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6.幸せそうな声〜カトリーナ視点〜

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政略結婚で結ばれたガザン侯爵とはお互いに愛はない、貴族ならばそれは普通のことだから彼からの愛を望むこともなかったし、私も愛そうとは思わなかった。

貴族にとっては夫婦で愛を育むことは必要ではない。

お互いに相手を尊重し、適度な距離を保ちつつ良い関係を築いていけばいいのだ。


だから夫に愛人が出来た時も『そうなのね』としか思わなかった。
妻ならばどんな時も彼を支えることが重要であり、愛人の存在に寛容でなければならない。


それがというもの。


貴族女性は実家の利益となる相手と婚姻を結び、嫁いだ後は婚家の繁栄の為に尽くす。私も『淑女の鑑』として恥じない行動をしてきた自信はあった。



そんな私にある日夫は『愛人との間に子供が出来た』と平然と告げてきた。

貴族が愛人を持つのは許されることだが、妻との間に子を作る前に愛人を妊娠させるのは控えるべきこととされている。
後継や相続で揉める元になるので良識ある貴族なら愛人の子が長子にならないように配慮する。


それなのに…夫は私との間に子が出来る前に愛人と子を作ってしまった。

法に反することではないけれども、それは正妻を蔑ろにする行為に他ならない。

私を尊重するつもりがないということなのか。こんなにも尽くしている正妻を蔑ろにするなんて…。


ギリリッ…。


歯を噛みしめることで夫を詰る言葉を無理矢理飲み込み、『分かりましたわ』と淑女らしく微笑んでみせる。

そして夫の口から『すまなかった…』という謝罪の言葉が出てくるのを待っていると彼の口から出てきたのは予想外の言葉だった。


『はぁ…君が何年経っても跡継ぎを産まないから私が外で子を作ってあげたんだ。
君が役立たずの正妻と周りから責められないように私が自ら泥を被ってあげたんだよ。
なんだいその顔は?
君はそこのところをちゃんと理解しているのかい?
まったく、有り難うございますと感謝ぐらいして欲しいものだな』


彼が投げつけて来た言葉は私への侮蔑であり自己弁護でしかなかった。

自分の不始末を嫁いで四年経っても子が出来ない私のせいにする。きっと自分の責められるべき行いをなんとか正当化したかったのだろう。


…許せなかった。


こんなに尽くしてきたのに、全てを受け入れて良き妻でいたのに。隣国での不慣れな社交界でも夫の為に私は上手く立ち回っていた。


それなのにこの仕打ちだった。


プッツン…と私の中の何かが切れた。

今まではとして生きていくことが私にとっては何よりも大切だった。

それなのに夫に私の矜持を否定され、自分の価値が足元から崩れていく。

 
 お互いに尊重するってこれなの?
 妻を貶めるて自分を守る夫なんて…。

 もう…支える価値もないわ。



そんな夫を支える私に価値はあるのだろうか。

いろいろなことに疲れた私はこの生活から離れたいと思った。
そして何よりも夫を痛い目に合わせたいと、私の価値を分からせたいと思う。

彼は今までの功績を自分だけの力だと過信している。影で支えてくれる妻の存在がなければ愛人にうつつを抜かしていられた今の彼はいないというのに。



…迷いはなかった。


私は体調不良を理由に帰国して静養することを決めた。帰国することを報告した私を夫は引き留めることはなかった。


『ああそうか、ゆっくりしてくるといい。こちらのことは心配はいらない』

それは笑ってしまうくらい想像通りの冷めた反応だった。
分かっていたことだけど、四年間も夫婦として生活していたのに所詮は政略で結ばれた関係でしかなかった。

でも私も寂しいとは思わなかった、この点だけはお互いに気持ちが一致していた。





傷心というていで帰国した私を待っていたのは社交界での歓迎だった。

いろいろと噂が広まっているのは分かっていたので、私は夫のことを貶める言葉は絶対に言わない。

社交界は『傷ついた健気な黒薔薇』が淑女でありさえすれば邪険にするはずはないと分かっていたから。


予想通りに周りは好意的に接してくれる。

隣国と違って母国の社交界は過ごしやすい。
夫の為に根回しも必要ないし『麗しの黒薔薇』という立場も健在だったからだ。



気のおけない友人達に囲まれて過ごす時間は私にとってはやすらぎの時間だった。

誰にも否定されることなく自分の価値を認めてくれる場所は心地良く、私は夫に傷つけられた自尊心を取り戻しつつあった。


帰国して本当に良かったと思っていたが、一人の友人の変化が私の心に暗い影を落としていく。


それは学園在学中に同級生だったライアン・リーブスの変化だった。


彼は在学中に私に熱い眼差しを向けていたことは知っていたけれど、お互い婚約者がいる身で節度ある態度で接していた。

彼は私にとって友人のひとりでしかなく、私は気づかないふりをしたまま卒業した。

それは懐かしい思い出で、久しぶりに彼と会っても特別な思いなどは一切ない。


青春を一緒に過ごした友人達に囲まれ近況報告を聞いていた時、ライアン・リーブスの言葉が私の胸に刺さった。


『妻のことを心から愛しているんだ。
お互いに少しづつ歩み寄って気づいたら恋に落ちていた。なんだろうな、彼女といると心が和らいで妻の隣こそが俺の居場所なんだって思える。
もう彼女がいない人生なんて考えられないよ』


さらりとそう話す彼に仲間達は『あっはっは、それは近況報告じゃなくて惚気だなー』と楽しそうに盛り上がっている。

私もその場では『素敵な夫婦ね』と笑っていたけど内心は苛立っていた。


確かライアン・リーブスと妻は政略結婚だったはずだった。相手は私達よりも年下で学園に在学中は互いに愛はないと耳にしていた。


それなのに目の前にいる彼は幸せそうに『妻を愛している』と公言している。

そこに偽りや計算は感じられない。
伝わってくるのは純粋な想いだけ。


同じく政略結婚だったはず、…それなのにこの差はなんだろうか。

ライアン・リーブスの婚約者のことは隣国に行く前に社交界で何度か見掛けた記憶はある。可愛らしい子だったけれども社交界の華となるほどではなかった。


そんな彼女が今は夫に愛され幸せでいる。

一方で『社交界の華』だった私は夫に愛されずにここにいる。



 私のほうが皆から愛されていた。 
 人一倍努力もして己を磨いていたわ。

 いつだって周りから羨ましがられていたのは私。

 それなのに…どうして?
 この私の一体なにがいけなかったの…。



この理不尽とも言える状況が受け入れられずに胸が苦しくなる。

私より劣っている人が今は自分より恵まれた状況にいるという事実に心が黒い感情に蝕まれていく。



愛しそうな眼差しを向けているライアン・リーブスの視線の先には彼が愛している妻の姿があった。

容姿はさほど変わっていないけれど、愛されている自信からか幸せが滲み出て輝いて見える。


それがとても眩しくて思わず目を逸らしてしまう。


淑女の鏡である私が手に出来ないものを、当たり前のように手に入れている彼女。


それを『羨ましい…』と感じてしまう自分が嫌だった。

だって私のほうが優れているのだから、そんな風に思うのは間違っている。


視界に入れたくなくて目を逸らそうとするけど、笑っている彼女の存在をどうしても目で追ってしまう。


幸せそうにしている彼女をどうにかしたい訳ではない。



だけど彼女だけが幸せそうに笑っているのはと思ってしまう。『そんなの正しくない』と心の中の黒い感情が囁き続ける。



ライアン・リーブスの妻に対して負の感情を持っている訳ではない、でも私より幸せでいる彼女は見たくなかった。
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