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8.消せぬ噂②
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後日ミラー侯爵を訪ね、条件を受け入れることを申し出た。
「私も調べましたが、この事業を成功させなければ侯爵家はもたない。乗り切るためにはブラント伯爵家の条件を飲むしか選択肢はないでしょう」
そう伝えると侯爵は申し訳無さそうな顔をしながらも爵位を手放さなくても良いことに安堵しているようだった。
そしておずおずと私に伯爵家の具体的な要望を伝えてきた。
「エミリー嬢の『複数の男性と遊んでいる』という悪い噂を払拭する為に『元恋人のことを思って身を引いた健気な女性』という印象を周囲に広めて欲しいそうだ。
その為に夜会であったら仲睦まじい様子で会話を楽しみダンスをする、決してエミリー嬢が捨てられたように見えないようにと。
…お互いに想いあっていたからこそ別れを選んだというふうに見せてほしいそうだ。
ああでも、悪い噂が落ち着いて縁談の話が持ち上がったらすぐにでも終わらせると」
「……っ……!!」
考えていた以上に酷い条件だった。社交界で元恋人としてエミリーを大げさに褒めることを求められると覚悟していたが…その考えは甘かった。
これは受け入れられない。
そんなことをしていたら新たな噂が立ちサマンサが傷ついてしまう。やっとサマンサに関する噂が下火になってきたというのに。
彼女が心を開き始めたと思っていたのに。
そんなことを受け入れるはずがないっ。
いったいなにを考えているんだ!
「これはあまりにも非常識ではないですか。
悪い噂をこんな方法で払拭出来るかも怪しいですし、なにより『健気な女性』という印象より私との仲を疑う印象が上回ったら良縁がくるとは思えません。
それにサマンサがどう思うか…。
ブラント伯爵家と再度交渉しましょう、私も一緒に立ち会いますから」
「ブラント伯爵夫妻も娘の将来を考えて今までも悪い噂を払拭しようといろいろな方法を試したが駄目だったらしい。もう正攻法では無理だと藁にもすがる思いのようで…。
この条件を飲めないなら交渉決裂だと強く言われている。
もう交渉の余地はないんだ。
本当にすまない!
だが良い縁談に恵まれたらすぐにでもこの条件はなくなる!頼む、私もエミリー嬢に良い相手を紹介し早めにこんな茶番を終わらせることにするつもりだ。なんとか堪えてはくれないか…」
頭を下げ続ける侯爵には悪いが私はすぐに頷くことは出来なかった。
こんな茶番に付き合ったらサマンサが辛い立場になるし、彼女との良好な関係も崩れてしまう。
無言のまま腕を組んで考えていると侯爵がボソリと呟いた。
「ああ、このままいけば爵位返上になり…サマンサも嫁げなくなるのか……」
私に対する脅しではなかったが、その独白は私には効いた。
なにを優先すべきか考えるまでもない。守りたいものはサマンサとともに歩む未来だ。
その為には断腸の思いで茶番を受け入れるしかない。ただし、サマンサに誤解されないように全てを打ち明けるつもりだった。
こんな事になった詳細を話して、一時的に辛い立場にさせることを誠心誠意謝ろう。
そして全てが解決したその時に想いを打ち明けよう。
「はぁ…、分りました。その条件を受け入れましょう。だが周囲に誤解されるのは諦めますがサマンサだけには誤解されたくありません。
彼女にだけは事前に全てを話しておきます、いいですね?」
「…っ、いや、ちょっと待ってくれ」
私の言葉に分りやすく侯爵は狼狽えている。
調査の過程で分かったことだが実はこの事業には家族に内緒で囲っている彼の若い愛人が絡んでいる。平民の愛人を必要もないのに自分の補佐として雇い入れているのだ。
今回のことを私から全てサマンサに話せば侯爵夫人にも伝わり、隠していた愛人の存在がバレてしまうかもと恐れているのだろう。
そんなことはどうでもいい。
わざわざ彼女に伝えるつもりもない。
「全てと言いましたが余計なことは言わないつもりです。…サマンサだって父親の愛人の存在など知りたくないでしょうから」
そう言ったがミラー侯爵はその言葉だけでは安心出来なかったようだ。
「…娘には私から話させてくれ。君が誤解されないようにそれについてはちゃんと伝える。
だから私に任せて欲しい…お願いだ。
勝手なことだが全てが上手くいくようにしたいんだ!」
土下座をせんばかりの勢いで必死に頼んでくる。こう言われたら流石に断れない、仮にも彼は将来の義父でミラー侯爵家当主だ。
必要以上に追い詰めることはしたくない。
「…分りました。ではサマンサへの説明は侯爵からお願いします。
必ず伝えてください。それと私が協力するのは今回の条件のみですから」
「ああ勿論だ、…ありがとう。娘には時期を見てちゃんと伝えるから大丈夫だ、安心してくれ。
これで全てが上手くいく、本当にありがとう」
私の手を両手で握って何度も感謝を伝えてくる侯爵を疑うことはなかった。
こうして私は夜会で会った時には約束通りに茶番に付き合うようになった。
侯爵がサマンサに話してくれているとはいえやはり気になり初めの頃に確認をした。
『サマンサ、不愉快な噂を耳にしていると思うが大丈夫だろうか?君の父上からすでに聞いていると思うが大丈夫だからな、君だけを大切にするからなんの心配もいらない。どうか私を信じて欲しい』
『…父から以前に聞いております。大丈夫です、気を遣ってくれてありがとうカイル』
『辛い思いをさせて本当にすまない。
でも君がそう言ってくれて安心したよ。ありがとう、サマンサ』
微笑んでくれるいるがその表情には寂しさが見えた。理解してくれているとはいえ、やはり気分が良い訳がないのだろう。早くこの茶番を終わらせなければと決意を新たにする。
そして数カ月後に学園を卒業したサマンサと予定通りに婚姻を結び、愛する人を伴侶として迎えることが出来た。
まだエミリーの件が片付いてはなかったので、愛を伝える言葉は控えていた。
だがもうすぐに全てが片付き、サマンサに自分の想いを伝えられると思うと不愉快極まりない茶番も仕事としてこなすことが出来た。
もうすぐだ、あと少しの辛抱だ。
こうして婚姻も無事に結べた。
愛する人がこれからずっと隣にいてくれる。
もう少しで終わるから待っていてくれ。
それからも夜会で会うことがあったら約束通りにエミリーと会話を楽しむ振りをし、一曲だけダンスの相手をした。
エミリーは毎回わざと耳元で囁く『あらカイルの奥様が他の殿方に熱い視線を送っているわ』、それが彼女の嘘だと分かっていても怒りで顔が赤くなった。
自然と踊りも乱暴になり傍から見れば大胆、実際は相手に気遣いがないダンスになっていたが構わなかった。そこまで気を使う義理はない。
一曲踊り終わると約束は果たしたとばかりに足早に妻の元に戻る。
サマンサは微笑みながら私を待っていてくれる。
周囲の無責任な噂も耳に入っているだろうが、気にしないでいてくれている。
そんな彼女が堪らなく愛しい。
エミリーとの不愉快なダンスを忘れたい。
愛する人の手をとって踊りたい。
だから私は少し強引にサマンサをダンスへと誘う。愛する人に合わせて優しくステップを刻む瞬間は至福の時だった。
私達を見て馬鹿なことを言っている輩もいるが、そんなことはどうでもいい。
彼女さえ真実を分かっていてくれたらそれでいいんだ。
微笑んでくれている妻を優しく抱きしめながら踊り続けた。踊るときだけは思う存分抱き締めることが出来るから。
