7 / 49
7.平和すぎる日常
しおりを挟む
「もう終わった? アリスミ」
「ええ、こっちに逃げた仔はこの通り捕まえたわ」
「まったく嫌になるよな。こんな依頼ばっかりでさ。一応聞くけど、俺達ってまだ魔術師だよな?」
私――アリスミと同僚であるトルタヤ・ルガンの腕の中には可愛い仔羊がいて、メェ~とのん気に鳴いている。その声に引き寄せられた大人の羊達に、私達は取り囲まれる。
もはや脱出する手段はない――のどかである。
「……たぶんね」
枯れ草を頭につけた私は遠くを見ながら、願いを込めて答えた。
ニーダル地方に異動してから早いもので二年が経った。
王都と違ってここは大変に平和な町だった。つまり魔術師が活躍する機会が殆ど無い。
それは大変に喜ばしいことなのだけど、その弊害として本来なら魔術師が行うべきでないことを頼まれる。
断っても良い――いいえ、断るべき案件なのに、支部長は助け合いの精神を掲げて、安易に引き受けてしまうのだ。そのくせ、自ら出向くことはない。
『儂も行きたいのじゃが腰が痛くてな……』
そう言って腰を叩く白髪の年寄りを無理矢理連れて行くことなど出来やしない。ちなみに、痛む箇所はその日によってまちまちだ。本当かどうか疑わしいけど、一ヶ月ほど前の理由『髪の毛が痛くて……』は嘘だろう。
今日も逃げ出した仔羊の捕獲という任務を、私とトルタヤの二人でこなしていたのだ。
仔羊を飼い主に引き渡し終わった私達は、その足でニーダル支部の建物に戻った。
町の中心にある建物はそこそこ大きいけれど、ここに配属されている魔術師はたったの三人だけ。
私が異動した当初は五人だったけれど、現在二人が育児のために休んでおり、復帰は一年後の予定である。
魔術師は貴重なので、世間一般よりもこういう融通が利くのだ。
補充要請しないのは、普段は三人でも困っていないから。
臨時で人手が必要なときだけ、魔術師の派遣を要請する。そのための予算もしっかり組まれていた。
「爺様、任務完了しましたー」
トルタヤは戻るなり、支部長――トルタヤ・ルガンに大きな声で報告をする。
そう、この支部には『トルタヤ・ルガン』が二人いるのだ。
彼らは血が繋がっており、ひ孫のトルタヤが曽祖父の名を貰ったのだ。
まさか二人が将来、同じ職場で働く可能性など考えずに名付けたのだろう。
ややこしいので、支部長のことを皆は『長老』と親しみを込めて呼んでいた。
「最後の長い棒はいらんぞ、トルタヤ」
「へいへい。任務完了しました」
「返事は『はい』じゃ」
「はーい」
「長い棒が出戻ってきとるぞ。はっはは、儂、上手いこと言ったな」
長老は自分の駄洒落に一人で笑っている。
「俺の母さんも去年離縁したんだよねー」
「おっ、奇遇じゃな。儂の孫も去年別れたぞ」
トルタヤの母は長老の孫、つまり同一人物。
二人の軽妙で微妙にズレた会話に、くすりと笑う。
彼らは一緒に暮らしていない。長老は何十年も各地を転々としていて、この土地に戻ってきたのは十年ほど前だったらしい。
それでも血が繋がっているからか、二人の息はぴったりだ。
この緩さ……ではなく、温かさとのんびりした土地柄のお陰で、私の心の傷はゆっくりと瘉えていった。
もうすっかり立ち直っていると思う。ザインやロザリーの活躍を耳にすることがあっても、『凄いですね』と適当に相槌を打てるようになったのだから。
彼らはニーダルに邪魔者を追い出した。王都から遠く離れていたら場所はどこでも良かったのだろうが、神様は私に味方してくれたのだと思う。
――前を向いて頑張れと。
終わりそうにないやり取りに頬を緩めながら、私は報告書を書き始める。すると長老が話し掛けてきた。
「そうじゃ、カロック。ダシはいらんか? はて? なにかおかしいような……。おお、儂としたことが間違えておった。ダでなくデじゃ」
ダじゃなくてデ? 暫く考えて『弟子』という言葉にたどり着く。
出汁と弟子――一音違いだけど普通は間違えない。
ボケてしまったのかしら……。
確かめたほうがいいけど、一旦それは置いておくことにした。
「長老様、弟子とはどういう意味ですか?」
「カロック、そんなことも知らんのか? 教え子のことじゃ」
「それは知ってますけど、魔術師に師弟制度はありません。もしやお忘れですか?」
魔術師は養成機関で学んで魔術師となるのだ。
極々稀に事情があって師弟関係を経て魔術師となる者もいる。ただその場合だって、師となるのは上位の魔術師――最低でも二等級以上――でないと駄目だ。
なぜなら特殊な事情とは魔力過多だからだ。
膨大な魔力を有しているのに、紡ぐ術を知らない者は身近な者を意図せず傷つけてしまうことがある。
危険すぎて養成機関に入れないと判断された者が個別に教わるのだ。
そんな人は三百年に一人いるかどうかで、私が知っているのはあの人だけ。
ザイン・リシーヴァ……。
この名を紡いだのは久しぶりだった。
