【完結】君こそが僕の花 ーー ある騎士の恋

冬馬亮

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彼女には必要ない

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「人払いを」


次にスタッドが放った第一声はそれだった。


ハロルドとヴィオレッタが現れ、多少の動揺を見せたスタッドだったが、今はその時とは比較にならないくらい顔を強張らせている。


なぜ自分だけ。ヴィオレッタも部屋から出せと喚くイライザを追い出すのに少しばかり時間がかかったが、最終的に室内には六人のみが残った。
スタッドと執事のテーヴ、ハロルドとヴィオレッタ、そしてランスロットと彼の従者アルフだ。


「・・・では」


ランスロットが優雅に足を組み直す。


「話の続きをしましょうか」










ーーー コトン

ランスロットはテーブルの上に置いた小瓶を人さし指で軽く揺らす。

それに合わせて、瓶底に残った薄緑色の液体がゆらりと揺れた。


「レオパーファ侯爵は、これが何かお分かりですよね」

「・・・」


ランスロットの静かな問いかけに、対面に座るスタッドも彼の背後に立つ執事も答えようとしない。


まあそれはどうでもいいのだ。

ランスロットがそれを出したのは、罪を認めさせる為でも処罰する為でもない。


「・・・署名、して頂けますね?」


全ては、ヴィオレッタをこの家から解放するため。それだけだ。


ヴィオレッタが居心地悪そうに身じろぎした。
今この部屋で、この瓶の中身の正体を知らないのは彼女一人。
そして、それが何に使われたかを知らないのも彼女だけ。

だが賢い彼女は今ここでそれへの問いを口にして、話の流れを変える事はしない。


「・・・」


スタッドが、のろのろと右手をテーブルの上に伸ばす。

そうしてペンを取るのかと思いきや ーーー



ガシャン ーーー


右腕を思いきり横に振り、スタッドは小瓶を床に落とした。


瓶は割れ、残っていた少量の薄緑色の液体は絨毯に染み込んでいく。


誰かが声を発する前に、スタッドは自分の前に置いてあったカップを手に取り、出来たばかりの絨毯の染みの上に、そして割れた小瓶の上にお茶をぶちまける。


「おっと、失礼。手が滑った」


ヴィオレッタが息を呑む。

白々しく謝るスタッドに、しかしハロルドとランスロットは動かない。


「困ったな。何の話をしていたっけ」

「何の話とは・・・レオパーファ侯爵も面白い事を仰る」


目の前で証拠をグチャグチャにされたというのに焦る様子もない二人を見て、スタッドは、ん?と首を傾げる。


「侯爵は意外とうっかりした方なのですね。念の為に予備・・を持ってきておいて正解でした」

「・・・予備?」


そう言うと、ランスロットは先ほどの鞄の中から同じ形の小瓶を取り出した。


そうして再びテーブルの上に、几帳面なのか嫌味なのか、前の小瓶を置いた位置にまたそれを置く。


「どういう事だ・・・? アレは最後の一瓶・・・」

「旦那さまっ」

「・・・っ!」


テーヴが慌てて遮るも、発した言葉を取り消せる筈もない。


「どうしますか、レオパーファ侯爵。試しにこちらも割ってみます?」


新たに置いた小瓶を示し、ランスロットはにこりと笑いかける。


「まだあと三本もありますから別に構いませんよ」

「・・・っ」


スタッドが、ハッと何かに気づいた様に顔を上げる。


「・・・偽物か」

「勿論」


満面の笑みでランスロットが答える。


「一つしかない証拠品を持ち出したりしませんよ。証拠隠滅でもされたら大変です」

「・・・」

「で、どうされます? 署名はして頂けるのでしょうか。それとも、騎士団にお越し頂かないと無理でしょうかね?」


騎士団にお越し頂く、それはつまり連行される覚悟があるかという脅しだ。


「・・・ロータスの奴」


小瓶の中身の処分は領邸執事に言いつけておいた。彼のらしくない失態に、スタッドは客人の前にも関わらず舌打ちする。


スタッドは渋々とペンを取ると、書類に署名した。


だが、それを差し出そうとした手を一旦止め、こう問うた。


「取り引きが恙なく終わる保証は?」


その視線が向けられた先はランスロット。


証拠隠滅を図ろうとしたスタッドが言える事ではない。だが、人質が意味をなさなくなった今、彼に切れるカードはこの書類だけだ。

欲しがっているモノを渡してしまえば、『目を瞑る』という言葉をひっくり返される可能性もある。


警戒も露わなスタッドに、ランスロットは余裕の笑みを浮かべる。


「ご心配なく。バームガウラスの名にかけて、瓶の中身にまつわる事は全て忘れると約束しましょう。この件で騎士団が動く事もありません」


そこにアルフが進み出て、サッと一枚の紙を出す。


「誓約書です。お確かめください」

「・・・」


無言で手に取り、文面を確かめると、納得したのか、署名済みの書類をランスロットに寄越した。




この書類が受理されれば、ヴィオレッタはトムスハット公爵家の者となる。

恐らくはそれと同時にハロルドとの事業提携も切られ、レオパーファ領の収益は激減する事になるだろう。

だが仕方ない、今回イゼベル・・・・イライザ・・・・でそれなりの金は手にしたし、後は領地を切り売りしていけば・・・


などとスタッドが頭の中で今後の収支の計算をしていた時だ。


「・・・お父さま」


声を上げたのは、これまでずっと沈黙を守っていたヴィオレッタだ。


「・・・瓶の中身を何に使ったのです?」



震える声でヴィオレッタは問う。

今後は社交の場でも父と言葉を交わすつもりはない。関係の改善を望む意思ももはやない。

聞いて悲しくなるだけかもしれない。
けれど、もしこれが言葉を交わす最後の機会となるのなら、聞いておかねばならぬとヴィオレッタは思う。


「まさか・・・まさかその中身は毒で・・・お父さまは、それをお母さまにお使いになったのですか?」

「え、リザに?」


驚きでスタッドが目を丸くする。その反応に、今度はヴィオレッタが戸惑った。


「どうしてリザに使う必要が?」

「どうしてって、それは・・・」


あの二人をこの家に連れて来る為でしょう、そう言おうと口を開く前に。


スタッドが続けた。


「リザは元から身体が弱かったからね。そんなものは必要なかったよ」



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