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4.別れと気づき

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学園での噂は続いていたが私は表立って注意することなかった。これが婚約者の望みでなければ面白おかしく話している奴らを殴り付けるところだが…。


わざと耳に入るように話す馬鹿な奴らの脇を通り過ぎるサマンサ嬢を気付かれないように目で追ってしまう。 

まるで聞こえてないかのように毅然とした態度でいる婚約者の立ち振舞はとても美しかった。
見た目だけでなく内面の美しさが表に現れているという感じで、気がつけばいつも婚約者のことを目で追っている自分がいた。


 なぜこんなに気になるんだ…。
 政略で結ばれた婚約者でしかないはずなのに。
 確かに彼女は素敵な女性だけれども…。

 婚約後も恋人をそばに置いているくせに自分は何をやっているんだ…。


自分自身がよく分からなくなっていた。

心の変化に悶々と勝手に悩みながらも私は変わらない日常を送っていた。

悪意ある噂をサマンサ嬢の見て見ぬ振りをしながら怒りで震える拳を握り締めていた。


一番馬鹿なのは自分自身だと気づきもせずにいたのだ。 






ある日エミリーの誘いを断って図書室で勉強していると思いの外帰りが遅くなってしまった。荷物を持ち急ぎ足で学園の玄関に向かう。あたりに人気はなく静まり返っていると、立入禁止になっている空き教室から誰かの声が聞こえきた。

立ち止まり何気なしに耳を傾けてみる。

その声は先に帰っているはずのエミリーと一人の男子生徒のものだった。

 
 エミリーもまだ残っていたのか?
 こんなところで何をしているんだ…。


最近彼女とはすれ違うことが続いていた。

話していても不快な違和感を感じることが多かったから、自然と避けてしまっていたのだ。

決して彼女はサマンサ嬢を悪く言ったりしていないが『嘘だと思うけど、こんなことを聞いたの…』のあとに続く言葉は酷い内容だった。決してエミリー本人の言葉ではなく噂を教えてくれているだけで、最後には涙を浮かべながら『…酷いわ、お可哀想に』で終わる。

最初の頃はエミリーの優しい心根に素直に感動していた。だがある日いつものように『お可哀想に』の言葉のあとに一瞬だけ口角が上がっていたのを見てしまった。

気のせいかもしれないと思いつつも忘れることは出来なかった。

それから何かがおかしいと感じ、エミリーの行動すべてに微かな違和感を感じていたのだ。




嫌な予感がしたがそっと扉の隙間から中を覗きこんだ。 

「ねえ、もっとあの女の噂を広めて。今のままじゃ物足りないわ。そうね、『複数の男と関係を持っているふしだらな女』なんてどうかしら?
そんな噂が流れたらあのいつもすましている顔がどうなるかしらね、ふふふ」

「おいおい、もうそろそろ止めておけよ。もう十分じゃないか」

「駄目よ、こんなんじゃまだ足りない。私から明るい未来を奪ったのだからその報いを受けさせなくてわ」

「何を言ってるんだ、明るい未来?
はっはは、お前みたいに陰で遊びまくっている女が貞淑な子爵婦人になれるはずないだろう。
カイルと付き合いながら何人の男と遊んでいるんだ?確かカイルが婚約する前からだよな…。
そもそもミラー侯爵令嬢の存在がなくてもそんなお前に普通の明るい未来はなかったぜ、きっと。カイルにだっていずれバレて終わっていたさ」

「もう、そんな不吉なことを言わないで!私はちょっと遊んで入るけど本命はカイルだわ。
それに彼は私を信じ切っているから大丈夫よ。

ちょっと、ふふふ…やめて。
あっ、もう…だめ…よ、こんなところで…」


教室にいるエミリーと男子生徒は見られているとも知らずに、熱い口づけを交わし始めた。


 なっ…なん、な…んだ、これは…。
 まさかエミリーの真の姿はこれなのか…。


衝撃の事実を前にして言葉は出なかった。

信じられない、目の前の現実に頭が追いつかない。エミリーの態度に違和感を感じていたがこんな裏の顔があったなんて思ってもいなかった。

自分が今まで見てきたもの信じていたものは一体なんだったのか…。

 何も見ていなかったんだな。
 自分に都合の良いことだけを真実だと信じていたのか…。
 では本当の真実は…。



エミリーが悪意に満ちた噂の出どころだった。そのうえ恋人だと思っていたのに彼女は陰で複数の男と付き合っていたようだ。

自分が知っているエミリーは嘘で塗り固められていた。そして私は全く気が付かずに彼女の手のひらの上で踊っていたのだろう。

彼女に怒りを向ける気にもならなかった、そもそも真実を見極められなかった自分にも非はある。

馬鹿な自分が騙されていたことは自業自得だと思える。


けれども悪意に満ちた噂を止めなかった愚かな自分だけは許せなかった。

きっと悪意ある噂を広めていたのがエミリーならば、彼女に頼んで調べて貰ったことも嘘の可能性が高い。つまりサマンサ嬢の望まぬことに私は手を貸していたかもしれないのだ。




その場でエミリーを問い詰めることはしなかった。全て調べ上げてから対峙したほうが良いと思ったからだ。教室から聞こえてくる甘い囁きに背を向け静かにその場から去っていった。

その後は何も知らないフリをしながら裏で調査をしていた。
予想外に時間が掛かってしまったのは噂の流布や男性関係が予想以上に酷かったからだ。その間にこれ以上噂が広まらないように裏で手を回したが、ここまで広がった噂を完全に消し去ることは不可能だった。

 

すべての調査が終わりエミリーに事実を突きつけて別れを告げたのは学園を卒業した直後のことだった。

最初こそ涙を流しながら言い訳をしていたが、次々と証拠を見せたら最後には『分かったわ、…別れましょう』と睨みながら言い捨てて去っていった。


その後ろ姿はまるで愚かな自分を見ているようだった。

私だって彼女と同じようなものだ。貴族男性は愛人を容認されているとはいえ婚約者を蔑ろにしてきた事実はエミリーがやっていたことと大差ない。


時を戻せるものならそうしたいが、そんなことは出来ない。自分の犯した過ちは変わらない。

謝罪をすれば許されるだろうか?
だがどんな顔をすればいいのか分からない。
それに謝れば婚約者である彼女は許さなくてはいけない状況に追い詰めることになるのではないか?

サマンサ嬢を苦しめたくはない。


この想いは…どこから来るのか。


自分が彼女に惹かれているのはもう誤魔化しようがなかった。 


婚約者に惹かれているが別れた直後にそんなこと言っても信じては貰えないだろうし、今更虫が良すぎる。

それに…サマンサ嬢だって困るだろう。

 きっと私は軽蔑されているだろう。
 当然だ、こんな身勝手な男なんだから…。


疑いようがない現実が私に重くのしかかる。


だから私は心を入れ替え、彼女がこんな私に心を開いてくれることを待つことにした。
優先すべきは彼女の気持ちだ。

自分の想いが実らなくてもいい、彼女の隣りにいる権利を与えられていることが奇跡なのだ。


凛として前だけを見ているサマンサ・ミラーに向かって心のなかで問いかける。

『愚かな私を君はいつか受け入れくれるだろうか…』

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