34 / 49
34.三つ目の答え
しおりを挟む
ロラックの診療所に到着した私達を出迎えたのは、沈痛な面持ちの長老だった。こちらが尋ねる前にまずは朗報が告げられる。
「トルタヤは神経の損傷はなかったから完治する。出血が多かったから顔色は悪いが、手当を受ける時には『遅えんだよ、爺様!』と文句を言えるくらいじゃったから、心配はいらん」
通された病室では、トルタヤがベッドで眠っていた。長老の言う通り青ざめていたが、呼吸は落ち着いている。肩に巻かれた包帯が痛々しいが、それでも私は安堵の息を漏らす。
――彼の命はロザリーによって守られた。
続いて長老は黙ったまま、私達を隣の病室に案内する。そこには変わり果てた姿のロザリーがいた。
美しい金髪は焼け焦げ、手入れの行き届いた爪は無惨にも剥がれ、体の至る所に火傷を負っている。
ロザリー、痛かったよね……。
彼女の顔に貼り付いている髪だったものをそっと取りながら、ずっと昔に交わした彼女との会話を思い出す。
『自慢の髪が傷むような任務はお断りだわ』
『ロザリーは鉄の帽子を被らないとね』
美容を気にする親友に、私は冗談を言った。
『お揃いで被りましょう、アリスミ』
『……遠慮するわ』
『乙女は髪が命でしょ!』
この後、彼女は本当に鉄製の帽子を二つ買ってきて、絶対に被ってねと笑いながら渡してきた。
私は王都を去る時にその帽子を捨ててしまった。思い出が詰まっていて辛すぎたから。
「ねえ、鉄の帽子は? なんで被らなかったの? 買っただけじゃ意味ないじゃない……」
死人のように動かないロザリーに話し掛ける。私の頬を流れる涙が白いシーツに染みを作っていく。
「長老様、ロザリーは助かりますよね?」
「魔力の攻撃を全身に浴びていて、どれほど身の内が損傷しているか分からんそうじゃ。医者は保って三日くらいだろうと言っておった」
「その薮医者はどこですかっ! 診立てが間違ってます。ロザリーは簡単に死んだりしません。だって、私から恋人を奪って平気な顔しているんですよ。二年振りに再会しても、驚くくらいに普通に接してきて。そんな人が死んで堪りますか……っ……、死にませんよ、絶対に」
長老の胸を叩きながら、私は支離滅裂なことを訴える。何か言わずにはいられなかったのだ。事実を受け止めたら、すぐにそれが現実になってしまいそうで……。
――ロザリーの命は今にも燃え尽きそうだった。
私はベッドの横に膝をついて、彼女の耳元で声を掛け続ける。
「ねえ、ロザリー。聞きたいことがたくさんあるの。どうして裏切ったの? いいえ、あれは本心だったの? あの時は本心だと思ったけれど、今はどうしても分からないの。あなたの気持ちが……。どうして私を助けたの? 大好きって言ったのは本心だったよね。……私もだよ。一度は大嫌いになったけど、あなたのこと大好きよ」
「…………アリ………ィ」
「ロザリー?」
彼女の口は微かに音を発したが、その目は固く閉じたままだった。
耳から入った音に対して混濁した意識が反応しているようだった。夢の中で答えているようなものだろうか。
うわ言のように何かを呟き続けている。だから、私は必死に声を掛け続ける。こっちに戻って来てと願いながら。
「起きたら、ちゃんと教えて。あなたの気持ちを、すべてを。このまま勝手に消えたら許さないからね、ロザリー」
「……ききたい……の……」
「ええ、教えて。ロザリー」
「……やくそくは守ります、です。さいごのこた……え」
ロザリーの人差し指がゆっくりと立てられると、それはまたゆっくりと元に戻った。
その仕草がなんのことか分からなかった。けれど、すぐに一緒にお酒を飲んだ時のことを思い出した。
彼女が酔っ払ったため、質問は二つ目で中断された。その時彼女は私に約束したのだ、必ず三つ目の質問に答えると。
