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ハロルドの失望 ヴィオレッタの絶望
しおりを挟むヴィオレッタの両親、エリザベスとスタッドは政略結婚だった。
二人が婚約を結んだのは、彼らがまだ子どもの時、エリザベスが9歳、スタッドは12歳だった。
織物業を主な事業とするエリザベスの生家と、生糸や絹の生産が盛んだったスタッドの家との繋がりをより強固にする目で結ばれたものだった。
仕事の遣り取りで行き来も多かった両家の子どもたちは、幼馴染み同士でもあった。
スタッドは笑顔が印象的な少年で、明るく、誰とでも直ぐに仲良くなれる性格で、顔が広い。
大人しめの性格だったエリザベスとは相性がいいだろうというのが周りの意見で、その見立て通り、燃えるような恋などはなかったものの、結婚後に直ぐ一人娘を授かり、穏やかな家庭を築いていた。
ーーー 少なくとも、そう見えていたのに。
「貴様には失望したよ、スタッド。こんな屑が義弟だったとは・・・っ」
愛する妹エリザベスが死んでひと月足らず。
ハロルド・トムスハットは、親友とも思っていた義弟スタッドが屋敷に愛人を連れて来たという知らせに激昂し、レオパーファ侯爵家を訪問していた。
ハロルドは頭に血が昇っていた、激怒していたのだ。
何が許せないかと言えば、何もかもが許し難い。だが強いて言うならば、義弟と愛人との間に娘が生まれていたことだろうか。
その娘は、結婚して半年後に授かったエリザベスの子どもよりも一歳歳上だったのだ。
つまりは、結婚する前から関係があったということ。
なのに、スタッドは事もなげにこんな風に答えた。
「そんなに怒る事でもないだろう、ハル。リザは何も知らずに安らかに旅立った。なら、何の問題もないよね」
「・・・っ」
ハロルドは、ゆらりと立ち上がる。
そして、それまでの怒気がこもった口調から一転、静かな声でこう問うた。
「・・・本気で言っているのか?」
「え? それは勿論さ。だって、リザは最後まで俺に愛されていると信じてたんだ。お前だって、幸せな最期だったと思うだろう?」
「・・・」
「ハル?」
「・・・なるほど。お前の言いたい事はよく分かった」
「そうか、それはよかっ・・・」
「トムスハット公爵家は、これよりレオパーファ侯爵家との関係を断たせてもらう」
「え?」
スタッドが浮かべていた晴れやかな笑みは、ハロルドの発した言葉に凍りつく。
「エリザベスとの婚姻によって成立した我が公爵家との事業提携も本日をもって終了する。もうお前のところの糸なぞ要らん」
「ちょっ、ハル。何を言って・・・」
「ヴィオレッタも連れて帰る。我が公爵家で育てるから心配するな。お前は長年の愛人とその娘と3人で幸せに暮らすといい」
ハロルドはそう言い捨てると、応接室を出た。
背後からは何やらスタッドの声が聞こえてきたが、そんなものを今さら聞いてやる気など更々ない。
「・・・」
ハロルドは立ち止まり、ニ、三回ほど深呼吸を繰り返す。
自分でも頭に血が昇っている事は分かっていた。傷心の姪に会う前に、少しでも気を落ち着かせねばと自分に言い聞かせる。
やがて現れた執事に、ヴィオレッタの部屋へと案内する様に伝えると、花を持ってエリザベスの墓に行ったと返された。
恐らくは、愛人とその娘が居座る様になった屋敷に居るのが辛かったのだろう。ハロルドの訪問も先触れなしの電撃的なものだった事もあり、ヴィオレッタは伯父の来訪を知らなかった。
幼馴染みで、小さい頃からの妹の婚約者でもあったスタッドの長年の裏切り行為に激昂したハロルドは、取るものもとりあえずこの屋敷に怒鳴り込んだのだから。
ヴィオレッタの不在を知っても、ハロルドはスタッドが居る応接室に戻る気にはならなかった。
喜びを隠さないイゼベルの甲高い声を聞くのも腹立たしく、姪と大した歳の差のないイライザを見るのはなお一層腹立だしく、同じ空気を吸うのも堪え難く感じた。
だからハロルドは、「3時間後にヴィオレッタを迎えに来る」とだけ言い残してレオパーファ邸を辞したのだ。
もし、この最初の訪問で先触れを出していたら。
ヴィオレッタが出かけずに屋敷に留まっていたら。
ヴィオレッタが帰って来るまで待っていたら。
すれ違いなどを気にせずに、エリザベスの墓までヴィオレッタを追いかけていたら。
あの時、もう少し自分が冷静に動けていれば。
スタッドに、まだ少しの常識が残っているなどと考えなければ。
沢山の「たられば」を、あの日から何度繰り返した事だろう。
妹の死にショックを受けていたとは言え、親友とも思っていた義弟の長年の裏切り行為に激怒していたとは言え。
こんな事になるとは、夢にも思わなかったのだ。
あの瞬間まで一分の疑いもなく、ヴィオレッタを連れて帰れると信じていた自分は、人の心の底に潜む悪にとことん無知だった。
3時間後、姪を迎えにレオパーファ家を再び訪れたハロルドに、ヴィオレッタはこう言った。
「ごめんなさい、伯父さま。私はこの屋敷から出る事は出来ません」
そう言ったヴィオレッタの顔は蒼白で。
海のように透き通る青い瞳は、絶望に染まっていて。
その周りには、いつも見える筈の顔が一人もいなかった。
その不在の意味を、その時はまだ知らず。
「これからもよろしく、ハル」
そう言って笑うスタッドの顔は、これまでと同じものなのに、まるで初対面の人物に会った様な気がしたのは、きっと。
「・・・」
母エリザベスを喪くし、棺に取り縋って泣いたあの時と同じくらいの、いやそれ以上の悲劇がヴィオレッタに襲いかかったのだと、ハロルドはこの時に知る。
ーーー だが、全ては遅すぎた。
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