38 / 96
彼女には必要ない
しおりを挟む「人払いを」
次にスタッドが放った第一声はそれだった。
ハロルドとヴィオレッタが現れ、多少の動揺を見せたスタッドだったが、今はその時とは比較にならないくらい顔を強張らせている。
なぜ自分だけ。ヴィオレッタも部屋から出せと喚くイライザを追い出すのに少しばかり時間がかかったが、最終的に室内には六人のみが残った。
スタッドと執事のテーヴ、ハロルドとヴィオレッタ、そしてランスロットと彼の従者アルフだ。
「・・・では」
ランスロットが優雅に足を組み直す。
「話の続きをしましょうか」
ーーー コトン
ランスロットはテーブルの上に置いた小瓶を人さし指で軽く揺らす。
それに合わせて、瓶底に残った薄緑色の液体がゆらりと揺れた。
「レオパーファ侯爵は、これが何かお分かりですよね」
「・・・」
ランスロットの静かな問いかけに、対面に座るスタッドも彼の背後に立つ執事も答えようとしない。
まあそれはどうでもいいのだ。
ランスロットがそれを出したのは、罪を認めさせる為でも処罰する為でもない。
「・・・署名、して頂けますね?」
全ては、ヴィオレッタをこの家から解放するため。それだけだ。
ヴィオレッタが居心地悪そうに身じろぎした。
今この部屋で、この瓶の中身の正体を知らないのは彼女一人。
そして、それが何に使われたかを知らないのも彼女だけ。
だが賢い彼女は今ここでそれへの問いを口にして、話の流れを変える事はしない。
「・・・」
スタッドが、のろのろと右手をテーブルの上に伸ばす。
そうしてペンを取るのかと思いきや ーーー
ガシャン ーーー
右腕を思いきり横に振り、スタッドは小瓶を床に落とした。
瓶は割れ、残っていた少量の薄緑色の液体は絨毯に染み込んでいく。
誰かが声を発する前に、スタッドは自分の前に置いてあったカップを手に取り、出来たばかりの絨毯の染みの上に、そして割れた小瓶の上にお茶をぶちまける。
「おっと、失礼。手が滑った」
ヴィオレッタが息を呑む。
白々しく謝るスタッドに、しかしハロルドとランスロットは動かない。
「困ったな。何の話をしていたっけ」
「何の話とは・・・レオパーファ侯爵も面白い事を仰る」
目の前で証拠をグチャグチャにされたというのに焦る様子もない二人を見て、スタッドは、ん?と首を傾げる。
「侯爵は意外とうっかりした方なのですね。念の為に予備を持ってきておいて正解でした」
「・・・予備?」
そう言うと、ランスロットは先ほどの鞄の中から同じ形の小瓶を取り出した。
そうして再びテーブルの上に、几帳面なのか嫌味なのか、前の小瓶を置いた位置にまたそれを置く。
「どういう事だ・・・? アレは最後の一瓶・・・」
「旦那さまっ」
「・・・っ!」
テーヴが慌てて遮るも、発した言葉を取り消せる筈もない。
「どうしますか、レオパーファ侯爵。試しにこちらも割ってみます?」
新たに置いた小瓶を示し、ランスロットはにこりと笑いかける。
「まだあと三本もありますから別に構いませんよ」
「・・・っ」
スタッドが、ハッと何かに気づいた様に顔を上げる。
「・・・偽物か」
「勿論」
満面の笑みでランスロットが答える。
「一つしかない証拠品を持ち出したりしませんよ。証拠隠滅でもされたら大変です」
「・・・」
「で、どうされます? 署名はして頂けるのでしょうか。それとも、騎士団にお越し頂かないと無理でしょうかね?」
騎士団にお越し頂く、それはつまり連行される覚悟があるかという脅しだ。
「・・・ロータスの奴」
小瓶の中身の処分は領邸執事に言いつけておいた。彼のらしくない失態に、スタッドは客人の前にも関わらず舌打ちする。
スタッドは渋々とペンを取ると、書類に署名した。
だが、それを差し出そうとした手を一旦止め、こう問うた。
「取り引きが恙なく終わる保証は?」
その視線が向けられた先はランスロット。
証拠隠滅を図ろうとしたスタッドが言える事ではない。だが、人質が意味をなさなくなった今、彼に切れるカードはこの書類だけだ。
欲しがっているモノを渡してしまえば、『目を瞑る』という言葉をひっくり返される可能性もある。
警戒も露わなスタッドに、ランスロットは余裕の笑みを浮かべる。
「ご心配なく。バームガウラスの名にかけて、瓶の中身にまつわる事は全て忘れると約束しましょう。この件で騎士団が動く事もありません」
そこにアルフが進み出て、サッと一枚の紙を出す。
「誓約書です。お確かめください」
「・・・」
無言で手に取り、文面を確かめると、納得したのか、署名済みの書類をランスロットに寄越した。
この書類が受理されれば、ヴィオレッタはトムスハット公爵家の者となる。
恐らくはそれと同時にハロルドとの事業提携も切られ、レオパーファ領の収益は激減する事になるだろう。
だが仕方ない、今回イゼベルとイライザでそれなりの金は手にしたし、後は領地を切り売りしていけば・・・
などとスタッドが頭の中で今後の収支の計算をしていた時だ。
「・・・お父さま」
声を上げたのは、これまでずっと沈黙を守っていたヴィオレッタだ。
「・・・瓶の中身を何に使ったのです?」
震える声でヴィオレッタは問う。
今後は社交の場でも父と言葉を交わすつもりはない。関係の改善を望む意思ももはやない。
聞いて悲しくなるだけかもしれない。
けれど、もしこれが言葉を交わす最後の機会となるのなら、聞いておかねばならぬとヴィオレッタは思う。
「まさか・・・まさかその中身は毒で・・・お父さまは、それをお母さまにお使いになったのですか?」
「え、リザに?」
驚きでスタッドが目を丸くする。その反応に、今度はヴィオレッタが戸惑った。
「どうしてリザに使う必要が?」
「どうしてって、それは・・・」
あの二人をこの家に連れて来る為でしょう、そう言おうと口を開く前に。
スタッドが続けた。
「リザは元から身体が弱かったからね。そんなものは必要なかったよ」
55
お気に入りに追加
2,543
あなたにおすすめの小説
君のためだと言われても、少しも嬉しくありません
みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は…… 暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓
お飾り王妃の愛と献身
石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。
けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。
ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。
国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。
【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。
るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」
色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。
……ほんとに屑だわ。
結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。
彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。
彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる