報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと

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5.正しい侯爵夫人

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 義母は『場所を移しましょう』と、バルコニーへと向かう。私達はその言葉に従いあとに続いた。誰もいない所まで来ると、義母は足を止めて振り返る。

「ロイド、レティシアが嫁いでから担っている役割を言ってみなさい」
「私の補佐と、家政を取り仕切ること、それに社交です。母上が言いたいことは分かります。ですが、レティは頑張っています。こんな嫌がらせのような真似はやめてください」

 ロイドは私のことを庇ってくれる。

 確かに私は未熟で、義母のようには出来ない。
 特にロイドの執務の補佐では至らないことばかりだ。
 家政や社交については、嫁ぐ前に実母から指導されていた。しかし、執務の補佐についてはホグワル侯爵家独自のものなので、一から学んでいるのだ。

 私はこのあと発せられるだろう、義母からの叱責を覚悟する。

「ロイド、あなたは全然分かっていない」

 義母は呆れたような顔で、ロイドを見ながら話を続ける。

「私はレティシアを責めていない。悪いのは夫であるあなたよ。我が家は他家と比べて夫人に求める役割が多いわ。まだ嫁いで一年足らずのレティシアが、完璧じゃないのは当然よ。でもね、そのフォローはあなたがするべきなの――それが出来てないのよ。特に、執務補佐で負担を掛けすぎているわ」
「……努力します」

 悔しそうに顔を歪ませるロイドに、義母は容赦なく言葉を浴びせる。

「その成果はいつ出るの? いつ、レティシアの負担は軽くなるの? 答えなさい、ロイド」
「……なるべく早くには」
「つまり、分からないということね。……時間がないのよ」
「どういう意味ですか? 母上」

 義母は深い溜め息を吐く。

「レティシアにはもう一つ大事な役割がある、それは跡継ぎを生むことよ」
「母上、レティはまだ嫁いでたったの一年――」
「もう一年と、言い出している親戚もいるわ。執務の補佐、家政、社交、どれ一つ疎かにしていいものはない。でも、今の状況はレティシアに心身ともに負担が重い。つまり、子を身籠りにくい環境だわ。だから、不出来なあなたに補佐をつけるのよ」

 義母の説明に反論の余地はなかった。

 私の耳にも跡継ぎを案じる声は届いていた。でも、それは表向きな話だ。実際は、ホグワル侯爵家に群がる親戚が、我が子を養子として送り込もうとしているだけ。

 隙を見せたら足を掬われる――それが、優雅な貴族社会の裏側。



「分かりました。では、アリーチェ嬢ではなく、補佐のために他の者を雇います」

ロイドの建設的な提案に対し、すかさず義母は横に首を振る。

「ロイドは当然知らないでしょうけど、彼女は首席で卒業するほど優秀なのよ。ね、アリーチェ」
「お恥ずかしい話ですが、我が家は財も後ろ盾もありません。ですから、自分を磨くしかないと――切羽詰まっていただけです」
「謙遜しなくともいいわ、アリーチェ。理由はどうあれ素晴らしい結果を出した、それがすべてでしょ」

 義母の言葉にアリーチェは完璧な笑みで応える。


 より優秀な者を補佐として雇い入れるのは当然。
 そして、男爵令嬢を侯爵家で雇い入れるという行為は、両者にとって利がある。前者は箔が付き、後者は寛大な心を持っていると周囲にアピール出来る。


 ――義母の提案は、侯爵夫人として正しい。

 
  分かっているわ、でも……。

 私は気づかれないように軽く唇を噛みしめ、目から溢れそうになるものを必死で抑える。ロイドは私の顔色を窺うように見てから、また義母に向き合う。


「ですが、母上っ――」
「これは事後報告よ、ロイド。あなたの父も承認したことです。反対する正当な理由があれば言いなさい。再考するわ」
「……っ……」

 たいがいの貴族と同じように、ホグワル侯爵家でも当主の決定は絶対だった。

 ロイドは口を噤む。アリーチェがかつての想い人で、それを私も知っているから……と言えるわけがない。
 義母は沈黙を了承だと受け取り、私のほうを見て『レティシアもいいかしら?』と優しい口調で聞いてくる。

「お義母様、ご配慮ありがとうございます」

 ……こう言うしかない。
 

「力不足かもしれませんが、精一杯務めさせていただきますわ、ロイド様」
「ああ、よろしく」

 アリーチェは優雅に頭を下げる。その姿は自信に満ち溢れていて、力不足という言葉から掛け離れたものだった。


 ロイドは私の耳元に唇を近づけ『すまない』と言いながら、握りしめ白くなった私の手に、自分の手を重ねようとした。

 その瞬間、パンッと乾いた音が鳴る。私はなぜか彼の手を払ってしまっていた。

 ……私ったら……どうしたの……。

 自分の手を見つめながら唖然とする。こんなこと一度だってしたことはないのに。


「レティ?」
「レティシア!」

 混乱している私に向かって、ロイドは心配そうに、義母はきつい口調で私の名を呼んだ。私は慌てて頭を下げ、申し訳ございませんと淑女にあるまじき自分の行いを恥じる。

 すると、大広間から流れてくる音楽に紛れて、くすっと微かな声が一瞬だけ聞こえてきた。

  えっ……。

 私がゆっくりと顔を上げると、彼女は笑っていなかった。でも、あの声はアリーチェのものだったと思う……。

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