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その青に映るなら
しおりを挟む「・・・」
渡された報告書に目を通したランスロットは、読み終えた後も暫く言葉が出せずにいた。
なんだ、これは。
書面に書かれた文章は読めるものの、意味が全く理解出来ない。いや、頭が理解することを拒否していると言うべきか。
ここに書かれている事が事実ならば、レオパーファ侯爵は相当な屑だ。これまでずっと父の様な男を屑だと思っていたが、考えが甘かったらしい。
「どうした、ランス?」
そこに、軽いノックと共にドアから顔を出したのはキンバリーだ。
眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌そうな様子の義息子に、目を丸くする。
ランスロットは黙って手元の報告書を差し出した。
キンバリーはそれを受け取るとさっと視線を走らせる。
「公爵家の諜報部門を使って調べた報告書だな。良いのかい? 私が見ても」
「是非見て頂きたいです。これはこの間、義父上にも報告した件なので。やはり、僕だけで解決出来るような単純な話ではなさそうです」
キンバリーは、報告書に目を通しながら、言葉を継ぐ。
「例のレオパーファ侯爵家の件か。確か、前に夜会でお前目当てで騒ぎを起こしたのもこの家の令嬢だったな。
ランスが助けたのは、あの令嬢とは血の繋がりのない前妻の娘さんの方という訳か」
「あの令嬢とは似ても似つきませんが・・・残念ながら、二人の間に血の繋がりはある様ですよ」
「は?」
キンバリーが目を瞬かせる。
「お前を追いかけ回してたのは、後妻の方の連れ子だろう?」
「違います。いえ、後妻の娘であるのは間違いないのですが、連れ子ではなくレオパーファ侯爵と後妻との間に生まれた実の娘だそうです」
「・・・実子だと?」
「侯爵とは随分と長い付き合いの様ですよ。前侯爵夫人との結婚前から深い仲だったみたいで」
「それは、また・・・」
「後妻との間の娘イライザは今16歳、去年デビュタントを迎えています。対して、前妻との間に生まれたヴィオレッタ嬢は、今年デビュタントとなる15歳になったにも関わらず、体調不良を理由に欠席しています。だから僕たちは彼女に会った事がありませんでした」
「デビュタントを欠席、ね。そしてそれ以降も社交の場には一度も出ていない」
「その通りです」
この国では15歳でデビュタントを迎える。
ランスロットも3年前にそれを迎え、気が進まないながらも社交場にはそれなりに顔を出していた。
レオパーファ家の、あの煩わしい令嬢イライザは昨年がデビュタントだった。ただでさえ億劫な社交が更に憂鬱になったからよく覚えている。
「・・・」
「・・・義父上?」
急に黙り込んだ義父を、ランスロットは見上げる。
「何か?」
「いや・・・この前侯爵夫人の実家のトムスハット公爵、ハロルドとは知り合いでね。こんな話、あいつが知っていたら黙ってはいないだろうに、なんでまた・・・
妹をとても大事にしてた奴で・・・ああ、妹とは、レオパーファ家に嫁がれた前夫人の事だが」
「・・・」
ランスロットは、キンバリーから返された報告書に再び視線を落とす。
そこに記載されている情報を読むだけで、何故か胸が締め付けられるように痛くなる。
危うく地面に頭を打ち付けるところを、何とか自分の腕の中に捉えた少女。
声かけに応じて薄らと開いた眼は、母によく似た海のような透き通った青で。
痩せた体。
細くなってしまった腕。
傷だらけの指先。
食事を取らせた時の美しい所作。
遠慮がちな言葉。
報告書にある事柄だけが全てではない。
それは分かっている。けれど。
公爵家の方が立場が高いのに、どうしてトムスハット家は何も言わない?
侯爵家の方が家格が低いのだ。何と文句を言われようと、連れ出して保護してしまえばいいではないか。
今、少し調べただけでもこんなに虐待の証拠が出て来る。
これを盾に取れば、後は本人の意思さえあれば実家で引き取る事くらい簡単に・・・
簡単に・・・?
・・・簡単にいかない何かがある?
「・・・そう言えば、ヴィオレッタ嬢を保護した時に話をした護衛の男も、迂闊に助けられないみたいな事を口にしていました・・・」
「ランス?」
それがもし、監視体制か何かだとしたら。
或いは、誰かが人質にでもなっていたら。
「・・・何か策を弄しているかもしれない、という事か。だからハロルドも迂闊に手を出せない、と」
「はい」
「確証はないがその線もあるかもしれないな」
だが、これらはまだ推測の段階。騎士団が出張れる様な話ではない。
さらに言えば、トムスハット家ならばともかく、バームガウラス家は全く関わりがない事だ。
全くの他人であるランスロット個人となれば、どうにも動きようがない。
「・・・それで、ランス。お前はどうする気だ?」
けれど、キンバリーはランスロットの性格を知っている。
自分の義息子が、優しすぎる程に優しい事を。
そして、倒れた少女について話す際、その瞳に同情や心配以上のものが滲んでいる事も。
「・・・」
僅かな逡巡の後、ランスロットは答える。
「・・・もう少し調べてみます」
「そうか。何か私に出来ることは?」
ランスロットは少し考えてから口を開いた。
「・・・その、先ほどの話に出てきたトムスハット公爵ですが、お知り合いなのでしたら義父上から連絡を入れてもらえないでしょうか。そちらからも少し話を聞きたいのです」
キンバリーはもちろん快く頷く。ランスロットは深く安堵した。
もしトムスハット公爵も彼女を、ヴィオレッタを助けたいと思っているのなら。
助けようとして、それが出来ないでいるのなら。
「・・・」
ランスロットは、自分でも何故こんなに彼女の事が気になっているのか分からなかった。
貴族でも平民でも、絵に描いたような幸せは簡単に手に入るようなものではない。
そんな事はランスロットもよく分かっている。
それでも、ただ。
ただどうしても、あの時に見た、海のような青が忘れられない。
透き通ったあの青が、柔らかく細められるのを見たいと。
そしてもう一度、そこに自分が映るならと、そんな事を思ってしまうのだ。
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