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1.誠実な婚約者

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「少しだけ私に時間をくれないだろうか……。レティ」

 いつものように、私――レティシアは婚約者であるロイドと一緒に学園の中庭で昼休みを過ごしていた。周囲には他の生徒もいたけれど、等間隔に設置されている長椅子は、隣の声が届かないくらいに離れている。

今日の彼はなんか上の空だなと感じていたら、突然、思い詰めた顔をしてこう言ってきたのだ。



 ◇ ◇ ◇

 私達の婚約は幼い頃に結ばれたものだった。私はバーク侯爵家の次女、彼はホグワル侯爵家の嫡男として生を受けた。家格が釣り合っており、両家ともに利があるというよくある理由での政略であった。

 ロイドは二歳年上で私の兄と同じ年だった。子供の時の二歳差は大きい。兄はちびの、それも女の子の相手なんて真っ平だと意地悪だったけど、彼は王子様のように優しく接してくれた。


『レティシアはちびじゃなくて小さな淑女だよ。ね、レティ』

『はい、ロイドさま』

 彼は私をレティと愛称で呼ぶようになった。婚約したから仲良しの印だと言って。

 幼い頃は優しい兄のように思っていたけれど、その気持ちは成長とともに変化していく。優しく誠実な彼に惹かれるのは自然なことだった。

――気づいたら、私は婚約者に恋をしていた。


 私達は年頃になると仲睦まじい婚約者同士となり、両家はそんな私達を心から喜んでくれた。政略は貴族として必要なことだけど、我が子の幸せを望まない親はいない。


 恵まれた政略だと私は、神に感謝していた。


 この国の貴族は十五歳から三年間、王都にある学園に通うのが通例だった。
 この春、私はやっとロイドと兄が通う学園に入学した。二歳差なので一緒に通えるのは一年間だけ。

 結婚すればずっと一緒に暮らすのだけれども、恋人のように過ごせる学園生活を私はずっと楽しみにしていた。


 入学後は昼休みを一緒に過ごすのが日課となる。頻繁に兄が邪魔しに来るけれど、今日は二人だけだった。それが嬉しくて、いつになく私が他愛もないことをたくさん喋っていると、”時間が欲しい”と彼は訴えて来たのだ。

 初めて見る彼の表情に戸惑いつつ私は深く考えずに聞き返した。


「時間ですか……。急用が入ったのですか? ロイド様」

「違うんだ、レティ。実は想っている人がいる」

「……っ……」

 突然の告白に息をのむ。想い人が私ではないのは明白だった。


「誤解しないで欲しい。私が一方的に想っているだけで、彼女は私の気持ちなど知らない。想いを告げるつもりもない。この学園にいる間だけ、ただ見ていたいんだ、彼女のことを。君に黙っていようかと思っていた。だが、後から知ったら余計に傷つくだろうし、なによりも伴侶となる君には誠実でありたい。君のことを大切に想っているから」

 息するのもままならない私に気づくことなく、彼は懺悔するように言葉を吐く。

 貴族の世界は男性に寛容だ。婚約者がいようとも結婚前の遊びなら『経験も必要だ』と大目にみられる。結婚後は、正妻を軽んじなければ愛人を持つことも許される。


 だから、彼は”誠実”なのだと思う。……そのうえ、想っているだけなのだから。


 きっと私が入学する前からその人のことを想っていたのだろう。でも、私は気づかなかった。今、彼が告白しなければ、ずっと気づかないままでいた。

 ……幸せなままだった……。


 その誠実さは私にとって残酷でしかなかった。隠し通してくれたほうが良かったのにと、心の片隅で思ってもいた。

 婚約者である私に対して隠し事がなくなったからか、少しだけ彼の表情から硬さが消えていた。

 自分だけで背負っていたものを、私と分け合ったということだろうか。


 彼は私の返事を待っている。『私だけを見て……』とお願いすれば、たぶん彼はそうしてくれるかもしれない。


 でも、その後はどうなるの……。


 学園を卒業すると同時に私はホグワル侯爵家に嫁ぐことになっていた。だから、折りに触れ淑女の心得なるものを教えられていた。

『男性は束縛すれば心が離れていくものよ。尽くしなさい、そうすれば愛されるわ』と言ったのは母だ。

『女性は目をつむることも必要なの。目先のことにとらわれずの、先を見ていたら幸せになれるわ』と笑って告げたのは、浮気性の夫を持つ姉だった。

 浮気なんて嫌だなと思ったけれど、疑問に思うことはなかった。バーク侯爵である父にも愛人がいたことはあったけど、母は素知らぬふりをしていた。
 貴族社会では男性を立てるのが当たり前で、ずっとそういう環境で生きてきたから――それ以外なんて知らない。


 彼に想い人がいると知っても、すぐに消えるような想いでもなかった。


  ……嫌われたくないわ。


 込み上げて来た感情は怒りではなく、彼への一途な想いだった。
 

「……分かりました、ロイド様」

「レティ、有り難う。約束は絶対に守る」

 そういったあと、私は唇を噛みしめていた。でも、彼はそんな私に気づきはしなかった。なぜなら、私を見ていなかったから。

 彼の視線の先を辿れば、彼と同学年の女生徒が背筋を伸ばして凛と歩く姿があった。私と違って、意志の強そうな目が印象的な素敵な人。


 私は彼に好かれていると思っていた。


『レティといると落ち着くんだ。柔らかい雰囲気が出ているからかな』

『そんなふうに思ってもらえて嬉しいですわ、ロイド様』

『君となら温かい家庭を築けるだろうね。楽しみにしているよ』

 照れたように彼はそう言ってくれ、私が舞い上がったのはそんなに遠い記憶ではない。


でも、彼が恋した人は私とは真逆な印象を持つ人だった。


  

 その日を境に、彼は想い人をその目に映すようになった。……いいえ、違う。私が気づくようになっただけ。


 彼は私を軽んじることはなく、大切な婚約者として変わらず一緒に過ごしてくれる。ただ、ふとした時にその視線が私から外れる。……ほんの少しだけ私との時間を削る。


 その先には決まって――彼女がいた。

 友人と一緒に話している時もあれば、大勢に囲まれている時もある。どんな時も彼女は前を向いていて、とても輝いていた。
 彼はそんな彼女を本当にただ見ているだけ。彼女が特別な視線を彼に返すこともない。


 約束通りでほっとしていたけれど、そんな彼を見る度に胸が締め付けられた。
 
 彼女の名前は知らない。ただ男爵令嬢だということは知っていた。

 世間の目は未婚の令嬢に対して厳しい。もし学園在学中に悪い噂がたったら、下位貴族には噂を消す力はない。彼は男爵令嬢の将来を案じて、見ているだけなのを選んだのだ。


  誠実なのは彼女に対してもだったのね……。


 私のことをどう思っているか聞く勇気もなく、ただ嵐が通り過ぎるのをじっと待つよう過ごす。楽しくて毎日があっという間だと感じていた学園生活が、とても長い一日となっていた。

 
「ロイド様、明日もお昼をご一緒できますか?」

「もちろんだよ、レティ」

「では、我が家の料理長自慢のシナモンたっぷりの焼き菓子を持ってきます。ロイド様はあれがお好きでしたよね?」

「ああ、好きだよ。レティは覚えていてくれたんだね。ありがとう」

 そして今日も、何も変わらない会話を紡ぐ。何かを変えてしまうのが怖かったから。仲睦まじい婚約者と周囲からは、相変わらず羨ましがられていた。



 ――私もまた、彼女を目に映す彼をただ見ているだけだった。








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