前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています

矢野りと

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おまけの話

おまけの話【愛を叫ぶとこうなる……】〜ルイトエリン視点〜

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「ハンナさんは間違っています」
「いいえ、間違っているのはオリヴィアちゃんのほうだわ」
「絶対にハンナさんです!」
「そんなことはない、オリヴィアちゃんよっ!」

扉越しに聞こえてくる声は穏やかとは真逆のものだった。俺――ルイトエリンとヤルダ副団長はその声を耳にして固まってしまう。


今日、オリヴィアはヤルダ副団長の妻であるハンナと一緒に、三ヶ月後の結婚式で身につける衣装と装飾品を選ぶ予定になっていた。だから、仕事を終えた俺は、ヤルダ副団長とともにヤルダ伯爵邸を訪れたのだ。


オリヴィアとハンナは仲の良い義姉妹であった。
生まれ変わりという特殊な事情により親子ほどの年の差があるので、お互いの呼び方は見た目に則したものにしている。しかし、互いの関係性は良好そのものであったはずなのに……。


「ルイトエリン、これはどういうことだ?」
「ヤルダ副団長、俺に聞かれても困ります。ここに一緒に来たではありませんか……」
「じゃあ、先に中に入れ」
「……じゃあってなんですか。会話の繋がりがおかしいですよ」

俺に扉を開けさせようとするヤルダ副団長。だが、俺だって『お先にどうぞ』と譲りたい。

オリヴィアは大人しい女性ではない。はっきりと自分の意見を持っているし、悪いことは悪いと言う勇気もある。だがちゃんと相手の意見に耳を傾け、普段はこんなふうに感情的に捲し立てたりはしない。
ましてや、相手は大切な弟の伴侶である。

よっぽどのことがあったと考えるべきだろう。

隣にいるヤルダ副団長も俺と同じことを考えているのが、その表情から伝わってくる。
彼の妻もまた、オリヴィア同様に普段はあんな風に声を荒げることはないからだ。

ヤルダ副団長の額から嫌な汗が出ている。姉と愛妻の板挟みになる自分を想像しているのだろうか。


「ルイトエリン、勇気を出せ」
「その言葉そっくりお返しします、ヤルダ副団長」
「……これは命令だ」
「階級は同じです。それに、三ヶ月後には俺はあなたの義兄です」
「戸籍上では俺はお前の妻の伯父になる。つまり、俺のほうが立場は上だ」

互いにくだらないことを言って、扉を開ける権利を押し付けあっていたが、結局、年下である俺が折れた。



――トントン、トン……。

俺が扉を開けると、中にいる二人は揃って振り返る。二人とも感情的に話していたからだろう、頬が上気し目は少し潤んでいる。


「ルイト!」
「アル!」


オリヴィアは俺の名を、ハンナはヤルダ副団長の名を呼びながら、二人とも勢いよく抱きついてくる。俺達はまず、それぞれ愛する者をその胸で受け止め、落ち着かせようとその背を優しく撫でた。

「酷いのよ、ルイト。ハンナさん、全然分かってくれないの……」

オリヴィアはまだ興奮冷めやらぬ口調で、俺の胸に顔を埋めながら訴える。まずは、話を聞いたほうが良さそうだ。

「ヴィア、なぜ喧嘩をしていたんだ?」
「揉めていたけど、喧嘩ではないわ。ねっ、ハンナさん」
「ええ、喧嘩なんてしていないわ」

あんなに感情を高ぶらせていたのに、二人とも否定する。俺とヤルダ副団長が訳が分からないと顔を見合わせると、ハンナが事の次第を簡潔に説明した。


「……つまり、ハンナと姉ちゃんはそんな些細なことで、あんなに揉めていたのか?」
「アル! 些細なことではないわ、大切なことよ。アルは世界一素敵な旦那様でしょ? 確かに、ルイトエリン様も素敵だとは思うわ。でも、アルと比べたらこう言っては失礼だけど、月とスッポンほどの差があるわ」
「ハンナさん、それは違いますよ。ルイトが世界一ですから、リアテオルは永遠に二番手です」


二人の揉め事の原因――それはどちらの相手がより素敵かということだった。


愛ゆえの暴走と知って、俺とヤルダ副団長は口元を隠すように手を当てる。嬉しすぎて、これ以上ないくらい顔が緩んでしまっているからだ。

 無自覚に誘わないでくれ……。

必死に理性を保っている俺達に気づくことなく、両者はまた互いの主張を繰り返す。


「アルの胸にはもふもふの胸毛があるのよ。まるで本物の熊みたいにね。その逞しい胸で抱きしめられると、今でもきゅんっと胸がときめいて新婚気分になるのよ」
「ルイトの胸は極上の絹のようにすべすべしていますよ。それに着痩せするタイプで、脱ぐと凄く逞しいんですから。もはや神レベル、いえ神を越えてます」
「アルは服を着たままでも凄いわよ。それに服を脱いだ夜のアルは猛獣以上なんだから」
「猛獣? ハンナさん、ただの熊ではないという意味ですか?」
「ええ、そうよ。そちらが神越えなら、こっちは熊越えだわ」

――……もう、やめてあげてくれ。

ヤルダ副団長は妻の赤裸々な発言に顔を赤くしている。
妻の言葉に内心にんまりしていることだろうが、姉の前では遠慮して欲しい発言だ。たぶん、ハンナは興奮していて自分の言っていることが分かっていないのだろう。

 
「ルイトは歩くだけで色気をむんむんですから。……そ、それにっ、……昼間じゃない彼は更に色気ましましです……よ」

オリヴィアは俺とそういう関係になってまだ日が浅いからだろう、自ら口にしながら顔を真っ赤にして照れている。
それなら言わなければいいのではと思ったが、そこはハンナにつられてしまったようだ。

 ……っ、なんて可愛いんだ、ヴィア。

俺の腕の中で、愛する人が必死になって俺への愛を全開にしている。そのうえ、同意を求めるように上目遣いで俺を見てくる。

これがどういう状況か分かっているのだろうか。
いや、きっと夢中になっているので本人は分かっていない――煽っていることを。


愛する婚約者が、俺の胸に縋っているだけでも限界なのに、あんなことを言われたら我慢出来るものではない。
俺の理性は音を立てて崩れる寸前である。

 ……いや、壊れた。

隣にいるヤルダ副団長を横目で見れば、彼は黙ったまま俺に向かって頷いていた。やはり、思いは俺と同じだったようだ。


「ヤルダ副団長、お先に失礼します」
「承知した、ルイトエリン」

これだけで十分だった――阿吽の呼吸である。

「えっ? ルイト、まだ衣装合わせが終わっていないのだけど……。それに今日はこの後、みんなで食事を一緒にする予定でしょ?」

オリヴィアはなぜ予定を変更するのだと首を傾げている。そして、ハンナも『まだ終わっていないわ』と俺に向かって抗議してくる。

「今日の予定は変更だ、ハンナ」
「アル? きゃっ!」

ヤルダ副団長は有無を言わさず妻を抱き上げると、俺よりも先に部屋を出て行ってしまった。どうやら、俺以上に限界だったようだ。たぶん、夫婦の寝室に直行したのだろう。

オリヴィアはまだこの状況を理解していないようで、キョトンとしている。

「リアテオルと相談して、今日の予定を変更することにしていたの?」
「いや違う。今、決まったことだ」
「……誰が決めたの?」
「決めたのは俺とヤルダ副団長だが、提案したのはヴィアとハンナさんだな」
「?? してないわ」

オリヴィアは納得はいかないという顔をしている。勢いで口にした言葉で、彼女達はそんなつもりではなかったんだろう。

そんなことは俺もヤルダ副団長も分かっていた。

 だがな、ヴィア。ちゃんと責任は取ってもらわないと。


「俺の胸は絹みたいなんだろ、それに夜の俺の色気はいつもより凄いんだっけ。なっ、ヴィア」

甘い声音で囁くと、ヴィアは口をパクパクしながら焦っている。自分のさきほどの発言がどういう結果に繋がったのか気づいたのだ。

「で、でも、まだ夜じゃないです、ルイト」
「夜じゃなくても色気が増すか確かめてくれ、ヴィア。君にしか出来ないことだから」
「私だけ?」
「そうだ、ヴィアだけだ」
「そ、それはそうですけど! 今、確かめる必要性を感じないというか……」
「善は急げだ。なっ、ヴィア」

恥ずかしいからと必死に逃れようとしているヴィア。
でも、自分だけという俺の言葉に、素直に喜んでしまうヴィアは可愛すぎた。

 くっ、……これ以上煽るな。


彼女が本気で嫌がっていたら無理強いなんかしない。だが、そうではない。

俺は彼女を抱き上げると、屋敷内にあるオリヴィアの部屋へと向かう。普段はこういうことをヤルダ伯爵邸でしたことはない。だから、新生活のために購入した俺の家へと連れて行くつもりだった。


だが、今日だけは特別だ――可愛すぎる彼女がいけない。


オリヴィアを抱えて足早に歩く俺とすれ違った家令は『人払いは済ませております』とさり気なく告げて来た。
きっとヤルダ副団長が俺の状況を察して――自分と同じだから――手を回してくれたのだろう。

「ヴィア、責任はしっかり取ってくれ」
「……頑張ります?」

頬を染めながらも疑問形で答えるヴィアはまだ分かっていないのだ。俺の愛がどれほど深いかを。先に教えるつもりはない。なぜならこの後、身を以て知ることになるのだから……。





――その日以降、オリヴィアとハンナが俺達の前で余計なことを言わなくなったのは言うまでもない。








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