「ええ、こっちに逃げた仔はこの通り捕まえたわ」
「まったく嫌になるよな。こんな依頼ばっかりでさ。一応聞くけど、俺達ってまだ魔術師だよな?」
私――アリスミと同僚であるトルタヤ・ルガンの腕の中には可愛い仔羊がいて、メェ~とのん気に鳴いている。その声に引き寄せられた大人の羊達に、私達は取り囲まれる。
もはや脱出する手段はない――のどかである。
「……たぶんね」
枯れ草を頭につけた私は遠くを見ながら、願いを込めて答えた。
ニーダル地方に異動してから早いもので二年が経った。
王都と違ってここは大変に平和な町だった。つまり魔術師が活躍する機会が殆ど無い。
それは大変に喜ばしいことなのだけど、その弊害として本来なら魔術師が行うべきでないことを頼まれる。
断っても良い――いいえ、断るべき案件なのに、支部長は助け合いの精神を掲げて、安易に引き受けてしまうのだ。そのくせ、自ら出向くことはない。
『儂も行きたいのじゃが腰が痛くてな……』
そう言って腰を叩く白髪の年寄りを無理矢理連れて行くことなど出来やしない。ちなみに、痛む箇所はその日によってまちまちだ。本当かどうか疑わしいけど、一ヶ月ほど前の理由『髪の毛が痛くて……』は嘘だろう。
今日も逃げ出した仔羊の捕獲という任務を、私とトルタヤの二人でこなしていたのだ。
仔羊を飼い主に引き渡し終わった私達は、その足でニーダル支部の建物に戻った。
町の中心にある建物はそこそこ大きいけれど、ここに配属されている魔術師はたったの三人だけ。
私が異動した当初は五人だったけれど、現在二人が育児のために休んでおり、復帰は一年後の予定である。
魔術師は貴重なので、世間一般よりもこういう融通が利くのだ。
補充要請しないのは、普段は三人でも困っていないから。
臨時で人手が必要なときだけ、魔術師の派遣を要請する。そのための予算もしっかり組まれていた。
「爺様、任務完了しましたー」
トルタヤは戻るなり、支部長――トルタヤ・ルガンに大きな声で報告をする。
そう、この支部には『トルタヤ・ルガン』が二人いるのだ。
彼らは血が繋がっており、ひ孫のトルタヤが曽祖父の名を貰ったのだ。
まさか二人が将来、同じ職場で働く可能性など考えずに名付けたのだろう。
ややこしいので、支部長のことを皆は『長老』と親しみを込めて呼んでいた。
「最後の長い棒はいらんぞ、トルタヤ」
「へいへい。任務完了しました」
「返事は『はい』じゃ」
「はーい」
「長い棒が出戻ってきとるぞ。はっはは、儂、上手いこと言ったな」
長老は自分の駄洒落に一人で笑っている。
「俺の母さんも去年離縁したんだよねー」
「おっ、奇遇じゃな。儂の孫も去年別れたぞ」
トルタヤの母は長老の孫、つまり同一人物。
二人の軽妙で微妙にズレた会話に、くすりと笑う。
彼らは一緒に暮らしていない。長老は何十年も各地を転々としていて、この土地に戻ってきたのは十年ほど前だったらしい。
それでも血が繋がっているからか、二人の息はぴったりだ。
この緩さ……ではなく、温かさとのんびりした土地柄のお陰で、私の心の傷はゆっくりと瘉えていった。
もうすっかり立ち直っていると思う。ザインやロザリーの活躍を耳にすることがあっても、『凄いですね』と適当に相槌を打てるようになったのだから。
彼らはニーダルに邪魔者を追い出した。王都から遠く離れていたら場所はどこでも良かったのだろうが、神様は私に味方してくれたのだと思う。
――前を向いて頑張れと。
終わりそうにないやり取りに頬を緩めながら、私は報告書を書き始める。すると長老が話し掛けてきた。
「そうじゃ、カロック。ダシはいらんか? はて? なにかおかしいような……。おお、儂としたことが間違えておった。ダでなくデじゃ」
ダじゃなくてデ? 暫く考えて『弟子』という言葉にたどり着く。
出汁と弟子――一音違いだけど普通は間違えない。
ボケてしまったのかしら……。
確かめたほうがいいけど、一旦それは置いておくことにした。
「長老様、弟子とはどういう意味ですか?」
「カロック、そんなことも知らんのか? 教え子のことじゃ」
「それは知ってますけど、魔術師に師弟制度はありません。もしやお忘れですか?」
魔術師は養成機関で学んで魔術師となるのだ。
極々稀に事情があって師弟関係を経て魔術師となる者もいる。ただその場合だって、師となるのは上位の魔術師――最低でも二等級以上――でないと駄目だ。
なぜなら特殊な事情とは魔力過多だからだ。
膨大な魔力を有しているのに、紡ぐ術を知らない者は身近な者を意図せず傷つけてしまうことがある。
危険すぎて養成機関に入れないと判断された者が個別に教わるのだ。
そんな人は三百年に一人いるかどうかで、私が知っているのはあの人だけ。
ザイン・リシーヴァ……。
この名を紡いだのは久しぶりだった。
222
お気に入りに追加
3,776
あなたにおすすめの小説

