91 / 96
愚かで、重くて、可愛くて
しおりを挟むあなたが欲しいと言われ、ヴィオレッタの心は揺れた。ぐらぐら揺れた。
それはそうだろう、元々が大好きな婚約者。何もなくとも、二十日ほど後には夫となる人だ。
そんな彼が頬を染め、目を潤ませながら自分に懇願しているのだ。今夜あなたを妻にしたい、と。
その言葉は、あの怒涛のような、身も心も翻弄される口づけよりももっと凄い行為を示唆している筈。
そう、たった一度の口づけで腰が砕け、意識を失ってしまったヴィオレッタには想像もつかないような、恐ろしくも甘美で神聖な行為に言及している筈なのだ。
それを怖いと思うより、仄かな憧れを抱くより。
ヴィオレッタは、何よりも大好きな人に愛を乞われたことを嬉しいと思ってしまう。
この人が望むのなら、何であれ差し出したいと願ってしまうほどに。
けれど、ヴィオレッタは即座に頷きたくなる衝動を堪えた。
「あの・・・ランスさまは、明日から国境へご出立されるのではありませんでしたか・・・?」
「・・・っ」
ランスロットは一瞬言葉に詰まり、それから渋々と頷いた。
「では今夜、もし私がランスさまの妻となったら、そのお仕事はどうなるのでしょうか」
「・・・きちんと、行くつもりでいます。それが今夜あなたに求婚するに際し、二人の義父上たちと交わした約束ですから」
「約束?」とヴィオレッタが首を傾げると、ランスロットは気まずそうな表情を浮かべながらも、ぽつぽつと話し始めた。
ヴィオレッタが目を覚ますまでに、キンバリーやハロルドと交わした会話について、その全てを。
最初は、任務も何もかもを放り出して、ヴィオレッタと契りたいと思ったこと。退団の意思すらキンバリーに示したこと。キンバリーに叱られ、その後ハロルドも加わって、話し合ったこと。
「もし僕が早まった行動を取れば、それはヴィオレッタの評判にも関わるのだと釘を刺されました」
しゅん、と項垂れる様子は、まるで大きな犬の様だ。こんなに体が大きくて、筋肉もしっかりついた強い騎士なのに、なんだか可愛らしくて、場の空気も忘れて思わず笑いそうになる。
「二十日ほど先の婚姻が今夜に変わろうと、あるいは五日後になろうと、その事に関しては義父たちは別に構わないのだそうです。その・・・もし子が出来るような事になっても、今くらいの時期であれば問題ないだろう、と・・・」
ぽっと赤面しつつ、ランスロットは続ける。
「・・・ただ、その為に仕事を蔑ろにする様では、ヴィオレッタに非難が向いてしまうと叱られました」
考えが足りなくてすみません、とランスロットは眉を下げる。
「退団してでも・・・なんて、自分でも軽率な発言だったと分かっているのです。本当に情けない男です。ですがもう、どうしても気持ちが抑えられなくなってしまって・・・」
今も尚、婚約者を強く抱きしめながらそう語るランスロットに、ヴィオレッタはなんと言葉を返すべきか迷う。
ハロルドが言った通り、煽ったのは確かにヴィオレッタの方なのだ。
ランスロットは、自らを愛が重いと言っていた。
ヴィオレッタが考えるより、その想像を遥かに超えて、深く強く、そして重く彼女を想っているのだと。
そして、それが真実であることは、ヴィオレッタ自身が知っている。
出会った時から、言葉で、行動で、常に示してくれていたから。
あなたが大切だ、あなたが愛しい、と、時に過分なまでに、過剰なまでに。
だから、たかが口づけひとつ、などと思ってはいけなかった。
そう、思ってはいけなかったのだ。
「ランスさま」
ヴィオレッタは、ランスロットの胸元に、すり、と頬を寄せた。その行動に、ランスロットの肩がぴくりと跳ねる。
「・・・でも、ちゃんと行くことにされたのですよね? もし今夜、ランスさまと私が夫婦になるとしても」
「ヴィオ、レッタ・・・? それは・・・」
「妻を娶った途端にランスさまが駄目になった、なんて、私が非難されないようにして下さるのでしょう?」
「っ、は、はいっ。もちろんです!」
期待のこもった瞳で見つめられ、ヴィオレッタは、ふふ、と微笑んだ。
「では、私は・・・初夜を迎えてすぐに五日も、旦那さまに会えなくなってしまうのですね。寂しいですけれど、我慢しなくてはいけませんね」
「ヴィオレッタ・・・」
「無事にお戻りになったら、二人で婚姻届を出しに行きましょう。ね? ランスさま」
そう言ったとほぼ同時に、ヴィオレッタの後頭部に手が回される。
気づいた時には、ヴィオレッタの唇はランスロットのそれと重ねられていた。
あ、とヴィオレッタは思ったが、もう遅い。
背中にぞくりと痺れが走り、意識がぼぅっとし始める。
・・・もしかしたら、また気を失ってしまうのかしら。
ああ、そうしたら結局、初夜は迎えらなくなってしまうわね。
・・・でも、それでもいいかもしれない。
だって、口づけだけでも、こんなに気持ち良いんだもの・・・
ぼんやりし始めた意識の隅っこで、そうヴィオレッタが思った時だ。
「話は終わったか?」
まるで見計らったかのように、扉をノックする音が響いた。
41
お気に入りに追加
2,543
あなたにおすすめの小説
君のためだと言われても、少しも嬉しくありません
みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は…… 暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓
お飾り王妃の愛と献身
石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。
けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。
ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。
国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。
【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。
るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」
色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。
……ほんとに屑だわ。
結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。
彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。
彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる