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28.壊れゆく侯爵夫人

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「お気に入り? いったい誰のことですか。あの女はただの使用人です。それをなにを勘違いしたのか、身分を弁えずロイドに手を出して」

「……メイベル様、嘘ですよね? 私のことを褒めてくださっていたのに」

アリーチェは震える声で訴える。
彼女がどういうつもりでロイドと関係を結んだかは知らない。でも、身籠った自分なら受け入れられると、心のどこかで期待していたのだろう。あの頬が赤く染まるまでは。

「馴れ馴れしく呼ばないでちょうだい! ロイドが昔、あなたに夢中だったから利用しただけよ。レティシアにも試練が必要だったから」

「試練とはなんのことだ? メイベル」

「母上……」

義父とロイドの声が重なる。義父は純粋に尋ねていて、ロイドは義母が予想外のことを口にしたから焦っているのだ。私も知らなかった、義母が息子の過去を把握していたなんて。


義母は苛立った口調で『試練ですよ、旦那様。覚えていませんか?』と尋ねる。

「そんなものは知らん」

「ああ、そうでしたわね。あなたは愛人に夢中でしたから」

不愉快そうな義父を気にすることなく、彼女は言葉を続けていく。

「お義母様は可愛げない私では癒やしにならないと、あなたに侍女という愛人をあてがった。お忘れですか、最初の愛人ですよ。私は誰にも頼れず、たった一人で頑張ってきました。だから、レティシアにも同じことをしたんです」

義母はくるくると表情を変えながら語っていく。昔虐げられてどんなに辛かったか、どんなに私が恵まれているか、そして、自分が仕組んだことも。
それなのに、私のことを大切に思っているとも言う。

――その様子は明らかに普通ではない。


義父は顔を顰めて、支離滅裂なことをいう自分の妻から距離を取る。

「どうして逃げるんですか。旦那様が全部いけないのに……。あの時だってそうだわ」

「あの時とはなんだ? メイベル」

「視察の件が出た夕食の時ですわ。あなたは、レティシアを庇った。いつだってそう。可愛げのある愛人には優しくする。あっはは……、私にはそんなこと絶対にないのに。どうして私のことは愛してくださらないんですか!」

「今更くだらないことを言うな。それに、レティシアはロイドの妻だ。私の愛人じゃない」

縋ろうとする義母を、義父は容赦なく手で振り払う。そこに長年寄り添っている情は感じられない。



「ええ、そうですね。でも、あなたはレティシアのように可愛らしい人ばかり愛人に選んでいた。だから、仕返しをしてたんです、レティシア――いいえ、愛人達に。あっは……は、ごめんなさいね。私、なんか変だわ……」

その場に崩れ落ちて、義母は笑いながら嗚咽する。……言動が矛盾していたのは、壊れているから。


「母上、お気を確かに!」


ロイドが声を掛けても、義母はその目に義父しか映していなかった。

自分を顧みない夫を愛してしまった苦しみに、彼女はずっと一人で耐えてきた。強い人ではなく、そう演じていただけ。

でも、この家に嫁いできた私と愛人を重ねてしまい少しずつ壊れていった。彼女の心は狂気と正気の狭間を行ったり来たりしていたのかもしれない。

 ……お義母様、気づいてあげられなくて申し訳ございません。


義父は大声で使用人を呼びつけ、義母を自室に連れて行くように命じる。

「心から愛してました、旦那様。これからもずっと……」

涙を流しながら愛の告白をする義母を、義父が見ることはない。彼女がここまで追い詰められた理由を垣間見た気がした。

報われない想いを抱えて生きている人はたくさんいる。それにどう向き合うかは人それぞれ。でも、こんな結末は悲しすぎる。


壊れた妻を前にしても動揺を見せない義父を横目に見る。


当主の言葉は絶対だけど今回だけは従えない。アリーチェがこの子のそばにいるのは認められない。でも、今の時点で名案があるわけではないし、彼女の中に芽生えた命をどうこうするつもりもない。

でも、絶対に諦めない――この子我が子のために。


そして、今、私が出来る唯一のことはこの場から早くお腹の子を遠ざけることだ。


「自室に戻りましょう、メルア」

「はい、若奥様」

メルアに支えられ私が足を踏み出すと目眩が起こり、長椅子に座り込んでしまう。

「若奥様、大丈夫でございますか? しっかり、若奥様!」

薄れゆく意識のなか、『マール先生を呼んで』とメルアが叫んでいる。


 ああ、もう大丈夫よ、赤ちゃん。マール先生が診てくださるから……。

私は微かに痛むお腹に手を当てたまま、ゆっくりと意識を手放していった。
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