47 / 57
44.大切なもの③〜エドワード視点〜
しおりを挟む
俺は現実から逃げることで正気を保った。
記憶を取り戻したあの日から仕事に没頭し、それを言い訳に屋敷に帰らず現実から目を逸らし続ける。
誰にも記憶を取り戻したことは言わなかった。
少し言動がおかしくても、記憶を失った俺はマリアに酷い行いをしていた前科があるから、誰も記憶を取り戻したことに気づかない。
自分の過ちを正すには何もかも遅すぎた。
そんなことは今の自分が一番分かっている。
記憶を失っていたとはいえ、どうして俺はあんな行動をしてしまったのか…。
いくら考えても分からなかった。
いや…、弱い自分自身を認めたくないだけだ。
マリアを愛していたのに、他の女性と深い関係になり子供まで作っていた現実を。
本当に大切なものを失ってしまった事実を。
認めようが認めまいが何も変わらないというのに。
愚かな俺は彷徨い続ける。
時間が解決することでもないというのに、ただ無意味に現実から逃げているだけ。
記憶を取り戻した俺にとってマリアへの愛こそが真実で、それは彼女が従兄弟の婚約者になっていても変わらない。
そして現実には俺は正式な妻と子がいる。
ラミアとの出会いも今に至る経緯も全てを覚えたままだから自分が悪いのは分かっている。
ラミアへの気持ちが真実だった自分も覚えている。
だから余計に辛いのだ。
今はその愛が…愛ではなくなっている。
彼女に負の感情などない、俺と出会わなければ彼女は茨の道を歩いてはいなかった。心から申し訳ないと思っている。だが以前の想いは消えていた。
家族としての情はある、でも愛ではない。
ラミアもケビンも大切にするべき存在だと頭では理解しているが、それだけだ。
なんて薄情な奴なんだ、俺は…。
我ながら酷い奴だと笑ってしまう。
考えるのはマリアのことばかり。
会いに行く資格などないから、会いには行っていない。それは理性が残っているからではなく、彼女をこれ以上傷つけたくない一心から。
マリアのこと、そしてこの世に生まれなかったあの子のことを知りたい。
…だが誰にも聞けない。
聞けば記憶が戻ったことが知られるだろう。
その先に待ち受けるものに希望はない。
それに妻子を愛せなくなっている俺をマリアはどう思うだろうか。
…知られるのが怖い。
誰にも言えるわけがなかった。
気づけば俺は連絡もなしにマイル侯爵邸を訪ねていた。門前払いされることなく応接室に通されヒューイと向かい合っている。
何をしに来たんだろうか。
自分で来たくせにそれすら分かっていない。
もう俺はまともじゃないのだろうか。
それならどんなに楽だろう。
…はっ、っはは…。
そう思っている俺は残念ながらまだ正気だ…。
薄ら笑いを浮かべる俺をヒューイは黙って見ている。何でここに来たのか聞かない。ただじっと俺の言葉を待っている。
彼はきっと俺の行動の変化を耳にしている。
切れ者の彼なら俺が記憶を取り戻した事実に辿り着いているかもしれない。
だがヒューイは何も言ってこない。
「なあヒューイ、マリアは俺が行方不明の間どうだった…」
曖昧な問いかけ。何も具体的には尋ねない。
だがヒューイも俺に『なんのことだ?』とは尋ねてこない。
「お前が行方知れずになってすぐに酷く辛い出来事があった。それは誰のせいでもない、彼女のせいでもお前のせいでもな…。
それでも彼女はお前の生存を信じることを支えに表向きは立ち直ったが、本当は悲しみを一人で抱え込んでいた。あの状況ではそれしか出来なかった、お前が帰る場所を必死で守っていたんだから」
彼は具体的な言葉を使わずに俺が知りたかったことを教えてくれた。
あの子はすぐにいなくなってしまったのか…。
あの子の死がより現実になり、辛くて仕方がない。
だがマリアの悲しみはきっとこんなものではなかっただろう。
「マリアは記憶を失って戻ってきた俺をさぞ憎んでいただろうな…」
これは呟きだった。分かりきっていることを彼に尋ねたわけではない。
「どうだろうな…。人の心の中までは誰にも分からない。だがなお前から見てマリアはどんな人だった?」
淡々とヒューイは話していたが、『その頭を使って自分で考えろ』と言われている気がした。
「俺の知っている彼女はいつだって自分の幸せより他人の幸せを考えていた。そして幸せそうな顔を見て、彼女も『いいわね』って幸せそうに笑ってくれていた…。憎んでいる彼女は見たことがない、優しくて思いやりに満ちていて…」
そんな彼女を俺が地獄に突き落とした。
変えようがない過去に後悔しかない。
「だったらそれが真実だ。
勝手にマリアの心の中を想像して彼女を貶めるな。
そんなことは俺が許さない。
お前が記憶を失ったことはお前の責任ではない。
だが今ある現実から目を背けて責任から免れることの免罪符にするな。
それとこれとはもう別の問題だ。
今ある現実をなかったことに出来るとでも?
お前の妻子は消えてなくなりはしないんだぞ!
エドワード、お前はどうしたいんだ?」
鋭い眼差しに厳しい口調だったが突き放しているとは感じなかった。
ヒューイは全てを見透かしている。
記憶を取り戻していることも、愚かな俺の迷いも…。
そのうえで『何が大切か、どうするべきか自分で考えて答えを出せ、甘えるな。それはお前が背負うべき苦しみだ。逃げるなっ』と教えてくれているのだ。
記憶を取り戻したあの日から仕事に没頭し、それを言い訳に屋敷に帰らず現実から目を逸らし続ける。
誰にも記憶を取り戻したことは言わなかった。
少し言動がおかしくても、記憶を失った俺はマリアに酷い行いをしていた前科があるから、誰も記憶を取り戻したことに気づかない。
自分の過ちを正すには何もかも遅すぎた。
そんなことは今の自分が一番分かっている。
記憶を失っていたとはいえ、どうして俺はあんな行動をしてしまったのか…。
いくら考えても分からなかった。
いや…、弱い自分自身を認めたくないだけだ。
マリアを愛していたのに、他の女性と深い関係になり子供まで作っていた現実を。
本当に大切なものを失ってしまった事実を。
認めようが認めまいが何も変わらないというのに。
愚かな俺は彷徨い続ける。
時間が解決することでもないというのに、ただ無意味に現実から逃げているだけ。
記憶を取り戻した俺にとってマリアへの愛こそが真実で、それは彼女が従兄弟の婚約者になっていても変わらない。
そして現実には俺は正式な妻と子がいる。
ラミアとの出会いも今に至る経緯も全てを覚えたままだから自分が悪いのは分かっている。
ラミアへの気持ちが真実だった自分も覚えている。
だから余計に辛いのだ。
今はその愛が…愛ではなくなっている。
彼女に負の感情などない、俺と出会わなければ彼女は茨の道を歩いてはいなかった。心から申し訳ないと思っている。だが以前の想いは消えていた。
家族としての情はある、でも愛ではない。
ラミアもケビンも大切にするべき存在だと頭では理解しているが、それだけだ。
なんて薄情な奴なんだ、俺は…。
我ながら酷い奴だと笑ってしまう。
考えるのはマリアのことばかり。
会いに行く資格などないから、会いには行っていない。それは理性が残っているからではなく、彼女をこれ以上傷つけたくない一心から。
マリアのこと、そしてこの世に生まれなかったあの子のことを知りたい。
…だが誰にも聞けない。
聞けば記憶が戻ったことが知られるだろう。
その先に待ち受けるものに希望はない。
それに妻子を愛せなくなっている俺をマリアはどう思うだろうか。
…知られるのが怖い。
誰にも言えるわけがなかった。
気づけば俺は連絡もなしにマイル侯爵邸を訪ねていた。門前払いされることなく応接室に通されヒューイと向かい合っている。
何をしに来たんだろうか。
自分で来たくせにそれすら分かっていない。
もう俺はまともじゃないのだろうか。
それならどんなに楽だろう。
…はっ、っはは…。
そう思っている俺は残念ながらまだ正気だ…。
薄ら笑いを浮かべる俺をヒューイは黙って見ている。何でここに来たのか聞かない。ただじっと俺の言葉を待っている。
彼はきっと俺の行動の変化を耳にしている。
切れ者の彼なら俺が記憶を取り戻した事実に辿り着いているかもしれない。
だがヒューイは何も言ってこない。
「なあヒューイ、マリアは俺が行方不明の間どうだった…」
曖昧な問いかけ。何も具体的には尋ねない。
だがヒューイも俺に『なんのことだ?』とは尋ねてこない。
「お前が行方知れずになってすぐに酷く辛い出来事があった。それは誰のせいでもない、彼女のせいでもお前のせいでもな…。
それでも彼女はお前の生存を信じることを支えに表向きは立ち直ったが、本当は悲しみを一人で抱え込んでいた。あの状況ではそれしか出来なかった、お前が帰る場所を必死で守っていたんだから」
彼は具体的な言葉を使わずに俺が知りたかったことを教えてくれた。
あの子はすぐにいなくなってしまったのか…。
あの子の死がより現実になり、辛くて仕方がない。
だがマリアの悲しみはきっとこんなものではなかっただろう。
「マリアは記憶を失って戻ってきた俺をさぞ憎んでいただろうな…」
これは呟きだった。分かりきっていることを彼に尋ねたわけではない。
「どうだろうな…。人の心の中までは誰にも分からない。だがなお前から見てマリアはどんな人だった?」
淡々とヒューイは話していたが、『その頭を使って自分で考えろ』と言われている気がした。
「俺の知っている彼女はいつだって自分の幸せより他人の幸せを考えていた。そして幸せそうな顔を見て、彼女も『いいわね』って幸せそうに笑ってくれていた…。憎んでいる彼女は見たことがない、優しくて思いやりに満ちていて…」
そんな彼女を俺が地獄に突き落とした。
変えようがない過去に後悔しかない。
「だったらそれが真実だ。
勝手にマリアの心の中を想像して彼女を貶めるな。
そんなことは俺が許さない。
お前が記憶を失ったことはお前の責任ではない。
だが今ある現実から目を背けて責任から免れることの免罪符にするな。
それとこれとはもう別の問題だ。
今ある現実をなかったことに出来るとでも?
お前の妻子は消えてなくなりはしないんだぞ!
エドワード、お前はどうしたいんだ?」
鋭い眼差しに厳しい口調だったが突き放しているとは感じなかった。
ヒューイは全てを見透かしている。
記憶を取り戻していることも、愚かな俺の迷いも…。
そのうえで『何が大切か、どうするべきか自分で考えて答えを出せ、甘えるな。それはお前が背負うべき苦しみだ。逃げるなっ』と教えてくれているのだ。
220
お気に入りに追加
6,898
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】愛しい人、妹が好きなら私は身を引きます。
王冠
恋愛
幼馴染のリュダールと八年前に婚約したティアラ。
友達の延長線だと思っていたけど、それは恋に変化した。
仲睦まじく過ごし、未来を描いて日々幸せに暮らしていた矢先、リュダールと妹のアリーシャの密会現場を発見してしまい…。
書きながらなので、亀更新です。
どうにか完結に持って行きたい。
ゆるふわ設定につき、我慢がならない場合はそっとページをお閉じ下さい。
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。

嘘をありがとう
七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」
おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。
「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」
妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。
「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

あなたへの恋心を消し去りました
鍋
恋愛
私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。
私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。
今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。
彼は心は自由でいたい言っていた。
その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。
友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。
だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。
※このお話はハッピーエンドではありません。
※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる