金翼の覇王の愛し子は笑わない

青井きよ

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第3話

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秋が少しずつ深まっている今、大きな池の睡蓮は終わってしまってほとんど残っていない。
それでもつい「睡蓮の池」と呼んでしまうのは、見頃の花がとても綺麗で印象的だからだろうか。

のんびりと鯉が泳ぐ透明な水面を、蓮とヒナタは無言のまま眺めていた。

「……もう落ち着いたか? 気分は悪くないか?」

先に声を出したのはヒナタだった。
心配でオロオロしているのが声にしっかりと出ていて、申し訳ないのと同時に少しくすぐったくも思った。

「うん、もう大丈夫。……でも」
「でも?」
「この体勢はちょっと落ち着かない」
「えっ!? そうなのか!?」
「うん」

慌てふためくヒナタの声を後ろから聞きつつ、蓮は素直に返事をした。
今の蓮はヒナタの足の間に座り、今度は後ろからしっかりとヒナタに抱きしめられている状態だ。
今日はあまり気温が上がらず少し肌寒さを感じていたが、ヒナタの体温と彼が翼を出して広げてくれているおかげでとても温かい。
温かいが、やっぱり落ち着かない。
ヒナタは「でもでも顔色が悪かったし冷えたら風邪をひいてしまうぞ」ともっとオロオロとしているが、蓮のことを離すつもりはないらしい。
「落ち着かないけど嫌なわけではない」としっかりと断りを入れて、それでも一瞬だけ迷って、蓮は素直に自分の気持ちを伝えることにした。

「こんなふうに人とくっついて過ごすのが久しぶりだから……。少し緊張している、のかもしれない。あと小さい子どもみたいで恥ずかしい」

施設にいた頃、子どものときは住職夫妻や年上の入所者にたくさん抱っこしてもらい、大きくなってからは蓮が小さな子どもたちを抱き上げて遊び相手になっていた。
山に来てからの三年間、蓮は誰とも会っていないし会話すらしていない。
喋ることすら忘れてしまいそうで独り言はたまに言うようにしていたが、元より口数も少ないので本当にたまにの話だ。

久しぶりに感じる人肌の温かさが、こんなに優しいものだったとは。

しかし何よりも蓮から心の落ち着きを遠ざけているのはヒナタに後ろから抱きしめられているこの体勢だ。
まるで少女向けのロマンス小説に出てくるような格好を自分がしていると思うと、やっぱり落ち着かないというか気恥ずかしいのだ。

少し勇気を出して気持ちを伝えたというのに、ヒナタからの返事がない。

振り向こうとすると左肩にヒナタの頭がずっしりと乗っかる。そしてぐりぐりと頭を蓮の肩に押し付けてきた。
ヒナタが頭を左右に振るたびに柔らかい髪の毛が顔に当たってくすぐったい。

「何が悪いんだ。俺から見たらレンだって小さな子どもだ」
「だって、俺はもう二十歳なのに」
「二十歳なんて生まれたてホヤホヤの子どもじゃないか」
「天使と人間の寿命は違うんだろう? ヒナタからしたらそうかもしれないが」
「むっ。うぐぐ……。うぅーー!!!」
「ちょっ、と、いッ! ヒナタ……!?」

突然ヒナタの腕の力が強くなり、蓮はそのまま後ろに倒れ込んでヒナタの胸にもたれかかる格好になった。
ヒナタの衣がひらりと翻り、袖の菊の模様がまるで踊っているように見えた。
ヒナタの力は相当強く、少し動いただけでさらに強い力で抱き込まれて、全く身動きが取れない。
ミシッと骨が軋む音が聞こえた気がする。
さすがにこれは痛い。少しつらい。
驚いて何とか視線を横にやると、乱れた金の髪の隙間から不機嫌そうな――怒りと悲しみと苛立ちを全部混ぜたような碧色が、じっと蓮を見ていた。

