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<悪女の娘>① ―プロローグ―

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 うららかな春の土曜の午前―

「アンジェリカーッ!」

レスター家に母ライザの声が響き渡る。

「はーい。お母様。」

 テラスで刺繍をしていた私は刺繍道具をテーブルの上に置くと母の元へと掛けていく。そこには金糸の縁取りがされた丈の長い真っ白なジャケットに足さばきのよいロングドレス姿の母が部屋の中で待っていた。ブルネットのロングヘアを上に巻き上げた母の姿は今日もとても美しい。いつも若々しく、今年で36歳になるとは思えなかった。

「アンジェリカ。今日はいつものご奉仕活動の日なの。だから妹のアンジェリーナの面倒を見てやってね?」

母は私の金の髪をなでながら笑顔で言う。

「はい、お母様。それでアンジェリーナはどこにいるの?」

「アンジェリーナは中庭で写生をしているわ。本当にあの娘ったら絵を描くのが好きなんだから・・・。」

「分かったわ、お母様。行ってらっしゃいませ。」

ドレスの裾をつまんで挨拶をすると母は笑みを浮かべ、満足そうにその場を後にした。そうだった、忘れていたけれども今日は第2土曜日。お母様が行っている毎月恒例の月に2度の「ご奉仕活動」の日だったのだ。

「さて・・・もう少し刺繍を続けようかしら・・・。」

私が言いかけた時、ポンといきなり背後から肩を叩かれた。

「キャアアッ!」

驚いた私は思い切り悲鳴を上げてしまった。

「嫌だっ!お姉さまったら!驚かせないでよっ!」

振り向くと、そこに立っていたのは両耳をふさいだ2歳年下の16歳になったばかりの妹のアンジェリーナだった。アンジェリーナの髪の色は母と同じブルネットをしている。

「驚かされたのはむしろこっちよ、アンジェリーナ」

腰に手をやり、妹に注意をするが私の話を聞いていない様子でアンジェリーナは言った。

「ねえ、お姉さま。お母様の後をついていきたいと思わない?」

「いいえ、別に。だって興味ないもの。」

そして刺繍を続けようとテラスへ向かうと首根っこを掴まれた。

「く・苦しいじゃないのよっ!離してっ!」

振り向いて抗議するもアンジェリーナは気にも留めずに言う。

「いいから。行きましょうよ。何だか、お母様・・・噂によるといかがわしい場所に通っているらしいのよ?」

「え・・?いかがわしい場所・・?」

そんな馬鹿な。あの気高く美しい母が?私にはとてもアンジェリーナの言葉が信じられなかった。だけど・・。

「わ、分かったわ。行くわよ。行けばいいんでしょう?」

そうよ、私がお母様の後をつけて世間のくだらない噂を打ち消してやるんだから―。




****


「ねえ・・・本当にここで会っているの?」

妹と2人でやってきたのは驚くべきことに刑務所だった。分厚いコンクリートで高さは3mはあろうかと思われる高い塀に囲まれた敷地は中を見ることが出来ない。

「ええ、間違いないわ。実はね・・・・。私のクラスメイトで父親がここで働いている人がいるのよ。ほら。お母様って女性ながら判事を務めていて、執筆活動も行っている有名人じゃない?あちこちで講演会も開いているから顔だって知れ渡っているし。そのクラスメイトの子が以前父親に用事があって尋ねた時に、私たちのお母様をここで見たんですんって!」

何故か刑務所の向かい側の店の物陰からこそこそしている私達。何だかこれではまるで不審者だ。

「とりあえず・・・あそこの門の入口に人がいるから尋ねてみましょうよ。」

アンジェリーナが指さした場所には小さなコンクリート造りの建物が立っている。そして中には暇そうにしている看守の顔がこちらから見える。

「ところで・・アンジェリーナ。何故ここをいかがわしい場所と言ったの?ここがどこだか知っているの?」

不思議に思って私は尋ねてみた。

「さあ・・ここがどこだか分からないわ。でも高い塀に囲まれているっていう事は・・外から中を見られたくないって事でしょう?きっとこの塀の中では・・何かいかがわしい事が行われているに違いないわ。」

「え・・・?」

興奮気味に言うアンジェリーナに私は開いた口がふさがらなかった。ま、まさか・・妹はここがどこだか分からないって言うの?!思わず頭を抱えて、しゃがみこんでしまった私は妹がいつの間にか看守に近づいている事に気付かなかった。

「あら?アンジェリーナ?何処?」

キョロキョロ見渡し、次の瞬間私は度肝を抜かれてしまった。何と妹は看守と話をしているのだった!

「ア、アンジェリーナッ!」

慌てて妹の傍へ駆け寄ると、妹はニコニコしながら手を振る。

「あ!お姉様っ。この方が中へどうぞって、案内してくれるそうよ?」

「え・・?」

私は思わず腰が引けてしまった。何故ならここは刑務所。罪を犯した罪人たちが牢獄に入れられている。中には軽い罪で収監されている囚人もいるけれども、殺人を犯した大罪人だって収監されているのだから。

「い、いやよっ!入らなくていいわっ!帰りましょうよっ!」

目の前の看守の方には大変申し訳ないけれども、仮にも侯爵家の令嬢が来るような場所ではない。しかし、妹の次の言葉が私に決意させた。

「あのねえ・・お話によると、お母様は毎月2回、ここに面会に来ている人がいるんですって。しかも18年間もよ?その人に会わせて下さるそうよ?」

「え・・?」

何ですって・・?あの気高く賢いお母様が18年間欠かさず面会に訪れてきた場所・・。私はがぜん興味がわいてきた。

「で・・では、私と妹を案内して下さい。」

私は目の前にいる辛気臭い看守に頼んだ。看守の男は私を上から下まで嘗め回すような視線でじっくり見つめ・・・口を開いた。

「ええ・・・。よろしいですよ。何せ・・貴女はその人物に会う資格がありますからね・・・。」

「え・・・?」

看守は何故か意味深な言い方をする。戸惑っていると、看守は窓から顔を引っ込め、ドアを開けて建物から出てくると私たちに言った。

「では、ご案内致します。こちらへ。」

そして私たちの前に立つと歩き始めた。しかし・・私は何故か足が震え、歩けない。すると妹が私の手を取った。

「行きましょう?お姉様。」

「え、ええ・・・。」

私はごくりと息を飲んで頷くと、妹に腕を引かれるように看守の後に続いた。


****

建物は薄暗く、カビたような匂いがする。思わず鼻を押さえたくなったが、失礼に当たると思い、我慢して妹と並んで歩く。やがて私と妹は部屋の中央を大きなテーブルとガラス張りで仕切られた部屋へ案内された。

そして背もたれも無いような簡単な作りの椅子を2つ、看守が用意してくれた。

「では、この椅子に座ってお待ちください。今囚人を連れてきますので。」

そして看守は奥へ引っ込んだ。私は隣に座る妹を見て・・・驚いた。
あれほど威勢の良かった妹は青ざめた顔でドレスを握りしめて震えている。

「ちょ・・ちょっと、どうしたの?アンジェリーナ。顔色が真っ青よ?」

「お・・お姉様・・・囚人って・・ひょっとしてここは・・刑務所だった・・の?」

「え?貴女・・・今まで気づかなかったのっ?!」

「ええ・・。ね、ねえ・・連れてくる人物って・・・罪人って事・・・?」

「え、ええ・・そうよ?」

「お・・お姉さま!罪人と会うなんて・・私、怖いっ!ねえ・・・帰りましょうよっ!」

アンジェリーナは必死で私の袖にしがみ付き、訴えてくる。けれど私は母が18年間も会いに来ていた囚人が気になって仕方がなかった。

「いいえ。私は・・お母様が誰と会っていたか知りたいの・・。だからここで待つわ。」

「お、お姉さま・・・。」

アンジェリーナは真っ青な顔をしていたけれども、うなずいた。

「わ・・・分かったわ・・。私も知りたい・・・・会います!」

「アンジェリーナ・・・」

そして私と妹は囚人がつれてこられるのを面会室で待った。
でも・・・会わなければ良かった。
何故なら・・・この後・・死ぬほど後悔することになるとはこの時の私は思いもしていなかったから―。

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