海を眺めながらぼんやりと日々を過ごしていた。
「はあ・・・今日も海が青くて綺麗ねぇ・・・」
今日も今日とて海を眺めながら独り言を呟くシャルロッテは無気力そのもの。
そんな主を、側でお茶の用意をしていた侍女のアニーが呆れ顔で見た。
「せっかく病気が治ったというのに、毎日ただ海を眺めるだけなんて・・・こんなに腑抜けてしまうくらいなら、公爵邸から出て行かなければよかったではないですか」
「・・・そういう訳にはいかないわ」
シャルロッテは、視線を自分のピンク色の爪に落とし、少し沈んだ声で答えた。
「もともと半年間限定の結婚という契約だったんだもの。今さら、『病気が治っちゃったからこのままずっと妻でいたいですぅ♡』なんて言える訳ないじゃない」
溜め息を吐くシャルロッテに、アニーは首を傾げた。
「旦那さまはきっと、ご快癒を喜んで下さったと思いますけどねぇ」
「そりゃオスカーさまは優しい方だもの。きっと病気が治った事自体は喜んで下さったに違いないわ。でも、治った事を黙ったまま結婚生活を続けた件については絶対お怒りになる筈よ。だって契約に関わる事だもの。死ぬ死ぬ詐欺で訴えられたって文句を言えないわ」
「死ぬ死ぬ詐欺・・・」
「ええそうよ。だってオスカーさまは、私がアラマキフィリスで余命わずかと分かっていたからこそ、結婚して下さったのよ? それが『結婚式当日に薬が見つかって治りました』なんて言っても、仕込みとしか思わないわよ」
シャルロッテは再び手元に視線を戻すと、健康的な爪の色を眺め、また溜め息を吐いた。
「誤解しないで、アニー。病気が治った事は本当に嬉しいの。でも、病気だったからこそ、私はオスカーさまの側にいられたのよ。女性嫌いで、これまでずっと婚約者すら持たなかったオスカーさまが結婚を承諾して下さったのは、私がじきに死ぬ妻だったからだもの。
治ったのは偶然だけど、契約違反なのよ。だから予定通り、彼には何も知らせないままこの家に来たの。ここで最期を迎えるフリをする為に」
「シャルロッテさま・・・」
シャルロッテは振り返り、アニーを見て寂しげに微笑んだ。
「大丈夫、忘れるわ。きっと時間はすごくかかると思うけど、ちゃんとオスカーさまのことを忘れる・・・その為にもこの国を出て行くわ」
そう、当初の予定通りに事を運ぶのだ。
不治の病のシャルロッテは、この家で最期の時を静かに過ごした後に亡くなる。
そして、オスカーは亡き妻への愛を理由に、今後は縁談話に煩わされない生活を送る。
それで全て予定通りだ。
「お父さまから連絡が来たらすぐ、ここを出発するわ。この景色とももうすぐさよならね。海を見てると、病気だった頃を思い出して妙に懐かしかったわ。海の青が素直に綺麗だと思えて嬉しかったのかもね」
「・・・それならまた、海のそばの家に住めばよろしいではないですか」
「・・・そうね。それもいいかもしれないわ」
きっとアニーは複雑な表情を浮かべているのだろう。でもシャルロッテは気づかないフリで外の海を眺め続けた。
シャルロッテの父は今、思いがけず命を長らえた娘の為に、異国での別の人生を用意しようと動いてくれている。
きっとあの日、薬が見つかった事を正直に打ち明けていれば、本当の名前を捨てる事も、家族から遠く離れて異国に渡る必要もなかっただろう。
でもシャルロッテは、嘘を吐いてでもオスカーの妻になる事を選んだ。期間限定で構わないから妻になりたかった。
それは、病で命を落とす未来を―――手に入れた薬で今や回避できた未来を―――表向きはそのままにするという事だ。
だから、シャルロッテという名の娘は、もう少しでこの世からいなくなる。難病アラマキフィリスで亡くなったという知らせが、オスカーのもとにも届くだろう。
―――後悔はしていない。
初恋の人のそばにいられて、シャルロッテは幸せだった。
だから今度は、シャルロッテがオスカーの心の平安を守ってあげる番だ。
今後オスカーは、結婚したばかりの愛する妻を不治の病で喪った悲劇の夫として、静かにすごしていける筈。
シャルロッテはもう、彼のすぐそばにいる事は叶わないけれど。
でも、それでも構わない。
―――オスカーさまと過ごした時間を、一生の宝物として胸に刻むから。
「大丈夫、忘れられる・・・」
シャルロッテの呟きは、風に乗って空気の中へとけていく。
新しい国、新しい名前、新しい人生。
シャルロッテは、大好きな夫との短い結婚生活に終止符を打ち、これから全く違う人間としての生活を始めるのだ。
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