私の大好きな騎士さま

ひなのさくらこ

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24. 神の声は聞こえたでしょうか①

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カタン、と音がして振り返った。

「随分遅い時間まで明かりがついているから」
「スタン先生」

戸口に院長のスタンリー神父が立っていた。白髪交じりの髪がろうそくの明かりに照らされている。

「祈っていたのですか?」
「いえ。最後なので、掃除だけでもと思って」
「そうですか。改装したときにここを取り潰す話も出たんですがね……。神職にある私としてはどうしても残したくて。結局こんなに小さくなってしまった」

孤児院として改装するときに、礼拝室を潰して子どもたちの居住スペースにしたと言っていた。薄い壁の向こうでは、子どもたちがベッドの中で眠りについている。
ここは、その礼拝室の名残ともいうべき狭く小さな祭壇が残された部屋だ。祀られているのは異国の神。リングオーサとは違って内陸にあるナジェンラは、海神オケイアスや、その娘であるヘルベティアを信仰していない。世間知らずの私は、そんな当たり前のことにとても……とても驚いたのだ。

リングオーサで広く根付いている女神信仰。貴賤や貧富に関係なく、皆が女神を讃え、その娘とされる私を盲目的に信じている。
それが当たり前だと思っていた。心のどこかで、世界中どこに行っても同じだと。それが大変な思い上がりだということに、ここナジェンラに来て初めて気づいた。

「私が手を合わせることのできない神様ですけど……それでも私を救ってくださいました。だから、そのお礼です」

祀られているのは男性の神。優しく微笑んで、迷った人々を受け入れるかのように両手を広げている。初めは少しだけ怖かった。異教の神。でも、それを信仰する人々は優しく、暖かで……。

「救われたのですか?」
「はい。先生や子供たちにも。皆さんに救っていただきました」
「そうですか。それは喜ばしいことですが。アリー、……いや、レオノア殿下。これだけは言っておきます。あなたがここに来て、悩み多い日々から少しでも救いを得たのであれば、そうしたのはあなた自身です」
「……どういうことでしょうか」
「あなた自身が自らを救いたいと思い、それだけの努力をした、ということです。救われたいと願って、何もしない人間は結局救われません。一方で……努力をしても、その人が心のどこかで救われたくないと思っていたのなら、神はその人を救わないということです」
「………」
「私の話をしてもいいでしょうか?」

そして先生は話し始めた。牧師の父親から後を継ぐことを望まれていたこと。成長するにつれ、神の教えを説くことしかしない父親に反発するようになり、軍に入ったこと。腕を磨き身を立て、結婚して子供が生まれたこと。

「幸せだった……。本当に幸せだった。ナジェンラは小さな国ですが、温暖で暮らしやすい。大きな戦に見舞われることもなかった。国境近くの小競り合いや、友好国に乞われて援軍として戦うくらいで……。愚かでした。自分は強い、無敵だと思っていた」

蝋燭がジ……と音を立て、それに連れて壁に映った影がゆらめく。先生は黙っている。軍人だったと聞いて納得してしまう逞しいその体が、ひどく小さく見えた。私はそっと先生の肩に手を乗せる。それに気づいて数回瞬くと、その手の上に自分の手を重ねた。

「5年前。ギルニアから攻め込まれたとき……圧倒的な戦力差に戦況は初めから絶望的でした。むしろ降伏して国内を戦禍から逃れさせる道を探すべきだった。フレデリック様のお父上であるブラックウッド大尉はそのことをよく分かってらっしゃった。だから、部下である自分にも言ったのです。家族を逃がせと。あまりにも危険すぎる。大切ならば難民として国外へ逃れる道を探せと……」
「……逃げなかったんですか?」
「……愚かだったのです。この国を捨てて他国へ逃げてどうするんですか?どうやって暮らしていけと?それなりに財産も築いていました。妻と娘くらい、自分の手で守れると、そう思って……ッ」

