3 / 49
3.奪われた居場所
しおりを挟む
二人の視線が私に注がれる。待っているのだ、私という憂いが完全になくなるのを。
彼らに対して何もなかったように接することは出来なくとも、それを仕事に持ち込むような真似――悪口なんて言ったりしないのに。
私を信用できないようだ、……それは私も同じ。
「私はあなた達の邪魔はしないわ。もう昔の気持ちを思い出すこともない。誓ってあげる、――恋人にも親友にも二度と戻らないと。だから心配はいらないわ」
ザインへの想いもロザリーに抱いていた友情も、すでに綻んでいる。六年掛けて積み上げた想いでも、崩れるのは一瞬だった。
私の言葉にロザリーは満面の笑みで応え、ザインは何も言わずに頷いた。
そして、彼らは『目覚めて本当に良かった』と最後に告げ、入ってきた時と同じように二人揃って病室から出ていった。
彼らが最後に残した言葉に嘘はなかった。
もし私が死んでいたら、彼らは私から解放されずにいただろう。こうして区切りをつけたことで、彼らは罪悪感なく前に進めるのだ。
「何のために……私は目覚めたのかしら……」
私だけが取り残された静まり返った病室で、教えてくれる人は誰もいなかった。
麻痺した心とは裏腹に、私の体は順調に回復していく。
見舞いに来た同僚の魔術師達は、みな一様に私の目覚めを心から喜んでくれた。
しかし、誰もが特定の話題を避けている。気を遣ってくれているのだと嫌でも分かった。
私とザインは付き合って暫く経つと小さな家を借りて一緒に暮らし始めた。でも別れたあと彼はその家を出て、魔術師に提供されている寮に移ったという。
この意味が分からない人なんていないだろう。
私は『そんなに急がなくとも……』と渋る医者を説得して、職場への早期復帰を決めた。
仕事をしていたほうが気が紛れるし、なにより周囲の腫れ物に触るような扱いを終わらせたかった。
うん、早く大丈夫だと分かってもらわないと!
復帰を翌日に控えたある日。
私は『よしっ!』と気合を入れて、懐かしい職場へと挨拶のために顔を出した。
「ご迷惑をお掛けしました、明日からまたよろしくお願いします」
「カロック、良かったな」
「迷惑なんて思っていないから。待っていたよ、カロック」
「二ヶ月間も昏睡状態だったんだから無理しないで、徐々にならしていけばいいよ」
同僚達は口々に歓迎と労りの言葉を送ってくれる。
彼らの変わらぬ態度にほっとしていると、黒い紙魔鳥が飛んできて近くの机にとまった。
黒を纏うのは魔術師長からの伝達の時のみと決まっている。
「八等級魔術師アリスミ・カロック、本日付でニーダル支部への異動を命じる。手配した馬車は南門から正午に出発する。時間厳守である。以上」
「えっ……」
二ーダルとは王都から遠く離れた辺境の地で、そこの支部から魔術師の補充要請は出ていなかった。
紙魔鳥が告げた連絡を聞いて周囲がザワつく。任期途中での辞令は前例がなく、そのうえ異動する正当な理由もなかったからだ。
そんな中、驚いていない魔術師が二人だけいた。私の元恋人と元親友だ。
三等級魔術師といえども上を動かす力は流石にない。けれども、最上位魔術師なら可能である。
『仕事に集中できない』と一言呟けばいいだけだ。八等級と最上位、王都から欠けて困るのはどちらかなんて決まっている。
邪魔者を追い払うために、裏でザイン・リシーヴァが動いたのは容易に察せられた。
それがロザリーの願いなのか、彼の願いなのか、それとも二人の共通する願いなのかは知らない。
分かっていることはただ一つ――私にはこの決定を覆す力がないということ。
優しい同僚達は私に掛ける言葉を見つけることが出来ずにいた。この理不尽な辞令に文句を言えば、最上位魔術師に目をつけられるかもと危惧しているのだろう。この状況でのザインの無表情を『圧』と感じているのだ。
嫌な緊張感がこの場に漂い、ざわつきが沈黙へと変わる。
「あー、ちょうど良かったです。綺麗な空気を吸いたいと思っていたので。それに王都から出たことがなかったのでわくわくします。ニーダルの名物って確か目隠し串焼きですよね? 衣で隠れているから中身は食べてみるまで分からない。ふふ、今から楽しみです」
私が沈黙を破ると、同僚達はぎこちない笑みを浮かべながら続く。
「そ、そうだなっ! 王都は人が多いから空気が悪い、住むなら田舎が一番だ」
「そうね! 自然豊かなところで生活できるなんて羨ましいわ。カロック、遊びに行くわねっ」
「落ち着いたら連絡しますね、みなさん。申し訳ありませんが、私だけ新鮮な空気を存分に吸って長生きさせていただきます。ご長寿魔術師という二つ名は未来の私のものですから、誰も使わないでくださいね。絶対ですよ!」
もの凄く真面目な顔をして私が念を押すと、どっと笑い声があがった。みなが浮かべていた作り笑いが、本物の笑みに変わる。
……これでいいわ。
無関係の彼らに気まずい思いをさせたくない。
十七歳で魔術師となった私は王都に配属され、六年間ずっとここで働いている。
いろんな人と出会い、たくさんのことを教えてもらい、多くの人に支えられてきた。良い思い出だけじゃないけれど、それでも私が築いた大切な居場所。
……たぶん、もう二度と戻って来れない……。
「みなさん、長い間本当にお世話になりました」
私は深々と頭を下げてから、六年間勤めた居心地のいい職場を笑顔であとにした。
彼らに対して何もなかったように接することは出来なくとも、それを仕事に持ち込むような真似――悪口なんて言ったりしないのに。
私を信用できないようだ、……それは私も同じ。
「私はあなた達の邪魔はしないわ。もう昔の気持ちを思い出すこともない。誓ってあげる、――恋人にも親友にも二度と戻らないと。だから心配はいらないわ」
ザインへの想いもロザリーに抱いていた友情も、すでに綻んでいる。六年掛けて積み上げた想いでも、崩れるのは一瞬だった。
私の言葉にロザリーは満面の笑みで応え、ザインは何も言わずに頷いた。
そして、彼らは『目覚めて本当に良かった』と最後に告げ、入ってきた時と同じように二人揃って病室から出ていった。
彼らが最後に残した言葉に嘘はなかった。
もし私が死んでいたら、彼らは私から解放されずにいただろう。こうして区切りをつけたことで、彼らは罪悪感なく前に進めるのだ。
「何のために……私は目覚めたのかしら……」
私だけが取り残された静まり返った病室で、教えてくれる人は誰もいなかった。
麻痺した心とは裏腹に、私の体は順調に回復していく。
見舞いに来た同僚の魔術師達は、みな一様に私の目覚めを心から喜んでくれた。
しかし、誰もが特定の話題を避けている。気を遣ってくれているのだと嫌でも分かった。
私とザインは付き合って暫く経つと小さな家を借りて一緒に暮らし始めた。でも別れたあと彼はその家を出て、魔術師に提供されている寮に移ったという。
この意味が分からない人なんていないだろう。
私は『そんなに急がなくとも……』と渋る医者を説得して、職場への早期復帰を決めた。
仕事をしていたほうが気が紛れるし、なにより周囲の腫れ物に触るような扱いを終わらせたかった。
うん、早く大丈夫だと分かってもらわないと!
復帰を翌日に控えたある日。
私は『よしっ!』と気合を入れて、懐かしい職場へと挨拶のために顔を出した。
「ご迷惑をお掛けしました、明日からまたよろしくお願いします」
「カロック、良かったな」
「迷惑なんて思っていないから。待っていたよ、カロック」
「二ヶ月間も昏睡状態だったんだから無理しないで、徐々にならしていけばいいよ」
同僚達は口々に歓迎と労りの言葉を送ってくれる。
彼らの変わらぬ態度にほっとしていると、黒い紙魔鳥が飛んできて近くの机にとまった。
黒を纏うのは魔術師長からの伝達の時のみと決まっている。
「八等級魔術師アリスミ・カロック、本日付でニーダル支部への異動を命じる。手配した馬車は南門から正午に出発する。時間厳守である。以上」
「えっ……」
二ーダルとは王都から遠く離れた辺境の地で、そこの支部から魔術師の補充要請は出ていなかった。
紙魔鳥が告げた連絡を聞いて周囲がザワつく。任期途中での辞令は前例がなく、そのうえ異動する正当な理由もなかったからだ。
そんな中、驚いていない魔術師が二人だけいた。私の元恋人と元親友だ。
三等級魔術師といえども上を動かす力は流石にない。けれども、最上位魔術師なら可能である。
『仕事に集中できない』と一言呟けばいいだけだ。八等級と最上位、王都から欠けて困るのはどちらかなんて決まっている。
邪魔者を追い払うために、裏でザイン・リシーヴァが動いたのは容易に察せられた。
それがロザリーの願いなのか、彼の願いなのか、それとも二人の共通する願いなのかは知らない。
分かっていることはただ一つ――私にはこの決定を覆す力がないということ。
優しい同僚達は私に掛ける言葉を見つけることが出来ずにいた。この理不尽な辞令に文句を言えば、最上位魔術師に目をつけられるかもと危惧しているのだろう。この状況でのザインの無表情を『圧』と感じているのだ。
嫌な緊張感がこの場に漂い、ざわつきが沈黙へと変わる。
「あー、ちょうど良かったです。綺麗な空気を吸いたいと思っていたので。それに王都から出たことがなかったのでわくわくします。ニーダルの名物って確か目隠し串焼きですよね? 衣で隠れているから中身は食べてみるまで分からない。ふふ、今から楽しみです」
私が沈黙を破ると、同僚達はぎこちない笑みを浮かべながら続く。
「そ、そうだなっ! 王都は人が多いから空気が悪い、住むなら田舎が一番だ」
「そうね! 自然豊かなところで生活できるなんて羨ましいわ。カロック、遊びに行くわねっ」
「落ち着いたら連絡しますね、みなさん。申し訳ありませんが、私だけ新鮮な空気を存分に吸って長生きさせていただきます。ご長寿魔術師という二つ名は未来の私のものですから、誰も使わないでくださいね。絶対ですよ!」
もの凄く真面目な顔をして私が念を押すと、どっと笑い声があがった。みなが浮かべていた作り笑いが、本物の笑みに変わる。
……これでいいわ。
無関係の彼らに気まずい思いをさせたくない。
十七歳で魔術師となった私は王都に配属され、六年間ずっとここで働いている。
いろんな人と出会い、たくさんのことを教えてもらい、多くの人に支えられてきた。良い思い出だけじゃないけれど、それでも私が築いた大切な居場所。
……たぶん、もう二度と戻って来れない……。
「みなさん、長い間本当にお世話になりました」
私は深々と頭を下げてから、六年間勤めた居心地のいい職場を笑顔であとにした。
245
お気に入りに追加
3,776
あなたにおすすめの小説

貴方を捨てるのにこれ以上の理由が必要ですか?
蓮実 アラタ
恋愛
「リズが俺の子を身ごもった」
ある日、夫であるレンヴォルトにそう告げられたリディス。
リズは彼女の一番の親友で、その親友と夫が関係を持っていたことも十分ショックだったが、レンヴォルトはさらに衝撃的な言葉を放つ。
「できれば子どもを産ませて、引き取りたい」
結婚して五年、二人の間に子どもは生まれておらず、伯爵家当主であるレンヴォルトにはいずれ後継者が必要だった。
愛していた相手から裏切り同然の仕打ちを受けたリディスはこの瞬間からレンヴォルトとの離縁を決意。
これからは自分の幸せのために生きると決意した。
そんなリディスの元に隣国からの使者が訪れる。
「迎えに来たよ、リディス」
交わされた幼い日の約束を果たしに来たという幼馴染のユルドは隣国で騎士になっていた。
裏切られ傷ついたリディスが幼馴染の騎士に溺愛されていくまでのお話。
※完結まで書いた短編集消化のための投稿。
小説家になろう様にも掲載しています。アルファポリス先行。
君を愛す気はない?どうぞご自由に!あなたがいない場所へ行きます。
みみぢあん
恋愛
貧乏なタムワース男爵家令嬢のマリエルは、初恋の騎士セイン・ガルフェルト侯爵の部下、ギリス・モリダールと結婚し初夜を迎えようとするが… 夫ギリスの暴言に耐えられず、マリエルは神殿へ逃げこんだ。
マリエルは身分違いで告白をできなくても、セインを愛する自分が、他の男性と結婚するのは間違いだと、自立への道をあゆもうとする。
そんなマリエルをセインは心配し… マリエルは愛するセインの優しさに苦悩する。
※ざまぁ系メインのお話ではありません、ご注意を😓

寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。

婚約者の心変わり? 〜愛する人ができて幸せになれると思っていました〜
冬野月子
恋愛
侯爵令嬢ルイーズは、婚約者であるジュノー大公国の太子アレクサンドが最近とある子爵令嬢と親しくしていることに悩んでいた。
そんなある時、ルイーズの乗った馬車が襲われてしまう。
死を覚悟した前に現れたのは婚約者とよく似た男で、彼に拐われたルイーズは……

(完結)その女は誰ですか?ーーあなたの婚約者はこの私ですが・・・・・・
青空一夏
恋愛
私はシーグ侯爵家のイルヤ。ビドは私の婚約者でとても真面目で純粋な人よ。でも、隣国に留学している彼に会いに行った私はそこで思いがけない光景に出くわす。
なんとそこには私を名乗る女がいたの。これってどういうこと?
婚約者の裏切りにざまぁします。コメディ風味。
※この小説は独自の世界観で書いておりますので一切史実には基づきません。
※ゆるふわ設定のご都合主義です。
※元サヤはありません。

白い結婚がいたたまれないので離縁を申し出たのですが……。
蓮実 アラタ
恋愛
その日、ティアラは夫に告げた。
「旦那様、私と離縁してくださいませんか?」
王命により政略結婚をしたティアラとオルドフ。
形だけの夫婦となった二人は互いに交わることはなかった。
お飾りの妻でいることに疲れてしまったティアラは、この関係を終わらせることを決意し、夫に離縁を申し出た。
しかしオルドフは、それを絶対に了承しないと言い出して……。
純情拗らせ夫と比較的クール妻のすれ違い純愛物語……のはず。
※小説家になろう様にも掲載しています。

(完結)私はあなた方を許しますわ(全5話程度)
青空一夏
恋愛
従姉妹に夢中な婚約者。婚約破棄をしようと思った矢先に、私の死を望む婚約者の声をきいてしまう。
だったら、婚約破棄はやめましょう。
ふふふ、裏切っていたあなた方まとめて許して差し上げますわ。どうぞお幸せに!
悲しく切ない世界。全5話程度。それぞれの視点から物語がすすむ方式。後味、悪いかもしれません。ハッピーエンドではありません!

愛のない貴方からの婚約破棄は受け入れますが、その不貞の代償は大きいですよ?
日々埋没。
恋愛
公爵令嬢アズールサは隣国の男爵令嬢による嘘のイジメ被害告発のせいで、婚約者の王太子から婚約破棄を告げられる。
「どうぞご自由に。私なら傲慢な殿下にも王太子妃の地位にも未練はございませんので」
しかし愛のない政略結婚でこれまで冷遇されてきたアズールサは二つ返事で了承し、晴れて邪魔な婚約者を男爵令嬢に押し付けることに成功する。
「――ああそうそう、殿下が入れ込んでいるそちらの彼女って実は〇〇ですよ? まあ独り言ですが」
嘘つき男爵令嬢に騙された王太子は取り返しのつかない最期を迎えることになり……。
※この作品は過去に公開したことのある作品に修正を加えたものです。
またこの作品とは別に、他サイトでも本作を元にしたリメイク作を別のペンネー厶で公開していますがそのことをあらかじめご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる