13 / 17
13.世界にひとつの声②
しおりを挟む
周りは相変わらず不快な音ばかりで言葉は聞こえない。屋敷内を自由に歩くことはできるけれども一人になることはない、必ず誰かがついてくる。
たまには一人になりたくて侍女の目を盗み部屋を抜け出し庭を歩いていると侍女が何かを大切そうに抱いているのを見掛けた。
「お、奥様っ、どうしてお一人でこんなところに…。いけませんお戻りください、きっと周りの者が心配しておりますから」
侍女から音が鳴り響いているけれども、私はそれより彼女が大切そうに抱いている物が気になった。
どうしてだろう、なぜか惹き寄せられる。
侍女に近づいてその腕の中を覗き込むと可愛らしい赤ちゃんがキョトンとした表情で私を見てくる。
そしてその子は私の顔を見るなり両手を私に向かって差し出し『キャッキャ…』と嬉しそうな声を上げる。
初めて会うはずなのに一瞬で心を奪われる。
『愛しい』という気持ちで胸がいっぱいになり、その子から漂う甘い香りをなぜか『懐かしい』と感じる。
その理由を知りたいと渇望する。
心のなかで誰かが『思い出して!』と叫んでいる。
すると心の奥から熱い想いがどんどん溢れてきた。
あっ…私はこの子のことを知って…いるわ。
……愛しい私の…、子…。
「…ル…イ…ス……」
自然とその名が口から紡がれ、気づけば私は涙を流しながら優しくその子を抱き上げていた。
甘いミルク香りと温もりが私を包んでいく。
どうして私はこんなにも大切なものを忘れてしまっていたんだろう。
「ルイス、ルイス、ルイスルイスルイス……」
何度も確かめるようにその名を呼び続ける。
その声に反応するようにルイスは嬉しそうに笑いながら一生懸命に言葉を口にする。
赤子なのでまだちゃんと話せているわけではない。それなのに私の中でそれは音ではなく紛れもなく言葉だった。
あの世界に逃げ込んでから初めて耳にする言葉に嗚咽が止まらない。
自然と頭に浮かんだ『あの世界』という言葉に『それは…なに?私はいったいどうしたの?』と自分自身に問い掛ける。
頭が割れるように痛むが考えるのを止めなかった、どうしても答えを知りたかったから。
…パキンッ……。
私の歪んだ世界に亀裂が走り、夢のような世界から現実に引き戻される。
抗おうとは思わない。
だって私はこの子の母親だからどんな時でもこの現実の世界で息子の側にいたい。
荒ぶる波のように失っていた記憶と夢の中にいた時の記憶が容赦なく私を飲み込んでいく。
心が千切れ苦しくて堪らない。
あまりの苦痛に逃げてしまいそうになるが愛しい我が子のために全てを受け入れる。
私は自分が何者だったか思い出した。
忘れたかったことも全て思い出し、どうして自分が現実から目を背けていたのかを知る。
私は彼に愛されていない現実から逃げていた…。
受け入れたくなくて自分の世界に閉じ籠もっていたのね。
…馬鹿ね…、本当に。
なにも変わらないというのに。
待ち受けていたのは絶望だった。
私は夫であるライアン・リーブスに見捨てられた現実とこれから向き合わなければならない。
でも逃げることはしない。だって何があろうとこの子から二度と離れたくないから。
私の様子を見て屋敷の者達は私が元に戻ったことを察してくれた。
目に涙を浮かべて『奥様、良かったです…』と感極まった様子で口々に呟いているが、それ以上のことを尋ねてくることはない。
聞きたいことはきっとたくさんあるだろうに、私の負担にならないようにと気遣ってくれる。
私は正気でなかった時の記憶もあった。
まるで第三者の記憶のように感じているが、それでも私がどれほど迷惑を掛けていたか覚えているし、そんな私にみなが心から尽くしてくれていたのも知っている。
屋敷の者達の温かさが心に染みる。『ありがとう』と言いながら深く頭を下げると彼らは号泣しながら『そんなことなさらずとも良いのです!』と言ってくれた。
彼らの温かさは私にとっては大きな支えとなる。これから待ち受けていることに立向かう勇気を与えてくれた。
私は息子と離れていた時間を取り戻すかのようにルイスから離れなかった。
お昼寝しているルイスのあどけない寝顔を見ているとノックもなしに扉が乱暴に開けられる。
バッタンッ!!
そこに立っていたのは夫であるライアンだった。
乱れた髪や息が切れている様子から彼が仕事場である王宮から急いで戻ってきたことが窺える。きっと私が元に戻ったと知らせを聞いてすぐさま帰ってきたのだろう。
こちらに彼が近づいてくる前に私から声を掛ける。
「三ヶ月もの長いあいだ迷惑を掛けてごめんなさい。お陰様ですっかり、」
「…良かった、良かった。有り難うアリーナ戻ってきてくれて…」
私の言葉を遮り彼は私を強く抱きしめてくる。耳元で以前と同じように甘く優しい声音で囁いているが、前のようには感じられない。
『あんなにも彼の声が好きだったの…』と自分の心の変化を自覚する。
私がそっと彼の胸を押すと彼はビクッとして手の力を緩める。私は彼から逃れるように身体を離した。
「ライアン、二人だけで話したいことがあるの。とても大切なことだから早めに時間を作ってもらえるかしら」
「……ああ、大丈夫だ」
私の言葉を聞き彼は頷きながら答えてくる。その顔色は部屋に入ってきた時と違って悪い。
彼も現実と向き合う時が来たことを悟ったのだろう。
たまには一人になりたくて侍女の目を盗み部屋を抜け出し庭を歩いていると侍女が何かを大切そうに抱いているのを見掛けた。
「お、奥様っ、どうしてお一人でこんなところに…。いけませんお戻りください、きっと周りの者が心配しておりますから」
侍女から音が鳴り響いているけれども、私はそれより彼女が大切そうに抱いている物が気になった。
どうしてだろう、なぜか惹き寄せられる。
侍女に近づいてその腕の中を覗き込むと可愛らしい赤ちゃんがキョトンとした表情で私を見てくる。
そしてその子は私の顔を見るなり両手を私に向かって差し出し『キャッキャ…』と嬉しそうな声を上げる。
初めて会うはずなのに一瞬で心を奪われる。
『愛しい』という気持ちで胸がいっぱいになり、その子から漂う甘い香りをなぜか『懐かしい』と感じる。
その理由を知りたいと渇望する。
心のなかで誰かが『思い出して!』と叫んでいる。
すると心の奥から熱い想いがどんどん溢れてきた。
あっ…私はこの子のことを知って…いるわ。
……愛しい私の…、子…。
「…ル…イ…ス……」
自然とその名が口から紡がれ、気づけば私は涙を流しながら優しくその子を抱き上げていた。
甘いミルク香りと温もりが私を包んでいく。
どうして私はこんなにも大切なものを忘れてしまっていたんだろう。
「ルイス、ルイス、ルイスルイスルイス……」
何度も確かめるようにその名を呼び続ける。
その声に反応するようにルイスは嬉しそうに笑いながら一生懸命に言葉を口にする。
赤子なのでまだちゃんと話せているわけではない。それなのに私の中でそれは音ではなく紛れもなく言葉だった。
あの世界に逃げ込んでから初めて耳にする言葉に嗚咽が止まらない。
自然と頭に浮かんだ『あの世界』という言葉に『それは…なに?私はいったいどうしたの?』と自分自身に問い掛ける。
頭が割れるように痛むが考えるのを止めなかった、どうしても答えを知りたかったから。
…パキンッ……。
私の歪んだ世界に亀裂が走り、夢のような世界から現実に引き戻される。
抗おうとは思わない。
だって私はこの子の母親だからどんな時でもこの現実の世界で息子の側にいたい。
荒ぶる波のように失っていた記憶と夢の中にいた時の記憶が容赦なく私を飲み込んでいく。
心が千切れ苦しくて堪らない。
あまりの苦痛に逃げてしまいそうになるが愛しい我が子のために全てを受け入れる。
私は自分が何者だったか思い出した。
忘れたかったことも全て思い出し、どうして自分が現実から目を背けていたのかを知る。
私は彼に愛されていない現実から逃げていた…。
受け入れたくなくて自分の世界に閉じ籠もっていたのね。
…馬鹿ね…、本当に。
なにも変わらないというのに。
待ち受けていたのは絶望だった。
私は夫であるライアン・リーブスに見捨てられた現実とこれから向き合わなければならない。
でも逃げることはしない。だって何があろうとこの子から二度と離れたくないから。
私の様子を見て屋敷の者達は私が元に戻ったことを察してくれた。
目に涙を浮かべて『奥様、良かったです…』と感極まった様子で口々に呟いているが、それ以上のことを尋ねてくることはない。
聞きたいことはきっとたくさんあるだろうに、私の負担にならないようにと気遣ってくれる。
私は正気でなかった時の記憶もあった。
まるで第三者の記憶のように感じているが、それでも私がどれほど迷惑を掛けていたか覚えているし、そんな私にみなが心から尽くしてくれていたのも知っている。
屋敷の者達の温かさが心に染みる。『ありがとう』と言いながら深く頭を下げると彼らは号泣しながら『そんなことなさらずとも良いのです!』と言ってくれた。
彼らの温かさは私にとっては大きな支えとなる。これから待ち受けていることに立向かう勇気を与えてくれた。
私は息子と離れていた時間を取り戻すかのようにルイスから離れなかった。
お昼寝しているルイスのあどけない寝顔を見ているとノックもなしに扉が乱暴に開けられる。
バッタンッ!!
そこに立っていたのは夫であるライアンだった。
乱れた髪や息が切れている様子から彼が仕事場である王宮から急いで戻ってきたことが窺える。きっと私が元に戻ったと知らせを聞いてすぐさま帰ってきたのだろう。
こちらに彼が近づいてくる前に私から声を掛ける。
「三ヶ月もの長いあいだ迷惑を掛けてごめんなさい。お陰様ですっかり、」
「…良かった、良かった。有り難うアリーナ戻ってきてくれて…」
私の言葉を遮り彼は私を強く抱きしめてくる。耳元で以前と同じように甘く優しい声音で囁いているが、前のようには感じられない。
『あんなにも彼の声が好きだったの…』と自分の心の変化を自覚する。
私がそっと彼の胸を押すと彼はビクッとして手の力を緩める。私は彼から逃れるように身体を離した。
「ライアン、二人だけで話したいことがあるの。とても大切なことだから早めに時間を作ってもらえるかしら」
「……ああ、大丈夫だ」
私の言葉を聞き彼は頷きながら答えてくる。その顔色は部屋に入ってきた時と違って悪い。
彼も現実と向き合う時が来たことを悟ったのだろう。
895
お気に入りに追加
7,040
あなたにおすすめの小説

