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23. 自分探しをしてみたかったのです

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「アリー!」

叫んで抱きついてくる体を抱きとめた。

「なあにジェシー」
「あのね、あっちにいっぱいお花が咲いてたの!一緒に行こう!」
「ほんとう?あ、でも…」

足元の籠を見る。

「これ干すの?」
「そう。たくさんあるから干してからね」
「もーアリーってホント仕事遅いよね」

10歳の子どもから言われて少々傷つく。

「……ごめんなさい」
「またー!すぐいじけるんだから。仕方ないな。私が手伝ってあげる」
「ううん、いいの。これは私の仕事だもの」
「いいからいいから」

話しながらも手早く洗濯物を干していく。随分ましになったはずなのに、隣で小さな手が素早く動く様子を見て早くも自信を無くした。

「……………よし!」

できることを一つずつでもやっていくんだと決めたじゃない。籠から取った洗濯物をパンッと音を立てて伸ばすと、ジェシーがニカッと笑った。

「さっさと終わらせてお花を見に行くよ!」
「はぁい!」

まるでジェシーのほうがお姉さんだ。私もフフッと笑った。




私がここ、ナジェンラに来てもう一か月以上が経った。エドワードお兄さまの腹心だったフレデリックさまが、実はナジェンラの王子だったと聞いて驚いたのも古い話。

「アリー!」
「フレデリック殿下」
「いやだな。そんな他人行儀な話し方は止めてと言ったよね」
「……フレディ様」

様もいらないんだけどな、と言いながら、孤児院の裏手に広がる野原で花冠を作っていた私の隣に座った。本当に気さくな方。恩人であるエド兄さまに頼まれたからと、こうして折々に様子を見に来てくれる。

王女としてではない、一人の人間として過ごしてみたい。

エドワードお兄さまにお願いしたのは祝賀晩餐会から4日後、お兄さまがギルニアから戻ってすぐだった。ウィリアムは前日にリングオーサを発っている。多忙なお兄さまのお仕事の合間を見て、こっそり執務室の扉から顔を覗かせた。

「エド兄さま?」
「レオノア!」

侍従と立ったまま話していたエドワードお兄さまは、私を見るとパッと顔を明るくした。両手を広げるからそこに飛び込む。

「お帰りなさい、エド兄さま」
「ただいま、レオノア。……うーん。疲れも吹き飛ぶな」
「ふふっ。良かった。……あのね、相談したいことがあるの」
「ああ。ちょうど切りのいいところだった。……ニコラス、ここはもういい。下がって休んでくれ」
「はっ。失礼いたします」

礼をして部屋を出て行った。この前まで側付だったフレデリックは故郷に帰ったんだ、と説明しながら私をソファに導いた。

「さあ僕のお姫様。お話しをお聞かせください」

私の隣に座ったエドワードお兄さまの顔を見て、微笑もうとして失敗し俯いた。私の手を握っていたお兄さまの指がピク、と動く。

「……どうしたの?話してごらん」
「エド兄さま、私……」
「うん?」
「一人に……」
「…………」
「一人になって、ただの……普通のレオノアになってみたいの」
「………」
「ずっとじゃなくていい、1週間でも10日でも。少しだけ……一人になって考えてみたいの。自分自身のこと」
「……女神の娘として見られることが、いやになった?」
「…………特別な能力の無い私が、なぜリングオーサここに生まれたのかわからなくて、今までずっと怖かった」
「それは」
「分かってる。兄さまたちはそんなの関係ない、ここに居るだけでいいって言ってくれる。それは分かるの。でも、……リングオーサ
ここ
で王女でいることが、本当にそれだけの理由でいいの?」
「……人がその人で居る理由など、生涯を全うすることでしか得られないだろう」
「それも分かるの。だから私、今までずっとそのことから目を逸らしてた。みんな私を大事にしてくれる。それが嬉しくて……甘えてた。だから私、その甘えから卒業したい」

エドワードお兄さまの目を真っすぐ見た。

「何も分からないままかもしれない。何もできない自分を自覚するだけかもしれない。……それでもいいの。毎日誰かにお世話をされて、傅かれて……ただ大切にされるだけの自分から離れて、考えてみたい」
「……どこに身を隠しても、王女である事実は変わらない。それは分かってる?」
「はい。……自分勝手なことを言ってるのも分かってる。……ごめんなさい兄さま」
「いや、我儘なんて言ったことがないレオノアがここまで言うんだ。叶えてあげたいのはやまやまだけど……」
「……だめ?」
「………レオノアが、治癒能力がない自分のことに悩んでいたのは知っていたからね。だけど急にこんな」

私の髪を指で梳いていたお兄さまの手がぴた、と止まった。

「………ウィリアムと、何かあった?」

お兄さまは私の首をじっと見ている。その視線の先にあるものが分かり、両手でパッと隠した。首の詰まったドレスを着ていたけれど、一つだけどうしても見えてしまいそうなところに、ウィリアムの残した痕があったのだ。カーッと顔が赤くなるのが分かる。

「な、んでもないの!」
「…………あの男、殺してやる……!!」
「待って、まって兄さま違うの!そんなんじゃないの。私が……私が頼んだの。だからウィルは悪くない!」

今にも部屋を出て行こうとするエドワードお兄さまの背に縋り付いて止めた。振り返ったお兄さまがきつく私を抱きかえしてくれる。

「そんな……レオノア、どうして!」
「全部私のせいなの。ウィルを責めないで」

私の髪に顔を埋めたエドワードお兄さまに必死で言う。抱きしめる腕をブルブル震わせながら、お兄さまは苦し気に言った。

「こんなこと言い出したのも、ウィリアムのせいなんだろう」
「……違うの。私の……私自身の問題なの。ウィルは関係ない。私が考えて、私が決めたことなの」

本当のことだ。言いつのる私に腕の力を緩めると、お兄さまは私の顔をじっと見つめたあと、目を閉じて大きくため息をついた。

「……分かった。レオノアは、王女としてじゃなく一人の女の子として、しばらくゆっくり暮らしたい。そういうことだね?」
「……!いいの?」
「良くはないさ。良くはない……。警備の問題もある。王女が姿を隠せば騒ぎにもなるだろう。国内ではどこに行ってもレオノアは王女として扱われてしまう。かといって国外では危険すぎる。……いや、」

黙って考え始めたお兄さまを期待に満ちた目で見上げる。それに気づいて苦笑しながら、私の両肩に手を置いた。

「困難ではあるが、どうにかできるかもしれない」
「ほんとうに?」
「こら、最後まで話を聞いて。……一つだけ確認するよ。レオノアはこのことを、ウィリアムに知られてもいいの?」
「…………」
「あいつがその気になったら、すぐにレオノアを見つけてしまう。そうしたら連れ戻されるかもしれない。どうする?」
「………」

私がどこか、自分の知らないところに身を隠したら……ウィリアムは仕事を放り出してでも私を探すだろう。エドワードお兄さまがどんなに私の身の安全を確保していると説明したところで納得しないはず。

「……知られたくない」
「……それだけじゃない。王女としての身分を隠し一般人として生活するなんて、王族の義務を放棄したと非難されても仕方のないことだ。レオノアはそれに耐えられる?」

何度も考えた。私がリングオーサで王女として存在している意味。象徴としてただここに居るだけでもいいと言ってくれる人々。象徴なんかじゃない、生身の人間としての自分を探すために、全てを投げ出して一人になるということは、それを裏切ることでもあるのだ。

「わかってます。私、いままでみんなの期待に応えなきゃって、ずっと思ってた。癒しの力が無いからこそ、女神の娘に相応しい振る舞いをしなきゃって。そうしないとリングオーサの王女では居られないって……そう思ってたの」

こんな風に自分のことを理解して欲しくて誰かに話をするのは初めてだ。私は懸命に思いを伝えようとした。

「誰かが望むから。そんなことで全てが決まるのはもう嫌なの。私、わたし……自分が自分のままでいい理由を、自分自身で考えたい」

みんなに幻滅されてもいい。非難されてもいい。「誰かのイメージの中のレオノア」じゃない、本当の私を見つけるために。

「分かった。何とかしてみよう」
「ありがとう兄さま!」
「その代わり条件がある。それを守れないなら今回の話は無しだ。いい?」

そうして告げられた条件は3つだ。その1。王族の保養地であるアロファに行って、ウィリアムが私にかけていた防御魔術を解くこと。これはエドワードお兄さまがやってくれる。磁場があって魔力を使うことができないアロファだけれど、王族以外立ち入りを禁じられた地下の祭壇に、魔力を使えるエリアがあるのだそうだ。そこで防御魔術を外せば、ウィリアムがそれに気づくのに時間がかかるとお兄さまは言う。……防御魔術って……。私、そんなのがかけられていたなんて知らなかった。その2。国内ではすぐに見つかってしまうから、お兄さまの伝手のあるナジェンラに行くこと。ここなら護衛も準備できるし、私の顔も知られていないから安全なのだそうだ。その3。お兄さまがいいと言うまで……エドワードお兄さまが迎えに来るまでナジェンラに滞在すること。

3つ目の条件は……正直に言ってすごく悩んだ。だって、エドワードお兄さまの許可がないとウィリアムに会えないということだもの。悩んで悩んで……でも、私の中のいろんなごちゃごちゃしたものを今整理しておかないと、ウィリアムと向き合うことはできないと思って。だから私は決断し、今はここ、ナジェンラの首都であるブールの片隅で、孤児院の手伝いをしている。

「アリーがここに来て、もう一月が経つね」
「はい。長々とお邪魔してしまって……」
「ああ、いえ。そういうことではなく。王太子殿下からはただ、一般人としてゆっくりさせてやれとそれだけ。私としてはそれが果たせているかなと」
「それはもう!本当に感謝しています」

あの日。ウィリアムとフィリップお兄さまの会話を聞いた私は泣いて泣いて……。自分の価値を見出せない私にとって、あの日の二人のやり取りは自分の居場所を、存在を見失う理由としては十分だった。

恩義のあるお父さまとの取り引き。私の望むことをしてやれと言われ、納得していたウィリアム。誰に隠しようもなかった私の恋心。

…………本当は、一度だけ抱いてもらって……それでお終いにしようと思った。一生の思い出にして、その後は、200年前の王女のように、神殿で神子として生きて行こうかと。
でも、抱かれて分かったのだ。ウィリアムは私のことを愛してくれている。お父様との取り引きだとか、そんなこととは関係ない。ウィリアムにできる全ての愛し方で、私を愛してくれていると。

抱いてもらった夜はとても幸せだった。このままずっとモヤモヤする気持ちを見ない振りをして過ごしたくなるほど。私が好きだと思い、ウィリアムも愛してくれている。それでいいじゃないかと、それ以上何を望むのかと、そう思った。

でも同時に、これじゃ駄目だということも分かっていた。
10歳の時に侍女が話していたこと。ウィリアムとフィル兄さまが話していたこと。
何度ウィリアムが私のことを愛していると言ってくれても、同じことが起きたらまたきっと私は……離れたくなる。身を隠したくなる。だって私はウィリアムのことが好きだけど、彼に見合う存在だと、私自身が思えないから。

問題はウィリアムじゃない。私なのだ。常に愛されるだけ。可愛がられるだけ。でもそうされる価値があると、私自身が思えない。自信を持てない私自体にきっと問題がある。

だからエドワードお兄さまにお願いした。自分勝手だという自覚はある。王女失格だということも。それでも……このまま目を閉じ、耳をふさいでウィリアムに嫁ぐことだけはできなかった。

ナジェンラに来て、フレデリック様からの紹介でこの孤児院で下働きの、そのまた見習いみたいなことをさせてもらうことになって……。

特別扱いはしないでほしい。それはお兄さまに何度も頼んだことだ。だから粗末な寝台も、食事も。皆と一緒のものが逆に嬉しかった。名前はアリー。ミドルネームであるアレキサンドラからつけた。レオノアじゃない、新しい自分としての呼び名だ。

この孤児院は、5年前のギルニアとの戦で親を失った子供たちのために、各地に作られたものの一つだと聞いている。打ち捨てられていた修道院を改装し、7人の子どもたちと、院長のスタンリー神父さまが暮らしていた。もちろん人手は常に足りない。通いの雑婦としてサマンサが食事の世話をしていたけれど、お給金は雀の涙だから実際はただの好意でやっているようなものだと言っていた。

人手が増えたと喜んでもらえたのも初めだけ。何一つ満足にできず、むしろ足手まといにしかならない私に皆は驚いていた。「どこのお姫様なの」とサマンサからは呆れられたけれど、世話好きの彼女は丁寧に仕事を教えてくれた。警戒していた子どもたちも徐々に私に慣れ、一番年長のジェシーとはすっかり仲良くなれた。何もできない私の面倒を見るのが自分の役目だと思っているふしがある。気づけば私の近くにいて、いつの間にか仕事を手伝ってくれるようになった。初めてだらけの日々。失敗ばかりの役立たずな自分に落ち込みはしたけれど、不満なんてなかった。

辛かったのは……ウィリアムに会えなかったこと。
自分から離れようと決めたのに、ウィリアムに会いたくて、私を抱きしめる腕が恋しくて……。私は毎晩泣いた。何て勝手な私。
ウィリアムのこと、夢で何度も見た。子どものころのこと。私の降嫁を願い出てくれたときのこと。抱かれたときのこと。……夢で幸せだった分、目覚めたときの寂しさに身を切り裂きたくなった。

一目で泣きはらしたと分かる私に、周りは皆優しかった。ただの「見習いのアリー」でしかない私を受け入れてくれた。院長は余計なことを言わずそっと寄り添い、いつでも話を聞くと言ってくれた。ジェシーは「何泣いてるのよ!両親を戦で亡くした私の方が泣きたいくらいなのに!」なんて、乱暴な口調で慰めてくれた。

「あー……いい天気」

青い空。ウィリアムの瞳は、もっと濃い青だ。いつでも私を虜にする、ウィルの澄んだ瞳。

くす、と笑われて隣を見る。

「アリーの心には、いつも一人だけしか居ないんだね」

どきりとした。思っていることがすぐ顔に出るのが私の悪い癖だ。またウィリアムのことを考えていたのが出ていたのだろうか。

「横恋慕もできないな、こんなに一途に思われていては」
「あーっ、またフレディ様ったらアリーを口説いてる!ダメでしょ。アリーには恋人がいるんだから!」

完成した花冠を手に、ジェシーが駆け寄ってきた。

「わあ!上手にできたわね」
「うーん。でもやっぱりアリーには敵わないな。同じシロツメクサなのにどうしてこんなに違うの?」
「……私は小さい頃から作っていたから」

ウィリアムと一緒に何度も作った。出来上がった不格好な花冠を文句も言わず頭に乗せたウィリアムは、妖精の王子さまみたいだった。

「ほら、また恋人のこと考えてたでしょ」
「……何で分かるの?」
「分かるわよー。目がうるうるして、切なそうな顔してるもん。ねえフレディ様」
「そうだね。……そろそろアリーは自分の居るべき場所に戻ったほうがいいかもしれない」

えー、というジェシーをよそにフレデリック様の顔をまじまじと見る。

「でも……エ、兄が迎えに来るまでは」
「私から連絡しますよ。アリーの答えは出たようだと。……いたずらに長引かせると、却って良くない結果になりそうだし」

立ち上がったフレデリック様は、服についた草を払いながら言った。

「明後日。ここを発つことにしよう。いい?」
「……はい」
「えー!イヤだ。アリーずっとここにいて!」
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい」
「……でも帰っちゃうんでしょ」
「…………ごめんなさい」

ぷくっと頬を膨らませているジェシーにかける言葉が見つからない。眉を下げた私を見て、仕方ないなとジェシーは表情を変えた。

「もう。また会いに来てよ?約束だからね!」
「約束ね。絶対にまた来るわ」

指きりげんまん、と指を差し出すジェシーの小指に自分の指を絡めながら、二人で顔を寄せて笑いあった。
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