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15. グリフォンの母の苦悩
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リングオーサ筆頭公爵家の第一子として生まれたウィリアムを目にしたとき、母であるアラベラは悲鳴を上げた。キングズレー家において、黒髪の子の誕生は呪いを意味するからだ。
アラベラはその理由を知らない。嫁いだ後、代々伝わるしきたりや家訓を伝授された中の「黒髪の男児の誕生を忌むべし」との言葉を覚えていただけだ。
初めてそのことを知ったとき、まず不審に思った。たしかにリングオーサで黒髪は非常に珍しい。魔力量によって稀に黒っぽい髪になるという説を聞いたことがあるが、それを忌むような風潮は無かったはずだ。
そこで姑に尋ねた。忌むべし、とはどういうことでしょうか。どんな髪色の子が生まれるかは分かりませんのにと。黒はともかくアラベラ自身は赤みががった金髪で、夫であるシルヴェスターはつやのある銀髪の持ち主だ。子を授かったとして、生まれる子の髪が何色なのか事前に知る由はない。
それを聞いて姑は重々しく頷く。そのとおりですアラベラ。だからこそこれが「呪い」と言われているのです。避けることができるものなら呪いではありません。避けがたいからこそ呪いなのです。
よく意味を理解しないまま、はい、と返答しておく。自室に戻り改めて考えふと気づいた。自分がシルヴェスターの妻として迎えられたのは、この言い伝えのためかもしれない。
アラベラがシルヴェスターから結婚を申し込まれたと知った社交界の人々は、あからさまではないものの意外だという反応を隠さなかった。
子爵家の長女だったアラベラは、家柄はもちろんのこと容姿もさほど優れているとはいえなかった。良くて十人並み。よくよく見れば整った顔をしているものの、如何せん大人しすぎて自己主張が弱く華やかさに欠ける。一方相手は筆頭公爵家だ。しかも次期公爵のシルヴェスターは聡明さで名高く、見目の麗しさでは王太子カールと比肩すると言われるほど。甲冑を身につけ騎馬する姿はまさに軍神だ。多少不愛想ではあるが、武をもって王家に仕える身としては特段の障害とも言えまい。
そのシルヴェスターが。申し込みによって社交界に広まった騒めきは、速やかに婚儀の儀へと進んだことで収束に向かった。そもそもリングオーサの高位貴族に女児は少ない。政略のために娘を嫁がせる慣習がこの国では無いに等しかった。それは公爵家であれ同じことで、さすがに平民では困るが、下位であれ爵位持ちの家から嫁ぐのに誰から不満の出るはずも無かった。
アラベラといえば、他の令嬢と一緒に軍服姿のシルヴェスターを見て頬を染め、淡いあこがれを抱いてはいたものの、一度ダンスを踊ったことがある程度の自分に何故申し込まれたのか全く分からなかった。父親を訪ねてきたシルヴェスターが帰った後、茶器も片付いていない応接室に呼ばれその信じがたい申し出を聞いたときは、驚きのあまりぽかんと口を開けてしまったものだ。
とはいえ、公爵家から子爵家への申し込みである。断る選択肢があろうはずもない。父も当然のごとく受諾の返答済みで、あとは婚儀に向けて嵐のような忙しさを乗り切るしかなかった。
当主はまだ健在で、その妻も同じように屋敷を取り仕切っている。花嫁修業はほどほどに、嫁いでから学べばよいと婚約者となったシルヴェスターは言うが、額面通りに受け取ってよいものかわからず、それでも礼儀作法だけはと必死でさらってから婚儀の日を迎えた。紹介されるのは身分が高く雲の上の人ばかりで、笑顔を作る頬が引きつるのを感じる。
一通り挨拶が終わったところで、シルヴェスターは来賓として出席していた王太子と何事か会話するため側を離れていった。招待客はもちろんのこと、実はアラベラが最も緊張するのはシルヴェスターと一緒に居るときだ。その緊張感から解放されたことに一番ほっとする。
そのときアラベラの耳が気になる言葉を拾った。三代前まで遡って確認されたのでしょう?それならご安心ですわね。
見ると、背を向ける形で対応する義母の前に婦人が立っている。確かあれは義父の弟が婿に入った侯爵家の奥方だ。人はよさそうだが話好きで、挨拶した時もなかなか解放してもらえなかった。その婦人の発した言葉に義母はハッと振り向きアラベラと視線を合わせると、婦人に向かって小声で何か言う。婦人は慌てたようにアラベラに視線を移すと、一礼しそそくさと立ち去っていった。
あえて目を逸らしながらアラベラは考えた。自分のことを話していたに違いない。公爵家に嫁ぐにあたり、淑女として振る舞っていたか――有体に言えばふしだらな行いをしていなかったか調べが入るのは当然と思っていた。心当たりのないアラベラは平然としていられたが、三代前とはいったい。
健康な子を産めるかということだろうか。筆頭公爵家としては当然ともいえる懸念だろう。だが、義母のあの、あわてたような様子が気になった。借財の有無を調べたのだろうか。飲酒も考えられる。それとも賭け事?
考えを巡らせていたアラベラは、義母直々に公爵家のしきたりを教えてもらううちに気づいた。この、キングズレー公爵家で忌むべしとまで言われる黒髪の男児の誕生。それを避けるため、三代前まで遡り髪色を確認したうえで、自分を嫁として迎え入れたのではないかと。
気づいてみればなるほど、と思う。両親に兄弟はもちろん、祖父母や親族一同を思い返したとて黒はおろか茶の髪色の者も居なかった。避けようもないと言った義母だったが、せめてその可能性を減じようとしたのだろう。義母の気持ちを理解し、納得していたアラベラだった。それが。
黒髪の息子を前に申し訳ございませんと泣き崩れるアラベラを、シルヴェスターは抱きしめ一言だけ言った。謝ることはないと。そしてアラベラの涙が止まるまで一緒に居てくれた。
産まれてきた子に罪はなく、髪色を変えることもできない。幸いなことに義父母ともアラベラを気遣い、産まれた子を嫡男として認めてくれた。心の底から安堵し腕の中の我が子を見る。
ウィリアムと名付けられた我が子。面差しは夫によく似ている。この黒髪は魔力量のせいか。ここまではっきりと黒い髪は初めて目にした。それを除けば普通の赤ん坊にしか見えない。乳を飲む姿を見ながら、当たり前に、あくまでも普通に、慈しんで育てようと決意した。
しかし、ウィリアムはあまりにも――そう、あまりにも普通とは言い難い子どもだった。
泣くことはなく非常に大人しい。むずからない。世間ではいたずら盛りと言われる頃になってもやんちゃをすることもなく、我儘も言わない。
また、髪色から予想されたとおり魔力量は相当なもので、夫の知り合いだという魔術師がやってきてウィリアムを一目見るなり首を横に振った。自分との差がありすぎて潜在的な能力は計り知れないということらしい。専門家を連れてきたほうが良いとアドバイスした後、感嘆混じりに言った。あれはすごいぞ。まず魔力の乱れが全くない。知らない大人の前にいきなり連れ出されて、動揺しないほうがおかしい。感情に合わせて多少なりとも魔力が揺らぐものだがそれが一切見られないと。
魔術師としての彼の純粋な賞賛だったが、親としてはまたしても普通ではないと思い知らされる言葉だった。唯一の救いは、感情に任せて魔力を暴走させる恐れが多少減ったことくらいか。安心材料ではあるが、怒りや悲しみなどの強い感情によって何か不吉なことが起こる可能性は残っている。ある程度成長するまでは屋敷の中だけで生活させることになった。
自然周囲にいるのは大人ばかり。だからといってそれを寂しがる様子もなく、むしろ大人が集まる場を好み静かに部屋の隅に座っている。その時も相手の顔をひたと見つめ、心の底まで見透かすような目でじっと見ていることが多かった。
――値踏みをする目だわまるで。
ゾクッと背に這い上るものがあった。ウィリアムに対する愛情はある。それでも、恐れが無くなる訳ではない。まるで小さな姿をした大人を相手にしているよう。ぽつりと言ったのは義母だった。同じ恐れを抱いていると気づき、分かりあえた安堵よりも申し訳なさが勝った。
この頃から、シルヴェスターは義父と夜遅くまで話し合うことが多くなった。仕事では決して見せることのない憂い顔からウィリアムのことだと察するが、夫も義父も口数が多い人間ではない。問い詰めることもできずにいたとき、夫が言った。息子を王城に連れていくと。
10歳の子を王城に連れて行くということの意味は何だろうか。カールは即位し既に子をなしている。王太子殿下はウィリアムより一つ年長、第二王子殿下は一つ下だったはずだ。魔力のコントロールも出来るようになっている。学友候補としてでしょうかと問うても答えは無かった。聞きたいことはある。しかし拒否することもできない。正装し夫と馬車に乗る息子を、3歳になったばかりの次男ジェフリーを抱きながら見送るしかなかった。
やがて、夜も更けてからようやく二人は帰ってきた。戻った息子を見て出迎えたアラベラは驚く。感情を表に出すことのついぞ無かった息子が、興奮に顔を紅潮させている。
「母上、母上!」
「……!どうしたのですウィリアム」
「私はようやく見つけました!」
「何をみつけたのです?母に分かるように教えてちょうだい」
「光です!私の、私だけの光!!」
まるで別人のようだ。アラベラは目を疑った。
「ああ、こうしてはいられない……!母上、馬車の中で父上にもお願いしたのですが、私に教師をつけてください!今までのように子ども相手の教師は要りません。体術、剣術、学問……!魔術もです!一流の教師を私に!」
「…………そう焦るでないと言ったではないか。2年後にはシュールズビーに入学するのだ。ひとまずは基礎的なところから」
「いいえ、いいえ父上!そのように悠長なことはしていられません。一日でも早く……!やれることはすべてやらなければ!!」
目を輝かせ熱っぽく言うウィリアムは、跳ねるような足取りで屋敷内の図書室へ向かった。つけられていた家庭教師を邪険にするでもなかったウィリアムだが、教えられる内容に満足していないことはシルヴェスターから知らされている。勉強にというより子供らしい態度を求められる教師とのやり取りに飽いたとき、入り浸っていたのが図書室だ。今まで散々読みつくしていたはずの本をもう一度読み直すという。階段を半ばまで駆け上ったところで振り返り、買って欲しい本のリストを後で持って行くと大声で叫ぶ。あっけにとられ返事もできない母をよそに、ウィリアムは段を飛ばしながら走り去った。
「……いったい、……」
「……」
フーッと大きく息を吐き、シルヴェスターは整えていた短い髪をぐしゃりとかきまぜて崩した。
「…………あれの気のすむようにしてやるしかあるまい」
「……ですが」
「いいのだ。……こうなることは分かっていた」
どういうことかと問いたくとも、夫の顔はそれを望んでいないと分かり口を閉じる。見れば、義父が今のやり取りを見ていたらしい。どこか目を陰らせて立っていた。男二人が示し合わせたように部屋に引き取ろうとしたとき、我慢ならずにアラベラは訊いた。
「お待ちください!」
必死さのにじむ声にシルヴェスターが向き直る。眉間に寄る皺に怯むも、自分に対する不快を表すものではないと知っていた。これは先を促している顔だ。
「ウィリアムの言っていたひかり、とは、何のことなのです?」
「…………王女殿下のことだ」
引き留められた時点で内容を予想していたのだろう。渋る様子もなく答えるシルヴェスターは、側からは分かりづらくともアラベラを大切にし愛してきた。大人しく控えめで、常に相手の気持ちを慮る妻の疑問に更に答えようと口を開きかけ、黙り込む。
リングオーサで王女殿下と言えばたった一人。神話の王女。王家に産まれた待望の姫君は、ジェフリーと同じ3歳。おしゃべりが上手で花とおままごとが好き。光り輝く金の巻き毛と、エメラルドを思わせる緑の瞳の持ち主。
サッと青ざめた妻の肩に手をかける。震える妻の瞳に理解が宿るのを見て、いたわしさに胸が痛んだ。
「王女殿下……ウィリアムのあの…………では……では、神話の……。女神の娘を娶った男というのは……」
「……ああ。キングズレーの嫡男だった」
頽れる妻を抱きとめた。
「だから……だからあのしきたり……」
ガクガクと大きく震えだす。気づけば人払いがされていて、エントランスホールにはシルヴェスターとアラベラ、父グレアムの3人しかいない。そのことにも全く気付く様子がないアラベラをシルヴェスターは抱きしめる。グレアムもそっとその場を離れた。
「旦那様……その、黒髪の……」
「そうだ。その男も」
ああ!声にならない声を上げて泣き始めた。
「大丈夫だ。陛下にも相談している。心配しなくていい…………泣くな。大丈夫だから」
広いエントランスホールに嗚咽がこだまする。軍神と謳われる夫は、泣き続ける妻を不器用になだめ続けた。
アラベラはその理由を知らない。嫁いだ後、代々伝わるしきたりや家訓を伝授された中の「黒髪の男児の誕生を忌むべし」との言葉を覚えていただけだ。
初めてそのことを知ったとき、まず不審に思った。たしかにリングオーサで黒髪は非常に珍しい。魔力量によって稀に黒っぽい髪になるという説を聞いたことがあるが、それを忌むような風潮は無かったはずだ。
そこで姑に尋ねた。忌むべし、とはどういうことでしょうか。どんな髪色の子が生まれるかは分かりませんのにと。黒はともかくアラベラ自身は赤みががった金髪で、夫であるシルヴェスターはつやのある銀髪の持ち主だ。子を授かったとして、生まれる子の髪が何色なのか事前に知る由はない。
それを聞いて姑は重々しく頷く。そのとおりですアラベラ。だからこそこれが「呪い」と言われているのです。避けることができるものなら呪いではありません。避けがたいからこそ呪いなのです。
よく意味を理解しないまま、はい、と返答しておく。自室に戻り改めて考えふと気づいた。自分がシルヴェスターの妻として迎えられたのは、この言い伝えのためかもしれない。
アラベラがシルヴェスターから結婚を申し込まれたと知った社交界の人々は、あからさまではないものの意外だという反応を隠さなかった。
子爵家の長女だったアラベラは、家柄はもちろんのこと容姿もさほど優れているとはいえなかった。良くて十人並み。よくよく見れば整った顔をしているものの、如何せん大人しすぎて自己主張が弱く華やかさに欠ける。一方相手は筆頭公爵家だ。しかも次期公爵のシルヴェスターは聡明さで名高く、見目の麗しさでは王太子カールと比肩すると言われるほど。甲冑を身につけ騎馬する姿はまさに軍神だ。多少不愛想ではあるが、武をもって王家に仕える身としては特段の障害とも言えまい。
そのシルヴェスターが。申し込みによって社交界に広まった騒めきは、速やかに婚儀の儀へと進んだことで収束に向かった。そもそもリングオーサの高位貴族に女児は少ない。政略のために娘を嫁がせる慣習がこの国では無いに等しかった。それは公爵家であれ同じことで、さすがに平民では困るが、下位であれ爵位持ちの家から嫁ぐのに誰から不満の出るはずも無かった。
アラベラといえば、他の令嬢と一緒に軍服姿のシルヴェスターを見て頬を染め、淡いあこがれを抱いてはいたものの、一度ダンスを踊ったことがある程度の自分に何故申し込まれたのか全く分からなかった。父親を訪ねてきたシルヴェスターが帰った後、茶器も片付いていない応接室に呼ばれその信じがたい申し出を聞いたときは、驚きのあまりぽかんと口を開けてしまったものだ。
とはいえ、公爵家から子爵家への申し込みである。断る選択肢があろうはずもない。父も当然のごとく受諾の返答済みで、あとは婚儀に向けて嵐のような忙しさを乗り切るしかなかった。
当主はまだ健在で、その妻も同じように屋敷を取り仕切っている。花嫁修業はほどほどに、嫁いでから学べばよいと婚約者となったシルヴェスターは言うが、額面通りに受け取ってよいものかわからず、それでも礼儀作法だけはと必死でさらってから婚儀の日を迎えた。紹介されるのは身分が高く雲の上の人ばかりで、笑顔を作る頬が引きつるのを感じる。
一通り挨拶が終わったところで、シルヴェスターは来賓として出席していた王太子と何事か会話するため側を離れていった。招待客はもちろんのこと、実はアラベラが最も緊張するのはシルヴェスターと一緒に居るときだ。その緊張感から解放されたことに一番ほっとする。
そのときアラベラの耳が気になる言葉を拾った。三代前まで遡って確認されたのでしょう?それならご安心ですわね。
見ると、背を向ける形で対応する義母の前に婦人が立っている。確かあれは義父の弟が婿に入った侯爵家の奥方だ。人はよさそうだが話好きで、挨拶した時もなかなか解放してもらえなかった。その婦人の発した言葉に義母はハッと振り向きアラベラと視線を合わせると、婦人に向かって小声で何か言う。婦人は慌てたようにアラベラに視線を移すと、一礼しそそくさと立ち去っていった。
あえて目を逸らしながらアラベラは考えた。自分のことを話していたに違いない。公爵家に嫁ぐにあたり、淑女として振る舞っていたか――有体に言えばふしだらな行いをしていなかったか調べが入るのは当然と思っていた。心当たりのないアラベラは平然としていられたが、三代前とはいったい。
健康な子を産めるかということだろうか。筆頭公爵家としては当然ともいえる懸念だろう。だが、義母のあの、あわてたような様子が気になった。借財の有無を調べたのだろうか。飲酒も考えられる。それとも賭け事?
考えを巡らせていたアラベラは、義母直々に公爵家のしきたりを教えてもらううちに気づいた。この、キングズレー公爵家で忌むべしとまで言われる黒髪の男児の誕生。それを避けるため、三代前まで遡り髪色を確認したうえで、自分を嫁として迎え入れたのではないかと。
気づいてみればなるほど、と思う。両親に兄弟はもちろん、祖父母や親族一同を思い返したとて黒はおろか茶の髪色の者も居なかった。避けようもないと言った義母だったが、せめてその可能性を減じようとしたのだろう。義母の気持ちを理解し、納得していたアラベラだった。それが。
黒髪の息子を前に申し訳ございませんと泣き崩れるアラベラを、シルヴェスターは抱きしめ一言だけ言った。謝ることはないと。そしてアラベラの涙が止まるまで一緒に居てくれた。
産まれてきた子に罪はなく、髪色を変えることもできない。幸いなことに義父母ともアラベラを気遣い、産まれた子を嫡男として認めてくれた。心の底から安堵し腕の中の我が子を見る。
ウィリアムと名付けられた我が子。面差しは夫によく似ている。この黒髪は魔力量のせいか。ここまではっきりと黒い髪は初めて目にした。それを除けば普通の赤ん坊にしか見えない。乳を飲む姿を見ながら、当たり前に、あくまでも普通に、慈しんで育てようと決意した。
しかし、ウィリアムはあまりにも――そう、あまりにも普通とは言い難い子どもだった。
泣くことはなく非常に大人しい。むずからない。世間ではいたずら盛りと言われる頃になってもやんちゃをすることもなく、我儘も言わない。
また、髪色から予想されたとおり魔力量は相当なもので、夫の知り合いだという魔術師がやってきてウィリアムを一目見るなり首を横に振った。自分との差がありすぎて潜在的な能力は計り知れないということらしい。専門家を連れてきたほうが良いとアドバイスした後、感嘆混じりに言った。あれはすごいぞ。まず魔力の乱れが全くない。知らない大人の前にいきなり連れ出されて、動揺しないほうがおかしい。感情に合わせて多少なりとも魔力が揺らぐものだがそれが一切見られないと。
魔術師としての彼の純粋な賞賛だったが、親としてはまたしても普通ではないと思い知らされる言葉だった。唯一の救いは、感情に任せて魔力を暴走させる恐れが多少減ったことくらいか。安心材料ではあるが、怒りや悲しみなどの強い感情によって何か不吉なことが起こる可能性は残っている。ある程度成長するまでは屋敷の中だけで生活させることになった。
自然周囲にいるのは大人ばかり。だからといってそれを寂しがる様子もなく、むしろ大人が集まる場を好み静かに部屋の隅に座っている。その時も相手の顔をひたと見つめ、心の底まで見透かすような目でじっと見ていることが多かった。
――値踏みをする目だわまるで。
ゾクッと背に這い上るものがあった。ウィリアムに対する愛情はある。それでも、恐れが無くなる訳ではない。まるで小さな姿をした大人を相手にしているよう。ぽつりと言ったのは義母だった。同じ恐れを抱いていると気づき、分かりあえた安堵よりも申し訳なさが勝った。
この頃から、シルヴェスターは義父と夜遅くまで話し合うことが多くなった。仕事では決して見せることのない憂い顔からウィリアムのことだと察するが、夫も義父も口数が多い人間ではない。問い詰めることもできずにいたとき、夫が言った。息子を王城に連れていくと。
10歳の子を王城に連れて行くということの意味は何だろうか。カールは即位し既に子をなしている。王太子殿下はウィリアムより一つ年長、第二王子殿下は一つ下だったはずだ。魔力のコントロールも出来るようになっている。学友候補としてでしょうかと問うても答えは無かった。聞きたいことはある。しかし拒否することもできない。正装し夫と馬車に乗る息子を、3歳になったばかりの次男ジェフリーを抱きながら見送るしかなかった。
やがて、夜も更けてからようやく二人は帰ってきた。戻った息子を見て出迎えたアラベラは驚く。感情を表に出すことのついぞ無かった息子が、興奮に顔を紅潮させている。
「母上、母上!」
「……!どうしたのですウィリアム」
「私はようやく見つけました!」
「何をみつけたのです?母に分かるように教えてちょうだい」
「光です!私の、私だけの光!!」
まるで別人のようだ。アラベラは目を疑った。
「ああ、こうしてはいられない……!母上、馬車の中で父上にもお願いしたのですが、私に教師をつけてください!今までのように子ども相手の教師は要りません。体術、剣術、学問……!魔術もです!一流の教師を私に!」
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「いいえ、いいえ父上!そのように悠長なことはしていられません。一日でも早く……!やれることはすべてやらなければ!!」
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「……いったい、……」
「……」
フーッと大きく息を吐き、シルヴェスターは整えていた短い髪をぐしゃりとかきまぜて崩した。
「…………あれの気のすむようにしてやるしかあるまい」
「……ですが」
「いいのだ。……こうなることは分かっていた」
どういうことかと問いたくとも、夫の顔はそれを望んでいないと分かり口を閉じる。見れば、義父が今のやり取りを見ていたらしい。どこか目を陰らせて立っていた。男二人が示し合わせたように部屋に引き取ろうとしたとき、我慢ならずにアラベラは訊いた。
「お待ちください!」
必死さのにじむ声にシルヴェスターが向き直る。眉間に寄る皺に怯むも、自分に対する不快を表すものではないと知っていた。これは先を促している顔だ。
「ウィリアムの言っていたひかり、とは、何のことなのです?」
「…………王女殿下のことだ」
引き留められた時点で内容を予想していたのだろう。渋る様子もなく答えるシルヴェスターは、側からは分かりづらくともアラベラを大切にし愛してきた。大人しく控えめで、常に相手の気持ちを慮る妻の疑問に更に答えようと口を開きかけ、黙り込む。
リングオーサで王女殿下と言えばたった一人。神話の王女。王家に産まれた待望の姫君は、ジェフリーと同じ3歳。おしゃべりが上手で花とおままごとが好き。光り輝く金の巻き毛と、エメラルドを思わせる緑の瞳の持ち主。
サッと青ざめた妻の肩に手をかける。震える妻の瞳に理解が宿るのを見て、いたわしさに胸が痛んだ。
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「……ああ。キングズレーの嫡男だった」
頽れる妻を抱きとめた。
「だから……だからあのしきたり……」
ガクガクと大きく震えだす。気づけば人払いがされていて、エントランスホールにはシルヴェスターとアラベラ、父グレアムの3人しかいない。そのことにも全く気付く様子がないアラベラをシルヴェスターは抱きしめる。グレアムもそっとその場を離れた。
「旦那様……その、黒髪の……」
「そうだ。その男も」
ああ!声にならない声を上げて泣き始めた。
「大丈夫だ。陛下にも相談している。心配しなくていい…………泣くな。大丈夫だから」
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