【完結】君こそが僕の花 ーー ある騎士の恋

冬馬亮

文字の大きさ
82 / 96

詮のない呟き

しおりを挟む


その頃、ラシェルは離れの義母を訪っていた。

夕食の席で義母ルイスの食欲が少し落ちていた為、口当たりの良いハーブ水を用意して、ラシェル自ら届けに行ったのだ。
ヴィオレッタを迎える準備を手伝ってくれているルイスへの、せめてもの気持ちである。

離れから本邸に戻り、エントランスから階段へと差しかかったところで、ラシェルはふと足を止めた。

踊り場から上に向かう壁一面、吹き抜けとなっているそこには、バームガウラスの歴代当主夫妻の肖像画が掛けられている。

現当主の絵だけは位置が決まっていて、エントランスの真正面に掛けられるのだが、それ以外は壁一面にランダムに飾られる。


ラシェルはその中の一枚、並ぶ多くの絵の中で少し異質なそれへと目をやった。

前当主ヘンドリック、そう、ラシェルの最初の夫の肖像画だ。

歴代の肖像画は、ヘンドリックのそれを除けば全て当主夫妻の姿が描かれている。描かれた年齢層は異なれど、二人の姿絵なのだ。

当主一人だけが描かれた肖像画は、ヘンドリックだけ。それ故に、他の肖像画に埋没する事なく、独特の存在感を放っている。


いや、正確に言うと、現当主であるランスロットの肖像画が飾られていた時は、そちらの方に目が行っていた。
それもまたランスロット一人の肖像画で、しかも描かれているのが彼が12歳で当主の座についたばかりの、まだあどけなさが残る少年の姿だったから。


だがその絵も、婚姻が整い次第夫婦の肖像画に代えるという事で、今日の午後取り外されたばかり。
だから余計にヘンドリック一人の肖像画に目が行ったのだろうか。


ランスロットとヴィオレッタの二人を描いた絵が飾られる様になれば、ヘンドリックの肖像画の醸し出す違和感は更に大きくなるのかもしれない。
だとしても、ヘンドリックとラシェル二人の姿を描いた絵など一枚も存在しない。以前、画家に依頼して肖像画にラシェルの絵を描き足すという案も出たのだが、それはラシェルが辞退した。

そこまでして、体裁を整える必要はないと思ったからだ。


「・・・結婚して一日も同じ屋敷で過ごした事がない夫婦なのに、肖像画でだけ仲が良い振りをするのも変だものね・・・」


小さな呟き。だが、ガランとした広いエントランスホールに妙に響いた。


描かれているヘンドリックの姿は、恐らくは当主になったばかりの頃に描かれたのだろう。厳しい顔と鋭い目つき、むすっと引き結んだ口元は、ラシェルの記憶にある通りのものだ。


「そういえば私は、最後までヘンドリックさまの笑った顔を見たことがなかったのね・・・」


若い、苦い思い出がラシェルの脳裏に蘇り、思わず苦笑する。


婚姻していた年数はそれなりにあったのに、婚約期間を含めても、実際に顔を合わせた回数は驚くほど少ない。


本当なら、肖像画は時を経て増えていく筈だった。

結婚して夫婦になった時、子どもが生まれ家族が増えた時。

そんな節目の折々に描いていく肖像画の枚数と共に、絵の中に描かれる人物の数も増えていく筈で。

そんな沢山の肖像画の中から、一枚を選んでこの壁に飾る、そう、その筈だった。


「・・・」


ラシェルは緩く頭を振る。


「そんな絵を残したくなかったから、屋敷に帰って来なかったのよ。ヘンドリックさまは、私では駄目だったのだもの」


ラシェルは小さく息を吐き、心を落ち着けた。

そしてもう一度、今度は決意を込めて肖像画を見上げる。


「ヘンドリックさま・・・」


人生を狂わすほどに恋い焦がれた、かつての夫の名前を小声で呼ぶ。


「あの子が・・・ランスロットが、お嫁さんをもらいます。政略で結ばれる妻ではなく、本当に心から愛する人を、あなたのようにあの子も見つけることが出来ました」


そんな言葉を呟けば、意思に反して視界がじわりと滲む。


ヘンドリックと別れた今のこの人生に後悔はない。
キンバリーと再婚し、愛し愛され、可愛い娘まで授かった。本当に、今の生活には幸せの一言しかないのだ。


けれど、それでも。


別れるしかなかった夫婦だったとしても。
憎悪しか向けてこなかった夫だったしても。


この報告を肖像画にはなく、手紙か、せめて人伝てで知らせることが出来たなら、どれだけ良かったことか。


生きているヘンドリックに伝えられたなら。


「政略によるものではない、心から愛し合った者同士の結婚・・・そんな結婚式なら、あなたも来て、ランスを祝福して下さったのかしら・・・」


言っても詮ないことと知りつつ、肖像画を見上げながらラシェルはそう呟いた。





しおりを挟む
感想 571

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう

おてんば松尾
恋愛
王命により政略結婚したアイリス。 本来ならば皆に祝福され幸せの絶頂を味わっているはずなのにそうはならなかった。 初夜の場で夫の公爵であるスノウに「今日は疲れただろう。もう少し互いの事を知って、納得した上で夫婦として閨を共にするべきだ」と言われ寝室に一人残されてしまった。 翌日から夫は仕事で屋敷には帰ってこなくなり使用人たちには冷たく扱われてしまうアイリス…… (※この物語はフィクションです。実在の人物や事件とは関係ありません。)

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?

神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。 (私って一体何なの) 朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。 そして―― 「ここにいたのか」 目の前には記憶より若い伴侶の姿。 (……もしかして巻き戻った?) 今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!! だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。 学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。 そして居るはずのない人物がもう一人。 ……帝国の第二王子殿下? 彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。 一体何が起こっているの!?

わかったわ、私が代役になればいいのね?[完]

風龍佳乃
恋愛
ブェールズ侯爵家に生まれたリディー。 しかしリディーは 「双子が産まれると家門が分裂する」 そんな言い伝えがありブェールズ夫婦は 妹のリディーをすぐにシュエル伯爵家の 養女として送り出したのだった。 リディーは13歳の時 姉のリディアーナが病に倒れたと 聞かされ初めて自分の生い立ちを知る。 そしてリディアーナは皇太子殿下の 婚約者候補だと知らされて葛藤する。 リディーは皇太子殿下からの依頼を 受けて姉に成り代わり 身代わりとしてリディアーナを演じる 事を選んだリディーに試練が待っていた。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

処理中です...