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決別の時
しおりを挟む「あれは世界で一番嫌いな人に使ったんだ。リザに使う筈がないよ。俺はリザの事を愛していたからね」
至福の笑みを浮かべ、スタッドは言う。
ーーー リザの事を愛していたから
その言葉に、嘘つき、とヴィオレッタは呟いた。
もう十分に父には絶望していたのに。
スタッドの言葉はこんな時でさえどこまでも軽く、ヴィオレッタを更に悲しみの淵へと追いやって行く。
三年前に感じた父親に裏切られたという思いと、それでも捨てきれなかった思い出と、今も抱える父に対する相反する感情と。
もはや自分一人では処理しきれない昏い感情が沸々と湧き上がる。
耐えきれず、思わず声を荒げそうになったその時。
ヴィオレッタの右手を温もりが包む。
「・・・っ、ランスロット、さま?」
剣だこのある骨ばった手が、ヴィオレッタのそれを覆う様に重ねられて。
それにヴィオレッタは何故か酷く安堵する。けれど、ランスロットの眼は令嬢の手に勝手に触れた事への申し訳なさで一杯だ。
「ごめん。でも、君がとても辛そうで、その・・・もう少しだけ、このままで」
「・・・はい」
不思議だ。
あれだけ波立っていた心が、こうして彼に触れられただけでゆっくりと静まっていく。
左隣に座る伯父が視線を微妙に逸らしている事も、対面に座る父が驚いて目を丸くしている事も、今の二人は気づかない。
暫し流れる沈黙の後、すっかり肩の力が抜けたヴィオレッタは、大きく息を吐くと右側に座る彼へと顔を向けた。
「ありがとうございます、ランスロットさま。もう大丈夫ですから・・・」
「・・・そう、ですか」
少しの逡巡の後、ゆっくりとその手は離れていく。何故かヴィオレッタはそれを寂しく思う。
その理由は何かと考えようとして、けれど止めた。
「・・・」
甘えすぎては駄目、そうヴィオレッタは自分に言い聞かせる。彼の優しさを自分の都合のいい様に取ってはいけない、それは迷惑でしかない。
彼は私の置かれた状況を見て、知らぬ振りが出来なくて、それで伯父さまと一緒に助けてくれただけ。
そう、この方は、騎士としての本分を貫いておられるだけ、それを勝手に都合よく解釈してはいけない。
勘違いなどしたら、この方の迷惑になる。
今でさえ、申し訳ない程に我が家の事情に巻き込んでしまっているのだ。
本当なら、このまま伯父と一緒に直ぐにでも立ち去るべきなのだろう。心の内に燻る疑問も疑念も、今さら口にして何か変わる訳もない。
けれど。
このままでは、前に進める気がしないから。
結果、味わうのがこれまで以上の絶望だとしても、全てに決着をつけてしまいたいと、そう思うから。
きっと、伯父も右に座る彼もそれを分かっている。
だから取り引きが終わり書類を受け取っても、まだここに座ったままでいてくれる。
ヴィオレッタがここで、父への一切の思いを断ち切れるようにと。
「・・・お父さま」
明日からは真っ直ぐに前を向けるように。もう何にも囚われず進んで行けるように。
だから聞く。
ずっと、ずっと、心の中で燻り続けていた問いを。
「お母さまを愛してらしたと言うのなら、どうして結婚前からお母さま以外の人と関係を持たれていたのですか?」
「・・・ん? ああイゼベルの事かい?」
たとえ、どんな答えが返って来ようとも、今日が最後だから。
「そんなんじゃないんだ。関係を持ったというより、持たされた。
俺はイゼベルを大切に思った事などない。あんな騙し討ちの様にして俺の愛人の座に収まった女なんか」
「・・・え?」
突然。しかも予想もしない言葉に、ヴィオレッタは一瞬呆気に取られる。
だが、そんな驚きさえ些細なものだった。
次の台詞でスタッドが彼女に与えた衝撃と絶望に比べれば。
「イゼベルもイライザも、俺にとっては心底どうでもいい存在だ。居ても居なくてもどっちでもいい」
「・・・どうでも、いい」
「ああ。本当にどうでもいいんだ」
ーーー だから、放っておいた。それだけだよ
続いた言葉に、ヴィオレッタはわなわなと震える。
「・・・っ、スタッド、貴様っ! どうでもいい存在なら、どうしてこの家に連れ込んだっ?!」
「それは、リザが居なくなったのならここに来たいってイゼベルたちが言うからさ。まぁ、家宰を束ねる人間が必要になったのは確かだし」
思わず吠えたハロルドに、スタッドは淡々と返す。何が悪いのだとでも言いたげに。
「リザがもう少し長く生きてくれてたら、こんな面倒な事にもならなかったのにな。本当に残念だよ」
悪びれもせず言ってのける姿が、ヴィオレッタには信じられなかった。
どうでもいいから、放っておいた。
居ても居なくても、どっちでもいいと思ってたから。
今にも力が抜けそうな身体に、ぐっと力を込める。
「・・・っ、そんな、理由で・・・っ」
そんな馬鹿馬鹿しい理由で私は。
この三年間、父が愛してもいなかったという二人から、あんな風に蔑まれ、見縊られて。
「・・・」
父は分かっているのだろうか。
どうでもいいと放っておかれたのは、義母たちだけではないという事を。
ぽろり、と一粒の涙がヴィオレッタの瞳から零れ落ちる。
・・・ああ。
もういい。
もう大丈夫、もう構わない。
もう、この人と私の間には何もない。
この人の事を、もう私はなんとも思わない。
かつての思い出は、全てが偽りで塗り固められていたのだ。
最後に残されていたひと欠片の情も、かつての懐かしい思い出も。
全てが断ち切られた今、ヴィオレッタはレオパーファ侯爵家との決別を心から受け入れた。
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