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39.特別な友人②

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太い黒縁の眼鏡は医者としての風格を出す一方で、彼の綺麗な顔を隠してしまっていたのだ。

眼鏡を掛けていない彼を初めて見た時は素直に驚いた。でも、話せばやはり彼は、私の知っているトウヤ・マールだった。

――いつだって優しくて面白くて、誰かのために一生懸命な人。


もう彼の素顔にも、トウヤ様呼びにも慣れた。


マーサはお茶を運んでくると、素顔のトウヤをまじまじと見つめてくる。そう言えば、彼は私の前でだけ外して帰る時には掛けているから、彼女が眼鏡を外した彼を見るのは初めてだったかもしれない。
不躾とも言えるその視線に彼が笑顔で応えると、マーサの頬は薄っすらと赤くなる。


「まあ、まあ、まあ。男前だったんですね、先生は」

「マーサさんのお眼鏡に適うとは嬉しいですね」

「ですが、ここで油を売ってばかりなのはいただけません。もっと腕を磨いて、医者として予定がびっちり埋まるようでないと。ね? レティシア様」

「マーサ、彼は本当に名医なのよ」


彼女は腰に手を当てて、間違ってますと言わんばかりに頭を振る。それから、彼を見て『はぁ……』と溜息をつく。

「働かざる者食うべからずですよ、先生」

呆れたように彼女はそう言うと、お茶を置いて屋敷の中に戻っていく。男前にも手厳しいマーサであった。


「トウヤ様、誤解されたままで良いのですか?」

「別に構いません。彼女とのやり取りはなかなか面白いですから」

平民であるマーサに対しても彼は寛容だ。
そう言えば、私は彼が不愉快そうな顔をしたのを見たことがない。彼でも怒ることはあるのだろうか。


「トウヤ様は怒ったことがありますか?」

「もちろんあります。見てみますか?」

はいと頷いてから、ん? と首を傾げる。 ということは、これから私に向かって怒るということだろうか。
まさかねと思いながらも、恐る恐る尋ねる。

「あの……これから怒りますか?」

「はい、お願いされましたから」

彼は真面目な顔で言ってくる。

 ……私、お願いしたのかしら? 

確かについ頷いてしまったけれど、そんなつもりではなかったと私は慌てる。

「撤回しても良いでしょうか?」

「駄目ですよ、時間切れです」

どうやら時間設定があったらしい。覚悟を決める、私が言い出したことだから。

「分かりました、トウヤ様。では、どうぞ――」

「それでは、遠慮なく。コラッー……なんって言うわけないじゃないですか。はっはは、レティシア様のその顔」

彼は自分の眉間を指でトントンと叩く。

私が自分の眉間に手を伸ばせば、見事に皺が寄っていた。……うっ、力んでいたからだ。
さぞかし私はおかしな顔になっていたのだろう。だから、彼はあんなに笑っている。


もう手遅れだけれども、私は額に手をかざして隠す。


「見なかったことにしてください、トウヤ様」

「記憶に刻まれたので無理だと思いますよ」

彼は声を出して楽しそうに笑い続ける。

……そう、最近の彼はよく声を出して笑うようになった。


以前の彼は声を出さずに口元を緩めて笑っていた。あの笑みだって作り笑いではなかったけど、今の笑みは子供のようで、そんな顔をされたら私も笑ってしまう。
重なった笑い声が青空に吸い込まれていく。

「最近のトウヤ様は以前となんか違いますね。もちろん、どちらも素敵ですが」

「知人から以前に言われたんです、正直になれと」

「もしかしたら、それはミネルバ様ですか?」


私も一ヶ月ほど前に彼女に言われたことがあった。

――『レティシア様、自分の心に気づいたら正直になることをお勧めしますわ』と。

意味が分からなかった私はどういうことかと、尋ねたけれど教えては貰えなかった。


「……さあ、どうだったでしょうか。忘れました。ただ、今の自分になるきっかけをくれたことに感謝しています」


きっとミネルバに違いない。

トウヤと彼女を見ていると、友人同士だけれども、お互いを高め合っているライバルのようにも思える。だから、彼は彼女の助言を素直に聞いたと、言いたくないのかもしれない。

 ふふ、意外と子供っぽいところがあるのね。

また彼の新たな一面を知れた。 


「トウヤ様。私も彼女から正直になることを勧められたのですが、どういう意味か分かるようでしたら教えてくれませんか?」

「…………申し訳ありませんが、分かりません」

「そうですか、残念ですが仕方がありませんね」

「焦ることはありませんよ。時間ならいくらだってありますから」

彼はそう言いながら、なぜか私よりも残念そうな顔をしている気がした。
友人である私の気持ちに寄り添ってくれているのだろう。


――気づけば私にとって彼は、特別な友人となっていた。


たぶん、これが親友というものかもしれない。


彼も私のことをそう思ってくれていたら……とても嬉しく思う。






◇ ◇ ◇
《レイリー視点》


遠方で行った商談の帰り、私は少し遠回りして妹が暮らしている別邸に立ち寄ることにした。

別邸に到着すると、出迎えた使用人が申し訳なさそうに客人が来ていると告げてきた。

「遠路はるばる妹のために足を運んでくれた客人の邪魔はしたくない。客室で待たせて貰う。妹には言わなくていい」

「いつお客様が帰られるか分かりませんが、よろしいのですか?」

「ああ、構わないさ」

勝手知ったる別邸なので、案内を頼むことなく二階にある客室へと向かう。
部屋に入ると庭に面した窓から妹と客人がお茶を飲んでいる姿が見えた。

この屋敷はこぢんまりして庭も広くない。だから、二人の表情さえも手に取るように分かった。


妹のあんな顔を見るのはいつぶりだろうか。
無邪気に心から笑っている、そんな顔だ。声までは聞こえてこないが、きっと鈴を転がしたような声を響かせているのだろう。


それにあの男のあんな顔は初めて見た。

「……本当にトウヤなのか?」

間違いなく彼だと分かっていたが、そう呟く自分がいた。

愛おしくて堪らない――そんな顔をして、妹の前で楽しそうに笑っている。

きっと彼は大切に想っている者にしか、あの顔を見せることはないだろう。レティシアだからこそ、彼からあの表情を引き出せるのだ。


正直に言えば、あんな得体が知れない男を義弟にしたくはない。だが、妹があんなふうに笑えるのならば……。


 あの子はロイドの前であんなふうに笑ったことなど、私が知る限り一度もない。



妹はもう子が望めない。それは貴族にとって致命的な欠陥だ。

なのにあの男はどうだ? そんなこと微塵も気にしていない。身分や価値や繋がりなんて求めていない。


――その考えは到底理解出来ない。


だが、羨ましいと思う。寄り添って幸せそうに笑い合っている二人が。


 ……私は人をあんなふうには愛せない。



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