浮気の代償~失った絆は戻らない~

矢野りと

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1.結婚10年目の浮気

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普段家族が利用する事がない商談用の応接室でソファに座り妻イザベラと向き合っている。結婚生活10年目に軽い気持ちでした浮気をイザベラに知られてしまい、この応接室で二人っきりの話し合いを始めたところだった。

俺は自他ともに認める愛妻家で、今回の事は本当に軽い出来心だったのだ。イザベラの事は最高の妻だと思っているし心から愛しているので、こんなことで大切な結婚生活にヒビなど入れる気は毛頭なかった。

目の前に座るイザベラの表情は今まで見たこともないくらい怒りに満ちたものだった。俺はなんとか誤魔化してこの危機を乗り越えようと必死だった。

「ベラ、誤解なんだ。浮気なんかじゃないんだよ、彼女とはただ一緒に仕事をしていただけだ」

「そうですか。トーマス、あなたは昼間に仕事を抜け出して怪しげな休憩所を従業員と一緒に利用する仕事なんてありましたか。私はドエイン商会に嫁いで10年になるけどそんな仕事は把握していません。そんな嘘が通用すると思っているの!」

イザベラは下手な言い訳をする俺を冷たく突き放してきた。
俺はこの街で一番大きな商会の跡取り息子で、イザベラも嫁いで来た時から商会の仕事を手伝っているのでやはり簡単には誤魔化されてくれなかった。

「いや、あれだ、新しい販路の開拓を兼ねて色々なところに行っているんだ。男の目線だけじゃ偏った見方をしてしまうから女性の従業員と一緒に回っているんだよ。誓ってやましい事なんてしていない、本当なんだ」

俺は苦しい言い訳を重ねていく、兎に角、必死だった。俺は浮気をしたが愛しているのは妻だけなので、ここで認める訳にはいかないと思っていた。だからもせずに言い訳に終始していた。
こんなやり取りを一時間ほど繰り返すと、さすがにそろそろ問い詰めは終わりになるかと期待していたが、俺の作戦は火に油を注いだだけで、妻の怒りは増していく一方だった。

どうしたらいいかと頭を抱えていたら、騒ぎを聞きつけ扉の前に待機していた家族が心配して部屋へと入ってきた。
どうやら家族は俺達の会話を最初から扉の前で立ち聞きしていたようで、今の状況をしっかりと把握していた。
『これは不味い、もう言い逃れは出来ないぞ』と俺は諦めの境地になっていると予想外の方向に話が進んでいった。


「悪いけど話は聞かせてもらったわ。これはイザベラ、あなたに非があるわ。トーマスを責めるなんて間違っているわよ。あなたが妻としてしっかり務めを果たしていれば夫であるトーマスは他に癒しを求めるなんて馬鹿な事はしなかったでしょう。反省すべきは浮気をされたあなた自身よ。それに貴族社会では愛人は当たり前なんだから、子爵家出身のあなたは愛人くらい受け入れるのが当然でしょうに」

母マーサは俺の浮気を咎めることなく、落ち度のないイザベラを責め立て始めた。どう考えても母の言い分はおかしな理屈だが、俺は自分が責められなかったことにホッとして母の言葉を『うん、うん』と頷きながら聞いていた。
自分に都合がいいから母の暴言を止めることもせずにいたのだ。

イザベラは俺との話し合いの時と違って、母の言葉には反論することなく大人しく聞いている。

すると普段は寡黙な父ヨルンも母に続いた。

「イザベラ、お前はここに嫁いで来たのだから夫を立てることをしなさい。平民に嫁いだのにいつまでも貴族気分で自分が上だと勘違いしていては困る。
だから貴族から嫁を貰うなんて碌な事にならんのだ。その考えを改めないのなら息子と離縁する事になるぞ」

プライドの高い父は普段は態度にこそ見せていなかったが、嫁であるイザベラが自分より身分が上なのが気に食わなかったのでここぞとばかりにそれを責め立てていた。
イザベラは嫁いだ時から貴族出身なのを鼻にかけることなく『はい、はい』と義両親を立てて、笑顔を絶やさずに身を粉にして働いているのに…。そんな事は家族である俺達が誰よりも承知している事なのに…。

父も理不尽な言葉をベラに投げつけていたが、俺は『そうだ』と言わんばかりの態度で腕を組んでただ見ているだけで止めなかった。
本当は『そんな事はない。ベラはいつでも俺を立てて家族に尽くしているじゃないか』と心の中で庇っていたが、それを言動にはしなかった。

義両親に責められ続けたイザベラの表情からは怒りがいつの間にか消え、悲しみに覆われていた。
そんなイザベラに向かって俺達の9歳になる長男リチャードが口を開いた。

「僕はお父さんの気持ちが分かるよ。だってミーシャさんはいつでも優しくて綺麗にしているじゃん。それに比べてお母さんは小言ばっかりだし、いつも地味な服着てネズミみたいに働いているだけでしょ。僕だってミーシャさんみたいなお母さんの方が良かったよ。お母さん、これ以上ガミガミ言ってたら本当に家族から捨てられちゃうからね」

義両親と息子からの強烈な援護射撃が効いたのか、イザベラは頭を下げたまま『みんなの気持ちはよく分かりました、失礼します』と声を震わせながら言うと部屋を後にした。そして何も言わずにいた8歳の長女アイリスも俺を睨みつけながら無言で母の後を追うように出て行った。


俺は浮気を誤魔化してこの場を乗り切ろうと思っていただけだった。
両親たちが乱入し予想外にイザベラを悪者にしてしまったが、そんなつもりは決してなかった。
だが俺の浮気があやふやになり話し合いが終わったことには正直安堵していた。
両親と息子のイザベラへの言葉は酷いものだったのでそれについて文句を言いたかったが、あれのお陰で自分の浮気が責められなくなったのは事実なので今更注意をすることも出来なかった。

けれども、決してあのような事を肯定してはいなかった。ただ浮気を認めたくなくて黙っていただけで…。

暫くは妻の機嫌が悪いだろうと覚悟していたが、これで明日からいつも通りの夫婦に戻れると愚かな俺は勝手に思い込んでいた。


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