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1.断れぬ頼み

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学園から帰宅し部屋で着替えていると『トント‥ン…』と小さく扉を叩く音が聞こえてきた。
この叩き方は侍女ではない、きっと一つ下の妹ルーシーだろう。あの子は扉を叩く時でさえ控え目なのだ。

「どうぞ入って、ルーシー」

そう声を掛けると目を真っ赤にした妹が静かに扉を開けて入ってきた。
私の顔を見つめてくるけれども、何も言わない。ただじっと声を掛けてくれるのを待っている。

妹のルーシーはとても大人しい性格で自分から話すことが苦手だ。社交的ではなく学園でも親しい友人はいないようだが、家族とは楽しく過ごせている。

それも個性だからいいだろうと家族は無理をさせることはなかった。
両親も姉である私も控えめだけれども優しい妹を心から愛している。


「ルーシー、どうしたの?また誰かになにかを押し付けられたの?」

妹は私と同じ学園に通っている。学年は違うので彼女の様子を直接見たことはないけれども、どうやら周りから面倒なことを頼まれることが多いようだ。

それを妹は断れない、自己主張が苦手な子だから…。それが分かっているからこそ相手も頼んでいるのだろう。

 まったく悪質だわ。
 気が弱い子に押し付けるなんて…。

要領がいい生徒がいれば損をする生徒もいる、それが学園という小さな世界だ。正しいことばかりではないのが社会というもの、これも仕方がないことだと分かっている。しかし大切な妹の立場を思うとやるせなかった。


「…また引き受けてしまったの。ごめんなさいお姉様。……一人で頑張ってやろうとしたんだけで、難しくて出来ないことばかりで。
どうすればいいのか分からなくて…。本当に迷惑ばかりかけてごめんなさい。…ごめんなさい」

泣きながら何度も謝る妹。

どうやらまた自称『親しい友人』からお願いされたようだ。それはここ数ヶ月繰り返されていることで何度となく妹に断るように言ったが、一度も断れないでいる。

相手は公爵令嬢で『お願い、こんなことを頼めるのはルーシーしかいないの。だって私達はとても親しい友人でしょう。そうよねっ?まさかそう思っているのは私だけなの…』と妹が断れないような言い方をしてくるらしい。

学園側に訴えようかと思ったが、それは得策ではないだろう。学園では平等と言ってもそれは学園内だけのこと、我が家は伯爵で相手は公爵、逆恨みをされたら社交界でどんな目で合うか…。

それ以前に気の弱い妹は学園にいけなくなってしまうかもしれない。
妹は学園に通うのは好きなので、通えなくなるような状況にはしたくないかった。

 
「ほら泣かないで、それに謝らなくていいのよルーシー。手伝ってあげるから早く終わらせて一緒に美味しいケーキでも食べましょう。大丈夫よ、二人でやればすぐに終わるわ」

そう言うと妹の表情が少し明るくなる。
根本的な解決に繋がらないのは分かっているけれども、可愛い妹が困っているのは見過ごせない。

 これはルーシーのためよ。

姉として妹を守るのは当然だった。だから妹のために『大丈夫よ、これも良い経験になるわ』と平気なふりをして手伝ってあげていた。


公爵令嬢の頼み事とは本来なら生徒会長である第四王子とその婚約者でもあり副会長である公爵令嬢がやるべき仕事だった。だが二人は面倒な仕事を押し付け遊んでいた。
その様子に他の生徒会役員達が気づかないはずもなく、気づいたら彼らの分の仕事まで…。

彼らはみな高位貴族で要領のいい生徒だった。


妹は一生懸命だが生徒会の仕事をこなす能力はなかった。つまり引き受けてくるだけで殆どは私がやっていた、もちろん簡単なものだけではない。


そして手柄は生徒会役員達のもの。


『お姉様、行ってくれる?あの場所が苦手で…』という妹の代わりに出来上がった資料を置いてくるために生徒会に頻繁に出入りするようになった私を見て『何をしているの?』と訊ねてくる友人もいた。だが曖昧な言葉で誤魔化して何も言わなかった。

余計なことを言ったら、巡り巡って妹が困ることになるのは容易に想像できたから。



これは私と妹だけの秘密だった。
両親にも婚約者にも相談はしなかった。言ってもルーシーの置かれた状況が変わるとは思えなかったし、なによりも『言わないで…失望されたくないの』と懇願する妹の気持ちも理解できたから。

これは学園に在籍している間だけと分かっていたから、姉妹で力を合わせて乗り切ろうと思っていた。穏便に済ませることを妹が望んでいるのだから。





でもこの判断は間違っていた。





教室でいつものように授業を受けているとガラッと乱暴に教室の扉が開いた。
そして壇上にいる教師が静止する間もなく、複数の騎士達が入ってきて『シシリア・ゲートはどこだ!』と叫んだ。

自分の名が呼ばれた私は訳も分からないまま『はい、ここにいます』と席から立ち上がった。


「シシリア・ゲート、『魅了』を使った罪で今からお前を捕縛する。我々は魔防具を身に着けているからそんな目で見つめてきても魅了など効かない。だから無駄なことはするな、大人しくついてこい!」

言っていることはちゃんと聞こえていた。でも意味が分からない。

『魅了』という言葉は知っている、魔力を使って人を意のままに操る魔術の一種だ、でもそんなものは使った覚えはない。

そもそもこの国では魔術はあってないようなものだった。
多かれ少なかれ魔力はすべての人が体内に持っているが、それを活かす魔術を行う能力を誰もが持ち合わせていなかった。だからこの国での魔術は知識のみで、国の神官達が魔術関連のことを統括しているがそれは形ばかりのものだった。

魅了なんてこの国では絵空事でしかなかった。

この瞬間までは…。


教室が一瞬で騒がしくなる。

生徒達は『まさか…』『なんて恐ろしいの…』『本当かよっ』と反応は様々だった。
みな驚いてはいるが疑ってはいない。なぜなら王宮の騎士達がここまで来ているのだから。
国の上層部に仕える彼らが動くのだから相応の理由があるはずだと思っている。

それはきっと捕まるのが自分でなかったら私も同じに考えていただろう。

でも相応の理由が正しくないのは当事者であるからこそ私は分かっていた。
だがどうしてこんな誤解をされているのかはいくら考えても分からないまま。

だから呆然としてしまった。
そしてそんな私の視線は騎士によって『』とされてしまっていた。


「ち、違います!魅了なんて使っていません、これはなにかの間違いです!」

「弁明なら取り調べの時に聞く。だから黙れ、黙らないなら力ずくで黙らせるぞっ!」

必死に話す私に騎士は吐き捨ているようにそう言った。それが脅しではないことは、睨みつけるその視線から伝わってきた。

ただの女生徒でしかない私に彼らは本気だった。いいえ違う、彼らにとって私は『魅了を使う危険な生徒』でしかなかった。

私は生まれて初めて向けられた殺気に怯えた。
 
気づけば恐怖に晒され、目からは涙が溢れていた。
そんな私を騎士達は乱暴に学園から連れ出し王宮へと向かう馬車に『大人しくしていろっ』と投げ込んだ。それは文字通りの意味で、とても伯爵令嬢に対する扱いではなかった。

聞きたいことも言いたいこともたくさんあったけれども、恐怖から何も言えなかった。
ただただ屈強な騎士達から憎悪の目を向けられ震えるしかなかった。

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