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53.最後の宴
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叙爵式典の前日。
一番最後に仕事を終えたのは私だった。急いで向かった先は馴染みの酒場。貸し切りではないので、他にお客さんも入っている。今日は満席のようでいつも以上に賑やかだ。
このお店に個室はないけれど、案内された席は三方を壁に囲まれていたので、良い具合に周囲の視線から遮られている。
私とルークライは隣同士の席は避けようと決めていたけれども、空いていたのは向かい合った席だけだった。一番最後に来た私が、移動をお願いするのは変だ。どうせこのお店の中にいるであろう監視役は、この状況を把握している。それなら、空いている席に座っても不自然ではない。
「遅れてすみません」
私が席に座ると、一番奥に座っているタイアン魔法士長が立ち上がって杯を掲げた。私も慌てて用意されていたグラスを手に持つ。
「ルークライの叙爵に乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
グラスを合わせる音を合図に最後の宴が始まった。
次々にお酒が運ばれてきて、みないつも以上にご機嫌な様子だ。
みなは私とルークライが国王に嵌められて別れたと思っている。私達が一緒に過ごせる最後の時間を、楽しいものにしようと、明るく振る舞ってくれているのだろう。
その気遣いは有り難かった。みなの笑顔をこの目に焼き付けておきたいから。
賑やかな私達に触発されたのか、店内はいつも以上に騒がしくなっていく。誰かが歌ったり、狭い通路で踊り始めたりして、三席先の声さえ聞こえない状態になる。
すると、酔っ払った魔法士が代わる代わるやって来て、私とルークライに絡むようになる。
「ルークライ、お前は凄い奴だ。俺が女だったら惚れちまってるぞー」
叫んだ魔法士はルークライの同期である。ルークライに投げキッスをしたあと、私と握手して去っていった。
そして、次にやって来たのは、私の同期だった。
「これだけは覚えておいてくだしゃい。リディア、君は私の大切にゃ同期でしゅ」
呂律が回っていないローマンは、ルークライのほうをちらっと見てから、遠慮がちに私にハグをした。その体は酒気を帯びていなかった。……やはり飲んでないのだ。
彼は一滴もお酒を飲めない体質だった。あの口調は一生懸命酔ったふりをしていたのだろう。
……ううん、きっと彼だけじゃない。
みんな知っているのだ、私達がみなの前から消えることを。だから、別れの挨拶をしに来ている。酔っ払ったふりは監視役の目を欺くためだ。
私は離れた席にいるタイアンに視線を向けた。
「ルーク、なにか聞いてる?」
「聞いてないけど、それしか考えられないな」
こっそり話していると、誰かが私の真後ろに立った気配がした。
「当たりじゃが責めるでないぞ。儂らが無理矢理聞き出したんじゃ。数人で羽交い締めにして、キューリが高いヒールでグリグリと攻めた。ちなみに、儂は脇の下をくすぐっただけじゃ」
振り返ると、そこには声の主――老魔法士がいた。彼は鼻を真っ赤に染めている。酔っているからではない。だって、嗅ぎなれた湿布の匂いしかしないもの。
彼はどれほどの涙を流してから、ここに来たのだろうか。
私の目からはぽろぽろと涙が溢れる。いつもなら、嘘か本当か分からない彼の冗談を笑い飛ばすのに、どうしても無理だった。
「リディアは随分と酒を飲んでいるようじゃな、泣き上戸とは」
「お祝いですから、たくさん飲みました」
一滴だって飲んでいない。それは老魔法士も承知しているだろう。
喧騒が壁となり私達の声は監視役には届いていないはず。でも、万が一を考えてお互いに言葉を選んでいる。
「これ、使ってください。もうすぐですよね? お誕生日は」
彼が愛用している湿布を包んだものを差し出すと、彼は目尻を下げて受け取った。
「よく覚えておったな。悪いのう、毎年気を使わせて」
「お世話になっていますから」
彼の誕生日は先月で、すでに贈り物も渡してある。でも、どうしても、もう一度贈りたかったから持ってきたのだ。
来年も再来年も、その先もずっと祝えないから。
彼の温かい心遣いにどれほど助けられたことか。……感謝してもしきれない。
老魔法士の視線が向かいの席に移る。
「ルークライ、儂の可愛い孫娘を泣かすでないぞ」
「もちろんです」
そして、私へと戻る。
「リディア、こやつを幸せにしてやってくれ。儂の自慢の弟子じゃからな」
「……っ…、は…い。全力で」
ルークライが天井を見上げて、涙を我慢するように深く息を吐いた。彼もきっと老魔法士の優しさに助けてもらったひとりなのだ。
老魔法士は顔をくしゃっとして笑いながら、先ほど渡した包みを乱暴に開け始める。そして、一枚取り出すと顔にピタッと貼り付けた。
「使わんともったいない……っ、から…の……」
周囲には笑い声が溢れている。けれども、彼の姿を笑う者は誰もいない。人混みを掻き分けてキューリが近づいてくる。彼女は一番に別れの挨拶を済ませていた。その時とは違って、今は目の周りの化粧が崩れている。
「ほら、モロック、一緒に飲みましょう。お互いに水分補給が必要だわ」
「珍しく優しいのう、キューリ」
「今日は特別よ。……支え合わないとね」
湿布で前が見えない老魔法士はキューリに手を引かれ、自分の席へと戻っていく。
私は思いっきり泣いた。……だって、泣き上戸という設定なのだから、泣かなければおかしい。
