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ある日の出来事
しおりを挟む一瞬。
それは、ほんの一瞬だけの邂逅。
それでも、ヴィオレッタをこの上ない幸せに包んでくれる瞬間だった。
裏門の近くを箒で掃く。怪しまれない様に、ひと所には留まらない。足は決して止めない。
やがて聞こえて来るのは、馬の蹄の音。
それはあの時と同じで。
裏門は、使用人や馴染みの商人たちが使うものだから、鍵は付いているけれど表門の様なしっかりした作りではない。
もちろん鉄製、けれど相手を確認出来る様に間隔が空いているから、当然ランスロットが通り過ぎる時も互いに姿を目にする事は可能だ。
今日も聞こえてくる蹄の音。きっともうすぐ裏門の前を通り過ぎる。
少し、速度が緩んだ。馬の足並みが僅かに遅くなる。
「・・・」
地面を箒で掃く姿勢のまま、ヴィオレッタはそっと視線だけを裏門の方向に向けた。
「・・・」
ランスロットもまた、顔を動かす事もなく、ただ目線だけを向け、すぐにヴィオレッタの姿を探し出して捉えて。
ヴィオレッタの箒を持つ手も、ランスロットが乗る馬の足並みも、決して止まる事はなく。
遠ざかる蹄の音に、一瞬だけの静かな逢瀬は今日もひそやかに終わって行った。
胸の高鳴りは、すぐに寂しさへと変わり、やがて明日への期待になる。
僅かにランスロットの口元が綻んだ様に見えたのは、ヴィオレッタの願望だったのだろうか。
「・・・」
ヴィオレッタは静かに一つ、溜息を吐いた。
ーーー 状況が整い次第、すぐに貴女を迎えに行きます
それまで、もう暫くご辛抱頂けるでしょうか ーーー
もう少し、もう暫く。
大丈夫。先が見えない訳じゃない。
ヴィオレッタは、そのまま掃き掃除を続け、やがて本邸のエントランス近くに戻る。
「・・・」
遠目に、出かける支度を整えた父スタッドの姿が見えた。
庭の掃き掃除の時間は、スタッドが仕事に向かう時間と重なる事が多い。エントランス近くですれ違う事もよくあった。
珍しいのは、今日は父の向こうにイライザの姿もある事だ。
義姉は、見送りをする様な性格ではない。現に普段はした事がない。
イライザの側には、義母イゼベルが寄り添う様に立っている。
こちらはそれ程珍しい光景ではないが、イライザと一緒に立っているという事は、やはり義姉が父に何か用事があるという事だろう。
何となくヴィオレッタは方向を変える。厨房の方に向かおうと思ったのだ。
だが、その時イライザのねだる様な声が聞こえてきた。そこで出て来た聞き覚えのある名前に、思わずヴィオレッタの足が止まる。
「ねえ、お父さま。前にもお願いしたでしょ。ランスロットさまはとても人気のある方なの。早く縁談を申し込まないと取られちゃうわ」
ランスロット ーーー
ヴィオレッタの顔がサッと青褪めた。
彼の立ち居振る舞いから、貴族であろう事は予想していた。優しい人である事も、見目が整った人である事も知っている。
けれど、思いつきもしなかったのだ。貴族であれば、当然デビュタントを果たしたイライザと、夜会などで出会っているであろう事を。
イライザが彼を好きになる可能性を。
家格が上の家からの縁談は、よほどの理由がないと断れない。そして、ヴィオレッタの家は侯爵家だ。
こちらから縁談を申し入れても堂々と断れるのは、王家か公爵家くらいだ。
そして、イライザの話からすると、ランスロットは令嬢たちから人気があるらしい。当然だ、あんな優しく気遣いのある素敵な令息を、好きにならない女性がいるだろうか。
「・・・」
ヴィオレッタの心が、ざわりと波立つ。
でも。
でも、彼の隣にイライザがいるのは・・・
そこまで考えた時、スタッドの声がヴィオレッタの耳に届いた。
それは、いつもの穏やかな、けれど感情のこもらない声。
「前におまえに言われた時に、一応はテーヴに言っておいたよ」
「はい。そして、先方からはお断りの返事を頂いております」
スタッドの言葉に、執事の答が返る。
「聞いたかい、イライザ。返事はもう来てるってさ。お断りだそうだよ」
「それは! ・・・知ってるわ。でも、それは三か月前の話でしょ? 今また申し込めば、今度はきっと違う返事を頂けると思うの」
「はは、イライザは前向きだな。ならテーヴ、もう一度打診の手紙を送っておいてくれ。このままだとこの子も納得しないだろうからね」
「・・・畏まりました」
「わぁ、ありがとう、お父さま!」
ランスロット側が断ったという内容の会話に、ヴィオレッタは安堵よりもまず呆然とする。
それはつまり、ランスロットの家は。
王家の人間であれば、護衛なしに出歩くなどあり得ない。それにもし騎士団に所属する事になっても街の巡回騎士には配属されないだろう。
ならば、ランスロットは公爵家の人なのだ。
だからレオパーファ家からの縁談を断る事が出来た。それは良かった。良かったのだけれど。
そんな立派な方が、どうしてヴィオレッタを気にかけてくれているのか。
・・・迎えに来ます、だなんて。
あの時の言葉と向けられた眼差しを思い出し、ヴィオレッタの胸が熱くなる。
そんな優しい言葉を使わないでほしい。
寂しくて、辛くて、心細くて仕方ない今は、騎士としての責任から発した言葉でも、縋ってしまいそうになる。
ヴィオレッタは唇を噛む。
父は、イライザとの婚約話をもう一度打診すると言う。
では、ランスロットは?
また断るのかもしれない。きっとそうだろう。そう思いたいだけかもしれないけれど。
でも、これからだって打診をするのはイライザとの婚約であってヴィオレッタではない。なにせ、自分はデビュタントもさせて貰えない娘だ。
なのに、父はヴィオレッタを解放しようともせず、この家にずっと縛りつけようとするのだ。
ランスロットから希望を差し伸べられたとて、実の父から受けた処遇に心が傷つかない訳ではない。
今さらだと分かっていても、どうにも悲しくて悔しくて、ヴィオレッタは建物の陰で少しの間、涙をこぼした。
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