二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと

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17.母娘

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 チリンッ、という扉の音に反射的に顔を上げれば、そこには母の姿があった。
 私と目があった母は顔を綻ばせ、私の時と同じように給仕人に案内されてテーブルへとやって来た。

「シャロン、待たせて本当にごめんなさいね。途中で事故があったの」

「お母様、大丈夫ですか?」

 私は身を乗り出すように尋ねた。怪我はしてはいないように見える。でも、私のために痛みを堪えてここに来てくれたのかもしれない。不謹慎かもしれないけど、そう思うと嬉しかった。

 母は心配ないと言うように軽く頷いた。

「怪我はないのよ。馬車が大きく揺れたのには驚いたけど。メイプル通りにある教会の前で車輪が轍に嵌って外れたの。その修理に時間が掛かって遅れてしまったのよ」

 そう話す母の眉尻は下がっていて、本当に申し訳なさそうな顔をしている。

 私もその通りを歩いて来たから知っている。確かここまで歩いて十分ほどの距離。貴族御用達の高級な店ばかりが並んでいるからか、警らしている騎士と何度もすれ違った。治安が良いので、供の者を連れずに歩いている貴族達もたくさんいた。


――歩けない理由はない。


 このお店の前には馬車寄せはない。建物をぐるりと樹木で囲んでいるからだ。だから、馬車を降りてからお店の玄関までは少しだけ歩くことになる。

 私の目の前に座る母は、髪も崩れていないし息も乱れていなかった。淑女らしく優雅に歩いていたのだろう。遅れて申し訳ないと心を痛めながら……。

 私が母ならせめて馬車を降りてから走ってくる。でも、これが育ちの差なのだと、湧き上がってくるもやもやを心の奥に仕舞った。

「それは災難でしたね」

「ええ、本当に」

 母が席に着くとすぐに料理は運ばれてきた。どれも私の好きなものばかりだった。覚えていてくれた、そう思うと自然と声が弾んだ。

「どれも美味しそうですね、お母様」

「本日のおすすめコースをお願いしたのよ。シャロン、苦手なものがあったら残してもいいのよ」

「……はい」

 弾んでいた声が消えてしまう。勝手に勘違いしたのは私だ。……母は悪くない。

 母は綺麗な所作で食べながら嬉しそうに話を始めた。家族のことや、最近マーコック公爵邸で起こったことを。
 たぶん、私が見逃してしまったことを教えようとしてくれているのだ。
 その気持ちは痛いほど伝わってくるから、私は笑みを絶やさずに聞き役に徹した。

 そして、デザートを食べる段階になって、私は今日ここに来た目的のために口を開いた。

「狩猟大会のドレスですが、お気持ちだけ頂きます。魔法士は私服着用となっていますが、それは参加者よりも目立たないためなので」

「でも、あなたはマーコック公爵令嬢でもあるのよ。相応しい格好というものがあるわ。あなたの瞳の色と同じ宝石を小さく砕いて胸元に散りばめようと思っているの」

 母はやはり華美なドレスを作ろうとしているらしい。いいえ、母にとっては小さく砕くから華美ではないのかもしれないけど。
 私は溜息を飲み込んで説得を続ける。

「お母様のお気持ちは本当に嬉しく思っています。でも、目立っては駄目なのです。私は公爵令嬢として参加するのではありませんから」

 母は「でもね、シャロン」と言ったあと、先ほどと同じ言葉を繰り返す。私が母の気持ちを踏みにじっている――そんな気持ちにさせる悲しそうな顔をしながら。

 断られてもめげないのは、老魔法士の言った通りだ。

『まさに親心じゃの』と好々爺の顔をして彼は言っていた。でも、彼が持っている親心と、母のは少し違う気がする。

 母は娘である私の立場に立って考えてくれない。でも、彼は他人である私にも寄り添う。



 少し厳しい口調で断ると、母は「分かったわ」と了承してくれたけど項垂れてしまった。
 気まずい雰囲気になりたいわけではない。もっと母と娘らしい会話をしたかったのに。

 そうだわ、母が知りたいことを話そう。母は私がどんな生活をしているか知らない。きっと気になっているはずだ。
 
 私は努めて明るい口調を心掛ける。

「魔法士は意外と地味な作業が多いんですよ。でも、凄くやり甲斐のある仕事です。そうだ、先日初めて防御の盾で人を守りました」

「まあ、恐ろしいわ。やはり魔法士は危険と隣合わせなのね……」

 しまったと思った。心配させるつもりはなかったのにと、私は慌てて言葉を紡ぐ。

「心配しなくとも大丈夫です、お母様。まだ新米なので危険度が高い任務に就くことはありま――」

「シャロン、食事中にそんな話題はやめましょう。相応しくないわ」

「……申し訳ございません」

 また、私の勘違い。母は私の心配などしていなかった。


 確かに相応しくなかったかもしれないけど、母は怖いと感じたのかもしれないけど。……でも、どうして私がどんな生活をしているかも聞かないのだろうか。

 タイアンは『親はいつだって子供が気になるものです』と教えてくれた――でも、それは正しくはなかった。

 彼でも間違うことがあるんだなと、私は心の中で苦笑いしながら唇をきつく噛み締めた。だって、そうしないと泣きそうだから。ここに湿布はないもの。


 ……なんだか私、馬鹿みたい。何を話そうかとか、こんなことを聞かれるだろうとか、勝手に浮かれたりして。
  

 しばらくして少し気持ちが落ち着くと、私は黙々とデザートを口に運び始める。砂を噛んでいるようで味なんて分からない。でも、この時間を早く終わらせるために作業を続けた。

 先に食べ終わっていた母がじっと私を見ているのに気づく。食事の作法は間違っていないけど、待たせすぎているのかもしれない。急いでお皿に残っているデザートを口に押し込め食事を終わらせる。
 すると、母は懺悔するかのように胸の前で両手を組んだ。

「あなたが公爵邸を出ていったのは、私のせいで攫われたと知ったからでしょ? シャロン」

 そう告げる母の艷やかな唇は微かに震えていて、その声音は後悔そのものだった。



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