8 / 62
8.浮かび上がる絵①〜ルークライ視点〜
しおりを挟む自分の車に千尋を乗せて和彦が向かったのは、繁華街の中にある、飲食店ばかりが入った雑居ビルだった。とにかく人目を避け、なおかつ人に紛れ込みたかったのだ。これだけ飲食店があれば、仮に尾行がついていたとしても、二人の姿を容易に見つけ出せないはずだ。
もっとも、千尋と二人きりになった時点でアウトな気もするが、肝心の千尋が和彦から離れないのだから仕方ない。
混み合うエレベーターを途中で降り、階段を使って上がる。入ったのは、個室が使える居酒屋だった。すでに盛り上がっているグループやカップルを横目に、二人は黙り込んだまま個室に案内してもらう。
和彦は車の運転があるためもちろんアルコールは飲めないが、千尋もそんな気分ではないらしく、ソフトドリンクといくつかの料理を頼んだ。
「それで、何があったんだよ」
飲み物が先に運ばれてくると、さっそく千尋が声をひそめて詰問してくる。和彦はグラスの縁を指先で撫でながら、まっすぐ見つめてくる千尋から目を逸らす。
「何もない……。ただ、終わらせたくなっただけだ」
「理由になってねーよ、それ」
「理由は必要ないだろ。もともとぼくとお前は、気が向いたときに寝るだけのわかりやすい関係だ」
「… …先生は、そう思ってたのか?」
千尋の目を見るつもりはなかったのに、切実な言葉の響きに、つい視線を向けてしまう。顔立ちとは裏腹に、強い輝きを放つ子供っぽさを宿した目が、今はきちんと大人の男の目をしていた。雄弁な想いを、目で語っていた。
ズキリと和彦の胸は痛む。その痛みで、遊びのつもりだと自分に言い聞かせながら、実は自分が、千尋との関係をいとおしんでいたことを痛感させられた。できるなら、最後まで気づきたくはなかったことだ。
「お前は、十も年の離れた男のぼく相手に、本気で恋人だとでも思っていたのか?」
「悪いかよ」
きっぱりと言い切られ、さすがに和彦もすぐには言葉が出なかった。知らず知らずのうちに頬が熱くなってきて、うろたえる。ちょうどいいタイミングで料理も運ばれてきて、テーブルに並べられる。
その間に和彦は落ち着こうとしたが、千尋はお構いなしだ。
「――俺が、普通の家に生まれて、普通の親に育てられたんだったら、先生にこうして振られても、悔しくても納得はしたと思う」
和彦はハッとして千尋を凝視する。テーブルの上で千尋は固く手を握り締めていた。
「千尋……」
「こういうことは、初めてじゃない。俺がどういう家の人間か知ると、みんな怖がって逃げていく。だけど、俺もバカなりに観察しているんだ。……オヤジは、俺がつき合う人間を選定している。厄介な人間を、力をちらつかせて俺から遠ざけているんだ。もしくは、直接脅しをかけている」
急に鋭い視線を向けられると同時に、千尋に手を掴まれた。
「組の人間に、何か言われたんだろ、先生」
「……なんのことだ」
「その答えは、いままで俺から離れていった人間と同じだ。誤魔化してるようで、全然誤魔化してないぜ」
和彦は唇を引き結び、答える気はないと態度で示したが、千尋はさすがに、あの父親の息子だった。
「――答えないなら、オヤジに直接聞くからな。先生に何をしたか、何を言ったか、全部聞いてやる。それに、俺が先生と別れる気がないことも言ってやる」
「やめろっ」
そう叫んだ和彦は、自分でも顔から血の気が引くのがわかった。あの男に、和彦が千尋を唆して行動を起こさせたと思われたら、そこで和彦のすべてが終わる。今度こそ、殺されるかもしれない。
千尋の父親からすれば、息子のおもちゃを取り上げるような感覚だろう。
恐怖で震える和彦の手を、痛いほど千尋は握り締めてくる。
「何、された……? こんなに怖がってる」
「何も……、何もされてない。ただ、お前とは会わないよう、言われただけだ。それよりもぼくは、お前の家がああいう感じだとは思ってもいなかったから、それが怖い」
まさか、辱められて、その光景をビデオカメラで録画されたなどと言ったら、千尋は怒り狂い、何をしでかすかわからない。和彦は千尋の父親も怖いが、千尋の暴走も恐れているのだ。
「……先生、隣に行っていい?」
目が据わった千尋に言われ、嫌とは言えない。和彦が頷くと、千尋は隣に移動してきて、すぐに肩を抱いてきた。さすがに個室とはいえ、両隣の客の声や、薄い障子に隔てられただけの通路で行き来する人の気配が気になる。離すよう言いたかったが、肩にかかった千尋の手は、頑是ない子供のように力強い。
「うちの組のことは聞いた?」
耳元に唇を寄せて千尋が尋ねてくる。足を崩して座布団の上に座り直した和彦は軽くため息をついた。
「少しだけ。… …すごいところらしいな」
「すごいと言っても、所詮はヤクザだ。嫌われて、怖がられるだけの存在だよ」
「でもお前、跡継ぎなんだろ。将来、跡を継ぐんじゃ……」
「継ぐよ」
あまりにあっさりと千尋が答えたため、和彦はひどく驚いた。千尋が家を出ていることや、父親に対する微妙な発言から、ヤクザというものを忌避しているのかと思い込んでいた。だが――。
「オヤジになんでも強いられるのが嫌なんだ。だけど、自分の道は自分で選ぶ。俺は、長嶺を継ぐ。嫌われようが、怖がられようが、長嶺の名前は魅力的だ。その名前が持つ力も。俺はガキの頃から、総和会の会長――俺のじいちゃんが、長嶺組の組長として組を引っ張っているのを見てきた。豪放なんだよ。だけどオヤジは……俺の憧れとは違う」
「嫌いなのか?」
「好きとか嫌いじゃない。オヤジは、俺の目指すものじゃない。だから、オヤジに組のことで命令されるとムカつくんだ。俺はまだ、組のことには関わらない。それに、どうせ関わるなら、総和会の本部で動きたい」
その辺りの組織の構成がどうなっているのか、和彦にはよくわからないし、知りたいとも思わない。
ただ、和彦が知らないことを熱のこもった口調で話す千尋を見ていると、強く実感できることがあった。やはり、あの男の息子だと。
暴力団組織を継ぐということに、一切のためらいがない、それどころか抗いがたい魅力を感じている節すらあり、和彦の理解を超えていた。千尋もまた、和彦が関わっていい相手ではないのだ。
「だけど今は自由でいたい。組とは関係なく、いろんなことをしたいし、好きな人と一緒にいたい……」
手が頬にかかり、千尋のほうを向かされる。
「俺のせいで先生が嫌な目に遭ったんなら、俺はオヤジを許さない。例え、俺のためだとしても」
1,733
お気に入りに追加
3,840
あなたにおすすめの小説

病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。
鍋
恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。
キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。
けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。
セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。
キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。
『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』
キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。
そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。
※ゆるふわ設定
※ご都合主義
※一話の長さがバラバラになりがち。
※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。
※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。

村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。

【完結】あなたのいない世界、うふふ。
やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。
しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。
とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。
===========
感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。
4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。

あなたの妻にはなりません
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。
彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。
幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。
彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。
悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。
彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。
あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。
悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。
「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

聖女のわたしを隣国に売っておいて、いまさら「母国が滅んでもよいのか」と言われましても。
ふまさ
恋愛
「──わかった、これまでのことは謝罪しよう。とりあえず、国に帰ってきてくれ。次の聖女は急ぎ見つけることを約束する。それまでは我慢してくれないか。でないと国が滅びる。お前もそれは嫌だろ?」
出来るだけ優しく、テンサンド王国の第一王子であるショーンがアーリンに語りかける。ひきつった笑みを浮かべながら。
だがアーリンは考える間もなく、
「──お断りします」
と、きっぱりと告げたのだった。

婚約者に選んでしまってごめんなさい。おかげさまで百年の恋も冷めましたので、お別れしましょう。
ふまさ
恋愛
「いや、それはいいのです。貴族の結婚に、愛など必要ないですから。問題は、僕が、エリカに対してなんの魅力も感じられないことなんです」
はじめて語られる婚約者の本音に、エリカの中にあるなにかが、音をたてて崩れていく。
「……僕は、エリカとの将来のために、正直に、自分の気持ちを晒しただけです……僕だって、エリカのことを愛したい。その気持ちはあるんです。でも、エリカは僕に甘えてばかりで……女性としての魅力が、なにもなくて」
──ああ。そんな風に思われていたのか。
エリカは胸中で、そっと呟いた。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて
おもち。
恋愛
「——君を愛してる」
そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった——
幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。
あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは……
『最初から愛されていなかった』
その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。
私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。
『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』
『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』
でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。
必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。
私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……?
※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。
※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。
※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。
※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる