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おかえりなさいと言いたくて……(妻視点)

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魔物と人は共存できない。だから、人は魔物が潜む森深くには決して入らないことで身を守って来た。

それなのにここ数年、なぜか魔物が町にやってきて人を襲うようになってしまった。
食料となる餌が不足しているのか、それとも脆弱な生き物を甚振ることに快楽を覚えてしまったのか……。

誰も理由なんて分からなかったが、この状況をどうにかしたかった。
しかし魔物を屠る力を有するのは、神に選ばれた者たちだけ。

――『どうか、神託をお授けください!』

人々が神に祈り続けた結果、その願いは叶えられた。
勇者、聖女、賢者、剣聖が神託によって選ばれたという朗報に、誰もが涙を流して喜んだ。もちろん、私も……。

それから間をおかず、王都の外れにある小さな我が家に不釣り合いな立派な馬車が訪れた。

「ルト・サイロン様、お迎えに上がりました」

選ばれた勇者とは私の夫だと告げ、立派な身なりをした人達が恭しく頭を下げてくる。

妻としては誇らしかった、でも行かせたくないと思った。
彼は騎士として生計を立てているけれど、剣術に秀でているわけではなかった。ただ真面目が取り柄の平民出身の騎士。

決して夫を貶しているわけではない、でももっと相応しい人がいるはず。

幼少期から剣術を学んでいる恵まれた貴族出身の騎士はたくさんいる。夫よりも給金を多くもらい、国から勲章を授けられ、王族の覚えめでたい英雄と評される高貴な人達が。

 ……どうして、ルト……なの。

私だって神託を待ち望んでいた一人なのに、それが夫ではなく他の誰かだったら良かったのにという身勝手な感情が湧き上がってくる。

神託は絶対で拒絶は許されない。選ばれたのには意味があり、彼でなくてはいけないのだ。

それでも、連れて行かないでと叫びそうになる私がいた。

隣りにいる夫を見ると、その顔に迷いはなかった。真剣な表情で迎えに来た人達の話に耳を傾けている。

以前、彼と交わした会話を思い出す。

『もし俺が選ばれたら、騎士として己の務めを果たす。君が、……いや、みんなが安全に暮らせるようにしてみせる。まあ、俺が選ばれることは万が一にもないけど』

そう告げる彼は悔しそうな顔をしていた。

『そんなことないわ。ルトは私の自慢の夫よ』
『ありがとう、ミワエナ。もし選ばれたら笑って見送ってくれよ』
『もちろんだわ』

まさか本当に彼が選ばれるとは思っていなくて、私は笑いながら約束した。そして、それを果たす機会がやってきた。

……彼の足手まといになってはいけない。

私はきつく拳を握りしめて、自分勝手で醜い感情を押し込める。

「ルト、おめでとう。……でも無理はしないでね。絶対に帰ってきて」
「ああ、約束する。愛しているよ、ミワエナ」

私は約束通り笑顔で彼を送り出した。そして、迎えに来た人達と一緒に馬車に乗り込む彼の背中を、涙を流しながら静かに見送った。


◇ ◇ ◇


そして、一年後。
魔物を倒して立派に務めを果たした勇者一行が、明日帰還するという。妻である私がそれを知ったのは王宮からの知らせではなく、町の人々の歓喜の声でだった。


――私のもとには連絡は来ていない。



ルトが旅立った直後は王宮を介して彼と手紙のやり取りを行っていた。普通ならなそんなことは許されないけれど、勇者の妻ということで特別に配慮されてのことだった。
ただそれは時間とともに少なくなっていた。

『まだ手紙は来ていませんか? 前の手紙を受け取ってから随分時間があいていますけど』
『魔物がいつ出没するか不明な状況なので連絡も必要最低限のみになっています。申し訳ございません』

最初はそんなふうに丁寧に告げられた。
そしていつしか私が一方的に手紙を託すだけになり、彼からの便りは完全に途絶えた。

王宮からの発表で彼が生きているのは分かっていても、直接的な繋がりが欲しかった。

『彼からの手紙は届いていませんか?』
『……ありません』

だんだんと相手の態度は素っ気なくなっていく。
私が何度も来ているからだろうか。……いいえ、きっと違う。

巷では最近勇者一行の活躍とともに、勇者と聖女――この国の第三王女――が育んでいる愛の話題で持ちきりだった。

聖女は魔物を倒す力はない代わりに、魔物との戦いで傷ついた仲間達を癒す力を有する存在。

高貴な女性がその身が泥に塗れるのも厭わず、傷ついた勇者を懸命に支えている。
そんななか自然と特別な感情が芽生え、互いを想いあう気持ちが良い結果を生んでいると、人々はまるでその目で見たかのように嬉々として語っていた。

勇者には妻がいて、第三王女には婚約者がいるのに、誰もがその事実には触れなかった。
魔物討伐を成功に導くためには、多少の犠牲など仕方がないということだろうか。

聞きたくない声を拾っては心が抉られていく毎日。でも、なんの力も持たない私に出来ることは、ただ信じて待つだけだった。 
 

 ルト、会いたい。早く帰ってきて……。


それだけを願いながら、私は門前払い同様の扱いを受けようが平気なふりをして王宮に足を運び続けた。なにもしないでいると、苦しさが増すだけだったから。

『あの、すみません。ルトの妻ですが、彼からの手紙は届いていませんか?』
「……」
『手紙を書いてきたんです。届かないかもしれないのは承知していますから、預かっていただけませんか?』
「……」

門前払いですらなかった。上から通達がされているのだろう、誰もが『勇者の妻』である私を無視するようになった。それでも、私は俯かずに通い続けていた。

 
町中で噂が流れ始めても、知り合いの人達は私に親切だった。『噂なんて信じちゃ駄目だよ』と周囲に聞こえないようにそっと慰めてくれていた。
でも、それもだんだんと変化していき、ただ憐れむような目で見るだけになっていく。

……そして、最近では目を合わせてもくれなくなった。

町全体が勇者と聖女の関係を歓迎している中、自分だけ『勇者の妻』という邪魔な存在に肩入れするわけにはいかないのだろう。

いつの間にか、夫が既婚であるという事実はないも同然になっていた。
そんななか、第三王女の婚約は穏便に解消された。『聖女として活躍している王女様に私は相応しいとは思えない』という相手からの申し出によって。


もう二人の美談を邪魔するものはなにもない。





明日、彼は王都に帰ってくる。

私は一人で声が枯れるまでただ泣いた。王女様の婚約者のように自ら身を引くべきだと分かっていても出来なかった――ルトを心から愛しているから。

私は明かりもつけず、暗い部屋の中で彼の帰りをただ待っている。彼からも王宮からも連絡はないけれど、それでも……。

だって、彼は私の元へ帰ってくると約束してくれた。もし彼が帰ってきたとき私が待っていなかったら、彼はきっとがっかりするから。

「ルト……、そうよね……」

すがるように呟いた声は暗闇の中に消え、それが答えのようだった。
私は自分の口から漏れ出る嗚咽を聞きたくなくて耳を塞ぎ、愛しい夫の名を泣きながら叫び続ける。


「ルト、ルト…ル…っ……ト……」



 明日、あの扉を叩くのは誰だろうか。








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