貴方を捨てるのにこれ以上の理由が必要ですか?
蓮実 アラタ
恋愛
「リズが俺の子を身ごもった」
ある日、夫であるレンヴォルトにそう告げられたリディス。
リズは彼女の一番の親友で、その親友と夫が関係を持っていたことも十分ショックだったが、レンヴォルトはさらに衝撃的な言葉を放つ。
「できれば子どもを産ませて、引き取りたい」
結婚して五年、二人の間に子どもは生まれておらず、伯爵家当主であるレンヴォルトにはいずれ後継者が必要だった。
愛していた相手から裏切り同然の仕打ちを受けたリディスはこの瞬間からレンヴォルトとの離縁を決意。
これからは自分の幸せのために生きると決意した。
そんなリディスの元に隣国からの使者が訪れる。
「迎えに来たよ、リディス」
交わされた幼い日の約束を果たしに来たという幼馴染のユルドは隣国で騎士になっていた。
裏切られ傷ついたリディスが幼馴染の騎士に溺愛されていくまでのお話。
※完結まで書いた短編集消化のための投稿。
小説家になろう様にも掲載しています。アルファポリス先行。
君を愛す気はない?どうぞご自由に!あなたがいない場所へ行きます。
みみぢあん
恋愛
貧乏なタムワース男爵家令嬢のマリエルは、初恋の騎士セイン・ガルフェルト侯爵の部下、ギリス・モリダールと結婚し初夜を迎えようとするが… 夫ギリスの暴言に耐えられず、マリエルは神殿へ逃げこんだ。
マリエルは身分違いで告白をできなくても、セインを愛する自分が、他の男性と結婚するのは間違いだと、自立への道をあゆもうとする。
そんなマリエルをセインは心配し… マリエルは愛するセインの優しさに苦悩する。
※ざまぁ系メインのお話ではありません、ご注意を😓

寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。

婚約者の心変わり? 〜愛する人ができて幸せになれると思っていました〜
冬野月子
恋愛
侯爵令嬢ルイーズは、婚約者であるジュノー大公国の太子アレクサンドが最近とある子爵令嬢と親しくしていることに悩んでいた。
そんなある時、ルイーズの乗った馬車が襲われてしまう。
死を覚悟した前に現れたのは婚約者とよく似た男で、彼に拐われたルイーズは……

(完結)その女は誰ですか?ーーあなたの婚約者はこの私ですが・・・・・・
青空一夏
恋愛
私はシーグ侯爵家のイルヤ。ビドは私の婚約者でとても真面目で純粋な人よ。でも、隣国に留学している彼に会いに行った私はそこで思いがけない光景に出くわす。
なんとそこには私を名乗る女がいたの。これってどういうこと?
婚約者の裏切りにざまぁします。コメディ風味。
※この小説は独自の世界観で書いておりますので一切史実には基づきません。
※ゆるふわ設定のご都合主義です。
※元サヤはありません。

白い結婚がいたたまれないので離縁を申し出たのですが……。
蓮実 アラタ
恋愛
その日、ティアラは夫に告げた。
「旦那様、私と離縁してくださいませんか?」
王命により政略結婚をしたティアラとオルドフ。
形だけの夫婦となった二人は互いに交わることはなかった。
お飾りの妻でいることに疲れてしまったティアラは、この関係を終わらせることを決意し、夫に離縁を申し出た。
しかしオルドフは、それを絶対に了承しないと言い出して……。
純情拗らせ夫と比較的クール妻のすれ違い純愛物語……のはず。
※小説家になろう様にも掲載しています。

(完結)私はあなた方を許しますわ(全5話程度)
青空一夏
恋愛
従姉妹に夢中な婚約者。婚約破棄をしようと思った矢先に、私の死を望む婚約者の声をきいてしまう。
だったら、婚約破棄はやめましょう。
ふふふ、裏切っていたあなた方まとめて許して差し上げますわ。どうぞお幸せに!
悲しく切ない世界。全5話程度。それぞれの視点から物語がすすむ方式。後味、悪いかもしれません。ハッピーエンドではありません!

愛のない貴方からの婚約破棄は受け入れますが、その不貞の代償は大きいですよ?
日々埋没。
恋愛
公爵令嬢アズールサは隣国の男爵令嬢による嘘のイジメ被害告発のせいで、婚約者の王太子から婚約破棄を告げられる。
「どうぞご自由に。私なら傲慢な殿下にも王太子妃の地位にも未練はございませんので」
しかし愛のない政略結婚でこれまで冷遇されてきたアズールサは二つ返事で了承し、晴れて邪魔な婚約者を男爵令嬢に押し付けることに成功する。
「――ああそうそう、殿下が入れ込んでいるそちらの彼女って実は〇〇ですよ? まあ独り言ですが」
嘘つき男爵令嬢に騙された王太子は取り返しのつかない最期を迎えることになり……。
※この作品は過去に公開したことのある作品に修正を加えたものです。
またこの作品とは別に、他サイトでも本作を元にしたリメイク作を別のペンネー厶で公開していますがそのことをあらかじめご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる