上 下
2 / 74

エリーゼの婚約者

しおりを挟む



エリーゼ・ラクスラインは、エヴァンゲル王国の筆頭公爵家であるラクスライン家の一人娘である。

母ラウエルは、第一子エリーゼを産んだ後に体調を崩した。数年後に回復したものの、次の子を産むのは難しいと医師が判断した。結果、エリーゼは早々に公爵家の後継者になる事が決定した。
エヴァンゲル王国では女性の継承権が認められており、女性当主の存在は珍しい事ではない。

エリーゼは五歳で後継者教育を開始し、十二歳の時には婚約者が決まった。それがオズワルドだった。

オズワルド・ゴーガン。
ゴーガン侯爵家の三男で、彼の父とエリーゼの父が学生時代の友人関係にあった。
家格のバランスが取れ、同じ派閥に属しており、同い年の子がいたという理由で結ばれた、あまり政略結婚らしくない縁だった。

学生時代の友人同士といっても、互いの領地はそれなりに離れており、卒業後は社交シーズンに王都の夜会で顔を合わせる程度で、家族ぐるみで交流する程の仲ではない。
となれば子どものエリーゼとオズワルドに交流の機会などある筈もなく、婚約時の顔合わせが二人の初対面となった。




『きれいな色の髪だね』


顔合わせの場は、ラクスライン公爵家の庭。

花が咲き誇る美しい庭で楽しく語らいを、と大人たちが提案したお茶の席で、オズワルドはふわりと風に揺れるエリーゼの薄紫色の髪を見て目を細めた。


『・・・あなたの銀色の髪も、とてもきれいだわ』


オズワルドは、銀髪銀眼の、月の妖精を思わせる美少年だった。
そんな彼に褒められた事が嬉しくて、でも恥ずかしくて、つい俯いてしまったエリーゼは、か細い声でそう答えた。

その後もエリーゼは緊張して上手く会話が続けられず、何度も静寂が落ちた。
けれど、オズワルドがそれを気にする風はなく、珍しそうに庭のあちこちに目を遣っていた。


『ラクスラインって筆頭公爵家だもんね。すごいな、ボクも公爵家の婿にふさわしい人になるよう努力しないと』


別れ際、オズワルドは少し緊張した面持ちでそう言うと、エリーゼに手を差し出した。

その手に、エリーゼがおずおずと自分の手を乗せると、オズワルドはきゅっと握り込んで『よろしく』と笑った。


この時のオズワルドの笑顔が、この時にくれた言葉が、ずっとエリーゼを奮い立たせていた。

オズワルドがエリーゼの婿になる為に頑張ると言うのなら、エリーゼもオズワルドの妻になる為に頑張ろうと、そう思って、厳しい後継者教育にいっそう身を入れた。愛していると、愛されていると、そう信じていたから。


―――でも。


夜会のバルコニーで漏れ聞いた言葉が、馬車に揺られるエリーゼの頭の中で、何度も何度も蘇る。


『爵位だけが取り柄の女』

『なんであんなのと婚約しちまったんだろ』

『無理して笑いかけるのももう限界』



「オズワルドは、私との婚約がそんなに嫌だったのね・・・」


エリーゼは、馬車の窓に映る自分の姿をじっと見つめた。

紺色の、レース飾りの一つもないシンプルなドレスに身を包んだ女。

老婦人のように、しっかりと一つにまとめた髪には髪飾りなどの装飾品はない。

軽くおしろいをはたいただけの顔は、確かに美しく着飾った夫人や令嬢たちと比べて、随分と見劣りするだろう。

十八歳の乙女とは思えないほど地味で、華やかさの欠片もない娘。それがエリーゼ。


「・・・ふふ」


思わず笑みが零れ落ちた。
窓に映るみすぼらしい自分も、同じように口元を歪めている。


「バカみたいだわ・・・」


全くもってオズワルドは正しい。オズワルドの言った事は間違っていない。

エリーゼは地味で、パッとしなくて、無口で、誰の目にも留まらない、つまらない女だ。


でも、とエリーゼは思う。


「そうあるよう私に望んだのは、オズワルド、あなただったのに・・・」








十四歳の時だった。

婚約者の交流で久しぶりに再会したオズワルドは、エリーゼに言った。


『公爵令嬢の君の前だと、なんだか気後れしてしまうな。ボクは侯爵家だから』


きっと、あれが始まりだった。


『君の横にいるボクなんか、皆には霞んで見えるのだろうね』

『ボクの言う事より、公爵令嬢の君の言葉の方を聞くに決まってるよ』

『似合ってはいるけど、少し派手すぎないか? オレはもっと控えめなデザインが好きだな』

『他の男に着飾った姿を見せないでほしい。お前の良さはオレが知っていればそれでいいだろう?』

『化粧が濃すぎるよ』

『お前の髪色は派手で目立つから、一つにまとめた方がいい』

『黙って後ろに控えていてくれ。それとも、オレでは頼りなくて任せられないと言いたいのか?』

『ああ、そのパーティは欠席だ。オレが行かないのに、お前が行く必要はないだろう』


筆頭公爵家の一人娘だから、皆はエリーゼを褒め奉る。オズワルド自分は侯爵家の三男だから、エリーゼと比べられて下に見られる。だから苦しい、だから辛い、配慮してほしい、そう言われ、エリーゼはオズワルドの価値を上げる努力をした。

だがオズワルドの苦悩は終わらず、要望は多く、どんどん細かくなっていく。

それでもエリーゼは、オズワルドの希望に沿うよう頑張って、頑張って、頑張り続けた。

エリーゼの為に頑張ると約束してくれた、あの日のオズワルドを守りたかった、喜ばせたかった、失望されたくなかった。

だから、いつだってオズワルドの望みを最優先にした。全て彼の言う通りにした。

お洒落も、友だち作りも、お出かけも、夜会やお茶会、流行りのドレスやアクセサリーも、オズワルドが眉を顰めれば諦めたのだ。


(・・・ううん、全部ではないわ)


馬車の窓の向こう、車体に隠れて見えないが、護衛の為に馬で並走しているであろう騎士の姿をエリーゼは思い出す。


(一度だけ、オズワルドの願いを断った事があるじゃない)









しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました

Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、 あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。 ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。 けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。 『我慢するしかない』 『彼女といると疲れる』 私はルパート様に嫌われていたの? 本当は厭わしく思っていたの? だから私は決めました。 あなたを忘れようと… ※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

愛してしまって、ごめんなさい

oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」 初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。 けれど私は赦されない人間です。 最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。 ※全9話。 毎朝7時に更新致します。

〖完結〗では、婚約解消いたしましょう。

藍川みいな
恋愛
三年婚約しているオリバー殿下は、最近別の女性とばかり一緒にいる。 学園で行われる年に一度のダンスパーティーにも、私ではなくセシリー様を誘っていた。まるで二人が婚約者同士のように思える。 そのダンスパーティーで、オリバー殿下は私を責め、婚約を考え直すと言い出した。 それなら、婚約を解消いたしましょう。 そしてすぐに、婚約者に立候補したいという人が現れて……!? 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話しです。

「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう

天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。 侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。 その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。 ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。

幼馴染と仲良くし過ぎている婚約者とは婚約破棄したい!

ルイス
恋愛
ダイダロス王国の侯爵令嬢であるエレナは、リグリット公爵令息と婚約をしていた。 同じ18歳ということで話も合い、仲睦まじいカップルだったが……。 そこに現れたリグリットの幼馴染の伯爵令嬢の存在。リグリットは幼馴染を優先し始める。 あまりにも度が過ぎるので、エレナは不満を口にするが……リグリットは今までの優しい彼からは豹変し、権力にものを言わせ、エレナを束縛し始めた。 「婚約破棄なんてしたら、どうなるか分かっているな?」 その時、エレナは分かってしまったのだ。リグリットは自分の侯爵令嬢の地位だけにしか興味がないことを……。 そんな彼女の前に現れたのは、幼馴染のヨハン王子殿下だった。エレナの状況を理解し、ヨハンは動いてくれることを約束してくれる。 正式な婚約破棄の申し出をするエレナに対し、激怒するリグリットだったが……。

【完結済】結婚式の翌日、私はこの結婚が白い結婚であることを知りました。

鳴宮野々花
恋愛
 共に伯爵家の令嬢と令息であるアミカとミッチェルは幸せな結婚式を挙げた。ところがその夜ミッチェルの体調が悪くなり、二人は別々の寝室で休むことに。  その翌日、アミカは偶然街でミッチェルと自分の友人であるポーラの不貞の事実を知ってしまう。激しく落胆するアミカだったが、侯爵令息のマキシミリアーノの助けを借りながら二人の不貞の証拠を押さえ、こちらの有責にされないように離婚にこぎつけようとする。  ところが、これは白い結婚だと不貞の相手であるポーラに言っていたはずなのに、日が経つごとにミッチェルの様子が徐々におかしくなってきて───

【完結】大好きな貴方、婚約を解消しましょう

凛蓮月
恋愛
大好きな貴方、婚約を解消しましょう。 私は、恋に夢中で何も見えていなかった。 だから、貴方に手を振り払われるまで、嫌われていることさえ気付か なかったの。 ※この作品は「小説家になろう」内の「名も無き恋の物語【短編集】」「君と甘い一日を」より抜粋したものです。 2022/9/5 隣国の王太子の話【王太子は、婚約者の愛を得られるか】完結しました。 お見かけの際はよろしくお願いしますm(_ _ )m

処理中です...