そう遠くない未来にいつかその耳元で愛を囁く日が来ることを考えながら、私は浮かれていた。
私にはサマンサのことしか目に入っていなかった。
「私も調べましたが、この事業を成功させなければ侯爵家はもたない。乗り切るためにはブラント伯爵家の条件を飲むしか選択肢はないでしょう」
そう伝えると侯爵は申し訳無さそうな顔をしながらも爵位を手放さなくても良いことに安堵しているようだった。
そしておずおずと私に伯爵家の具体的な要望を伝えてきた。
「エミリー嬢の『複数の男性と遊んでいる』という悪い噂を払拭する為に『元恋人のことを思って身を引いた健気な女性』という印象を周囲に広めて欲しいそうだ。
その為に夜会であったら仲睦まじい様子で会話を楽しみダンスをする、決してエミリー嬢が捨てられたように見えないようにと。
…お互いに想いあっていたからこそ別れを選んだというふうに見せてほしいそうだ。
ああでも、悪い噂が落ち着いて縁談の話が持ち上がったらすぐにでも終わらせると」
「……っ……!!」
考えていた以上に酷い条件だった。社交界で元恋人としてエミリーを大げさに褒めることを求められると覚悟していたが…その考えは甘かった。
これは受け入れられない。
そんなことをしていたら新たな噂が立ちサマンサが傷ついてしまう。やっとサマンサに関する噂が下火になってきたというのに。
彼女が心を開き始めたと思っていたのに。
そんなことを受け入れるはずがないっ。
いったいなにを考えているんだ!
「これはあまりにも非常識ではないですか。
悪い噂をこんな方法で払拭出来るかも怪しいですし、なにより『健気な女性』という印象より私との仲を疑う印象が上回ったら良縁がくるとは思えません。
それにサマンサがどう思うか…。
ブラント伯爵家と再度交渉しましょう、私も一緒に立ち会いますから」
「ブラント伯爵夫妻も娘の将来を考えて今までも悪い噂を払拭しようといろいろな方法を試したが駄目だったらしい。もう正攻法では無理だと藁にもすがる思いのようで…。
この条件を飲めないなら交渉決裂だと強く言われている。
もう交渉の余地はないんだ。
本当にすまない!
だが良い縁談に恵まれたらすぐにでもこの条件はなくなる!頼む、私もエミリー嬢に良い相手を紹介し早めにこんな茶番を終わらせることにするつもりだ。なんとか堪えてはくれないか…」
頭を下げ続ける侯爵には悪いが私はすぐに頷くことは出来なかった。
こんな茶番に付き合ったらサマンサが辛い立場になるし、彼女との良好な関係も崩れてしまう。
無言のまま腕を組んで考えていると侯爵がボソリと呟いた。
「ああ、このままいけば爵位返上になり…サマンサも嫁げなくなるのか……」
私に対する脅しではなかったが、その独白は私には効いた。
なにを優先すべきか考えるまでもない。守りたいものはサマンサとともに歩む未来だ。
その為には断腸の思いで茶番を受け入れるしかない。ただし、サマンサに誤解されないように全てを打ち明けるつもりだった。
こんな事になった詳細を話して、一時的に辛い立場にさせることを誠心誠意謝ろう。
そして全てが解決したその時に想いを打ち明けよう。
「はぁ…、分りました。その条件を受け入れましょう。だが周囲に誤解されるのは諦めますがサマンサだけには誤解されたくありません。
彼女にだけは事前に全てを話しておきます、いいですね?」
「…っ、いや、ちょっと待ってくれ」
私の言葉に分りやすく侯爵は狼狽えている。
調査の過程で分かったことだが実はこの事業には家族に内緒で囲っている彼の若い愛人が絡んでいる。平民の愛人を必要もないのに自分の補佐として雇い入れているのだ。
今回のことを私から全てサマンサに話せば侯爵夫人にも伝わり、隠していた愛人の存在がバレてしまうかもと恐れているのだろう。
そんなことはどうでもいい。
わざわざ彼女に伝えるつもりもない。
「全てと言いましたが余計なことは言わないつもりです。…サマンサだって父親の愛人の存在など知りたくないでしょうから」
そう言ったがミラー侯爵はその言葉だけでは安心出来なかったようだ。
「…娘には私から話させてくれ。君が誤解されないようにそれについてはちゃんと伝える。
だから私に任せて欲しい…お願いだ。
勝手なことだが全てが上手くいくようにしたいんだ!」
土下座をせんばかりの勢いで必死に頼んでくる。こう言われたら流石に断れない、仮にも彼は将来の義父でミラー侯爵家当主だ。
必要以上に追い詰めることはしたくない。
「…分りました。ではサマンサへの説明は侯爵からお願いします。
必ず伝えてください。それと私が協力するのは今回の条件のみですから」
「ああ勿論だ、…ありがとう。娘には時期を見てちゃんと伝えるから大丈夫だ、安心してくれ。
これで全てが上手くいく、本当にありがとう」
私の手を両手で握って何度も感謝を伝えてくる侯爵を疑うことはなかった。
こうして私は夜会で会った時には約束通りに茶番に付き合うようになった。
侯爵がサマンサに話してくれているとはいえやはり気になり初めの頃に確認をした。
『サマンサ、不愉快な噂を耳にしていると思うが大丈夫だろうか?君の父上からすでに聞いていると思うが大丈夫だからな、君だけを大切にするからなんの心配もいらない。どうか私を信じて欲しい』
『…父から以前に聞いております。大丈夫です、気を遣ってくれてありがとうカイル』
『辛い思いをさせて本当にすまない。
でも君がそう言ってくれて安心したよ。ありがとう、サマンサ』
微笑んでくれるいるがその表情には寂しさが見えた。理解してくれているとはいえ、やはり気分が良い訳がないのだろう。早くこの茶番を終わらせなければと決意を新たにする。
そして数カ月後に学園を卒業したサマンサと予定通りに婚姻を結び、愛する人を伴侶として迎えることが出来た。
まだエミリーの件が片付いてはなかったので、愛を伝える言葉は控えていた。
だがもうすぐに全てが片付き、サマンサに自分の想いを伝えられると思うと不愉快極まりない茶番も仕事としてこなすことが出来た。
もうすぐだ、あと少しの辛抱だ。
こうして婚姻も無事に結べた。
愛する人がこれからずっと隣にいてくれる。
もう少しで終わるから待っていてくれ。
それからも夜会で会うことがあったら約束通りにエミリーと会話を楽しむ振りをし、一曲だけダンスの相手をした。
エミリーは毎回わざと耳元で囁く『あらカイルの奥様が他の殿方に熱い視線を送っているわ』、それが彼女の嘘だと分かっていても怒りで顔が赤くなった。
自然と踊りも乱暴になり傍から見れば大胆、実際は相手に気遣いがないダンスになっていたが構わなかった。そこまで気を使う義理はない。
一曲踊り終わると約束は果たしたとばかりに足早に妻の元に戻る。
サマンサは微笑みながら私を待っていてくれる。
周囲の無責任な噂も耳に入っているだろうが、気にしないでいてくれている。
そんな彼女が堪らなく愛しい。
エミリーとの不愉快なダンスを忘れたい。
愛する人の手をとって踊りたい。
だから私は少し強引にサマンサをダンスへと誘う。愛する人に合わせて優しくステップを刻む瞬間は至福の時だった。
私達を見て馬鹿なことを言っている輩もいるが、そんなことはどうでもいい。
彼女さえ真実を分かっていてくれたらそれでいいんだ。
微笑んでくれている妻を優しく抱きしめながら踊り続けた。踊るときだけは思う存分抱き締めることが出来るから。
そう遠くない未来にいつかその耳元で愛を囁く日が来ることを考えながら、私は浮かれていた。
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