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1.旦那様、半殺しもいけません〜妻視点〜
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「ヒィっ! 私はただの商人です、決して怪しいものではありません!」
「お前が誰であろうと、どうでもいい。虫だとしても構わない。……殺す」
ここは戦場でも処刑場でもなく、ロース侯爵家が王都に所有する屋敷の門前である。なのに、物騒な会話が目の前で繰り広げられている。
可哀想に装飾品を売りに来た商人は涙目で助けてくれと、私――リリアを見てくる。
名乗っていないけれど、私は当主の妻であるからこの判断は正しい。私は隣に立っている旦那様をちらっと見た。
まずいわ、完全に目が据わっている……。
彼こそが商人を脅している張本人だ。
どんなことをして、この屋敷の当主である彼を怒らせたのか。……実はただ、妻である私の瞳にその姿を映しただけである。
それがこの国の法では罪になるのか? いいえ、そんなことは断じてない。
――なにを隠そう、旦那様が私に向ける溺愛は常軌を逸しているのだ。
飛び入りでやって来た商人は目通りを願った。
約束がない者は無理だと門番が告げると、それならと商人はその場で敷物を広げ、その上に鞄から出した商品を並べていく。門前払いされることが多いから、この手の商人達は多少強引な手法を使うのだ。屋敷の前とはいえ公道だから罪には問われない。
その様子を私は屋敷から見ていたのだが、軽快な口調が聞こえてくれば、近くで見たくなってくる。私は旦那様の目を盗んで、こっそりと侍女達を連れて門に近づいた。
『お手頃な価格でございますよ、お嬢さん』
『あら、本当だわ』
侍女の一人が商人に答えた。私はその後ろでにこにこしていただけなのだが、それでも駄目だったらしい。
気づけば旦那様は、門の外にいる商人に向かって魔力の塊を投げつけていた。威嚇ではなく本気で。……地面に大きな穴があいている。
もし、商人の運動神経が悪かったら、今頃木っ端微塵になっていただろう。
穴の隣で商人は尻餅をついてガクガク震えながら『殺さないで!』と訴える。全くもって正当な権利の主張であったので、私は当然口添えをする。
「旦那様、殺してはいけませんわ」
「私のリリアの瞳に勝手に映った男は殺されて当然だ。己の浅はかさをあの世でしっかりと悔やんでから、またこの世に生まれ直して来い。……ただし、虫けらとしてな」
「勝手ではなくて、私が自主的に映したのですよ。旦那様」
正しい方向に事実を修正すると、彼がぎりっと歯を噛みしめる。
「ならば、この男を絶対に殺す」
「ヒィッ……」
おいおい、どこがどうなったら、そうなるんだ!? と商人が頭を抱えている。
見たのは私で、彼はなにもしていない。話の流れを考えれば、”ならば”に続く言葉は『妻を殺す』になるはずと思っているのだろう。
しかし、そうならないのが、私の旦那様よ!
――溺愛によって主観が著しく歪みまくっている。
旦那様の額に青筋が浮かぶと『奥様、余計に煽っています』と私の耳元で侍女のゾーイが突っ込みを入れてくる。
「そう?」
「はい。商人の命はもはや風前の灯火かと……」
「あとどれくらいだとゾーイは思う?」
「そうですね、二分半ほどでしょうか」
そう告げたゾーイの視線の先には旦那様の手があった。バチバチと魔力が爆ぜて次の攻撃の準備真っ最中だ。
大変、大変! もう一分を切っているわ。
我が家は由緒正しき侯爵家で、かつ当主である旦那様はこの国一番の魔術師。夫が犯罪者になるのを阻止するのは妻の立派な?務めである。
「旦那様、殺さないでくださいね。もし殺したら嫌いになりますよ」
「では、半殺しに――」
「それもいけません。先に言っておきますが、生殺しも駄目ですよ」
旦那様はぬぐぐっと言葉に詰まっている。やはり言おうとしていたようだ。
「……では痛めつけるだけで終わらせる」
「旦那様にとって、半殺しと痛めつけるだけの違いはなんでしょうか?」
「……死ぬ一歩手前と、死ぬ二歩手前だ」
ギリギリのところを攻めてくる旦那様。どんな時も妥協しようとしない、本当に芯が強い人だ。
こんなところも好き!
うっとりしながら彼を見て頬を染めていると、ゾーイが『おっほん。奥様、それを言葉でお願いします』と囁いてくる。
ハッと、今すべきことを思い出す。囁き侍女は本当に良い仕事をする。
「旦那様、好きです」
上目遣いでそう言うと、旦那様の視線が私に移る。この言葉は効果絶大なのだ。……でも、人前だと恥ずかしい。
「虫けら、今回だけは見逃す。今度来る時は事前に約束を取れ」
「は、はい!」
商人は荷物を纏めると、全速力で走り去って行った。たぶん、もう二度と来ないだろう。
来世に先立って、今世でも虫けら呼ばわりされたい人なんていない。
商人がいなくなると、門番も侍女達も何事もなかったかのように通常の仕事に戻っていく。
これは旦那様を恐れて、なにも見なかったことにしますという自己保身ではない――ただ、慣れているのだ。
侯爵家ではこんなことが日常茶飯事だった。
これでいいのだろうか。いいえ、絶対に良くないわ。
溺愛は良い、というか大歓迎である。だって、私だって旦那様のことを愛しているから。しかし、溺愛にも限度があるだろう。
それから、私は旦那様が満足するまで一緒に過ごすと、自室に戻ってからゾーイに相談する。
「ゾーイ。私、旦那様を普通のレベルまでに戻そうと思うの」
「普通とはどれくらいですか? 奥様」
聞かれてから、どれくらいが妥当かと考え口を開く。
「そうね、簡単に人を殺さないくらいかしら…」
「これはまた、ずいぶんと低いハードルですね」
ゾーイは手を床すれすれまで下げてみせる。あの高さなら尺取り虫だって軽く跨げるに違いない。
「それなら、成功するかしら!」
「無理です、奥様」
即答するゾーイ。私が抱いた僅かな希望があっさりと消え失せた。
……そうだろう、私への旦那様の溺愛はもはや危険領域だ。
私と旦那様は三年前に婚姻を結んだ。その当時から彼は侯爵家の当主だったので、貧乏子爵令嬢が玉の輿に乗ったと当時はずいぶんと噂されたものだ。
間違っているのよね。貧乏ではなく、ど貧乏だったから……。
この国では貴族の令嬢で職を得ている者は珍しい。しかし、困窮している子爵家の長女として生まれた私は、その珍しい部類に入らざるを得なかった。
というわけで、これでも私も魔術師だったのだ。旦那様と違って、下の下の下だったけど……。
――職場恋愛からの結婚なので、結婚当初から愛されていた。
「でも、結婚当初は普通、――人を殺さないくらいの溺愛だった気がするのよね」
そう私が呟くと、ゾーイは淹れたてのお茶をそっと私の前に置く。
「奥様、そもそも普通の概念から間違っております」
「そうかしら?」
「そうです」
「それなら、普通の溺愛ってどれくらいなの?」
私は旦那様としか恋愛していないので、他の愛され方を知らない。
「まずは、人を殺す云々は出てこないのが普通です」
「えっ、そうなの? ちょっと殺しそうだなって思ったこととか――」
「一度もありません」
恋愛経験が豊富なゾーイ曰く、嫉妬から殺す云々を恋人が口にした時点で普通は別れるらしい。
「危険人物ですから」
ゾーイは真顔で断言する。旦那様がどう思われているのか初めて知った。
参考までに尋ねてみる。
「どんなところがかしら……」
「頭の天辺から足の爪先までです」
つまり、全部ね……。
彼女は当主に忖度しない大変に優秀な侍女だった。ということで、話を無理矢理本題に戻すことにする。
「一体いつ頃から旦那様はああなったのかしら……」
私はなにがきっかけだったのかと、昔を思い返していく。
「お前が誰であろうと、どうでもいい。虫だとしても構わない。……殺す」
ここは戦場でも処刑場でもなく、ロース侯爵家が王都に所有する屋敷の門前である。なのに、物騒な会話が目の前で繰り広げられている。
可哀想に装飾品を売りに来た商人は涙目で助けてくれと、私――リリアを見てくる。
名乗っていないけれど、私は当主の妻であるからこの判断は正しい。私は隣に立っている旦那様をちらっと見た。
まずいわ、完全に目が据わっている……。
彼こそが商人を脅している張本人だ。
どんなことをして、この屋敷の当主である彼を怒らせたのか。……実はただ、妻である私の瞳にその姿を映しただけである。
それがこの国の法では罪になるのか? いいえ、そんなことは断じてない。
――なにを隠そう、旦那様が私に向ける溺愛は常軌を逸しているのだ。
飛び入りでやって来た商人は目通りを願った。
約束がない者は無理だと門番が告げると、それならと商人はその場で敷物を広げ、その上に鞄から出した商品を並べていく。門前払いされることが多いから、この手の商人達は多少強引な手法を使うのだ。屋敷の前とはいえ公道だから罪には問われない。
その様子を私は屋敷から見ていたのだが、軽快な口調が聞こえてくれば、近くで見たくなってくる。私は旦那様の目を盗んで、こっそりと侍女達を連れて門に近づいた。
『お手頃な価格でございますよ、お嬢さん』
『あら、本当だわ』
侍女の一人が商人に答えた。私はその後ろでにこにこしていただけなのだが、それでも駄目だったらしい。
気づけば旦那様は、門の外にいる商人に向かって魔力の塊を投げつけていた。威嚇ではなく本気で。……地面に大きな穴があいている。
もし、商人の運動神経が悪かったら、今頃木っ端微塵になっていただろう。
穴の隣で商人は尻餅をついてガクガク震えながら『殺さないで!』と訴える。全くもって正当な権利の主張であったので、私は当然口添えをする。
「旦那様、殺してはいけませんわ」
「私のリリアの瞳に勝手に映った男は殺されて当然だ。己の浅はかさをあの世でしっかりと悔やんでから、またこの世に生まれ直して来い。……ただし、虫けらとしてな」
「勝手ではなくて、私が自主的に映したのですよ。旦那様」
正しい方向に事実を修正すると、彼がぎりっと歯を噛みしめる。
「ならば、この男を絶対に殺す」
「ヒィッ……」
おいおい、どこがどうなったら、そうなるんだ!? と商人が頭を抱えている。
見たのは私で、彼はなにもしていない。話の流れを考えれば、”ならば”に続く言葉は『妻を殺す』になるはずと思っているのだろう。
しかし、そうならないのが、私の旦那様よ!
――溺愛によって主観が著しく歪みまくっている。
旦那様の額に青筋が浮かぶと『奥様、余計に煽っています』と私の耳元で侍女のゾーイが突っ込みを入れてくる。
「そう?」
「はい。商人の命はもはや風前の灯火かと……」
「あとどれくらいだとゾーイは思う?」
「そうですね、二分半ほどでしょうか」
そう告げたゾーイの視線の先には旦那様の手があった。バチバチと魔力が爆ぜて次の攻撃の準備真っ最中だ。
大変、大変! もう一分を切っているわ。
我が家は由緒正しき侯爵家で、かつ当主である旦那様はこの国一番の魔術師。夫が犯罪者になるのを阻止するのは妻の立派な?務めである。
「旦那様、殺さないでくださいね。もし殺したら嫌いになりますよ」
「では、半殺しに――」
「それもいけません。先に言っておきますが、生殺しも駄目ですよ」
旦那様はぬぐぐっと言葉に詰まっている。やはり言おうとしていたようだ。
「……では痛めつけるだけで終わらせる」
「旦那様にとって、半殺しと痛めつけるだけの違いはなんでしょうか?」
「……死ぬ一歩手前と、死ぬ二歩手前だ」
ギリギリのところを攻めてくる旦那様。どんな時も妥協しようとしない、本当に芯が強い人だ。
こんなところも好き!
うっとりしながら彼を見て頬を染めていると、ゾーイが『おっほん。奥様、それを言葉でお願いします』と囁いてくる。
ハッと、今すべきことを思い出す。囁き侍女は本当に良い仕事をする。
「旦那様、好きです」
上目遣いでそう言うと、旦那様の視線が私に移る。この言葉は効果絶大なのだ。……でも、人前だと恥ずかしい。
「虫けら、今回だけは見逃す。今度来る時は事前に約束を取れ」
「は、はい!」
商人は荷物を纏めると、全速力で走り去って行った。たぶん、もう二度と来ないだろう。
来世に先立って、今世でも虫けら呼ばわりされたい人なんていない。
商人がいなくなると、門番も侍女達も何事もなかったかのように通常の仕事に戻っていく。
これは旦那様を恐れて、なにも見なかったことにしますという自己保身ではない――ただ、慣れているのだ。
侯爵家ではこんなことが日常茶飯事だった。
これでいいのだろうか。いいえ、絶対に良くないわ。
溺愛は良い、というか大歓迎である。だって、私だって旦那様のことを愛しているから。しかし、溺愛にも限度があるだろう。
それから、私は旦那様が満足するまで一緒に過ごすと、自室に戻ってからゾーイに相談する。
「ゾーイ。私、旦那様を普通のレベルまでに戻そうと思うの」
「普通とはどれくらいですか? 奥様」
聞かれてから、どれくらいが妥当かと考え口を開く。
「そうね、簡単に人を殺さないくらいかしら…」
「これはまた、ずいぶんと低いハードルですね」
ゾーイは手を床すれすれまで下げてみせる。あの高さなら尺取り虫だって軽く跨げるに違いない。
「それなら、成功するかしら!」
「無理です、奥様」
即答するゾーイ。私が抱いた僅かな希望があっさりと消え失せた。
……そうだろう、私への旦那様の溺愛はもはや危険領域だ。
私と旦那様は三年前に婚姻を結んだ。その当時から彼は侯爵家の当主だったので、貧乏子爵令嬢が玉の輿に乗ったと当時はずいぶんと噂されたものだ。
間違っているのよね。貧乏ではなく、ど貧乏だったから……。
この国では貴族の令嬢で職を得ている者は珍しい。しかし、困窮している子爵家の長女として生まれた私は、その珍しい部類に入らざるを得なかった。
というわけで、これでも私も魔術師だったのだ。旦那様と違って、下の下の下だったけど……。
――職場恋愛からの結婚なので、結婚当初から愛されていた。
「でも、結婚当初は普通、――人を殺さないくらいの溺愛だった気がするのよね」
そう私が呟くと、ゾーイは淹れたてのお茶をそっと私の前に置く。
「奥様、そもそも普通の概念から間違っております」
「そうかしら?」
「そうです」
「それなら、普通の溺愛ってどれくらいなの?」
私は旦那様としか恋愛していないので、他の愛され方を知らない。
「まずは、人を殺す云々は出てこないのが普通です」
「えっ、そうなの? ちょっと殺しそうだなって思ったこととか――」
「一度もありません」
恋愛経験が豊富なゾーイ曰く、嫉妬から殺す云々を恋人が口にした時点で普通は別れるらしい。
「危険人物ですから」
ゾーイは真顔で断言する。旦那様がどう思われているのか初めて知った。
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「どんなところがかしら……」
「頭の天辺から足の爪先までです」
つまり、全部ね……。
彼女は当主に忖度しない大変に優秀な侍女だった。ということで、話を無理矢理本題に戻すことにする。
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