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
婚約者を想うのをやめました
かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。
「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」
最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。
*書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

【片思いの5年間】婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。
五月ふう
恋愛
「君を愛するつもりも婚約者として扱うつもりもないーー。」
婚約者であるアレックス王子が婚約初日に私にいった言葉だ。
愛されず、婚約者として扱われない。つまり自由ってことですかーー?
それって最高じゃないですか。
ずっとそう思っていた私が、王子様に溺愛されるまでの物語。
この作品は
「婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。」のスピンオフ作品となっています。
どちらの作品から読んでも楽しめるようになっています。気になる方は是非上記の作品も手にとってみてください。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結

元婚約者が愛おしい
碧桜 汐香
恋愛
いつも笑顔で支えてくれた婚約者アマリルがいるのに、相談もなく海外留学を決めたフラン王子。
留学先の隣国で、平民リーシャに惹かれていく。
フラン王子の親友であり、大国の王子であるステファン王子が止めるも、アマリルを捨て、リーシャと婚約する。
リーシャの本性や様々な者の策略を知ったフラン王子。アマリルのことを思い出して後悔するが、もう遅かったのだった。
フラン王子目線の物語です。

運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング

幸せな番が微笑みながら願うこと
矢野りと
恋愛
偉大な竜王に待望の番が見つかったのは10年前のこと。
まだ幼かった番は王宮で真綿に包まれるように大切にされ、成人になる16歳の時に竜王と婚姻を結ぶことが決まっていた。幸せな未来は確定されていたはずだった…。
だが獣人の要素が薄い番の扱いを周りは間違えてしまう。…それは大切に想うがあまりのすれ違いだった。
竜王の番の心は少しづつ追いつめられ蝕まれていく。
※設定はゆるいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる