二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと

文字の大きさ
上 下
45 / 62

44.親心

しおりを挟む
 グレウスは久しぶりの実家に肉の串を届けると、そのまま急いで帰宅した。
 先程のフードの人物がオルガならば、まだ家に帰りついてはいないはずだ。人通りがまばらになるや、すぐさま馬に跨って家路を急ぐ。
 貴族の邸宅の間を縫うようにして屋敷の門まで帰り着いたグレウスは、門番をしているロイスが慌てた様子で駆け寄ってくるのに気づいた。
「お帰りなさいませ、旦那様! あの……!」
 何か言おうとするロイスを制して、グレウスは問いかけた。
「オルガは外出中か? それとも中にいるのか?」
「え……奥方様ですか? 奥方様は本日もご在宅で、お出かけのご用命は伺っておりませんが……」
 意外なことを聞かれたかのように、ロイスは戸惑いを隠さない様子で返答した。
 やはりあれは別人だったのかと思いつつも、どうしてもあそこにオルガが居たように思えて仕方がない。
 グレウスの屋敷には正面の門の他に、屋敷の裏手に使用人用の通用門もある。用があるとき以外は鍵が掛かっているはずだが、もしかするとそちらから出入りしているのかもしれない。
 それを確かめるために馬の足を裏手に向けようとした時、正門横の通用口から老執事が姿を現した。
「旦那様、こちらへ」
 老人とは思えない素早い動作で、マートンはグレウスの馬の轡を取った。
 辺りを憚るように見回して、グレウスの馬を壁際の人目につかない所へ誘導する。
 屋敷の中で何事かあったようだと察して、グレウスは馬上から身を屈めて執事に顔を寄せた。
「何かあったのか」
 日頃にない鋭い眼光で正門の方を見据えながら、老執事はしわがれた声を出した。
「ラデナ王国のゼフィエル・ラデナ殿下が、旦那様とのご面会を求めてお越しになっておいでです」
 思いもかけない名前に、グレウスは目を見開いた。






 マートンから話の概要を聞いたグレウスは、愛馬に騎乗したまま門を潜った。屋敷の正面にある車寄せに一台の馬車が停まっているのが見える。
 その馬車の全容を見て、グレウスは唖然と口を開いた。
 えらくゴテゴテと飾り立てられた、派手な馬車だった。
 馬車の車両はカボチャか何かのように大きく膨らんだ曲線を描き、色は白。
 場違いなほど巨大な車輪や扉には、眩しい金の装飾。車両のてっぺんにも金の王冠が鎮座している。
 窓もやたらと大きく、中が丸見えだ。防寒も防衛もあったものではない。さぁここに金持ちが乗っています、襲撃どうぞと言いふらしているような馬車だった。
 アスファロスは魔法が発達し、偽証や犯罪の隠蔽が難しいため比較的治安はいい。が、そうだとしても、個々に鎮座する馬車は一欠けらの危機感も見当たらない乗り物だった。
 正気を疑って思わずマジマジと眺めながら近づくと、グレウスの帰宅に気づいた御者が馬車の扉へと駆け寄った。
 少し離れた場所で馬を降り、グレウスは高貴な客人が馬車から出てくるのを待った。
 中から出てきたのは同年代と思しき青年だったが、その姿にグレウスは二度唖然とした。
 

