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第5話

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「……え……?」

蓮のことが好きだよ。
ずっと、ずっと一緒にいたいと思ってる。

好き。「好き」って、なに?

でも、聞き間違いなんかじゃない。
ヒナタは蓮のことが「好き」だと言ったのだ。

呆けたまま動けないでいる蓮のことを見つめたまま、ヒナタは微笑んだ。

「……すまない。困らせてしまったな」
「あ……」

今までに見たことのない、笑っているのにひどく悲しそうな顔だった。
誤解させてしまったのだ。
蓮がヒナタの告白に何も言えなかったから。
きっとヒナタのことを受け入れられないと勘違いさせてしまった。
違う。違う。違うのに。

この胸の苦しさや気恥ずかしさも、ヒナタの笑顔を見て胸が躍ることも、知りもしない交友関係に落ち込むことも、全てひっくるめて名前をつけるのであれば。

「まっ……! 待って、ヒナタ……!」

こんなに大きな声を出したのは久しぶりだった。

離れていくヒナタの衣の裾を両手でぎゅっと握り締め、しっかりと彼の碧色の目を見つめ返す。
今度は決して逸らさないように。

「困って、ない! 嫌じゃない……!」

ボロ、と決壊したように目から水滴が溢れ出し、あっという間に頬が濡れていく。
ずっと視界が滲んでいた原因が涙だったことに、蓮はようやく気がついた。

そして、自分が涙を流すことができたのだと、長い年月を経てやっと思い出した。

「ヒナタと一緒にいると、胸が温かくなる。笑ってくれると嬉しい。けど、他の人にもそうなのかって思うと……、む、胸が、息が苦しい。嫌だなって、思う」

そう告げると、ヒナタが大きく目を見開いた。
心臓が痛いくらい早く脈打っている。
泣きながら喋っているせいで嗚咽を漏らしそうになるが、必死に我慢して言葉を続ける。
蓮には駆け引きなんて分からない。
今の蓮にできるのは、ただ思っていることを素直にヒナタに伝えることだけだ。

「し、施設にいた姉さんたちが、言ってた。人を好きになると楽しいことも苦しいことも両方あるって。それでも幸せなんだって。もし、今の俺の気持ちに名前を付けるなら……、それは『好き』なんじゃ、ないかって……」

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を見せるのが急に恥ずかしくなって、そっと下を向く。
ヒナタが今どんな顔をしているかは見えなくなったが、強く握り締めた衣の裾は決して離さなかった。
言葉も尻すぼみになっていってしまう。
もっと上手く話せたらよかったのに、これが今の蓮の精一杯だ。

「俺は、『好き』ってなんなのか、合ってるのかは……、分からない。でも、これが『好き』じゃなかったら、他に何なのかも分からない。俺もヒナタと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい……! それだけじゃダメなのか……!?」

必死すぎて最後のほうは叫んでいた。
ぐすぐすと鼻を鳴らしていると、ヒナタが「……レン」と小さな声で名前を呼んだ。
顔を上げると、ヒナタは口元を手で押さえてこちらを見ていた。
眉が少し困ったように下がっている。
言い過ぎてしまったかと思って息を呑んだが、指の隙間から見えるヒナタの頬は林檎のように真っ赤になっていることに気がついた。

「……今の、ずっと一緒にいたいって。……本当?」
「……本当。俺もヒナタと一緒がいい」
「そっ、かぁ……。参ったな、もっとカッコよく伝えたかったのにぃ……」

ヒナタはごにょごにょと呟いて、そっと蓮のことを抱きしめる。
そして肩に手を置くと、涙の溜まった蓮の目尻にそっと唇を落とした。

「……っ!」
「俺の『好き』はこういうことだよ。レンと恋人になって、天界に連れていきたい。それでもいいの?」

ヒナタは確認するように蓮に訊く。
もう元には戻れないと、念を押すように。

「……さっきも言ったけど、ヒナタに触られるのは……、嫌じゃ、ない。ドキドキするけど、嬉しいし、気持ちいい」

だけど、蓮だって元に戻るつもりはない。
ヒナタの甘い声が耳元で聞こえるとなんだか背筋がぞわぞわする。
でも、それが不快なわけではない。
今はまっさらな広い背中に腕を回して、蓮はヒナタの問いかけに返事をした。

「だから、いい。ヒナタと一緒ならどこだって」

そうだ。ヒナタと一緒ならどこだっていい。
地上でも、ヒナタが連れていくと言うなら天界でも。
彼が一緒なら、どこだって。

自然と目線が交わって、蓮はまた頬が熱くなっていくのを感じる。
この熱は顔が赤くなっていたからか。
林檎色の頬をしたヒナタを見てようやく分かった。

――好きなひとの体温はこんなにも心地いいものなんだな。

人生で初めての口づけの相手が天使になるとは、まさか自分が誰かと口づけを交わすようになるなんて思わなかった。
ヒナタに唇をついばまれて、蓮はそっと目を閉じた。

窓の外は変わらず真っ白な雪が降り続いていた。







「俺はここを出ていく。この家はお前の好きに使っていい」

蓮の足の手当てを終えると、男はぶっきらぼうにそう言って立ち上がった。
男は連に背中を向けて包帯や消毒液を入れた薬箱を片付けている。
蓮は男にばれないようにこっそりと家の中を見渡した。
平屋建ての小さな家。片付けが行き届いていて綺麗だと思ったが、すぐにそれは間違いだと気がついた。
家具は必要最低限のものしか置かれていないし、日用品の類は目の届く範囲にはほとんどない。
片付けられているのではなく、不自然なほどに物がなさすぎるのだ。
この家は人が住んでいるにしては生活感がなさすぎる。

「もともと今日出ていくつもりだったんだが、お前を拾っちまったモンだからせっかくおさらばしたのに逆戻りだ」

バタン、と戸棚を締めて男が振り返る。
思わず固まってしまうと、男は蓮の様子を見て「取って食いやしねえよ」と呆れたように言った。

「お前、狩猟はできねえだろ。畑はやったことあるか」
「……元いたところで、手入れしてた。難しい野菜は……、育てたことない、けど」
「経験あんなら虫が平気なら大丈夫だろ。裏の畑に生えてるし、種も小屋にあるから好きにやれ。凝った品種はねえから初心者でも育てられる。冬用の布団は……、処分しちまったな。夏用のを重ねるなりして何とかしてくれ。あとの細かいモンは探しゃ何とかなる」
「……あなたは、俺のことを知らないのか?」

収納を開けて中を確認していた男の背中に思わずそう問いかけていた。
ずっと『疫病神』と呼ばれて、不幸を呼ぶから出て行けと街を追われた蓮にとって、男の行動は不思議なものばかり。
寺と施設の人間以外で、こんなにも優しくされたのは初めてだった。
しかもこのまま家に住んでもいいだなんて。
男は蓮のほうを見ると、不思議そうに首を傾げた。

「知らねえな。俺は長いことずっと山奥ここに引きこもってたんで、外のことなんざ興味もねえ」
「……どうして、助けてくれたんだ?」
「いざ旅立ちだってときに目の前に死にそうな顔色したガキが出てきたんだぞ。見捨てて本当に死なれたら寝覚めが悪いだろ」

さも当然のように男は言うが、やはり蓮からしてみれば、外の人間とこんなふうに接するのは慣れない。
男は壁に立てかけていた猟銃を手に取ると、蓮が腰かけている寝台の前に膝をついた。
それでも男のほうが目線は高く、蓮のほうが見上げる格好になってしまう。
髭の隙間から覗く目は、とても真剣なものだった。

「この家に住むなら、ひとつだけ頼みがある」
「頼み?」
「そうだ。裏の畑の端に、少し前におっ死んじまった同居人の墓がある。三年後の春の彼岸の日まで墓の面倒を見てやってくれ。その後はそのままここに住もうが、出ていこうが構わねえ」
「……それだけでいいのか?」
「三年も知らねえ奴の墓の世話させんだぞ。充分だよ」

どうする?と視線で問われて、蓮は迷うことなく頷いた。
返事を見た男は「それじゃあ頼むわ」と言って立ち上がり、蓮ひとりを残してドアに向かって歩いていく。
そしてドアノブに手をかけて立ち止まり、ぐるりと首を回して家の中を見渡した。

「……小せえ家だけど、ここは俺ひとりで住むには広すぎるんだ。思い出がありすぎた」

小声でそう言い残して、今度こそ男は振り返ることなく出ていった。


もうすぐ約束の三度目の春が来る。



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