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心ざわめく
しおりを挟むトムスハット邸に馬車が到着した事に気づいた使用人たちが、エントランスに集まり始める。
御者の隣に座っていた従者がまず馬車から降りた。そして、静かに馬車の扉を開くと、ヴィオレッタの前に跪くランスロットの姿が見えた。
ランスロットは、先ほど引っ込めたばかりの手を、もう一度ヴィオレッタに差し出し、言った。
「歩けますか?」
ヴィオレッタはこくりと頷き、その手を取る。だが、正直まだ酔いは残っていた。
条件反射で頷いただけだった。結果、立ち上がってすぐによろめいてしまう。
「・・・僕がお運びします」
ランスロットは一度深く息を吐くと、ヴィオレッタの背と膝裏に腕を差し込む。
ヴィオレッタを抱き上げて馬車を降りると、早すぎる帰宅に目を丸くする使用人たちの前を通り過ぎて、そのままトムスハット邸へと入って行く。
当然ながら、ハロルド、アンナニーナ夫妻、それから新婚のジェラルド、ティナ夫妻はまだ夜会会場だ。ここにはいない。
困惑する使用人たちの為、ランスロットはヴィオレッタを彼女の私室まで連れていく間、後ろを付いてくる執事たちに、ヴィオレッタがうっかりカクテルを飲み過ぎてしまったので早めに帰ってきたと説明しておいた。
私室のソファにそっとヴィオレッタを降ろすと、ランスロットは馬車の時の様にヴィオレッタの前に膝をつき、彼女の顔を見上げる。
その背後では、専属侍女のジョアンが湯浴みや着替えの準備などで動き回っている。
だが、ランスロットもヴィオレッタも、互いだけを視界に映している。まるで、他は何も目に入らないかの様に。
「・・・」
ヴィオレッタが軽く身じろぐ。
ランスロットの眼差しはいつもと同じで真剣で真っ直ぐだ。けれど、そこに今までにない仄暗さを感じるのは、果たして気のせいなのだろうか。
ランスロットが、ヴィオレッタに向かってそっと手を伸ばす。
けれど、その手は途中で止まり、所在なく宙を彷徨う。
何故、迷うのか。触れることを戸惑っているように見えるのはどうしてなのか。
そんなに、自分の願いは彼を困らせてしまったのだろうか。
それは、酔いに任せて、はしたないことを強請ったせい?
不安になったヴィオレッタが、思わず口を開く。
「・・・ランス、さま・・・?」
その声を、どう捉えたのだろう。ランスロットが眉尻を下げた。
「・・・」
未だ彼の手は空中を彷徨ったまま。
ヴィオレッタに触れようとしては止まり、自身に戻そうとしては止まる。
口元もそうだ。
何かを伝えようとしているのか、それとも思案中なのか、僅かに開いた唇が、音もない言葉を紡いでいる。
それが何かを聞きたくて、ヴィオレッタはじっと彼を見つめるけれど。
結局、ヴィオレッタには触れないまま、やがてランスロットは何かを思い定めた様にきゅっと口を引き結び、ゆっくりと立ち上がる。
「・・・僕はこれで」
ようやくランスロットが口にした言葉は、ただそれだけ。
恭しくヴィオレッタに礼をし、背を向ける。
去り際に、扉近くに控えていた執事に何か耳打ちをし、それからランスロットは振り返った。
「あ・・・」
「・・・おやすみなさい、ヴィオレッタ嬢」
そんな挨拶の言葉だけを残し、ランスロットは足を進める。
「ランスさま・・・」
湯浴みの準備が整ったというジョアンの声も、どこか遠く。
ヴィオレッタは扉向こうに消えていくランスロットの後姿を見つめていた。
きっと自分は失敗した。いけないことを口にしたのだ。
そう思ったヴィオレッタは落ち込んだ。
やがて夜会を終えて戻って来た家族たちが、何かあったのかと部屋に突撃してきたので、事の顛末を話せば、心配するより呆れ顔を向けられた。
「はは、煽ったねぇ」とはハロルドの弁。
「まぁ、ガツガツ来られるのは嫌だけど、全然なのも不安よね」と余裕なのはアンナニーナ。
「ほど良いところで止めるって、一番難しいからな。そもそも、それって男にはほど良くないし」と、どこか生々しい台詞はジェラルドだ。
「でも、ヴィオちゃんの気持ちは分かるわ。頬ってところが特にね」と、ジェラルドを小突きながら言ったのは、義姉となったティナである。
と、そこで執事が何かをハロルドに囁いた。
「へぇ」とハロルドは含みのある笑みを浮かべると、もはや半泣き状態のヴィオレッタに顔を向ける。
「ランスくん、明日またここに来るってさ。大切な話があるそうだよ」
その言葉に、ヴィオレッタは最悪を想像して青ざめた。
だが、ハロルドたちは楽し気だ。
「さぁて、ランスくん、今度は何を言い出すかな」と笑っている。
―――そして翌日。
ランスロットは、ハロルドたちも予想していなかった爆弾を落とす。
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