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1巻

1-3

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 ふたりで顔を見合わせてクスクスと笑う。いつもの日常が戻ってその場が和む。そのやり取りを黙って見ていたアザキオが声をかけてくる。

「ルシアナ、やはり君の子だったんだな。そうかと思ってつい呼び止めてしまった。俺から一方的に話しかけたんだ。その子は悪くない、叱らないでやってくれ」

 ハルサのことを思って、かばうような言い方をしたのだろう。
 善意からかもしれないが、なんだか腹立たしい。そんなこと言われなくとも分かっている、この子は私の子だ。
 ハルサは落ち着かない様子で、私をちらちらと見てくる。その顔は何かを言いたそうだった。

「……あのね、僕がよそ見してて、おじさんにぶつかって転んじゃったの。そしたら助けてくれたんだ。その後、お母さんの名前がルシアナかどうか聞かれたけど、僕、知らない人と話さないって約束をちゃんと守ったよ。頷いただけで何も言ってないもん。ぶつかった時は、ごめんなさいって謝ったけど、これはいいよね?」

 ハルサの子供らしい言い分に、私の肩から力が抜けていく。
 ……まさかハルサとアザキオが偶然出会ってしまうなんて。
 ハルサは私にそっくりだから、彼はひと目で私の子だと分かったのだろう。瞳の色はアザキオ譲りだけど、この国の人の半分は黒系の瞳を持っている。黒曜石のような輝きだって、日の当たり具合ではいくらでも変化する。大丈夫、アザキオに何もバレてはいない。

「うーん、ちょっと違うところもあるかな……。でも、ごめんなさいをしっかり言えたのは偉かったわ、ハル」
「違うところ? そんなのあったかな?」
「ちょっとだけ。でもそれはお家に帰ってから話そうね。さあ、帰りましょう、お腹すいたでしょう? 遅くなってごめんね」
「うん、もうペコペコだよー」

 素直に頷くハルサを見て、思わず笑みがこぼれる。
 ――私は結婚していて、子供がいる。
 それがアザキオが知っている事実で、何も不自然なところはない。

「ルシアナ――」
「ブルーガ副団長、助けて頂いてありがとうございました。急いでいるので失礼します」
「……あ、ああ。お疲れ様」

 アザキオが何かを言いかけたけれど、強引に会話を終わらせた。そのまま帰ろうとしたのに、私の袖を引いてハルサが止める。

「おじさんは、副団長なんだね。騎士団の人だったら、お母さんと一緒にお仕事しているんでしょ? それなら話してもいいよね! だってお母さんの知り合いだから、知らない人じゃないもん」

 日頃から意識してアザキオを役職で呼んでいたから、つい出てしまった。ハルサはニコニコしながら、アザキオに近づいていく。

「初めまして、お母さんがいつもお世話になっています。僕はハルサです。さっきは答えなくてごめんなさい」
「俺は巡回騎士団のアザキオ・ブルーガだ。こちらこそ、君のお母さんには助けてもらっている。ハルサはまだ小さいのにしっかりして偉いな」

 アザキオは大きな手でハルサの頭を優しく撫でる。ハルサは、照れながらもしっかり返事をする。

「ありがとう。でも僕はもう九歳だから小さくないよ! 誰に似たのかって近所の人に言われるくらい、しっかりしているのは本当だよ」

 得意げに自分の年齢を告げるハルサ。この子にとってはただの数字で、それ以上の意味はない。
 でもアザキオが九歳という年月の意味を考えたら……それは深い意味を持つ。どうか聞き流してくれますようにと祈るしかない。

「……あ、ああ。そうだな、確かに九歳は小さくない。ハルサがしっかりしているのは、お父さんに似たのかな?」

 探るような問いかけに私は息を呑んだ。
 アザキオの脳裏には、もしや……という考えがよぎったに違いない。しかしそれは、あくまでも可能性であってまだ確信ではないはず。早く生まれる場合だってあるのは常識だ。
 だから『この子の父親は?』と直接的な言葉ではなく、あんなふうに尋ねたのだろう。
 今ならまだ誤魔化せる、なんとでも言い逃れることが出来る。早く何か言わないと、このまま沈黙が続けば肯定と思われてしまう。でもこの場にはハルサがいるから、慎重に言葉を選ばなくてはいけない。
 考えれば考えるほど言葉が見つからず、私は沈黙してしまう。その時。

「そうだと思うよ! お母さんはしっかり者だって近所の人から言われているけど、本当はおっちょこちょいなの。この前だって、生卵とで卵を間違えて大変だったんだー。だから、僕のしっかりしているところは絶対にお父さん似だよ」

 ハルサがアザキオの考えている可能性を否定する。
 これまで私は、ハルサの父親がいないことをあえて自分から伝えないようにしていた。隠したかったわけでも、自分の選択を恥じていたわけでもない。それが賢い生き方だったからだ。
 母子家庭だといろいろと言ってくる人も少なからずいる。わざわざくだらないことを言ってくる人の相手をするのは時間がもったいないし、そんな暇があるならハルサと一緒に笑っていたい。
 父親がいないことを隠しなさい、とあの子に言ったことは一度もなかったけれど、賢い子だから、私が言わないことの意味を察して真似たのかもしれない。
 私がハルサのことを守らなくてはいけないのに、あの子に守られた。まだまだ子供なのに、いつの間にかこんなにしっかりしちゃって……
 私は気づかれないように、潤んだ目をそっと拭く。

「……そうか、きっと素敵なお父さんなんだな」

 アザキオは言葉を重ねるが、疑っているような響きはない。彼の表情は、ハルサのほうを向いていたのでよく見えなかった。

「うん、大好きだよ! とっても優しいんだ。お母さん、お腹すいたからもう帰ろうよー。おじさん、今日はありがとう。またね!」
「またな、ハルサ」

 ハルサは私の背を押して歩き出す。アザキオはそれ以上は何も言わずに、私達親子を見送っていた。
 しばらく歩いて、彼の姿が見えなくなるとハルサは足を止め、しゃがんでと私にお願いしてくる。その場でかがむと、ハルサは私の耳に手を当て口を開く。

「お父さんがいないって分かると嫌なこと言う人もいるから、お父さんがいるふりしちゃった。あのおじさん、良い人だから本当のこと言ったほうが良かった?」
「ありがとう、ハル。あれで良かったわ」

 やはり子供なりに考えていたのだ。もしかしたら私の知らないところで、嫌な思いをしたことがあったのかもしれない。それを思うと申し訳ない気持ちになる。

「僕ね、お母さんが大大大好きだよ。笑ってるお母さんがいれば楽しいもん」

 私の気持ちを察して、そんなことを言ってくるハルサ。

「ハルはお母さんの宝物よ」

 本当に優しい子に育ってくれた、それだけは自信を持って言える。

「知ってるよ、僕はお母さんの特別だもん!」

 嬉しそうに笑うハルサとしっかり手を繋ぎ、今日あったことを話しながら帰っていく。

「さっき、副団長からお父さんのことを聞かれた時に『優しいんだ』って言っていたけど、ハルはそんなお父さんが欲しい?」

 ちょっと気になったことを尋ねる。
 ハルサとふたりの生活に満足していたから、結婚を考えたことは一度もなかった。しかし、ハルサは父親という存在が欲しいのかもしれない。それに男の子だから、これから大きくなるにつれて男親に相談したいことも出てくるだろう。ハルサが父親を望むなら、前向きに考えてみようかな……
 具体的な相手は残念ながら浮かばないけれど、そんなふうに考えていた。

「ううん、あれはそういう意味じゃないよ。お母さんは、 優しい人が大好きなんでしょう? この前、八百屋のお爺ちゃんが大根をおまけしてくれたら『わぁ、ありがとう! 大好き』って飛び上がって喜んでいたし。だからお母さんが好きになった僕のお父さんは、優しい人なんだろうなって。別にお父さんは欲しくないよ、困ってないし」
「へっ? 大根のおまけ……うーん、ちょっと意味が違うかな……」
「でもお母さん、八百屋のお爺ちゃんに大好きって言ってたよ。忘れちゃったの?」
「……覚えてます」

 ハルサが父親を欲しがっていない様子なのにホッとするとともに、これからは言動には十分気をつけようと心に誓ったのだった。


   ◆ ◆ ◆


「もう寝る時間よ、ハル。おやすみなさい」
「……おやすみなさい、お母さん」

 お母さんからおやすみなさいのキスをしてもらった僕――ハルサは、お日様の匂いがするふかふかのベッドに入る。
 今日はいつもと違うことがたくさんあった。
 いつも優しいお母さんの厳しい口調にびっくりしたり、巡回騎士団の副団長さんに会ったり、大丈夫な嘘? をついたり、『ちょっと違う』がたくさんあったり。だからなのか、全然眠くならない。
 でもいいや、別に困らないもん。
 僕はベッドの中で、格好いい副団長さんのことを思い出す。とても優しい人だった。ドンッて勢いよくぶつかって、服を汚しちゃったのに怒らなかったし、『怪我はないか?』って僕の心配をしてくれた。
 それからとても驚いた顔で僕を見ていたな。お母さんの名前を聞く前に、震える声で何か言っていた。よく聞こえなかったけど、確か『マサカ……コナ……、魔力……アリガ……ウ』とか呟いてたかな? 意味が分からないや。
 まぁ、いいか。きっと独り言だったんだよね。それなら僕には関係ないもん。
 おかしな人かなと警戒したけど、その後は普通だった。僕のことを褒めてくれたし、大きな手で頭を撫でられたのはとても心地よかった。
 お母さんには言わなかったけど、お父さんってこんな手なのかなって、ちょっとだけ思った。別にお父さんが欲しいってわけじゃない、ただなんとなく。
 ミン団長や他の騎士達が撫でてくれたこともあるけど、なんだかそれとは違った。剣だこがあって固くて大きいのは同じなのに。うーん、何が違ったのかな?
 ……そうか、あのおじさんの目が違ったんだ。お母さんが僕を見るのと同じ目だった。僕を丸ごと包み込んでくれて、何があっても僕の味方だって思える、そんな特別な眼差し。
 また会いたいなって思ったから、さよならじゃなくて、またねって言ってみた。おじさんも、またなって、優しい顔で返してくれたからすごく嬉しかったな。
 その時、なんだかこの笑顔を知っていると感じた。どうしてかな? もしかしたら、これがいわゆるデジャヴなのかもしれない。
 あと、僕のお父さんの話をしていたら、おじさんは辛そうな顔をしていた気がする。あれは僕の見間違いだったのかな……
 なんだか頭がぼーっとしてきた。眠くてもう考えられない。ふぁ……眠いな……
 またすぐに会えたらいいな、おじさんに……
 僕は心の中でお母さんに二度目のおやすみなさいを呟くと、すぐに眠ってしまった。



   第三章 縮まる距離


 いつものように私――ルシアナは出勤するが、少しだけ気が重い。昨日は気が動転していてハルサを助けてもらったお礼も言わず、逃げるようにその場を去ってしまったからだ。
 自分の子供が迷惑をかけたのなら、ちゃんとお礼を言うのは親として当然のこと。あの態度はいけなかったと反省している。
 正直にいえば、アザキオと関わりたくない。けれど、非常識なことはしたくない。今までだって、片親だからと後ろ指をさされないように、やるべきことを欠かしてはこなかった。
 世間にはいろいろな人がいる。母子家庭だからという理由だけで見下し、粗探しをしてくるような厄介な人も残念ながらいるのだ。そういう人から何か言われた時に、こちらに非が少しでもあれば、正当な反論もただの言い訳になってしまう。
 だからどんな時も筋だけは通しておきたかった。ハルサの母として恥ずかしい真似は出来ない。
 ……はぁ、会ったらちゃんと言わないとね。
 こんなことでは駄目だと、頭を振って気持ちを切り替える。
 アザキオはハルサが自分の子だと気づいていないのだから、私は普通に振る舞えばいいだけのこと。別れたあと、すぐに結婚したと呆れているかもしれないけれど、気にしなければいい。何か言われたら余計なお世話よ、と突っぱねればいいだろう。
 ずんずんと廊下を歩いていくと、アザキオと数人の騎士達が雑談しているのが見えた。すぐに声をかけるべきか、それとも彼がひとりの時に出直すべきか迷っていると、最年長の騎士――サムが私に気づき、手を挙げた。

「ルシアナ、今朝も相変わらず可愛いな」
「おはようございます。朝から冗談はやめてくださいね。それにお世辞を言っても、調整の順番は変わりませんよ」
「そんなー、少しは贔屓ひいきしてくれよ。こんなに褒めてるんだからさ」

 サムが大袈裟おおげさにがっかりしてみせると、周りから笑いが起こる。
 彼はとても気さくな人で、いつも冗談を言って周囲を和ませている。あと数年で騎士職を引退するようだが、まだまだ体力的にも若い騎士に負けていない元気な老騎士だ。
 アザキオもつられるように声を出して笑っていた。
 彼のこんな表情を見たのは十年ぶりだ。私と交わす必要最低限の会話ではこんな顔はしない。笑って話すようなことは何もないから、それも当然なのだが。
 久しぶりのアザキオの笑顔は、とても懐かしく感じる。昔はこんな顔ばかり見ていたのに、すっかり忘れていた。
 ……そうよね。私の前だから笑わなかったのね……
 私だって彼の前では笑えなかったからお互い様だ。少しだけ暗い気持ちになった私だったが、さっさと言うべきことを伝えてすっきりしておこうと、アザキオに向かって話す。

「ブルーガ副団長、昨日はいろいろとありがとうございました。お礼を言うのが遅くなって申し訳ありません」
「いや、礼を言われるようなことはしていない。こっちこそハルサを呼び止めて悪かったな」

 アザキオの様子に変わったところはなく、安堵あんどするとサムが口を挟んでくる。

「副団長、ハルサって誰です?」
「ハルサは私の息子よ。昨日、転んだところを副団長に助けてもらったの」

 アザキオへの質問だったけれど、私が簡潔に答えたほうがいいと思い、すぐに答えた。

「へぇー、ルシアナには子供がいるのか。全然知らなかった。結婚しているのは分かっていたけど、そんな話題にならなかったからな。で、どっちに似ている?」
「ハルサは私に似ているって言われますね」
「ルシアナ似なら、可愛いだろなー」
「ええ、とっても可愛いですよ」

 サムを含め巡回騎士団の人達は私が既婚だと思い込んでいる。
 常駐の地元の騎士達と仕事で絡みはあるけれど、私の個人的な事情は聞いていないようだ。世間話のついでに、誰かがポロッと話してもおかしくはないが、それが一切ないのには深い理由がある。
 騎士団で働き出した頃、私の事情を耳にしたひとりの騎士が嘲笑った。

『あんた、身持ちの悪い女なんだってなっ』
『一緒に仕事をしている仲間を悪く言う奴は覚悟しろ!』

 私がお茶を投げつけるよりも、ミン団長がその騎士をボコボコにするほうが早かったという事件があった。
 ……死ぬ一歩手前だったけど、あれの効果は抜群だった。十年経った今でも騎士達はみな鮮明に覚えており、余計なことは口にしない。だから、仕事に関係のない個人的な事情は流れていないのだ。
 あの時はやり過ぎだと思ったが、今はミン団長に感謝しかない。
 これ以上ハルサの話題が出ないうちに、ここから退散したほうがいいだろう。

「仕事があるのでお先に失礼しますね」

 そう言って私はその場から離れたのだった。


 ハルサがアザキオと直接関わることはもうないと思っていたのに、そうはならなかった。

「なんでこうなるの……?」

 窓の外には、子供達がなぜか巡回騎士団の訓練場も兼ねる広い庭にいる。私の目には、元気な子供達の姿が映っていて、その中にハルサもいたのだ。普段は悪戯いたずらばかりして大人を困らせるやんちゃ坊主が多いけれど、今日はやんちゃをしている。表現の仕方がおかしいのではなく、本当にその表現が合っているのだ。
 ここに子供達を連れてきた犯人、もとい親切な人はミン団長だろう。
 そもそも、騎士は子供にとって身近な憧れ兼遊び相手でもある。普段から地元の騎士達も『優秀な人材の青田刈りだー!』と冗談を言いながら、手が空いている時は一緒に遊んでいる。
 今日も学校が終わった子供達は、地元の騎士団に顔を出し遊んでいたに違いない。そして、きっと誰かが『巡回騎士団に見学に行ってみたいな』などと言ったのだろう。『おう、任せろっ!』と胸を叩いて男気溢れる返事をする団長の姿が目に浮かぶ。
 巡回騎士団は、仕事を円滑に進めるために滞在先での交流を大切にしている。だから子供とはいえ無下にはしない。地元の騎士団長がわざわざ連れてきたとなれば尚さら。
 子供達と巡回騎士達の交流は、誰が見ても文句のつけようがないが、私だけはヤキモキしていた。
 ハルサは他の子と同じように、目をキラキラさせながら騎士達と話している。
 その輪の中には、アザキオもいる。
 彼は巡回騎士団長から直々に子供達のことを任されていると聞いた。だから彼が責任者としてここにいるのは、仕方がないことだと分かっている。
 この交流は彼にも、もちろん無邪気な子供達にも責任はない。ミン団長も悪くはないだろう、……たぶん。
 しかし、この焦る気持ちの落としどころがつかなくなった私は、ヘラヘラしながら子供達を見ているミン団長のところへ急いで向かった。

「団長、お仕事はどうしたんですか……」
「あー……、今してるぞ」

 気の抜けた口調で答えるミン団長。ちょっとだけなら八つ当たりしても許されるだろう。

「どんなお仕事ですか? 巡回騎士団に子供達を丸投げして、団長は大変暇そうですが……」
「そ、そんなことはないぞ! ……えっと、あー……未来の騎士達を育成している。り、立派な仕事……だ」

 そんなに怯えながら答えないでほしい。これじゃ私が怖い人に見えてしまう。
 団長はなんか急に胸が苦しくなった気がするなんて言っているから、チクリと言葉の針は刺さったようだ。怖い人は、あながち間違いではないかもしれない。
 深い溜息をつきながら隣を見ると、ミン団長の姿はもう消えていた。騎士団長にまでなった人だけあって、足の速さは超一流のようで、遥か遠くの場所で巡回騎士のひとりと話している……ふりをしている。バレバレですよ、団長……
 とりあえずは見逃すことにする。今はそれどころではない。

「……これから、どうしよう」

 溜息の次に口から出てきたのは弱気な言葉。
 問題は、ハルサとアザキオが一緒にいるということだ。ハルサだけに帰りなさいとは言えない。悪さも何もしていないし、ここは子供達がいても良い場所だから追い返す正当な理由はないのだ。
 子供達は紙を長細く丸めた剣を使って、彼らと一緒に騎士ごっこを始めようとしている。ハルサも右手に剣を持ち、もう片方の手に持ったものをアザキオに差し出していた。

「おじさん、僕の相手をしてください!」

 アザキオは、相手をしてもいいだろうかと尋ねるように私に視線を投げる。ここで私が首を横に振れば、彼はもっともらしい言い訳を並べて断るのだろう。ハルサはがっかりするかもしれないが、ここはアザキオに悪者になってもらおうと思った。
 彼にだけ分かるように小さく首を横に振ろうとした時、ハルサが手を振って飛び跳ねる。

「お母さーん、見ててね! 僕、副団長のおじさんに相手してもらえるんだー」

 巡回騎士団の副団長に相手をしてもらえるのが、嬉しくて堪らないのだろう。男の子にとって騎士は憧れ、ましてや上の役職の人はとてもすごい人に見える。だからあの表情なのだ。
 そう、ハルサにとってアザキオは父ではなく、憧れの副団長なのだ。
 大人の都合で振り回しては駄目よね……
 ここで優先するべきなのはハルサの気持ちであって、私やアザキオの事情や気持ちではない。あんなに喜んでいるハルサを見ると、首を横には振れなかった。

「良かったわね。ハル、頑張って!」

 私はハルサに向かって手を振って応える。アザキオは、私の言葉を聞いて一瞬戸惑うような表情を見せた。

「うん、応援していてね! あれ、おじさん?」

 ハルサは剣を受け取らないアザキオを不思議そうな顔で見上げる。優しいおじさんが断るとは、微塵も思わないのだろう。

「……ああ、やろうか。ハルサ」

 私が首を横に振ろうとしたのが伝わったのだろうが、すぐにアザキオはハルサに優しく笑いかけながら剣を受け取った。
 ……複雑な気持ちだ。正直に言えば、ハルサと関わりを持って欲しくない。でもアザキオがあの子の気持ちよりも私の都合を優先させていたら、それはそれで許せなかったと思う。
 ハルサの笑い声が聞こえてくる。あの時に首を横に振らなかったのは正解だったと思う。でも楽しそうに剣を交えるふたりを目にすると、なんとも言えない気持ちになる。傍から見たら子供と騎士のただの交流でしかない。彼らが親子だと分かっているのは私だけ。
 どうすればよかったのか……うう……、頭がぐるぐるしてくる。
 この場にいる魔道具調整師が私だけで良かったと心から思う。調整師は魔力を感じ取ることで、血縁関係を判別することが可能なのだ。一方、自分の魔力のみを利用する騎士はそれが出来ない。極稀に調整師のように他の人の魔力を感じ取れる騎士もいるようだが、私はそんな人にまだ会ったことはない。
 つまり、あの子の父親が誰なのか分かる者はここにいないのだ。それにハルサは見た目では私の子だとしか分からないし、アザキオとの繋がりは絶対にバレない。
 とりあえず、今日のところは目をつぶろう。今、ハルサはアザキオに向かって一生懸命何かを話している。その内容は聞こえないが、表情を見る限り心配するようなことではないだろう。
 ハルサを見守っていた時、子供達の相手に疲れて休憩している騎士達の会話が耳に入ってきた。

「副団長、楽しそうですね。子供好きだったなんて意外です」
「まあ息子がいるらしいから、子供の扱いには慣れてるんじゃないか? 確かあの子と同い歳ぐらいだったんじゃないかな」

 きっと彼の息子とは、あの時サーシャのお腹にいた子だろうと思った。年齢はハルサとそこまで離れていないはずだ。

「えっ、そうなんですか!? 副団長、一度も子供の話をしたことがないから、てっきりいないと思っていました」
「そうか、お前は新人だから知らなかったのか。まあ副団長は、自分から家族のことを話さないからな。ちなみに副団長は巡回騎士団に八年もいるが、その間奥さんから手紙が来たことはない。手紙のやり取りは、ブルーガ伯爵家の管理を任せている叔父だけみたいだ」

 立ち聞きするつもりはなかった。すぐさま話が聞こえない場所に移動するべきだと思ったけれど、体が動かなかった。聞こえていると気づかない騎士達は構わず会話を続ける。

「えっ! それって奥さん、酷すぎませんか? どんなに夫婦仲が上手くいってなくとも手紙くらい寄越してもいいじゃないですか! みんな家族や恋人からの手紙を心の支えに頑張っているのに……」
「何かしら事情があるんだろうよ。分かっていると思うが、余計な詮索なんてするんじゃないぞ。他人が首を突っ込むことじゃない。誰にだって、知られたくない過去のひとつやふたつあるもんだ」

 年長の騎士は新人騎士に釘を刺してから話題を終わらせ、子供達のもとへ歩いていく。
 私は頭が混乱した。アザキオが結婚していることは、左手の指輪で分かっていた。でも、八年間で一度も手紙のやり取りをしていないという事実が信じられずにいる。

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