上 下
20 / 43

20.私は私①

しおりを挟む
 侍女は客人である私とマールにまず会釈してから、女主人であるミネルバのほうを向く。

「ご歓談中のところ失礼いたします。奥様、少し揉めていらっしゃるご夫人方がおります」
「何人ほどなの?」

 ミネルバは綺麗な眉を片方だけ上げる。その仕草は報告に来た侍女へではなく、騒ぎを起こしてる者達に対するものだ。
 客人同士が揉めることは珍しくはなく、そういう場合女主人が対応する。


「ホグワル侯爵夫人を中心に六人ほどです」

 義母の名が出てくるとは思っておらず、私は目を見開く。義母は社交が上手なはずなのに……。

 彼女はふぅと息を吐いてから、私とマールに向き直る。

「中座して申し訳ございませんが、私は他のお客様にご挨拶して参りますね」
「ミネルバ様、私も一緒に参ります」

 私が席を立とうとすると、先に立ち上がっていた彼女は私の肩に軽く触れて押し止める。

「レティシア様にお願いがございます。聞いていただけるかしら?」
「はい、私に出来ることでしたら……」

 彼女は私の返事を聞くとにっこりと頷く。

「では、マール伯爵のお相手をお願いします。多忙のなか時間を作って来てくださったのに、私は席を外してしまうので。マール伯爵、ご無礼をお許しくださいませ」

 彼女は早口でそう言うと、侍女を連れて温室から出ていった。
 ああ言っていたけれど、彼女は私に気を遣ってくれたのだ。……巻き込まれないようにと。
 
 彼女の気遣いに感謝していると、マールが向かいの席に座る。温室内に控えている侍女は、すぐに淹れたてのお茶を彼の前に置くと、静かにこの場から離れていく。


「レティシア様、ミネルバ様とずいぶん親しくなったようですね」
「大変嬉しいことに、ご友人の一人に加えていただきました。気さくな方ですわね」
「彼女が気さく……ですか」
「はい、とても」

 マールはなぜか苦笑いしながらお茶を一口飲んだ。

 彼と一緒にお茶を飲んだことは”薬の処方”で何度もある。でも、友人としては初めて。

『共通の友人』から聞いたとミネルバは言っていた。……ということは、彼にとって私は患者でもあり友人でもあるのだ。

 そう思っていいわよね……。

 尊敬している人からそう思われていると知って素直に嬉しかった。

「マール先生はミネルバ様と付き合いは長いのですか?」
「彼女を最初に診たのは随分前ですから、かれこれ三年になります」
「では、彼女が再婚する前からのお知り合いなのですね」

 ダイナ公爵家のかかりつけ医になった縁で知り合ったと思っていたけれど違うようだ。

 そう言えば、彼女はダイナ公爵家に嫁ぐ前には何をしていたのだろう。
 もともとは男爵令嬢だと言っていた。後妻とはいえ、男爵家から公爵家に嫁ぐ話は聞いたことがない。たぶん、私が聞いていない苦労があるのだ。波乱万丈な人生を歩んで、今の幸せがあるのだろう。
 
 そんなことを思っていると、マールが口を開く。

「ええ、そうです。ミネルバ様には感謝しています。公爵夫人になると、立派な鴨を私に紹介してくれました」
? ですか……」

私が首を傾げていると、彼はわかり易く片方だけ口角を上げて見せる。

「おっと、私としたことが言い間違えました。立派な金蔓、うーん、これも気持ちが表れすぎていますね。では、高額な診察料を気前よく払う公爵。これならどうでしょうか? レティシア様」

 悪いお医者様は片目をつぶって私に聞いてくる。その表情はいたずらを考えている子供みたいで楽しそうだ。

「ぎりぎり大丈夫? でしょうか」

 私が笑いながら答えると、彼は真面目な顔で『実はこのお茶会には鴨がたくさんいるんですよ』と更に私を笑わせてくる。
 

――本当に彼は冗談が上手だ。


 友人同士の楽しい会話をもっと続けたいけれど、やはり気になってしまう。

 私は手にしていたカップをテーブルの上に置く。

「マール先生、大変申し訳ございませんが、席を外してもよろしいでしょうか?」
「ホグワル侯爵夫人のもとへ行かれるのですね」
「はい。ミネルバ様は気遣ってくださいましたが、やはり気になりますので行こうと思います。私が行ってどうなるものでもないと思いますが……」
「では、私も一緒に行きましょう」

 彼がさっと立ち上がると、私も慌てて立ち上がる。無関係な彼に迷惑を掛けるつもりはなかった。

「マール先生まで行く必要はありません」
「確かに必要はないですね。ですが、レティシア様との会話があまりに楽しいので、私はもう少しだけ続けたいと思っています。どうか、歩いている間だけお付き合い願えませんか?」