「……ヒナタ?」
「レン。何が君にあんな顔をさせていた?」
「……え、」
「いつかレンが表情を変えられるようになるなら、それは俺が君を笑顔にするときだと思っていた。俺が一番見たいものはレンの笑顔だ」

そんなこと初めて聞いた。
ヒナタはそこで一度息を吐くと、今度は地を這うような低い声を発した。

「それがなんだ。曼珠沙華の花畑に立っていた君の顔! レン、君は分からないかもしれないが、この世の終わりを見たような、全てに絶望したような悲しい顔をしていたんだぞ。初めて見る君の表情の動きが、どうしてあんなに悲しいものだったんだ! 何が君をあんなに悲しませたんだ!」

最後のほうはまるで悲鳴のようだった。
びりびりと空気が揺れ、耳が痛んで少しだけ眉毛を寄せてしまった。
ヒナタはぐすぐすと鼻をすすっている。もしかしたら泣いているかもしれない。
力加減はまったくできていないものの、彼が蓮のことをとても心配してくれていることは、体に伝わる熱や真っ直ぐすぎる言葉でよく分かる。
作り物のように綺麗なヒナタの顔が、あんなに必死そうに歪むなんて。

「ヒナタ」
「……なんだ」
「ヒナタは、人間の暦も分かるのか?」
「もちろん分かるとも」
「じゃあ、今日の日付を教えてくれないか」

ヒナタから告げられた日付を聞いて、蓮はほんのわずかに体を固くした。

やっぱり今日が火災のあった日――みんなの命日だったのだ。

こんなことを話しても大丈夫だろうか。
ヒナタを困らせるようなことにならないだろうか。
そんな考えが頭をよぎっていったが、蓮はふるふると何度か頭を横に振った。
まだ出会って二ヶ月ほどだが、ヒナタは絶対に蓮のことを悪く言ったりしない確信があった。
だから、蓮は全て話すことに決めた。

「……今朝、夢を見たんだ」
「夢?」
「そう、夢。夢だけど、昔本当にあったこと」

緊張で少し声が震えたが、蓮は三年前の今日に起こった出来事についてヒナタに語った。
今まで彼には話さずに、話せずにいた、つらい過去の記憶。「自分だけ生き残ってしまった」という強い罪悪感。
言葉が詰まってしまったり、話の流れが前後してしまうことも多くて、ものすごく聴き取りづらかったと思う。
それでもヒナタは最後までしっかりと蓮の話に耳を傾けてくれた。

「……そうか、そんなことがあったのか」

蓮の話を最後まで聞いたヒナタは、ぽつりとそう呟いた。
今はもう激しい感情の揺れはすっかりと収まっていて、碧色の瞳は凪いでいる。

「話してくれてありがとう。……今までずっとつらかったな」
「いや、そんなことは……」
「血が繋がっていなくてもみな家族だったんだろう。つらくて当然だ。……無理に聞いてしまってすまなかった」

すっとヒナタが頭を下げた。
しかし、すぐに「だけど!」と声をあげ、その声の大きさに驚いて蓮の肩が跳ねた。

「でも、ひとつ納得できないところがあるぞ」
「……どこに?」
「レンは『施設のみんなは自分に対して調子に乗るなと思っている』と言ったが、そんなことはありえないだろう」

何を言っているんだ?と首を傾げた蓮に、ヒナタは言い聞かせるように話を続けた。

「夢のことは忘れて、実際に寺で過ごしていたときのことをよくよく思い出してみろ。レンの育ての親や共に暮らした同朋たちは本当にそんなふうに考えるような連中だったのか?」
「……!」
「少なくとも今までのレンの話を聞いていた限り、俺はまったくそうは思わなかったが」

ヒナタの言葉にはっとさせられる。
蓮の知る住職は優しいけれど曲がったことが嫌いな頑固者で、住職夫人は明るく溌溂としながらも柔軟な人だった。
一緒に過ごしていたみんなも決して蓮のことを否定しなかった。自立して施設を出ていった者たちも、街の住人に隠れてこっそりと蓮のことを気にかけていてくれた。

そして、火災の報せを受けて寺に戻ったとき。
轟々と燃え盛る炎の中に飛び込んで行った二人は、蓮に向かってこう言った。

「蓮は逃げて。死ぬんじゃないよ」と。

今までずっと忘れていた。
でも、確かにそう言われた。
だから蓮はその場から動けなくて、見知った顔が炎に呑まれていくのを見ていることしかできなかった。

「……言わない……」
「うん」
「みんな、そんなこと言わない」

はっきりと口にすると、ヒナタはそうだろう、と言って笑った。

「どれだけ忘れたくても人の記憶は一生消えないものだ。思い出すことだってあるだろう。でも、それはレンが悪いわけじゃないんだ」
「……ああ。なあ、ヒナタ」
「なんだ?」
「さっき川で曼珠沙華の花を見たときは、胸が痛くて息ができなくなりそうで、頭の中が真っ白になったみたいだった。あれが『つらい』や『悲しい』気持ちなんだろうか」
「うーん……。まあ……、そうだな。本当は嫌だけど……。まあ、合ってる……」

渋々、といった苦い顔で肯定される。
悲しい顔じゃなくて笑った顔が見たかったとヒナタは言っていた。
きっとヒナタは蓮が明るい気持ちよりも先に暗い気持ちを知ってしまったことが気に入らないのだろう。
けれど、そのおかげで分かったこともある。

「……それなら、ヒナタと一緒いるときは胸がぽかぽかして温かい。ヒナタが笑うと俺も心が……なんというか、ほわほわする。もっと見ていたいって思う。これはヒナタと一緒にいると『楽しい』し『嬉しい』……、ということなんだな」

今までずっと曖昧だった自分の気持ちに名前が付いた。
三年前に起きた事件はとてもつらくて悲しいことだが、犠牲になってしまったみんなが蓮を責めることはないだろう。
そして、ヒナタと一緒に過ごす時間は楽しい。何気ない会話でもヒナタが笑ってくれると蓮も嬉しい。

「ヒナタ、ありがとう。とても大事なことを気づかせてくれて」

しっかりと肩を掴んでいるヒナタの手に自分のそれをそっと重ねる。
蓮の手も男性としては普通の大きさのはずだが、身長が高く体格もしっかりしたヒナタと比べると小さく見える。
手のひらに伝わる骨ばった感触や体温が気持ちいい。

そうか。これが『心地いい』ものなのか。

「……きみはずるい」
「……? 何がだ?」
「いや、こっちの話だ。気にしなくていい。レンの心が晴れたならそれでいい。でもひとつだけ約束してほしい」

新たな気付きを得て居心地のよさに浸っていると、黙っていたヒナタが唸るように喋りながら再び蓮の肩に顔を埋める。
そしてぱっと顔を上げると、ぐるりと蓮の体を回転させて、両手で蓮の頬を包んだ。

「レンの笑顔は一番最初に俺に見せてほしい」

射抜くような眼差しでヒナタはそう言った。
いつもの明るい笑顔はなく、圧倒されそうになるほど真剣な表情だった。
いつか自然に笑えるようになるのだろうか。
不格好な笑顔もどきの顔もできない今の蓮にはまったく想像もつかない。
けれど、それでも。

「笑えるかは分からない。……でも、ヒナタが望むなら努力する」

ヒナタが見たいと言うのなら、そのときが来たら一番に笑顔を見せたい。
目をそらさずに返事をすると、ヒナタはいつものようににこりと笑った。


それから放ったらかしになってした蓮の洗濯物を洗い、それをヒナタが風を起こして乾かしてくれた。
もう、赤い曼珠沙華を見ても何ともなかった。

綺麗に晴れた秋の空を見上げて、蓮は目を細めた。



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