 身分を誇示する華美な馬車から現れたのは、予想通りと言うかなんと言うべきか、さすがこれだけの馬車を走らせるだけのことはあると唸るような人物だった。
 初めにグレウスの目に入ったのは、光沢を放つ白い絹の靴と、染み一つない真っ白なズボン。それから宝石で飾り立てた腰のベルトと黄金造りの細身の剣。
 金の房飾がこれでもかと付いた真紅の上着の下は、金の刺繍がびっしりと入った真紅のベスト。
 中のシャツは白だったが、呆れるほど大きな襟にレースの装飾までついている。
 肩に掛かるのは丁寧に巻かれた蜂蜜色の巻き毛だ。赤い宝石が嵌まった黄金の宝冠が、その頭のてっぺんに乗っている。
 目のいいグレウスは、その宝冠が馬車のてっぺんに飾られているのと同じ意匠であることに気づいた。
 極めつけに、肩から垂らした真紅のマントには、巨大なラデナ王国の紋章が金糸と宝石で描き出されていた。
 初対面であっても、ラデナ王国の王族以外には見間違えようのない出で立ちだ。
 金・赤・白・赤・金・金・金……。
 近づくと目がチカチカするのを感じながら、一応の礼儀としてグレウスは名を名乗った。
「グレウス・ロアでございます。え、え……と、ゼフィエル・ラデナ殿下でいらっしゃいますか?」
 貴族の屋敷を訪問するには、事前に先触れの使者を出して訪問の可否を問うのが常識だ。
 もしやこの出で立ちで王子ではなくだたの使者だったらどうしようと思っていると、馬車から地面に降り立った貴人はグレウスを一瞥して、雄弁な溜息を吐いた。
 芝居がかった仕草で巻き髪の房を後ろに払いのけると、青年は尊大な調子で言ってのける。
「お前がグレウス・ロア侯爵か。私はゼフィエル・ラデナ。ラデナ王国王太子の第三王子である」





 来客であるゼフィエル・ラデナについては、門の外でマートンが手短に教えてくれていた。
 現在の国王の孫にあたる王族で、王太子の三番目の王子。
 グレウスと同じ二十六歳で、ディルタス皇帝が即位した際の祝賀に、ラデナ国王名代としてアスファロスを訪れた。それ以来オルガに執心なのだという。
 王子からの求婚は、本人が国外への降嫁を拒否しているという理由で退けられたようだが、そうでなくともまったく想像がつかない組み合わせだ。
 片や眩しいほどの金ぴか王子、片や黒ずくめの皇弟――。
 そう思いかけて、自分とオルガも十分想像できない組み合わせだということに、グレウスは思い至ってしまった。
 どんな奇妙な組み合わせであっても、あり得ないということはない。自分たちがいい例だ。
 世が世ならば、この王子とオルガが夫婦になる可能性もあったのだろうか。
 グレウスは眩しい衣装に身を包んだ王子を見下ろした。


 アスファロスとラデナは王族同士の婚姻の歴史もあり、様々な条約を結んだ友好国でもある。
 その国の都に来て、貴族の屋敷を先触れもなく訪れ、挙句にこの態度である。下手をすると外交上の問題になりかねないのに、お付きの従者たちは止めなかったのだろうか。
 従者たちを見渡して、グレウスは溜息を呑み込んだ。王子の奇行にはとっくに慣れているのか、諫めるどころか顔色一つ変えていない。何とも言えない痛々しさだ。
 とにかく顔を合わせないように帰れと命じた騎士団長の気持ちがわかった気がした。
 言葉で説明されていても、実物を見るまできっと理解できなかったに違いない。国民性の違いなのかもしれないが、とても話し合いが可能な相手とは思えなかった。
 何の用で来たかは知らないが、さっさと用件を聞いて追い返すに限る。


「お待たせして申し訳ございません。ひとまず中にお入りください」
「無礼者め……! 私はラデナの王族。このような怪しげな屋敷に入る気はない」
 そう言って中に入ろうとしないことはマートンからも聞いていたので、グレウスはあっさりと諦めた。
「では御用をお伺いしてよろしいでしょうか」
 嫌な用事は早く済ませて、オルガと話がしたい。屋台で見かけた相手は、オルガだったのかそうでなかったのか。それに、子どもの頃に街で出会った時のことも詳しく話がしたかった。
 面倒そうな気配がでてしまったのだろうか、ラデナの王子が眉を吊り上げた。その口から剣呑な言葉が飛び出す。
「盗人がここに居ると聞いたのでな。我が手で成敗しに来たのだ」
「盗人」
 思わずオウム返しに呟いて、グレウスは装飾の激しい馬車に目をやった。
 いくらアスファロスの治安がいいからと言って、あんな馬車で往来すれば盗人の一人や二人は出てもおかしくない。大方目を離したすきに、馬車の装飾品でも盗られたのだろう。
 慰めの言葉でもかけるべきかと思ったが、ゼフィエルの言いたいことは違ったようだ。
「そうだ! 我が婚約者にして麗しの皇子オルガ・ユーリシス殿をよくも寝取ったな! この盗人侯爵が!」
 白い手袋に包まれた指が、糾弾するようにグレウスを指し示した。


 頭一つ低いところにある王子の顔を、グレウスは思わず凝視した。
 顔を真っ赤にして睨みつけてくる王子の顔は、自分の正義を信じて疑いすら持っていないようだ。
 馬鹿馬鹿しい主張だが、今まで誰もこの王子の言うことを否定したり諫めたりはしなかったのだろう。挙句の果てに隣国まで押しかけて、既婚者となった相手を奪い返そうとでも言うのだろうか。
 物の道理もわかっていないような、尊大な口調と表情。まるで駄々をこねる小さな子どものようだ。
 だが――、とグレウスは考える。
 カボチャのような馬車もやたらと煌びやかな衣装も、グレウスの目には少々滑稽に映るほどだが、本人やお付きの従者にとってはこれが当たり前のことなのだろう。
 大勢に傅かれて育ったのだと察せられる、傍若無人な振る舞い。
 髪は過剰なくらいに手入れが行き届いており、肌は日焼けも知らない。白い手袋が真っ白なままでいられるのは、その手で何もすることがないからだろう。
 巨大な窓を持つ馬車を走らせても、少しの危機感も覚えない。
 装飾過多な衣装を重いとも感じずに身に着けて、上等な絹の靴を汚した時には新しいものに履き替えるだけ。
 身の回りの世話はすべて下々に任せて、ただ思うがままに振舞うことだけを許される存在。
 ――これが王族というものだ。
 不意にグレウスは理解した。
しおりを挟む
感想 347

あなたにおすすめの小説

病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。

恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。 キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。 けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。 セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。 キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。 『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』 キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。   そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。 ※ゆるふわ設定 ※ご都合主義 ※一話の長さがバラバラになりがち。 ※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。 ※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

公爵令息は妹を選ぶらしいので私は旅に出ます

ネコ
恋愛
公爵令息ラウルの婚約者だったエリンは、なぜかいつも“愛らしい妹”に優先順位を奪われていた。正当な抗議も「ただの嫉妬だろう」と取り合われず、遂に婚約破棄へ。放り出されても涙は出ない。ならば持ち前の治癒魔法を活かして自由に生きよう――そう決めたエリンの旅立ち先で、運命は大きく動き出す。

【完結】婚約破棄され毒杯処分された悪役令嬢は影から王子の愛と後悔を見届ける

堀 和三盆
恋愛
「クアリフィカ・アートルム公爵令嬢! 貴様との婚約は破棄する」  王太子との結婚を半年後に控え、卒業パーティーで婚約を破棄されてしまったクアリフィカ。目の前でクアリフィカの婚約者に寄り添い、歪んだ嗤いを浮かべているのは異母妹のルシクラージュだ。  クアリフィカは既に王妃教育を終えているため、このタイミングでの婚約破棄は未来を奪われるも同然。こうなるとクアリフィカにとれる選択肢は多くない。  せめてこれまで努力してきた王妃教育の成果を見てもらいたくて。  キレイな姿を婚約者の記憶にとどめてほしくて。  クアリフィカは荒れ狂う感情をしっかりと覆い隠し、この場で最後の公務に臨む。  卒業パーティー会場に響き渡る悲鳴。  目にした惨状にバタバタと倒れるパーティー参加者達。  淑女の鑑とまで言われたクアリフィカの最期の姿は、良くも悪くも多くの者の記憶に刻まれることになる。  そうして――王太子とルシクラージュの、後悔と懺悔の日々が始まった。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

あなたの妻にはなりません

風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。 彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。 幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。 彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。 悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。 彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。 あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。 悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。 「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

処理中です...