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39.記憶を辿る《解放》〜ザイン視点〜

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想刻は愛しい人アリスミの心を壊しつつあった。


――誰にも止められない。


この国の頂点に立つ魔術師達が、自分達では解術不可能という結論に達したのは一週間前のことだった。

『今ならカロックを救える可能性は残っておる。だが、完全に心が壊れたら手遅れになるぞ』
『……』
『辛いだろうが、早く決めるんじゃ。ザイン』

師匠が正しいと分かっていても、私は決断出来なかった。

行方知れずの術者が見つかったら、解術できるかもしれないからだ。いや、本当はその可能性がゼロに等しいと分かっていた。

 仮に出来たとしてもやるはずがない……。

流れ者と言われているが、彼は闇堕ちしたのだ。災いの芽として迫害された過去を持つ同類として理解できた。
私だってアリスミに出逢っていなかったら、そうなっていたかもしれない。


『ああ、嫌だ気持ちが悪い。こんな子、生まれなかったら良かったのに』
『……』
そう言ったのは私を産んだ人だった。

『話すな、見るな、何も求めるな』
『……』
憎々しげに吐き捨てたのは、私と同じ髪色をした壮年の男だった。

『災いの芽なんて早く死んでよ!』
『……』
同じ親から生まれた私よりも年上の子供達は、そんなことをよく言っていた。幼少期の私にとって会話とは罵倒だった。

そんな環境から師匠は私を連れ出してくれたが、感謝はしても感情が動くことはなかった。

――刷り込まれた自己否定。

私は変わりたいとすら思わなかった。死ぬその日までただ息をするのが、私にとって生きるということだった。

そんな私の感情を動かしたのはアリスミだけ。私は彼女のために、生まれて初めて願った――変わりたいと。

しかし、変われなかった。
アリスミは変わる必要はないと、私に言ってくれた。言葉が出てこないなら、その代わり手を握って。呼びやすいようにティカと呼びましょうと、笑いながら提案してくれた。


そんな彼女が今、我が子を殺したいと笑っている。

早くこの残酷な想刻から解放してあげるべきだと分かっていた。
だが、アティカから母親を取り上げるべきではないと、私は先延ばしにしてきた。私のような父親が、あの子をまっとうに育てられるか不安もあった。

 ……いや、違う。

――私はアリスミ愛する妻を失いたくなかったのだ。


自分自身の欲のために、彼女をここまで追い詰めてしまった。


想刻によって狂わされた心に抗い、アティカを殺さないでと言う代わりに彼女は私の胸を拳で叩く。

「想刻に対して上書きとなる術式は紡げません。ですが、それごと抉り取ることは理論上可能です。あなたの中からアティカに関するすべて――記憶と想いを完全に排除します」

この状況下でアリスミを救う唯一の方法だった。これは術式とは異なり、言うなれば絶大な魔力の暴力。魔力過多の私なら、成功する可能性はゼロではないと上が判断した。

「その穴を埋めるために記憶改竄を行います」

私の口からは言葉がスラスラと出てくる。
愛する人を手放したくないという自分勝手な想いを、私の理性が打ち砕こうとしているのだろうか。……こんなことではなく、愛を伝えるためにもっと言葉を紡ぎたかった。

もっと変わる努力をするべきだったと、彼女に甘えていた自分を呪う。 


「大掛かりな外科手術の後に、重ねて大きな手術をしたら体が保ちません。それと同じで大幅な改竄は精神破壊を起こします。なので、現実に沿った最小限の改竄に留めます。申し訳ありません」
「……あり…がとう、ザイン」


アリスミは泣きながら笑っていた。その顔はとても美しかった。母として我が子を守れることを心から喜んでいる。

私は師匠と話し合って決めたことを、淡々とした口調で伝えていく。彼女は口を挟むことなく微笑みながら聞いていた。

「目覚めた後は遠方に行ってもらいます。ここで築いたものは、すべて捨てることになります」

魔力暴走を起こしたアティカは不安定だった。この状態でばったりと再会したら、何が起こるか分からない。あの子のために必要な処置だった。
もし彼が普通の子なら、記憶改竄を施すことも考えられた。だが、魔力過多ゆえにどんな反応が起こるか予想がつかない。
あの子を危険な目に遭わせる選択肢はなかった。


「質問はありますか?」
「いいえ、ないわ」

彼女はすっきりとした顔をしていた。
想刻に囚われているはずなのに、我が子への愛を決して失わない。私のせいなのに一言も責めない。私が愛した人はこんなにも強いのに、私はなにも守れなかった。

「……すみません」
「ザイン、他の言葉が聞きたいな。ヒントはあで始まる言葉。分かる?」

彼女はその表情にもヒントを込めて伝えてくる。
彼女と出逢ってから何百万回と心の中で紡いできた言葉を、いま私は音にする。

「…………愛しています」
「私もあなたを愛しているわ。ありがとう、私を愛してくれて」
「………こちらこそ、有り難うござます」

私は涙を流していない。それなのに、見えない涙が流れているからと、彼女は私の頬を拭う仕草をする。私は彼女を力強く抱きしめた。頬と頬が触れ合い、彼女の涙が私の頬に移る。その温もりに心が張り裂けそうになる。

「ザイン、好きなだけ泣いていいのよ」

そう言いながらアリスミは、頬ではなく私の目尻にそっと触れる。その指はなぜか濡れていた。



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