前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています

矢野りと

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1巻

1-1

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   プロローグ


 私には前世の記憶がある。
 と言っても、これが本当のことだと証明はできないけど。
 十六年前、私は粗末な布に包まれて孤児院の前に捨てられていたらしい。孤児の姓には色の名前を付ける慣習があり、孤児院の院長によってオリヴィア・ホワイトとなった。
 孤児院で育った私は六歳を過ぎた頃から、徐々に前世を思い出していった。

『あのね、先生! 私、違う人だったのよ』
『何を言っているの? オリヴィアはオリヴィアよ』
『そうじゃなくて、オリヴィアになる前のこと! 両親がいてね、お兄ちゃんもいたのよ。それに生意気な弟と可愛い妹も。すごいでしょ!』

 大人たちはみんな本気にしなかった。
 孤児が家族に憧れて、空想と現実がごっちゃになるのはよくあることだったからだ。もう少し大きくなれば落ち着くだろうと聞き流していた。
 けれども、子どもたちの反応は違った。

『やーい、嘘つきオリヴィア』
『でたらめ言うなよ。僕たちには両親なんていないんだから』
『……違うもん、嘘じゃないもん』

 同じ立場だったからこそ、気に入らなかったのかもしれない。家族がいない寂しさを誰よりもわかっているから、そんなことを言ってほしくなかったのだろう。
 しかし、自分のものでない記憶は成長するうちに少しずつ増えていく。周りとうまくやっていくため、次第に前世の記憶の話を隠すようになった。
 ……前世での最期を思い出したのは、十二歳を過ぎた頃だっただろうか。
 私は偽聖女と呼ばれていた。


にせ聖女を処刑しろ!』

 前世の私が処刑台の上に引きずり出されると、取り囲んでいる民衆の怒声が一瞬で歓声に変わった。小石を投げつける行為をとがめる者は誰もいない。
 見る見るうちに私の体は血に染まっていくけれど、もう痛みは感じなかった。
 苦痛にゆがむ顔を期待していた者たちは『最期のときまで図太い女だな!』と忌々いまいましげににらみつけていた。その中には以前私に救いを求めてきた人もいる。
 人とはこんなに簡単に変わるものなのね……早く……終わりたい……
 処刑台の上で、この瞬間が終わることだけを考えていた。
 こうなってしまった発端は、さかのぼること一年前。
 治療法がない流行はやりやまい蔓延まんえんし、多くの人が亡くなっていた。
 そして、その病は私の弟も襲った。
 家族と森に住んでいた私はもともと薬草の知識にけており、彼を助けたくて必死にいろいろな薬草をせんじて飲ませた。結果、奇跡的に効果がある薬草の調合方法を見つけた。
 すぐにその調合方法を周りの人に教えたが、加減が大変難しく正しく行えるのは私だけだった。そして国からの要請を受け、騎士団と一緒に国中を巡って薬草の調合を行ったのだ。

『ああ、痛みが引いていく。まるで奇跡だ。ありがとうございます、聖女様』
『いいえ、違います! 私はただ、薬草を調合しているだけで――』
『神が遣わした聖女でなければ、こんなことできません。聖女様、万歳!』

 治ったことで興奮している人々の耳に、私の言葉は届かない。いつしか私は当たり前のように『聖女』と呼ばれるようになっていた。
 一年後、流行はやりやまいが落ち着き王都に帰還すると、私は聖女をかたった罪で捕らえられた。
 私利私欲を満たすために国費を散財した、気に入らない者には薬を与えず意図的に殺害した、と拷問ごうもんされるたびに罪状は増えていく。
 最終的に、この流行はやりやまいも私が仕組んだことになっていた。国中を回って助けるふりをしながら、実は主要な水源に毒を混入していたというのだ。

『そんなのおかしいです! 私が到着する前から流行はやりやまいは広がっていたのに』
『その証拠はどこにある? みんな口をそろえて言っていたぞ。病人がいなかった街でもお前が到着したあとから病が広がったとな』
『そんなの嘘です!』
『だ・か・ら、証拠は? 小娘がたったひとりわめいたところで証拠がなければ意味はない』