 彼は私の返事を待たずに先に歩き始める。
 ミネルバといい、彼といい、今日私は素敵な友人を得たようだ。

 私と彼は並んで庭園へと戻っていく。

 私が到着した時よりも招待客は明らかに増えていた。もしかしたら三百人は超えているかもしれない。

 夜会と違って昼間のお茶会のドレスは華美ではない。でも、色とりどりのドレスを纏った令嬢や夫人達で視界が遮られ、なかなか義母達を見つけられないでいた。

「もしかしたら、もうミネルバ様が収めたのかもしれませんね。あの方はやり手ですから」
「それならば良いのですが……」

 長身のマールは辺りを見回しながらそう告げてくる。私はというと、彼のように背が高くないので首を動かながら目を凝らしていた。

 彼の言う通りかも知れないと思っていると、彼が不自然に人が集まっている場所に気づいた。

「きっと、あそこですね。レティシア様、ついて来てください」

 彼は人混みをかき分けて先に進み、私が通れる道を作ってくれる。そのお陰で私は難なく中心に辿り着く。

 人混みの真ん中は円のようにあいており、そこには義母と数人の夫人達がいた。

 ミネルバの姿はなく、どうしたのだろうと思っていると、彼女は少し離れたところにいた。周囲の人達と同じように立って見ている。


「メイベル様、いい加減お認めになったらいかがですか? 私は別に責めてはおりませんのよ。ただ正直になって頂きたいと思っているだけです。淑女たる者、嘘はいけませんものね」
「認めるも何も、違うと言っているではありませんか。認めたらそれそこ嘘を吐いたことになってしまいますわ」

 ふたつの声――義母ともう一人は確かルーマニ伯爵夫人――が聞こえてくる。どちらも丁寧な物言いだったけれど、義母の声には苛立ちが、ルーマニ伯爵夫人の声に余裕が感じられた。

 これだけでは状況が分からない。
 私とマールは説明を求めて、円の内側に沿ってミネルバのほうへと歩いていった。
 
 



しおりを挟む
感想 246

あなたにおすすめの小説

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

前世と今世の幸せ

夕香里
恋愛
幼い頃から皇帝アルバートの「皇后」になるために妃教育を受けてきたリーティア。 しかし聖女が発見されたことでリーティアは皇后ではなく、皇妃として皇帝に嫁ぐ。 皇帝は皇妃を冷遇し、皇后を愛した。 そのうちにリーティアは病でこの世を去ってしまう。 この世を去った後に訳あってもう一度同じ人生を繰り返すことになった彼女は思う。 「今世は幸せになりたい」と ※小説家になろう様にも投稿しています

【本編完結】独りよがりの初恋でした

須木 水夏
恋愛
好きだった人。ずっと好きだった人。その人のそばに居たくて、そばに居るために頑張ってた。  それが全く意味の無いことだなんて、知らなかったから。 アンティーヌは図書館の本棚の影で聞いてしまう。大好きな人が他の人に囁く愛の言葉を。 #ほろ苦い初恋 #それぞれにハッピーエンド 特にざまぁなどはありません。 小さく淡い恋の、始まりと終わりを描きました。完結いたします。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

あなたなんて大嫌い

みおな
恋愛
 私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。  そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。  そうですか。 私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。  私はあなたのお財布ではありません。 あなたなんて大嫌い。

(完結)私はあなた方を許しますわ(全5話程度)

青空一夏
恋愛
 従姉妹に夢中な婚約者。婚約破棄をしようと思った矢先に、私の死を望む婚約者の声をきいてしまう。  だったら、婚約破棄はやめましょう。  ふふふ、裏切っていたあなた方まとめて許して差し上げますわ。どうぞお幸せに!  悲しく切ない世界。全5話程度。それぞれの視点から物語がすすむ方式。後味、悪いかもしれません。ハッピーエンドではありません!

二度目の恋

豆狸
恋愛
私の子がいなくなって半年と少し。 王都へ行っていた夫が、久しぶりに伯爵領へと戻ってきました。 満面の笑みを浮かべた彼の後ろには、ヴィエイラ侯爵令息の未亡人が赤毛の子どもを抱いて立っています。彼女は、彼がずっと想ってきた女性です。 ※上記でわかる通り子どもに関するセンシティブな内容があります。

(完結)私が貴方から卒業する時

青空一夏
恋愛
私はペシオ公爵家のソレンヌ。ランディ・ヴァレリアン第2王子は私の婚約者だ。彼に幼い頃慰めてもらった思い出がある私はずっと恋をしていたわ。 だから、ランディ様に相応しくなれるよう努力してきたの。でもね、彼は・・・・・・ ※なんちゃって西洋風異世界。現代的な表現や機器、お料理などでてくる可能性あり。史実には全く基づいておりません。

処理中です...