重ねられた手がブルブルと震える。

「軍師ガレスは巧妙でした。この、自国を戦禍に塗れさせた経験のないナジェンラの、古くから残る史跡を惜しんだのでしょう。国境近くに我々を呼び寄せ戦わせ、途中で自軍を引かせては我々に深追いさせた。勝てるかもしれない、そう思わせて足止めしながら、別の大隊を編成しあっという間に城を墜とした。そして……兵たちに城下の略奪を許したのです」
「…………」
「この後ギルニア領となる国です。長時間の略奪を許せば利益を損なう。しかしこれから先も戦で領土を広げていくことを考えていた彼らは、兵の士気を………高めるためと称して、蹂躙することを許可した」

両手で顔を覆い、荒い息をついた。

「ガレスのことだ。圧倒的な力を見せつけることで、ギルニアの支配を及ぼしやすくする目的もあったのでしょう。効果は覿面でした。……仲間を失い、傷つきながらも生き延びた私が街に戻ると……そこはすっかり変わっていた。そこここに配備される兵。怯えたような街の人々。略奪は終わっていた。しかし、私の妻と娘は……変わり果てた姿で」

私はもう、何も言えなかった。涙を流し、先生の背中を撫で続けた。

「大尉の言う通りでした。財産なんかどうにでもなった。他国へ逃れて、命さえあれば……。愚かな私は自分の馬鹿さ加減を嫌という程思い知らされた。結局、父が正しかったんです。力では何も解決しない、何も守れない……」

顔を覆っていた手を下した。小さく笑う。とても、とても寂しい笑い。

「神に仕えたくて神父になりました。神の声を聴きたかった。誰かを憎むのに疲れた。最も憎むべきは私自身なのですから。子どもたちと一緒に暮らして、少しずつ私も笑えるようになりました。そしていま、ブラックウッド大尉の息子として育ってきたフレデリック様から頼まれて、レオノア殿下と一緒に居る。……私の娘も、レオノア殿下と同じ年でした。貴方のように美しくはなかったが……私にとっては世界で一番かわいい娘でした」

ぎこちなく私の背に回された腕。私の流す涙が、先生の服に滲みこんでいく。

「今だけ……抱きしめさせてください。すみません。今日は娘のことを思い出しても、耐えられそうなんです」

私も先生の背に手を回す。二人して抱き合い、いつまでも泣き続けた。














「これで全部?ホントに荷物少なかったのね」
「十分だったわ。みんなのおかげね」

小さくまとめられた私の荷物を前にジェシーは何だか不満げだ。突き出た下唇がかわいらしくて笑ってしまう。

「アリー!寂しくなっちゃう」
「またきてね」
「私のこと、忘れないで」

子どもたちが私の足元で口々に言う。一番年下のルルを抱きしめると、他のみんなも一斉に抱きついてきた。勢いが良すぎて後ろにひっくり返って、一緒に声を出して笑った。

笑いながらジェシーを見ると、拗ねた風でそっぽを向いている。私は子供たち一人ひとりにキスをして別れを告げてから、ジェシーをいきなりギュッと抱きしめた。

「わ!な、なによアリー」
「ジェシーにたくさん助けてもらったわ。ほんとうにありがとう。……元気でね」
「ふん。アリーが何にもできないから仕方なくよ」
「ふふ。そうね。ごめんなさい。感謝してるわ」
「私だって……アリーといて楽しかった……これ、あげる」

差し出されたのはシロツメクサで作られた花冠。とても上手にできている。

「ジェシー、ありがとう……!」
「もっと上手に作れるように練習しておくから、また必ず来るのよ!」

再会を約束し、馬車に乗り込む。ジェシーにもらった花冠を頭に乗せてみた。ぴったり!

「似合いますね。妖精のようだ」
「……スタンリー神父。私のセリフを取らないでください」
「フレデリック様、お父上は女性を前に後手に回ったりすることはありませんでしたよ。何をボヤボヤされているのです。欲しいものは自ら取りに行かなければ」

馬車の窓から外を見る。お世話になった場所。お世話になった人々。感謝の気持ちでいっぱいだけれど……。私の考えているのは別のことだ。
ウィリアムに会いたい。会って、自分の気持ちを伝えたい。視野が狭かった自分。王女としての自分を保つのに精いっぱいで、ウィリアムが本当に何を思っていたのか知ろうともしなかった。会って気持ちを伝え、ウィリアムの気持ちを聞きたい。あの日……フィル兄さまと話していたことが何だったのか、ちゃんと知りたい。

「そもそも、神父がこのようなところに居ていいのですか?孤児院を放り出して王女を見送るなど」
「私の居ない間は、雑婦のサマンサが、夫と二人で面倒を見てくれるのです。あの夫婦の子どもは皆巣立ってしまっているから寂しいのでしょう。案外楽しそうでしたよ」
「しっ、しかし、神父の役目として」
「打ち捨てられた修道院を改装した孤児院の院長など、神父の役割ではありませんね。そもそも、レオノア殿下をうちに預けたのは、私の経歴から護衛を兼ねてのことだと思っていましたが?それなら護衛として最後まで全うするまでです」

何か言い負かされたようなフレディ様が悔しそうだ。二人の付き合いの深さを感じるやり取りに笑ってしまった。

「あ、そうそう。エミリー殿はお元気になりましたよ」
「本当ですか?よかった……!」
「ああ……レオノア殿下の侍女のですか?」
「はい。ナジェンラに入った後、流行り病にかかってしまって。城で治療に専念させていただいています」
「一日も早く王女殿下の元に行くと言って聞かなくて、ほとほとこまりましたけどね」

フレディ様が苦笑しながら言う。目に浮かぶようだ。
私たちがナジェンラに入ったあと、エミリーが高熱を出したのち全身が発疹に覆われた。悪い病気ではないかと心配したものの、ここではよくみられる病気だと言われ安心した。

とはいえ、本来子どもがかかる病気らしく、大人が罹患すると全快までに時間がかかると分かり、フレディ様の言葉に甘え城での治療をお願いしたのだ。

エミリーもリングオーサに戻るより、私に何かあったときにすぐ駆け付けられる距離にいたかったのだろう。私としては初めから一人で暮らすと決めていたので、とにかく体調をもとに戻すことを優先してもらった。でも、私が帰国するタイミングでエミリーも元気になったのなら一安心だ。

エミリーを拾って一緒に帰国する。私たちの乗っている馬車は質素なものだ。王となることが決まっているフレディ様が乗っているとは誰も分からないだろう。護衛は騎馬で2人。あまり仰々しくすると却って危険だとういう。それもそうかもしれないと思いながら、外を眺めていると塔が目に入った。

「白い塔……」

思わず口をついた言葉にフレディ様が反応する。

「行きも同じ道を通ったけれど、気づかなかったようだね」
「……すみません」
「いえいえ。あの場所に昔の領主の館があったんです。血脈が途絶え舘は朽ちてしまいましたが、あの塔だけが残っていて……美しいでしょう」
「はい。……とてもきれい」

森の中、すらりとした白い塔が日の光に輝いて見える。私がもっとよく見ようと馬車の扉に身を寄せたとき、遠くから馬蹄の音が複数聞こえてきた。先生とフレディ様が顔を険しくした。

「馬が……」
「はい。近づいてくる。……5、6人?」
「まずいな……神父、武器は持ってないですよね」
「当たり前です」
「……レオノア殿下、賊が近づいているようです。何が目的なのか……」

御者側の壁を強くたたき、大声で「塔に向かえ!」と叫んだ。

「いいですか。ただの物取りなら、欲しがるものを渡してしまいましょう。命には代えられません。もし私が目的なら、あなた方は抵抗しないでください。下手に抵抗すれば殺される可能性がある」
「そんな!フレディ様が居ないとこの国は!」
「大丈夫、死ぬつもりはありません。エミリー殿を拾うために城へ立ち寄る時間を伝えてあります。遅くなれば必ず怪しく思い、迎えが来ます。それまで時を稼ぐのです」

キッと厳しい顔をして、私を見た。

「万が一、レオノア殿下が目的だった場合は……神父、殿下を頼みます。私が賊を引き止めます」
「フレデリック様」
「あの塔の下には、義父の剣の師だった老人が住んでいます」
「サー・アントニーか!」
「はい。在宅なら必ず手を貸してくれます。もし不在なら……戸を破り室内の武器を使ってください」

頷く先生とフレディ様を見て、背筋を汗が流れるのを感じた。一体どうなってしまうのだろう。近づく賊の気配を感じながら、私はウィリアムの名を何度も心の中で呼んだ。

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