私のことを愛していなかった貴方へ

矢野りと

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13.世界にひとつの声②

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周りは相変わらず不快な音ばかりでは聞こえない。屋敷内を自由に歩くことはできるけれども一人になることはない、必ず誰かがついてくる。

たまには一人になりたくて侍女の目を盗み部屋を抜け出し庭を歩いていると侍女が何かを大切そうに抱いているのを見掛けた。


「お、奥様っ、どうしてお一人でこんなところに…。いけませんお戻りください、きっと周りの者が心配しておりますから」


侍女から音が鳴り響いているけれども、私はそれより彼女が大切そうに抱いている物が気になった。

どうしてだろう、なぜか惹き寄せられる。

侍女に近づいてその腕の中を覗き込むと可愛らしい赤ちゃんがキョトンとした表情で私を見てくる。
そしてその子は私の顔を見るなり両手を私に向かって差し出し『キャッキャ…』と嬉しそうな声を上げる。


初めて会うはずなのに一瞬で心を奪われる。

『愛しい』という気持ちで胸がいっぱいになり、その子から漂う甘い香りをなぜか『懐かしい』と感じる。

その理由を知りたいと渇望する。
心のなかで誰かが『思い出して!』と叫んでいる。 


すると心の奥から熱い想いがどんどん溢れてきた。



 あっ…私はこの子のことを知って…いるわ。
 ……愛しい私の…、子…。


「………」


自然とその名が口から紡がれ、気づけば私は涙を流しながら優しくその子を抱き上げていた。
甘いミルク香りと温もりが私を包んでいく。

どうして私はこんなにも大切なものを忘れてしまっていたんだろう。


「ルイス、ルイス、ルイスルイスルイス……」


何度も確かめるようにその名を呼び続ける。
その声に反応するようにルイスは嬉しそうに笑いながら一生懸命にを口にする。


赤子なのでまだちゃんと話せているわけではない。それなのに私の中でそれは音ではなく紛れもなくだった。


あの世界に逃げ込んでから初めて耳にする言葉に嗚咽が止まらない。

自然と頭に浮かんだ『』という言葉に『それは…なに?私はいったいどうしたの?』と自分自身に問い掛ける。

頭が割れるように痛むが考えるのを止めなかった、どうしても答えを知りたかったから。



…パキンッ……。

私の歪んだ世界に亀裂が走り、夢のような世界から現実に引き戻される。

抗おうとは思わない。

だって私はこの子の母親だからどんな時でもこの現実の世界で息子の側にいたい。



荒ぶる波のように失っていた記憶と夢の中にいた時の記憶が容赦なく私を飲み込んでいく。

心が千切れ苦しくて堪らない。
あまりの苦痛に逃げてしまいそうになるが愛しい我が子のために全てを受け入れる。



私は自分が何者だったか思い出した。
忘れたかったことも全て思い出し、どうして自分が現実から目を背けていたのかを知る。


 私は彼に愛されていない現実から逃げていた…。
 受け入れたくなくて自分の世界に閉じ籠もっていたのね。

 …馬鹿ね…、本当に。
 なにも変わらないというのに。
 

待ち受けていたのは絶望だった。

私は夫であるライアン・リーブスに見捨てられた現実とこれから向き合わなければならない。
でも逃げることはしない。だって何があろうとこの子から二度と離れたくないから。







私の様子を見て屋敷の者達は私が元に戻ったことを察してくれた。

目に涙を浮かべて『奥様、良かったです…』と感極まった様子で口々に呟いているが、それ以上のことを尋ねてくることはない。

聞きたいことはきっとたくさんあるだろうに、私の負担にならないようにと気遣ってくれる。

私は正気でなかった時の記憶もあった。
まるで第三者の記憶のように感じているが、それでも私がどれほど迷惑を掛けていたか覚えているし、そんな私にみなが心から尽くしてくれていたのも知っている。

屋敷の者達の温かさが心に染みる。『ありがとう』と言いながら深く頭を下げると彼らは号泣しながら『そんなことなさらずとも良いのです!』と言ってくれた。


彼らの温かさは私にとっては大きな支えとなる。これから待ち受けていることに立向かう勇気を与えてくれた。






私は息子と離れていた時間を取り戻すかのようにルイスから離れなかった。
お昼寝しているルイスのあどけない寝顔を見ているとノックもなしに扉が乱暴に開けられる。


バッタンッ!!


そこに立っていたのは夫であるライアンだった。

乱れた髪や息が切れている様子から彼が仕事場である王宮から急いで戻ってきたことが窺える。きっと私が元に戻ったと知らせを聞いてすぐさま帰ってきたのだろう。


こちらに彼が近づいてくる前に私から声を掛ける。


「三ヶ月もの長いあいだ迷惑を掛けてごめんなさい。お陰様ですっかり、」

「…良かった、良かった。有り難うアリーナ戻ってきてくれて…」


私の言葉を遮り彼は私を強く抱きしめてくる。耳元で以前と同じように甘く優しい声音で囁いているが、前のようには感じられない。

『あんなにも彼の声が好きだったの…』と自分の心の変化を自覚する。

私がそっと彼の胸を押すと彼はビクッとして手の力を緩める。私は彼から逃れるように身体を離した。


「ライアン、二人だけで話したいことがあるの。とても大切なことだから早めに時間を作ってもらえるかしら」

「……ああ、大丈夫だ」


私の言葉を聞き彼は頷きながら答えてくる。その顔色は部屋に入ってきた時と違って悪い。
彼も現実と向き合う時が来たことを悟ったのだろう。
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