金翼の覇王の愛し子は笑わない

青井きよ

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第7話

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待ち構えていた衝撃と痛みはどれだけ待っても来ない。
目を開けると、先ほどまでとは打って変わって、いつも通りのヒナタの顔があった。
しかし、浮かべているのは明るい笑顔ではなく、何かを諦めてしまったような少し悲しげな微笑みだ。

「……ひなた……」
「怖がらせてごめんな、レン」

ぴったりと密着していた肌が離れていく。
それがどうしても嫌で、蓮はとっさにヒナタの衣の裾を掴んで引っ張った。

「食べればよかっただろ」
「……えっ」
「確かにちょっと驚いたけど……。別に、嫌じゃなかった。……ヒナタに喰われるなら、俺は喜んで体を差し出す」

きょとんとしたヒナタの顔は珍しい。
ヒナタが動かないのをいいことに、蓮は掴んだ衣をぐいぐいと引き寄せる。
その反動で体勢を崩したヒナタが蓮の上に倒れ込んでくると、彼の白くなめらかな頬を両手で包んだ。

――いつもと逆だな。

畑仕事や水仕事で荒れた手と、シミのひとつもない人形のような美しい頬はどう見ても不釣り合いだ。
でも、蓮を望んだのはヒナタで、ヒナタを望んだのは蓮だ。
いつもと全く違うヒナタの雰囲気に呑まれかけたが、彼が望むなら頭から喰われたって別に構わない。

こんな執着が自分の中にあるなんて、今まで考えたこともなかった。

「ヒナタは俺では興奮しないのか?」

さっきと同じ質問をもう一度だけ投げかける。
今度は迷いなくはっきりと。
ヒナタは眉を寄せ、唇も真一文字に結んで「ンッ、んん……」と小さな謎の唸り声をあげていたが、しばらくすると何かを諦めたような――ふっきれたような清々しい笑顔になった。

「するぞ。するに決まってるじゃないか。当たり前だろ。好きな子が自分の腕の中で善がってて興奮しない男なんていないぞ」
「……それなら、俺の尻を触らなければ、手でヒナタのを抜くのはいいんじゃないか?」
「ダメ」
「どうして」

間髪入れずに拒否されて、さすがに蓮もむっとする。
顔に出ているかは分からないが、今の蓮はとても不機嫌だ。
理由を教えてもらわないと納得できない。
また濁されるかと思ったが、ヒナタは今度はあっさりと答えてくれた。

「今レンに触られたら自我が保てなくなって抱き殺しちゃうから」

……抱き殺す、なんて。

冗談なのかと思ったが、ヒナタの目は真剣だった。
嘘じゃない。

「地上の空気が天使に合わないって話は知ってる?」
「うん。地上の空気はあんまり綺麗じゃないから、天使は地上では暮らせないって」
「だよなー、地上ではそう思われてるよなぁ。だいたいは合ってるんだけど正確には少し違うんだよ。本当は天使って地上に降りること自体は普通にできるんだけど、地上の空気に触れすぎると感化されて欲が暴走ちゃうの」
「……どんな欲?」
「性欲」

あっけらかんとヒナタは言う。
直球すぎた答えにどう返事をしようか迷っていると、ヒナタはそのまま話を続けた。

「正直なところ、俺くらい強い天使なら別に地上に降りてもなんてことないし、一週間くらいなら普通に生活できるぞ。でも一回でも自慰したら何もかもが終わる。俺も欲望に呑まれて衝動のまま禁忌を犯して、天界に連れて行く前にレンのことを傷つける。最悪抱き潰して殺すと思う。普通の天使は長くて半日が限界かな。俺がレンに触っても平気なのは、念のために発情を抑える薬を飲んでるからだな」

蓮は黙ってヒナタの話を聞いていた。
子どもの頃から、天使は清廉潔白な存在だから地上には降りて来ないのだと教えられて育った。
まさか本当の理由が性欲が暴走するからだなんて。
しかも、ヒナタは蓮に手を出さないために薬まで服用しているとさらりと言っていた。

「その薬って……合法なのか?」
「もちろん! 天界の薬学ってすごいんだぞ!」
「でも我慢するのつらいだろ」
「我慢した分だけ天界でレンに気持ちいいことたくさんしてあげられるから、もどかしいけどつらくはないな」
「……天使って意外と俗っぽいんだな」

最後の一言は、ほとんど無意識のうちに漏れた独り言のような呟きだった。
ヒナタが教えてくれた天使の本能は、「高貴で高潔で清らか」という今までの天使像とはまるで正反対だ。
もちろんヒナタが蓮の独り言を聞き逃すわけがない。

「天使って実は地上のニンゲンが思ってるみたいなお綺麗な生き物じゃないんだぜ」

ヒナタはカラカラと笑いながらそう言った。

それからもうしばらく一緒に過ごして、完全に日が落ちる前にヒナタは天空の城へと帰ることになった。

「まだ夜は冷えるからちゃんと布団かぶって寝るんだぞ! レンは思ってるより寝相悪いんだからな!」
「分かったってば。気をつけるから」
「そう言って今日も布団蹴り飛ばしてたじゃないか!」
「だから気をつけるってば」
「レンの気をつけるはあんまりアテにならない」
「……今度は本当に気をつけるから」

ヒナタの視線が痛くて気まずくなり、蓮はそっと目を逸らす。
何回かヒナタと昼寝をしたことがあるが、寝ている間に拳や蹴りを入れて、文字通り叩き起こした前科があった。
施設にいた頃も二人部屋に布団を敷いて寝ていたが、もしかしたら寝ているときに同室だった奴を蹴り飛ばしていたのだろうか。
……そういえば、十五歳を過ぎた頃から同室者はは言って来なかった気がする。

まさか自分の寝相がそこまで悪いとは思っていなかったので、ヒナタから指摘されたときは衝撃だった。

「明日は特に朝方冷えるから。風邪引くんじゃないぞ」
「……うん」
「それじゃあ、また明後日来るからな」
「うん。待ってる」

名残り惜しそうに頬にヒナタの唇が触れる。
そして両腕を巨大な翼に変化させると、トンと地面を蹴って空へと飛び立った。
美しい金の翼を羽ばたかせて天を翔ける彼を、蓮は姿が見えなくなるまで見送った。

雲の向こうにヒナタが消えていったのを確認して、蓮は農機具を片付けている小屋へと向かった。
結局あの後も何度かいかされてしまったので、心なしか余韻で頭がぼんやりとしているし、体も少し怠い。
けれど、畑の世話をしなければせっかく育てた野菜がダメになってしまう。
今はヒナタから食糧をもらっているから食べ物に困ることはないけれど、土いじりは好きだし自分が育てた野菜を食べるのも好きだと思う。
この家を去るギリギリまで畑作業は続けるつもりだ。
野菜の収穫をするために畑に出て準備をしていると、少し離れたところからガサリと草が擦れる音がした。
野生動物かと思い警戒して顔を上げたが、そこにいたのは動物ではなかった。

「ひっ……!」

普段は使わない細い林道で若い男が座り込んでいた。蓮を見る顔は真っ青で、遠目に見ても分かるほどガタガタと震えている。
男は軽い旅装で、足元には色とりどりの反物が散らばってしまっている。
恐らく男は街の若い商人で、抜け道を使おうとして間違ってここに迷い込んだのだろう。
実際に他の街へ繋がる街道の抜け道は近くにあるが、それはもう少し先まで行かなければならない。

「ヒィィィ……!!!」

蓮が何か言う前に、若い商人は反物を抱えて走り去って行った。
走っていった道をそのまま行けば正しい抜け道に出るのでまあ大丈夫だろう。

この山奥に入ってから、元家主の男とヒナタ以外の人間に出会ったのは初めてだった。

「……あんなに怯えなくてもいいだろう」

まるで化け物を見たような反応をされて、蓮は少しだけムッとした。
今、いったい自分は街でどんな化け物に仕立て上げられているのだろうか。
きっと叔父たちがろくでもない話を流しているであろうことだけは、あの商人の反応で分かった。


蓮の天界への輿入れが春の彼岸の翌日に正式に決まったとヒナタから告げられたのは、それから二日後のことだった。




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