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44.喜怒哀楽〜哀楽編〜

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それから数日後、私達は誰一人欠けることなくニーダルへ戻ってきた。しかし、待ち受けていたのは厳しい現実であった。



――「もう嫌じゃーー!」

長老の悲痛な叫びがニーダルの森に響き渡る。
しかし、誰一人声を掛ける者はいない。いや、土牛だけがその声に反応してモウモウと鳴いていた。
どうしてこのような事態になっているのか。それには深い事情があったのだ。


防御術式の総入れ替え作業は一週間以内に終わらせないと意味がない。なのであの地道な努力は水の泡となり、また一からやり直しとなった。

今回はロザリーとトルタヤに無理はさせられない。
七等級の私は主戦力になり得ず、当然の流れで最上位に期待の眼差しが集まった。……もちろん、働き者のほうだ。

『ザインさん、前回以上に負担を掛けますがよろしくお願いします』

トルタヤは快く引き受けてくれると疑っていなかった。この作業依頼の裏を私から聞いていたからだ。

『……期待には応えられません』
『へっ? ザ、ザインさん。それはどういう意味ですか?!』
『……妻子を優先します』

ザインは私とアティカのそばで作業することを強く希望した。それは作業効率の著しい低下を意味する。
トルタヤは頭を抱えた。それは認めません!と命令できる立場でもないからだ。

『この不肖の弟子が! 我儘は許さんぞ』

だが、長老は違った。汚名を被ってまで弟子のために一肌脱いだのだから、その強気な態度も当然であった。

『ザイン・リシーヴァ、叱られていい気味だわ。でも、予算を使い切ったのに長老様はずいぶんと強気ね。まあ、いいけど』

ロザリーは純粋に長老を応援していた。ザインをぎゃふんと言わせてくれる存在なら……きっと敵でも応援するだろう。


私は誤解されたままでは長老が可哀想だと思い、実は違うのだと説明した。
すると、ロザリーはニーダル支部の帳簿を見せてきた。管理するのは三等級以上と決まっているので、私とトルタヤが目にしたのは初めてだった。

『これ、どこにあったんですか? ロザリーさん』
『ニーダルの倉庫の奥に隠してあったわ。私がここに来たのは本当に偶然だったの。なにか裏があるのかと疑って調べたら、なかったってわけ。ほら、ここ見て』

ロザリーが指差した欄には『¥0』の文字があった。
なんと予算の使い切りは事実だったのだ。

『なんで無計画に使うんだよ! 鉛筆十万本なんて誰が何百年掛けて使うんだ……。爺様、覚悟しておけ!』
『今回はしっかりと働いてください、長老様』

もともと私達は予算の使い切りは本当だと思っていた。でもそれが嘘だったと信じて、また本当だと知った。振り出しに戻っただけなのだが、途中経過を挟んだことによって、腹立たしさは格段に上がる結果となった。


こういう事情で長老は入れ替え作業強制参加となり、前回さぼったという理由で負担も一番大きくなった。――自業自得である。



今日も、長老の悲痛な叫びが森に響き渡っている。初日こそ土牛達は驚いて逃げていたが、もう聞き慣れたようで反応は薄い。

「老人虐待だと思わんか?」
「モウモウ」
「そうか、儂の心配をしているんじゃな。それじゃお前達、儂の代わりに働いてくれるかの? はい、喜んでとは嬉しいことを言ってくれるな」
「モウモウ、モウモウ」
「待って、どこに行くんじゃ! 約束が違うモウじゃー」

長老が土牛相手にぶつぶつと独り言を言っている。久しぶりに働いたからか、精神的に参っているようだ。牛語まで口走っているので、とてもまずい状況なのかもしれない……。

おかしくなるなら入れ替え作業完了後にして欲しい。

アティカはザインのそばで紙魔鳥を折る練習をしていたので、私はお茶とお菓子を持って長老のもとへ向かう。

「長老様、どうぞ」
「……不肖の弟子の嫁よ、気が利くな」

呼び方に怨念が籠もっているのは気のせいではないだろう。でも、長老の白い髭にお菓子のカスが付き始めると、すぐに上機嫌になった。
隣に座って私も一緒にお茶をいただく。

「ありがとうございました、長老様」
「ふぁにがじゃ? カロック」

もぐもぐと口を動かしながら長老は聞いてくる。

予算の使い切りは紛れもない事実。でも、それを”再会”に無理矢理結びつけてしまう荒業は、天然過ぎる長老にしか出来ないことだった。


……それにザインの師匠に会ったら、お礼を言いたいとずっと思っていた。


長老が幼い彼を救ってくれた――だから、今がある。

きっと長老がいなかったら、ザインは死んでいたかもしれない。そしたら、アティカもこの世に生まれていなかった。

「子供だったザインに手を差し伸べてくれたことです」
「儂の方こそ感謝しておる。弟子の幸せな姿を見られる日が来るとは思っていなかった。いい冥土の土産が出来たから、いつ死んでもいいのう~」
「まだ作業の途中なので死んじゃ駄目ですよ、長老様」

私が冗談を言うと、長老は目を細めて弟子の嫁は鬼じゃのと笑う。


ザインにとって長老は、感謝しているけど厄介な人。それは褒め言葉とはほど遠いものだ。でも、私が彼の口から他人のことを聞いたのは師匠である長老だけだ。

 長老様、知ってますか? あなたはザインにとって特別な他人なんですよ。

ザインは傷ついた私を託す場所にニーダルを選んだ。もし長老が他の場所にいたなら、私は違うところに異動していたはずだ。


「ザインは以前、師匠に感謝していると言ってました」

私は彼の代わりに伝える。心の底では分かり合っていると思うけど、私が言いたかった。

「ザインの奴め。嘘を言いよって」

彼は嘘なんていいませんよと、私は笑いながら告げる。

私がお願いしてお芝居してくれたことはあった。
でも、嘘はつけない人なのだ。まさか自分がアティカの母親と思わずに聞いた時だって『心から愛していました、今でも愛しています』と言ってくれた。
私が一人二役でその時の様子を再現してみせると、長老はお腹を抱えて笑う。

「不肖の弟子は、世界一の嫁を得たんじゃな」
「その前に世界一の師匠が彼のそばにいましたね」
「……ザインがそう言っておったのか?」
「いいえ。でも、妻ですから分かります」

長老の視線の先には不肖の弟子の姿があった。
ザインはなにも言わずに、長老がやるべき作業を代わりに進めている。それは今日だけではなかった。

ザインは言葉で想いを伝えることが難しい。だから、自分が出来る方法で伝えているのだろう――あなたが師匠で良かったと。

この師弟は気づいているだろうか。伝え方が個性的なところがとてもよく似ていることを。

――『厄介な人』『不肖の弟子』

その言葉の奥にはどんな思いが詰まっているのだろう。


師匠をこき使うなんて生意気な弟子じゃと、長老は文句を言いながらまた作業に戻っていった。

その後ろ姿はひ孫がいるとは思えないほど、軽やかなステップを踏んでいる。まだまだ最上位魔術師としてこの世で頑張ってくれることだろう。


そして作業五日目。最高の師弟の活躍によって、入れ替え作業は無事完了したのであった。





◇ ◇ ◇


明日、私とザインとアティカとロザリーの四人は王都に戻る。

私はまだニーダル支部所属となっている。けれど、王都に戻ってくるように黒い紙魔鳥が伝えに来たのだ。諸々の手続きは後回しで良いということなのだろう。


今夜はニーダルで過ごす最後の夜となる。

借りている家には私とザインしかいない。アティカは長老の家に泊まっているからだ。

長老はアティカに楽しい思い出を作ってあげたいと誘ってくれたのだ。トルタヤとロザリーも今日は一緒に長老の家で過ごしている。

実は、アティカは私から離れたくなくて断ると思っていた。けれど、お泊りしたいです!と嬉しそうに答えた。
正直に言えば寂しかったけど、あの子の反応は嬉しくもあった。――心の傷が少しづつだけど癒えている証だから。



そして今夜、私は動かなくなった右手についてザインに聞こうと思っている。








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