【完結】君こそが僕の花 ーー ある騎士の恋

冬馬亮

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無敵の液体

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ヴィオレッタとランスロットが婚約して一年と半年が経った頃、ささやかな事件(?)が起きる。


きっかけは、ヴィオレッタの友人たちとの会話だった。

社交界とは無縁だったヴィオレッタも、一年遅れのデビュタントを果たした後、少しずつ交友関係を広げていく。

ランスロットとの婚約を妬む令嬢たちは多かれど、全員という訳ではない。

普通に自分の婚約者との絆を育んでいる令嬢たちもいる。

そんな令嬢たちとの交流が増え、関係が親密になっていくにつれ、交わす会話もより個人的なものとなっていく。
つまり、令嬢同士の、いわゆる恋バナが増えたのだ。

婚約者がいる令嬢たちの間での、ただの惚気話と言っても良いのだろう。時には愚痴を聞かされる事もあったけれど、それはとても楽しい時間となった。


そんな時、社交の場で、ちょっとした挨拶代わりに婚約者の頬に口づけを落とす殿方を見たヴィオレッタは、その光景を羨ましいと思った。

ランスロットは未だヴィオレッタに口づけたことがなかったからだ。

そう、唇どころか、頬にも、額にも。

いや、手の甲ならば唇を落とされた事はある。
けれど、それを口づけとしては数えない。
紳士の挨拶として、夜会などでは全ての紳士が淑女に対してするものだからだ。



話を戻そう。

出会った頃に比べれば。

婚約したばかりの頃に比べれば。

ランスロットとヴィオレッタの距離はずっと近づいている。

なにせ、かつては視線を合わせるだけで恥じらっていた二人だ。
手をつなぐのにも、ダンスをするのだって、照れずに出来る様にまで時間がかかった。その事では、散々、ハロルドにも、ジェラルドにも揶揄われたものだ。


だから、本当はヴィオレッタも分かっている。
抱きしめてもらえるだけで喜ぶべきで、挨拶でキスしてほしいなんて、とんでもない望みだと。

かく言うヴィオレッタだって、そんな願いを恥ずかしくて口に出せずにいるのだから。


でも、とヴィオレッタは思う。


婚約して一年と半年。あと半年すれば・・・婚姻を結ぶのに。

口づけで戸惑っていて良いのだろうか。


ちなみに、ここで純情なヴィオレッタが考えている口づけとは、頬にするもの、或いは額にするものだ。

ハードルが非常に低いのだが、それに本人は気づいていない。


兎に角、決死の覚悟をしたヴィオレッタは、恋バナ仲間の令嬢たちに相談する事にした。


「あの、婚約者に思っていることを素直に口にしてお願い出来ない時って、皆さまはどうしてらっしゃいます・・・?」


詳しい事情は語らぬまま、けれど真っ赤な顔をしたヴィオレッタから相談された友人の令嬢たちは、自分たちなりの最善の策を彼女に授けたのだが・・・








「・・・ヴィオレッタ嬢?」

「はい?」

「・・・もしかして、酔ってますか?」

「ふふ、まさか。酔ってませんよ?」

「・・・そのグラスをこちらに。・・・おかしいな、いつものカクテルですね」

「そうですよ? 変なランスさまですね。おかしい事なんて何もありません」


ランスロットはヴィオレッタをじっと見つめる。

上気した頬は赤く、眼は心なしか潤んでいる。暑いのだろうか、手に持った扇子でぱたぱたと扇いで体に風を送っていて。


間違いない。絶対に、確実に酔っている。


「・・・まさか」


ランスロットは取り上げた空のグラスを見遣ってから、上機嫌のヴィオレッタに問いかけた。


「何杯目ですか?」


先ほどまで、ランスロットはある紳士と話をしていた。ヴィオレッタは側にいたものの、事業の事で少しばかり話し込んで、ヴィオレッタから目を離していた。

ヴィオレッタはこてんと首を傾げ、何杯目かを思案する。


「う~ん、たぶん・・・3杯目、くらい、でしょうか?」

「な・・・っ?」


ランスロットは目をむいた。
ヴィオレッタはアルコールに弱い。

デビュタントでそれが判明した後、彼女が夜会会場で取る飲み物は、一番アルコール度数が低いピンク色のカクテル、それ以外は果実水と決まっていた。

そのカクテルならば、一杯くらいは楽しむ範疇で終われるのだ。
ちなみに、飲みすぎるとどうなるかは未検証。正確に言うと、2杯目で目がとろんとすること、機嫌が良くなってちょっとお喋りになることまでは判明している。

過保護なハロルド、ランスロットコンビが、それ以上を検証させる筈もない。

だから、3杯目以降は未知の世界なのだ。


「大丈夫ですよ、ランスさま。私、なんともありません。むしろとっても気分が良いの」


ヴィオレッタは、にこりと笑って、その場でくるりと回る。ドレスの裾が軽やかに広がるが、ヴィオレッタの体はふらりとよろめいた。


「あ、ら?」

「ヴィオレッタ嬢・・・っ」


咄嗟にランスロットが抱き止める。
こういう時、いつもならば真っ赤になってすぐに離れようとするヴィオレッタが、大人しく腕の中に収まっていた。いや、むしろ。


「ランスさま」


胸元に両手を添え、額までこつんと当ててくる。


「ランスさまにお話があるのです。酔ってなければ言えないことが」

「・・・え?」

「だから、カクテルをお代わりしたの。勇気がほしかったから」

「ヴィオレッタ嬢?」

「ねぇ、ランスさま。私の話を聞いてくださいますか?」


これはいけない。


ランスロットの頭の中で警告音がなる。

このまま夜会の場に彼女を置いてはいけない、直ぐにでも帰さなくては、と。


「・・・っ、ヴィオレッタ嬢。すぐに屋敷に戻りましょう。馬車で送りますから」

「え? あ、はい。ランスさまと二人きりでお話できるなら、私はどこでも」


そんな返しに、ランスロットの顔まで赤く染まってしまう。

普段と異なる雰囲気は酔いが成せる業なのか。
周囲の男性たちから色を含んだ視線がチラチラとヴィオレッタに向けられている事に気づき、ランスロットは婚約者の肩に手を回す。

そして、足早に会場の出口へ向かおうとするも、酔ったヴィオレッタの足は当然ふらついてしまう。


嫉妬か焦りか。
ランスロットはその場でヴィオレッタを抱き上げ、大股で会場から出て行った。





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