最後の最後まで、老魔法士の優しさに私は助けられている。
一番最後に仕事を終えたのは私だった。急いで向かった先は馴染みの酒場。貸し切りではないので、他にお客さんも入っている。今日は満席のようでいつも以上に賑やかだ。
このお店に個室はないけれど、案内された席は三方を壁に囲まれていたので、良い具合に周囲の視線から遮られている。
私とルークライは隣同士の席は避けようと決めていたけれども、空いていたのは向かい合った席だけだった。一番最後に来た私が、移動をお願いするのは変だ。どうせこのお店の中にいるであろう監視役は、この状況を把握している。それなら、空いている席に座っても不自然ではない。
「遅れてすみません」
私が席に座ると、一番奥に座っているタイアン魔法士長が立ち上がって杯を掲げた。私も慌てて用意されていたグラスを手に持つ。
「ルークライの叙爵に乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
グラスを合わせる音を合図に最後の宴が始まった。
次々にお酒が運ばれてきて、みないつも以上にご機嫌な様子だ。
みなは私とルークライが国王に嵌められて別れたと思っている。私達が一緒に過ごせる最後の時間を、楽しいものにしようと、明るく振る舞ってくれているのだろう。
その気遣いは有り難かった。みなの笑顔をこの目に焼き付けておきたいから。
賑やかな私達に触発されたのか、店内はいつも以上に騒がしくなっていく。誰かが歌ったり、狭い通路で踊り始めたりして、三席先の声さえ聞こえない状態になる。
すると、酔っ払った魔法士が代わる代わるやって来て、私とルークライに絡むようになる。
「ルークライ、お前は凄い奴だ。俺が女だったら惚れちまってるぞー」
叫んだ魔法士はルークライの同期である。ルークライに投げキッスをしたあと、私と握手して去っていった。
そして、次にやって来たのは、私の同期だった。
「これだけは覚えておいてくだしゃい。リディア、君は私の大切にゃ同期でしゅ」
呂律が回っていないローマンは、ルークライのほうをちらっと見てから、遠慮がちに私にハグをした。その体は酒気を帯びていなかった。……やはり飲んでないのだ。
彼は一滴もお酒を飲めない体質だった。あの口調は一生懸命酔ったふりをしていたのだろう。
……ううん、きっと彼だけじゃない。
みんな知っているのだ、私達がみなの前から消えることを。だから、別れの挨拶をしに来ている。酔っ払ったふりは監視役の目を欺くためだ。
私は離れた席にいるタイアンに視線を向けた。
「ルーク、なにか聞いてる?」
「聞いてないけど、それしか考えられないな」
こっそり話していると、誰かが私の真後ろに立った気配がした。
「当たりじゃが責めるでないぞ。儂らが無理矢理聞き出したんじゃ。数人で羽交い締めにして、キューリが高いヒールでグリグリと攻めた。ちなみに、儂は脇の下をくすぐっただけじゃ」
振り返ると、そこには声の主――老魔法士がいた。彼は鼻を真っ赤に染めている。酔っているからではない。だって、嗅ぎなれた湿布の匂いしかしないもの。
彼はどれほどの涙を流してから、ここに来たのだろうか。
私の目からはぽろぽろと涙が溢れる。いつもなら、嘘か本当か分からない彼の冗談を笑い飛ばすのに、どうしても無理だった。
「リディアは随分と酒を飲んでいるようじゃな、泣き上戸とは」
「お祝いですから、たくさん飲みました」
一滴だって飲んでいない。それは老魔法士も承知しているだろう。
喧騒が壁となり私達の声は監視役には届いていないはず。でも、万が一を考えてお互いに言葉を選んでいる。
「これ、使ってください。もうすぐですよね? お誕生日は」
彼が愛用している湿布を包んだものを差し出すと、彼は目尻を下げて受け取った。
「よく覚えておったな。悪いのう、毎年気を使わせて」
「お世話になっていますから」
彼の誕生日は先月で、すでに贈り物も渡してある。でも、どうしても、もう一度贈りたかったから持ってきたのだ。
来年も再来年も、その先もずっと祝えないから。
彼の温かい心遣いにどれほど助けられたことか。……感謝してもしきれない。
老魔法士の視線が向かいの席に移る。
「ルークライ、儂の可愛い孫娘を泣かすでないぞ」
「もちろんです」
そして、私へと戻る。
「リディア、こやつを幸せにしてやってくれ。儂の自慢の弟子じゃからな」
「……っ…、は…い。全力で」
ルークライが天井を見上げて、涙を我慢するように深く息を吐いた。彼もきっと老魔法士の優しさに助けてもらったひとりなのだ。
老魔法士は顔をくしゃっとして笑いながら、先ほど渡した包みを乱暴に開け始める。そして、一枚取り出すと顔にピタッと貼り付けた。
「使わんともったいない……っ、から…の……」
周囲には笑い声が溢れている。けれども、彼の姿を笑う者は誰もいない。人混みを掻き分けてキューリが近づいてくる。彼女は一番に別れの挨拶を済ませていた。その時とは違って、今は目の周りの化粧が崩れている。
「ほら、モロック、一緒に飲みましょう。お互いに水分補給が必要だわ」
「珍しく優しいのう、キューリ」
「今日は特別よ。……支え合わないとね」
湿布で前が見えない老魔法士はキューリに手を引かれ、自分の席へと戻っていく。
私は思いっきり泣いた。……だって、泣き上戸という設定なのだから、泣かなければおかしい。
最後の最後まで、老魔法士の優しさに私は助けられている。
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