最後まで立てられていた指が今なくなった。
――ドクンッ!
体験したことがない不快感に襲われる。頭の中になにかが勝手に入ってくる。いいえ、違う。勝手に入ったものが先にあって、それがガタガタと暴れているのだ。
なにを言っているの、私は? そんなことあるわけないのに。
息が上手く吸えない。どうやって今まで呼吸していたのか分からなくなる。私は床に手をついてガタガタと震える。
「アリスミ!」
「カロック、どうしたんじゃっ!」
「ザイン、ザイン。助けて、お願い。何かおかしいの……」
私は迷うことなく愛しい人に向かって手を伸ばし、ザインの片腕の中で泣きじゃくった。なんで泣いているのか分からないけど、ここは私の居場所で、彼に縋るのは当たり前のことだった――恋人だから。
「……お母さん!」
アティカは泣きながらそう呼んでいた。
……違う、アティカ。私はお師匠さまだよ。
そう言おうとして矛盾に気づく。
アティカはザインの息子。そして、私はザインの恋人。そっか、別れたんだ。いいえ、違うわ。別れてなんてない。彼と婚姻を結んで……。違う、結婚してない。だって、私は愛されていなかった。いいえ、愛されていた……。
相反する事実はどれも真実で、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。ザインと距離を取らなければと思うのに、私の手は彼の服を掴んで離さない。
いったい私はどうしたの……。
「ハァッ、ハァッ……。だれ…、か教えてっ……」
「アリスミ、息をしてください」
「カロック、しっかりするんじゃ!」
長老の叫び声とザインのいつもの声が聞こえる。でも、私が答えたのは可愛い弟子に対してだった。
「ちがっう。お母さん、な……い」
――それだけが揺らぐことのない真実だった。
アティカのすすり泣く声を聞きながら、私の意識は暗闇の中に堕ちていった。
「トルタヤは神経の損傷はなかったから完治する。出血が多かったから顔色は悪いが、手当を受ける時には『遅えんだよ、爺様!』と文句を言えるくらいじゃったから、心配はいらん」
通された病室では、トルタヤがベッドで眠っていた。長老の言う通り青ざめていたが、呼吸は落ち着いている。肩に巻かれた包帯が痛々しいが、それでも私は安堵の息を漏らす。
――彼の命はロザリーによって守られた。
続いて長老は黙ったまま、私達を隣の病室に案内する。そこには変わり果てた姿のロザリーがいた。
美しい金髪は焼け焦げ、手入れの行き届いた爪は無惨にも剥がれ、体の至る所に火傷を負っている。
ロザリー、痛かったよね……。
彼女の顔に貼り付いている髪だったものをそっと取りながら、ずっと昔に交わした彼女との会話を思い出す。
『自慢の髪が傷むような任務はお断りだわ』
『ロザリーは鉄の帽子を被らないとね』
美容を気にする親友に、私は冗談を言った。
『お揃いで被りましょう、アリスミ』
『……遠慮するわ』
『乙女は髪が命でしょ!』
この後、彼女は本当に鉄製の帽子を二つ買ってきて、絶対に被ってねと笑いながら渡してきた。
私は王都を去る時にその帽子を捨ててしまった。思い出が詰まっていて辛すぎたから。
「ねえ、鉄の帽子は? なんで被らなかったの? 買っただけじゃ意味ないじゃない……」
死人のように動かないロザリーに話し掛ける。私の頬を流れる涙が白いシーツに染みを作っていく。
「長老様、ロザリーは助かりますよね?」
「魔力の攻撃を全身に浴びていて、どれほど身の内が損傷しているか分からんそうじゃ。医者は保って三日くらいだろうと言っておった」