 尋問官はせせら笑っていた。
 このときになってやっと私は、誤解を解こうとしても無駄だと悟った。王家の威信をおびやかす聖女は存在してはいけなかったのだ。
『お前が罪を認めないなら、家族が苦しむことになるぞ』と言われ、犯してもいない罪を認めたにもかかわらず、苛烈かれつ拷問ごうもんは処刑当日まで止むことはなかった。両足の爪ががされ、両手の指をつぶされ、薬でのどを焼かれ、どこかしら壊れていく日々に思考も感情も奪われていった。
 私が願うのは自分の死だけになった。


 そして、ようやく処刑当日を迎えたのだ。
 処刑人はうつむく私の髪の毛を乱暴に掴んで、顔を横に向けさせた。
 視線の先には、急遽きゅうきょ作られたらしいもうひとつの処刑台がある。そこには手を後ろでしばられひざまずいている両親と兄と、それから震えながら立つ幼い妹がいた。
 大切な家族が処刑台の上に乗っている、その意味は一目瞭然いちもくりょうぜんだった。

『大切な者を失う辛さを思い知れ。お前の悪行あくぎょうで多くの民が苦しみ、大切な者を奪われたんだ』

 処刑人が私の耳元で残酷な言葉をささやく。
 違う、違う、私はやっていない! と出ない声の代わりに首を横に振って必死に否定したけれど、意味はなかった。赤い涙を流しながら家族への救いを願う。
 神様、助けてく……ださい……
 しかし、無情にも父のたくましい体は目の前でドサッと棒切れのように倒れた。母の体も父に寄り添うように横たわり、すぐさま兄もそれに続いた。優しい両親と頼りになる兄の目は開いたままだが、もうその目には何も映っていない。

『うわぁーん、ひっく、ひっく……。お姉ちゃん、怖い……』
『あ゛あ゛あ゛……』

 家族の死を目の当たりにして、妹は私に助けを求めてきた。年の離れた五歳の妹はとても活発で一時だってじっとしていられない子だった。それなのに今は恐怖で動けずにいる。
 あの子だけでも助けたい。
 処刑人を押しのけて身を乗り出そうとすると、ドンッと体を床に叩きつけられる。胸の辺りから骨がきしむ音がしたけれど、あがき続けた。お姉ちゃんが絶対に助けるからね、と出ない声の代わりに目で訴える。

『コイツ、いい加減にしろ!』

 頬を平手で殴られた反動で視界から妹の姿が外れ、次の瞬間、あの子の声が消えた。
 慌てて視線を元に戻すと、妹の小さな体も動かなくなっていた。軽すぎる体は音も立てずに倒れたのだ。
 さっきまで泣いていたのに、一生懸命手を伸ばしていたのに……
 まだ温もりが残っているだろうその手は、私に向かって伸ばされていた。甘えん坊で、いつだって家族の誰かと手をつないでいた小さな妹。今、その手は開いたまま。
 声にならない声で慟哭どうこくする私の様子に、歓声は一際大きくなる。

『罪人を処刑しろ』

 国王が命じ、私の背中は剣で引き裂かれた。
 ひざまずいていた体が傾いていく。
 血溜ちだまりに横たわる私を見ながら人々は『俺の子の無念を思い知れ!』『父ちゃんのかたきだ』と叫ぶ。私の罪を疑っている者は誰もいない。
 王家の手にかかれば白を黒にするのは造作ぞうさもないことなのだ。私だって今までは、王家の発表を鵜呑うのみにしていたひとりだった。
 赤く染まってぼやけた視界に映った何かに向かって、『ごめんね、ごめんね……』と私は心の中で繰り返していた。


 とても残酷で悲しすぎる前世での最期。
 これを思い出したとき、あまりの恐ろしさに涙をこぼした。
 ただ幸いと言っていいのか、前世の記憶の感情が、今世の自分のものと結びついている感覚があまりない。前世についてすべて思い出しているわけではなく、曖昧あいまいな部分が多いからだと思う。飛ばし飛ばしに読んだ物語という表現がしっくりくる。
 だからこそ、前世はあくまで記憶でしかないと割り切れた。
 でも、大切なものを失った喪失感だけは完璧に思い出していた。喪失の恐怖だけはいくら頑張ってもぬぐえなかった。
 今世では知らない感情のはずなのに、大切なものを失う辛さは耐え難いと心に刻みこまれている。
 そんな思いをするくらいなら、最初から大切なものなど持たなければいいよね……
 家族がいない私は自然とそう考えるようになっていた。
 今日、私は十六歳の誕生日を迎えた。
 孤児院にいられるのは十五歳までと定められている。十六年間お世話になりましたと挨拶を済ませ、振り返ることなく孤児院をあとにしたのだった。



   第一章 黒き薬師と呼ばれています


「こんにちは、黒き薬師様いますかー? お父さんの薬をもらいに来ましたー」
「はーい、今行きますから待ってくださいね」

 小屋の窓からそっと外を確認すると、男の子が立っている。
 私は急いで手袋をはめ、顔を隠すためにフード付きの外套がいとう目深まぶかに被ってから扉を開けた。
 全身黒一色という私の不気味な姿を見ても、男の子は動じない。月に一度こうして来ているから慣れているのだ。

「はい、これを渡してね。あと、これはお駄賃だちんよ」
「やったー、はちみつ飴だ! 黒き薬師様、ありがとう。はい、これお肉だよ。次は何がいいか聞いてこいって言われたんだけど、またお肉がいい?」

 最近足りないものは何かなと考えてから返事をする。

「そうね、今度は小麦粉がいいわ」
「わかった! 今度来るとき、持ってくるね。黒き薬師様、ばいばーい」
「はい、さようなら。気をつけて帰りなさいね」

 孤児院を出た二年前から私はこの森でひっそりと暮らしている。
 崩れかけていた小屋を勝手に拝借し、前世での知識を生かして薬草を摘み、それを物と交換したり、たまに町へ行って売ったりして生計を立てている。ボロ小屋については誰も文句を言ってこないので、最近は自分好みに手を加えていた。
 ここに住み着いた当初から、人と接触するときは全身を服で隠している。みにく火傷たけどあとがあるため引きこもっているという設定だ。
 これは、ひっそりと生きていくために必要なことだった。
 自分では思わないけど、どうやら私の見た目はいいらしい。栗色の艶やかな髪、紫水晶の瞳、うっすらと桃色に染まった頬は、望まなくとも異性の目を引いてしまう。
 孤児院にいた頃は、助平爺すけべじじいに養女という名の愛人にされそうになったことも一度や二度じゃない。あの頃は院長が断ってくれたけど、今は自分の身は自分で守るしかない。
 辛気臭しんきくさい黒い外套がいとうと手袋は私を守ってくれるよろいだ。
 今ではその姿から『黒き薬師様』と呼ばれている。
 自由気ままで、豊かな自然のなかでひっそりと暮らす毎日はかなり気に入っている。
 自由って最高だわ。……何より助平爺すけべじじいがいないしね。
 孤児院では虐待ぎゃくたいなどは決してされなかった。でもパンの大きさで揉める毎日や、一歩外に出れば『親なし』と偏見へんけんの目を向けられる暮らしは窮屈きゅうくつでしかなかった。
 育ててもらったことに感謝していても、あの暮らしを懐かしいとは思わない。
 ここでずっと静かに暮らしてお婆さんになった頃、黒い外套がいとうを取って町を闊歩かっぽするのが私の夢だ。その日が来るのを心待ちにしながら呑気のんきに暮らしていたが、ある日招かれざる訪問者たちが森にやってきた。


 ――トントン。
 森深くにあるボロ小屋まで来るのは、親にお使いを頼まれた子どもくらいで、彼らは扉を叩かず大きな声で呼ぶのが常だ。
 誰だろう、と窓からちらっと外をうかがうが誰の姿も見えない。
 戸を叩いてから見えない位置に移動したのだろうか? 小屋のすぐ横には大きな木があるので、立ち位置によっては見えないこともある。
 私はすばやく黒い外套がいとうと手袋を身につけて、扉を開けた。

「突然の訪問で失礼します。黒き薬師と呼ばれているのはあなた様でしょうか?」

 目の前に立っていたのは、濃紺の立派な騎士服をまとった見知らぬふたり。この平和な田舎町に騎士団は常駐していない。


 礼儀正しく話しかけてきた騎士は見るからに若く、たぶん新米で十六歳くらいだろう。
 そして、彼の後ろに立っている騎士は見た目は二十代前半くらいで、驚くほど綺麗な顔をしている。長身で凛々りりしいのに、美人という表現がぴったりあう。よく見ると右頬にきずあとがあるけれど、それさえもこの完璧な美を損ねていない。
 新米騎士と違って騎士服を着崩しているけれど、それも彼がやると絵になってしまう。
 この人なら男に迫られた経験がありそうだな……
 返事もせずにそんなことをぼんやり考えていたら、美貌の騎士が眉をひそめる。

「耳が遠いってことはかなりのお年寄りなのかな? 俺に見惚みとれていたみたいだけど、ごめんね。年齢で差別するつもりはないけど、怪しげなお婆さん相手じゃ勃たないから、流石さすがに夜の相手は無理だと思う」
「……っ⁉」

 まだ経験はないけれど意味はわかり、外套がいとうの下で赤面する。
 なんてことを言うのだろうか! 助平爺すけべじじいたちだって、ここまであけすけな発言はしなかった。

「ルイト先輩、さらりと下品なことを言うのはやめてください! 薬師様に失礼ですよ」

 慌てて新米騎士が美貌の騎士の口を手で封じようとするが、さらりとかわされる。

「テオ、最初が肝心なんだよ、最初が。期待を持たせたら悪いだろ?」

 悪びれることもなく軽い口調で失礼な発言を繰り返す美貌の騎士。本当に失礼極まりない人だ。
 ……期待なんてしていません!
 外套がいとうで隠れているのをいいことに、私は思いっきり舌を出す。もし彼らが王族の血筋だとしても、見えなければ不敬罪で捕まることはない。

「そうです、最初が肝心なんです。それなのに、第一印象を最悪にしてどうするんですか! こちらはこれから頼みごとをする立場なんですよ。断られたら先輩が責任を取ってくれるんですか? それにご年配と思ったならばうやまうべきです」

 新米騎士は焦った口調でまくし立てるが、美貌の騎士はヘラヘラと笑って反省する様子はない。
 どうやら彼らは私に何かを頼みに来たらしいが、薬草を売ってくれというお願いだろうか。宣伝しているわけではないけれど、私が摘んだ薬草の評判をどこかで耳にしたのかもしれない。

「テオ、落ち着け。交渉は俺に任せておけ」

 そう言うなり彼は歩いてきて新米騎士の前に出て、私の目の前に立った。

「薬師様、ちょっと失礼しますね。こぶしを握れますか?」

 そう言って、私の手首を軽く掴む。
 ……もちろん握れるけど? 
 警戒しつつも言われるまま握ってみせる。

「うんうん、すごく上手ですね」

 彼は大袈裟おおげさに褒めながら、おもむろに私のこぶしを自分のお腹に当てた。
 ――ポスン。
 彼のお腹は鉄板みたいに硬いが、全然痛くない。この動作はいったいなんだろうと首をかしげると、彼は私の手を離す。
 彼の顔には誰もが見惚みとれるであろう極上の笑みが浮かんでいるけれど、この不可解な行動のあとでは胡散臭く感じる。

「ルイト先輩、いったい何をして――」
「はい、暴行の罪で王都まで連行しますね」

 私は絶句する。私の手が彼のお腹に当たったのは事実だが、あれは彼が勝手にやったことだ。

「テオ、今何を見た?」
「何をって、薬師様のこぶしが先輩のお腹に当たって、でもそれは――」
「はい、目撃者の証言の確認も完了」
「えぇーーーーーーーっ!!」

 静かな森に新米騎士の叫び声が響き渡り、一斉に鳥たちが逃げていく。私以上にこの展開についていけなかったのは、彼の仲間であるはずの新米騎士だった。

「ちょっと待ってください、こんなの理不尽です! 若い騎士様、そうですよね?」
「時間がないから詳しい説明はあとでね、薬師様」
「……薬師様、お役に立てず申し訳ありません」

 新米騎士は礼儀正しく頭を下げてきた。謝罪はいらないから先輩をどうにかしてくれ、と必死に訴えたけれど無駄だった。


 抵抗虚しく連行されてしまった私は、馬の上で半日以上揺さぶられ続ける。
 森から遠く離れた宿に到着したときには、馬に乗り慣れていない私のお尻は悲鳴を上げていた。恥ずかしいから口が裂けても言えないけど……
 宿の部屋に入るとすぐに、新米騎士が恐る恐る声をかけてきた。

「とりあえず、その服を脱ぎませんか? 薬師様」
「……このままで結構です」

 けんもほろろに答える私に、美貌の騎士は苦笑いしながら聞いてくる。

「薬師様、そんなに臭ってるのに平気なの?」
「平気なわけないじゃないですか! ルイト先輩が強引に連れてきたから、薬師様は怒っているんですよ!」

 私は無言のままうなずいて、新米騎士の言葉を肯定する。もっと言ってください、その大変失礼な人に!
 ……そう、私の黒い服は白い水玉模様になっていた。
 なぜならあのとき、飛び立った鳥たちがふんを降らせていったからだ。騎士たちは俊敏しゅんびんな動作で避けたが、私だけ見事に浴びてしまった。
 必要最低限の着替えは持ってきているけれど、嫌がらせと抗議の意味を兼ねて着替えていなかった。
 ふんっ、鳥の置き土産みやげごとき我慢できるわ。
 我慢比べのような間が空き、だんだん新米騎士が涙目になってきた。
 かわいそうになった私はしぶしぶ着替える。年下の子をいたぶる趣味はないし、悪いのはこの人ではなく美貌の騎士のほうだ。

「まずは自己紹介からやり直させてください。僕はテオドル・ガードナーと言います。この国の第二騎士団に所属しています」

 私は「第二?」とつぶやいて首をかしげる。騎士と関わりがない生活を送っていたので、基礎知識が不足しているのだ。
 私の反応から察したテオドルは、騎士団について簡単に説明してくれた。
 この国の騎士団には第一と第二があって、基本的に第一は伯爵位以上の貴族出身者だけで構成され、第二は下位貴族や平民が多いそうだ。厳密な決まりではないけれど、上に立つ者が平民で部下が上位貴族だとやりづらいから所属を分けているらしい。

「僕は子爵家出身なので第二なんです。貧乏なので名ばかり貴族ですが。そして、この隣にいるのは――」
「同じく第二騎士団所属のルイトエリン・ライカンだよ。一応、侯爵家出身かな。薬師様、ごめんね。ちょっと時間がなかったから強引に連れてきちゃって」
「……オリヴィア・ホワイトです」

 まだ怒っているけれど、挨拶だけはしておく。
 この国では色の名前が姓なのは孤児だけなので、名乗った途端態度を変える人が多い。あわれみならまだましで、露骨ろこつに見下してくる人もいる。
 目の前の彼らがどんな人たちかまだわからないけど、見た目や身分はその人の品性と比例しないと、十八年間生きてきて十分すぎるほど学んでいた。
 私はぐっと背筋を伸ばして彼らの反応を待つ。

「オリヴィアちゃん? それとも、オリヴィアさんって呼んだほうがいいかな?」
「先輩、れしいですよ。薬師様とお呼びしたほうがよかったら、遠慮なくそう言ってください」
「……ただのオリヴィアでお願いします」

 意外なことに彼らは名字に反応しなかった。
 ルイトエリンは無茶な人ではあるけれど、根は腐っていないらしい。
 また、黒き薬師にはみにく火傷たけどあとがあるといううわさを彼らは聞いているのだろう。隠された私の容姿に興味を示すことなく、今回の件についてテオドルが説明を始める。

「今、この国は隣国とちょっと揉めていて、近々騎士団が国境付近に派遣される予定です。つきましては随伴ずいはんしてくださる薬師様を探しているところでして、お願いできないでしょうか」

 騎士団が派遣されるなら、普通はお抱えの薬師に頼むものだろう。事情があってその人が随伴ずいはんできないとしても、こんな田舎の薬師に代わりを頼むのはおかしい。

「ほかにも薬師はたくさんいるのに、なぜ私なんですか?」
「そ、それは黒き薬師様の評判を聞きまして……」

 テオドルはぎこちなく視線を逸らす。嘘をつけない人のようだ。

「テオ、嘘はよくないぞ。実はね、ほかの薬師たちには断られたんだ。体調不良や忙しいなどもっともらしい理由でね」

 ルイトエリンもある意味正直者らしい。にやりと笑って、何かあるとわかりやすく匂わせてくる。

「それほど危ないのですか?」
「うーん、危ないと言うよりは、身分を笠に着て『断れ!』と裏で手を回している厄介な侯爵令嬢がいる。名前はロレンシア・パール、教会が認めた聖女なんだけどね。パール侯爵家を敵に回したくなくてみんな断ったってわけ」

 この国において聖女とは、身分にかかわらず見目麗みめうるわしい女性が選ばれる。数年ごとの交代制で、お飾りのような立場だが、はくがつくからなりたい人は多いらしい。今の聖女はかなり性格が悪そうだ。

「断ってもいいですか?」

 前のめりで尋ねる。
 なぜ聖女が裏で手を回して邪魔をするのか知らないけれど、面倒事に巻きこまれるのはごめんである。私はひっそりと暮らしたい。


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