私の大好きな騎士さま

ひなのさくらこ

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番外編

夫婦というもの⑪

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母との最期の別れは、固く閉ざされた棺越しに行われた。魔力によって焼き尽くされた母は、男女の判別すらつかないほどの状態だったらしい。父と、そして妹とともに埋葬される棺を見送る。妹だけが泣いていた。参列者が後ろで声を潜めて話す言葉が、時折意味のあるものとして耳に入る。

「まさかこんなことになるだなんて……」
「スザンヌ様のようにお優しい方がねぇ。でも、あんなならず者の手先にまで情けをかけるから」
「あの子どもは助かったんでしょう?」
「重傷だけれど命だけは助かったと聞いたわ。酷いやけどで後遺症が残るとか」
「まあ……。あんなことをしたのも、妹が質に取られていたからなんでしょう?実際、ひどい状況におかれていた子どもたちが大勢保護されたと聞いたわ」
「だから何だと言うの?怪我人だけではなく、亡くなった方だっているのよ。スザンヌ様だって」
「もちろんスザンヌ様はお気の毒よ。でも……妹さんが、一緒に罪を償っていきますと話していたって聞いて……。あんなに小さな子どもたちが犯罪を犯さなければいけない社会自体が、本当に罪を負うべきだと思うの」
「それはそうかもしれないけれど」
「きっと、スザンヌ様だって子どもたち皆が幸せに暮らせることを願っていらっしゃるわ。だってあんなにお優しかったんだもの」

そうよね、と参列者たちが口々に言う。

社会自体が罪を負う?
ばかな。悪いのは全てあの子どもだ。魔力を……魔力など使おうとするからこんなことになるのだ。
後遺症が何だ。罪を償うだと?笑わせる。償ったら母が生き返るとでも言うのか。

俺は断じて許さない。母をあんな目に遭わせた奴らを。人の世のことわりを超えた力を当然のように行使し、その恩恵に与ることを特権のように振る舞う奴らを。

ザッ、ザッと棺にかけられる土の音を中心に、自分がふわふわとどこかへ飛んで行ってしまいそうな気分になった。それを繋ぎとめる、棺から延びる一本の線。母上と俺との。

隣に立つ父を見上げる。母を失った夜から、父は別人のようになってしまった。背に一本筋のとおった、貴族を体現する威風堂々とした姿。それがすっかり抜け落ちて、身体が一回り縮んで見える。
もう一度棺に目をやる。次々に被せられる土で棺は覆われていた。でも、繋がりはそのままだ。長く伸びる糸のようなそれで、母とは繋がっていられる。きっと、永遠に。



「……らぁッ!」

柄を握る手で体を押し戻し、逆袈裟に斬り上げる。体勢を崩すこともなく受け止めたウィリアムは、ヒュッと息を吸って剣を跳ね上げ、続いて右足を大きく踏み出し、その鋭い剣で真横に斬り裂いた。

「クソっ」

騎士服の胸元がぱっくりと割れ肌がのぞく。大したダメージはないと思う一方で、焦りに似た思考に囚われていた。こいつの魔力は完全に封じたはず。それなのになぜ倒せない。必死になる俺と違い、涼し気に剣を繰り出す男の様子が憎々しい。

「ッチ!」

流れるように剣を振る姿に、語られていた噂が真実であることを知る。完成された動きの美しさにうっかり見惚れそうになり舌打ちをした。このままやられてたまるか。斬りかかり、防がれまた防ぐ。繰り返すうちに、自分の中から様々なものが剥がれ落ちていくのを感じた。公爵家。高位貴族。騎士団。変わってしまった父。母への思い。幼い頃の俺自身。
全て脱ぎ捨てて、剥き身の自分で目の前の男を倒す。それだけを考えて闘ううちに、その瞬間が訪れた。

真剣を使った勝負の疲労は訓練の比ではない。ましてや魔力を封じられているのだ。どれだけ強くとも集中が途切れるのは避けられない。
ウィリアムの身ごなしにキレが無くなっている。傍目ではともかく、相対しているブライアンは気づいたし、ウィリアムも気づかれたことを知っているはずだ。訪れる好機を見逃すまいと剣を交わすうちに、盤石だったウィリアムの防御が崩れ始めた。

脇が空いた。すかさず斬りつけると手ごたえがある。生身を剣先で裂いた感触。

「…………ッ!」

ウィリアムの右腕は騎士服の袖が大きく裂け、斬られた腕から手首まで血を伝わせている。しめた。たとえ浅くとも剣を持つ手を傷つけたのは大きい。認めたくはないが実力は拮抗している。このまま畳みかけ勝負をつける。
振りかぶり思いきり斬り下ろす。ウィリアムは不利を自覚しているのだろう、両手で柄を握った剣でそれを防ぐと、素早く身を引いて後ろに下がった。時間稼ぎか。にやりと笑うと、それを見たウィリアムは何でもないように片眉を上げ、剣を左に持ち替える。思わずカッとした。右で駄目なら左手でなどあなどり以外の何物でもない。

「来い」

剣を構えて待ち受けた。炎のように立ち昇る気迫を感じているはずのウィリアムは、握り具合を確かめるように軽く剣を振り、おもむろに踏み出してブライアンに立ち向かった。
ここで仕留める。その思いで柄を握る手に力を込めたが――。

「…………!!」

息が止まった。剣筋が全く見えない。冷や汗がドッと出て手が汗にまみれる。平常心を取り戻せ。言いきかせるが、あまりにも早すぎる剣を防ぐので精いっぱいだ。
何が起きたのか。理解よりもまず自分を取り戻そうとしたとき、微かな風切り音を発した剣が、今度はブライアンの右肩に触れた。

恐ろしいほどの切れ味を再び体感させられ思わず傷口を触る。べっとりと濡れた感触に鳥肌を立てながら混乱した表情で見つめるブライアンに、不思議そうな顔で首を傾げたウィリアムは「ああ」と小さく頷いた。

「悪いな。左手こっちが利き手だ」
「な…………ッ!」

勝敗は既に決していた。神速の一薙ぎで弾き飛ばされたブライアンの剣が、地面に突き刺さる。ウィリアムは左手で一度剣をくるりと回してから、血振りののちに鞘に納めた。自らの勝利を疑いもしないその姿を忌々しく思う余裕はもはやない。

茫然として無刀の両手を見下ろす。分厚くタコのできた手。父のような文官ではなく、母を護れる武官を目指し鍛錬を続けてきた。その両手で髪を掴み天を仰ぐと、大声で叫んだ。

「あーーーーーーーッ!!!!」

雲一つない空。母が死んでから初めて空を見上げた気がする。抜けるような空の青を見ているうちに何やら無性におかしくなり、口から笑いが突いて出た。耳から入った笑い声が次の笑いを呼ぶ。

ギョッとしてブライアンを見下ろす団員たちを見ては笑い、相変わらず涼しい顔のウィリアムの様子に腹を抱え、終いには上体を折り涙を流して笑い続けた。

笑う口から、流した涙から、体の中に凝っていたおりが解けだしていくようだ。
やがて気が済んだのかようやく笑いを収めたブライアンは、顔を覆う両手で涙を拭って言った。

「俺の負けだ」
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