「その薮医者はどこですかっ! 診立てが間違ってます。ロザリーは簡単に死んだりしません。だって、私から恋人を奪って平気な顔しているんですよ。二年振りに再会しても、驚くくらいに普通に接してきて。そんな人が死んで堪りますか……っ……、死にませんよ、絶対に」
長老の胸を叩きながら、私は支離滅裂なことを訴える。何か言わずにはいられなかったのだ。事実を受け止めたら、すぐにそれが現実になってしまいそうで……。
――ロザリーの命は今にも燃え尽きそうだった。
私はベッドの横に膝をついて、彼女の耳元で声を掛け続ける。
「ねえ、ロザリー。聞きたいことがたくさんあるの。どうして裏切ったの? いいえ、あれは本心だったの? あの時は本心だと思ったけれど、今はどうしても分からないの。あなたの気持ちが……。どうして私を助けたの? 大好きって言ったのは本心だったよね。……私もだよ。一度は大嫌いになったけど、あなたのこと大好きよ」
「…………アリ………ィ」
「ロザリー?」
彼女の口は微かに音を発したが、その目は固く閉じたままだった。
耳から入った音に対して混濁した意識が反応しているようだった。夢の中で答えているようなものだろうか。
うわ言のように何かを呟き続けている。だから、私は必死に声を掛け続ける。こっちに戻って来てと願いながら。
「起きたら、ちゃんと教えて。あなたの気持ちを、すべてを。このまま勝手に消えたら許さないからね、ロザリー」
「……ききたい……の……」
「ええ、教えて。ロザリー」
「……やくそくは守ります、です。さいごのこた……え」
ロザリーの人差し指がゆっくりと立てられると、それはまたゆっくりと元に戻った。
その仕草がなんのことか分からなかった。けれど、すぐに一緒にお酒を飲んだ時のことを思い出した。
彼女が酔っ払ったため、質問は二つ目で中断された。その時彼女は私に約束したのだ、必ず三つ目の質問に答えると。
最後まで立てられていた指が今なくなった。
――ドクンッ!
体験したことがない不快感に襲われる。頭の中になにかが勝手に入ってくる。いいえ、違う。勝手に入ったものが先にあって、それがガタガタと暴れているのだ。
なにを言っているの、私は? そんなことあるわけないのに。
息が上手く吸えない。どうやって今まで呼吸していたのか分からなくなる。私は床に手をついてガタガタと震える。
「アリスミ!」
「カロック、どうしたんじゃっ!」
「ザイン、ザイン。助けて、お願い。何かおかしいの……」
私は迷うことなく愛しい人に向かって手を伸ばし、ザインの片腕の中で泣きじゃくった。なんで泣いているのか分からないけど、ここは私の居場所で、彼に縋るのは当たり前のことだった――恋人だから。
「……お母さん!」
アティカは泣きながらそう呼んでいた。
……違う、アティカ。私はお師匠さまだよ。
そう言おうとして矛盾に気づく。
アティカはザインの息子。そして、私はザインの恋人。そっか、別れたんだ。いいえ、違うわ。別れてなんてない。彼と婚姻を結んで……。違う、結婚してない。だって、私は愛されていなかった。いいえ、愛されていた……。
相反する事実はどれも真実で、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。ザインと距離を取らなければと思うのに、私の手は彼の服を掴んで離さない。
いったい私はどうしたの……。
「ハァッ、ハァッ……。だれ…、か教えてっ……」
「アリスミ、息をしてください」
「カロック、しっかりするんじゃ!」
長老の叫び声とザインのいつもの声が聞こえる。でも、私が答えたのは可愛い弟子に対してだった。
「ちがっう。お母さん、な……い」
――それだけが揺らぐことのない真実だった。
アティカのすすり泣く声を聞きながら、私の意識は暗闇の中に堕ちていった。
210
お気に入りに追加
3,776
あなたにおすすめの小説

貴方を捨てるのにこれ以上の理由が必要ですか?
蓮実 アラタ
恋愛
「リズが俺の子を身ごもった」
ある日、夫であるレンヴォルトにそう告げられたリディス。
リズは彼女の一番の親友で、その親友と夫が関係を持っていたことも十分ショックだったが、レンヴォルトはさらに衝撃的な言葉を放つ。
「できれば子どもを産ませて、引き取りたい」
結婚して五年、二人の間に子どもは生まれておらず、伯爵家当主であるレンヴォルトにはいずれ後継者が必要だった。
愛していた相手から裏切り同然の仕打ちを受けたリディスはこの瞬間からレンヴォルトとの離縁を決意。
これからは自分の幸せのために生きると決意した。
そんなリディスの元に隣国からの使者が訪れる。
「迎えに来たよ、リディス」
交わされた幼い日の約束を果たしに来たという幼馴染のユルドは隣国で騎士になっていた。
裏切られ傷ついたリディスが幼馴染の騎士に溺愛されていくまでのお話。
※完結まで書いた短編集消化のための投稿。
小説家になろう様にも掲載しています。アルファポリス先行。

寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。

婚約者の心変わり? 〜愛する人ができて幸せになれると思っていました〜
冬野月子
恋愛
侯爵令嬢ルイーズは、婚約者であるジュノー大公国の太子アレクサンドが最近とある子爵令嬢と親しくしていることに悩んでいた。
そんなある時、ルイーズの乗った馬車が襲われてしまう。
死を覚悟した前に現れたのは婚約者とよく似た男で、彼に拐われたルイーズは……
君を愛す気はない?どうぞご自由に!あなたがいない場所へ行きます。
みみぢあん
恋愛
貧乏なタムワース男爵家令嬢のマリエルは、初恋の騎士セイン・ガルフェルト侯爵の部下、ギリス・モリダールと結婚し初夜を迎えようとするが… 夫ギリスの暴言に耐えられず、マリエルは神殿へ逃げこんだ。
マリエルは身分違いで告白をできなくても、セインを愛する自分が、他の男性と結婚するのは間違いだと、自立への道をあゆもうとする。
そんなマリエルをセインは心配し… マリエルは愛するセインの優しさに苦悩する。
※ざまぁ系メインのお話ではありません、ご注意を😓

【完結】白い結婚はあなたへの導き
白雨 音
恋愛
妹ルイーズに縁談が来たが、それは妹の望みでは無かった。
彼女は姉アリスの婚約者、フィリップと想い合っていると告白する。
何も知らずにいたアリスは酷くショックを受ける。
先方が承諾した事で、アリスの気持ちは置き去りに、婚約者を入れ換えられる事になってしまった。
悲しみに沈むアリスに、夫となる伯爵は告げた、「これは白い結婚だ」と。
運命は回り始めた、アリスが辿り着く先とは… ◇異世界:短編16話《完結しました》

愛のない貴方からの婚約破棄は受け入れますが、その不貞の代償は大きいですよ?
日々埋没。
恋愛
公爵令嬢アズールサは隣国の男爵令嬢による嘘のイジメ被害告発のせいで、婚約者の王太子から婚約破棄を告げられる。
「どうぞご自由に。私なら傲慢な殿下にも王太子妃の地位にも未練はございませんので」
しかし愛のない政略結婚でこれまで冷遇されてきたアズールサは二つ返事で了承し、晴れて邪魔な婚約者を男爵令嬢に押し付けることに成功する。
「――ああそうそう、殿下が入れ込んでいるそちらの彼女って実は〇〇ですよ? まあ独り言ですが」
嘘つき男爵令嬢に騙された王太子は取り返しのつかない最期を迎えることになり……。
※この作品は過去に公開したことのある作品に修正を加えたものです。
またこの作品とは別に、他サイトでも本作を元にしたリメイク作を別のペンネー厶で公開していますがそのことをあらかじめご了承ください。

白い結婚がいたたまれないので離縁を申し出たのですが……。
蓮実 アラタ
恋愛
その日、ティアラは夫に告げた。
「旦那様、私と離縁してくださいませんか?」
王命により政略結婚をしたティアラとオルドフ。
形だけの夫婦となった二人は互いに交わることはなかった。
お飾りの妻でいることに疲れてしまったティアラは、この関係を終わらせることを決意し、夫に離縁を申し出た。
しかしオルドフは、それを絶対に了承しないと言い出して……。
純情拗らせ夫と比較的クール妻のすれ違い純愛物語……のはず。
※小説家になろう様にも掲載しています。

(完結)その女は誰ですか?ーーあなたの婚約者はこの私ですが・・・・・・
青空一夏
恋愛
私はシーグ侯爵家のイルヤ。ビドは私の婚約者でとても真面目で純粋な人よ。でも、隣国に留学している彼に会いに行った私はそこで思いがけない光景に出くわす。
なんとそこには私を名乗る女がいたの。これってどういうこと?
婚約者の裏切りにざまぁします。コメディ風味。
※この小説は独自の世界観で書いておりますので一切史実には基づきません。
※ゆるふわ設定のご都合主義です。
※元サヤはありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる