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第三章

覚醒②

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 その日。晴れていたか曇っていたか。暖かかったか寒かったか、ジャスティンは思い出せない。覚えているのは足元を支える地面が消え失せたような、希望が潰えた者の見る奈落の闇だけだ。






(いやだ)

 荒く息を吐きながら路地を走る。
 人通りがなく閑散とした景色の中を走り抜けた。

(いやだ、嘘だ)

 目的地はどこなのか。自分は一体何をしようとしているのか。
 
(マークの口ぶりでは、住民の殆どが集まったはずだ)(それだけの人数が集まれる場所は一つしかない)(青の広場)(あの場所)(役所の前)

 拡散する思考が宙を漂う。彼は思考が纏まらないよう注意深く保っていたが、それは全くの無意識だった。入り乱れる情報を整理し、関連付ければ答えは一つしかない。真実から目を逸らし、正気を保つための自己防衛の一種だった。

(青の広場)(役所の青い壁の色)(こわい)(まさかあの場所で)(この耐えがたい匂い)(道に誰もいない)(いつもならこの時間にはもっと)(もっとたくさんの人が)(こわいこわいこわい)(誰か)(頼むから誰か)(なんで)(どうしてこんなことに)

 逸る思いとは裏腹に脚はもつれ目的地は遠い。真っ青な顔でよろけ、喘ぎつつ走る彼の姿を目にする者はいただろうか。

 常ならば夕飯の買い物客で賑わう市街は閑散としている。興奮に満ちた狂乱状態の処刑が終わってしまえば、我に返った人々は緊張の中にいた。
 サマンサのように全き善意の乙女ですら、あんな無残な死を迎えたのだ。自らが同じ境遇に陥る可能性を否定できないことに気づいた者たちは震えあがり、疑心暗鬼になった。

 たった数日で、ゼルダは恐怖によって支配される街へと様変わりしてしまった。人々は扉を固く閉ざし、他者を拒絶した。その中をジャスティンが一人駆けている。

 やがて彼がその場所にたどり着いたとき、日は沈み辺りはひんやりとした夜の気配に包まれていた。大規模な集会や祭りなどの催しが行われる通称「青の広場」。そこには体格のいい四人の男がいる。
 彼らのことはジャスティンも何度か見かけたことがあった。どこの街にもいる、所謂「汚れ仕事」を引き受ける者たちだ。
 今までその存在を認識してはいても、自分とは無関係だと思っていた。そう、たった今、この時までは。

「おい、終わったか」
「ああ。そっちはどうだ」
「全部集めて袋に入れてくれ。さっさと終わらせちまおうぜ」
「結構かわいい子だったのに焼かれりゃ関係ないな。勿体ない」
「しかし、火あぶりってのはなかなか厄介だな。水をかけて火を消す訳にもいかねえし、燃え尽きてからも熱持ってやがるしよ」
「聞いたか? 薪が尽きてからもなかなか火が消えなかったのは、呪いのせいなんじゃないかって噂だぞ」
「違うだろ。あれは司祭が薪に油を仕込んでいたからじゃないのか」
「どっちでもいいだろう。燃え残りがあったらもっと面倒だったんだ。綺麗に燃えてくれたなら結構なことだろ」
「確かにな。おい、骨は完全に砕いたんだろうな」
「分かってるって。砕いて集めて袋に詰める。任せてくれ」
「下手に残せばあいつらがうるせえぞ。早く終わらせて飲みに行こう」
「酒場は軒並み閉めてるって話だが」
「まじかよ~。俺あとちょっとでニーナちゃん落とせるところなのに~」
「よく言うぜ。こないだも肘鉄喰らってただろ」

 建物を背にした広場の前方、男たちのいる場所の地面一帯はどす黒く変色している。既にほぼ仕事を終え、今は地面深くに埋まっていた木材を掘り起こして荷車に乗せているところだ。

 地面の変色。男たちの世間話。地中に埋まっていた木。
 魔女の処刑柱は激しい炎と熱で燃え尽き、炭化し地中に残るだけになっていた。それも全て取り去るのだ。まかり間違ってそれが異端者の遺物とならないように。
 談笑していた男たちは、自分たちのすぐ側に誰かが近づいていることに気づいて口を噤んだ。

 まだ若い背の高い男だ。二十歳くらいか。感じよく整えた黒髪にブルーアイズ。線は細いが若い娘に受けそうな綺麗な顔立ち。こざっぱりとした身なりからは貴族ではないものの、金には困っていない様子が見て取れた。
 だが髪を振り乱し、青ざめ目をぎらつかせる姿からは面倒な予感しかしない。拳にものを言わせればあっさり方がつくだろうが、汚れ仕事に従事する自分たちがこの街で最下層に属していることは弁えている。さっさと終わらせるのに限るな。リーダーのヘスは一歩前に出た。

「あのう、何か御用ですかね。俺たちゃ言いつけられた仕事をしているだけなんですが」

 若い男は微動だにしない。ヘスは再度へりくだって言った。

「お目汚しだってんなら急いで終わらせますんで」

 耳が聞こえないのだろうか。さすがに訝しく思って視線を追えば、遺骸を砕くのに使った大槌と、全てを収めた袋を見ている。

 ――まずいな。あの魔女の身内か何かか。もう片付くってのにここで騒ぎを起こされでもしたら冗談にもならねえぞ。

 ヘスは仲間へ目配せして撤収を促してから、男へ向き直った。

「ああ、ようやく終わりました。お騒がせしてすんません。じゃあ」

 頭を下げたヘスの頬を風が撫でる。と同時に視界を影が横切った。

「うわああああああああ!!!!」

 大声を上げていきなり殴りかかってきた男に、ヘスの仲間たちは驚いて後ずさった。

「うわあ!」
「な、なんだ!?」
「おい、やめろ!」
「ちょ、怪我させるなよ!」

 若者を抱きとめる形で拘束した仲間に、ヘスは舌打ちしながら慌てて駆け寄った。怪我などさせれば後始末に余計手間取るのは間違いない。滅茶苦茶に暴れる男の目的は、どうやら仲間の持つ袋のようだ。

「お前ら、早くそいつを持っていけ」
「え、だけど……」
「いいから! ここは俺に任せてさっさといくんだ!」

 皆はしぶしぶながらヘスの言葉に従った。この妙な男は背こそ高いが細身で武装もしておらず、身体の厚みも腕の太さも倍ほどあるリーダーが負けるはずもないと踏んでのことだ。

「放せ、放せ……っ!!」
「おい、暴れるなって」

 ヘスとしては血気に逸る仲間がここぞとばかりに腕自慢を始めては困ると思ったのだが、暴れる男は予想よりしぶとく思いのほか手こずっていた。まるで手負いの獣だな。羽交い絞めにしながら、ヘスは男の耳元で言い聞かせた。

「なあ、事情があるのは分かるが八つ当たりされても困る。俺たちはただ、依頼された仕事をしているだけなんだからな」

 手足をばたつかせる男は聞く気がないようだ。ヘスはため息をつくと、片腕で暴れる男の首根を掴み拳を腹部に叩き込んだ。

「ぐ……っ」

 前かがみになる男の肝臓レバーを、もう一度思い切り殴る。傍目に目立つ傷を負わせず痛めつけるには最も効果的な場所のひとつだ。声も出せずにうずくまる男に合わせてしゃがんだヘスは、痛みに呻く男の肩を軽く叩いた。

「あのな。俺たちが楽しんでこんなことしているとでも思ったか? 俺たちみたいな底辺の人間だって気が滅入るんだぜ。それを押し付けてるのはあんたたちだろう。目の前の汚い仕事を、自分以外の誰かにやらせて見ない振りだ。あんた、自分も俺らと同じことをするだけの覚悟はあるのか。気が向いたことだけじゃなく、あんたたちが『お綺麗』でいるために押し付けた汚いこと全部を、自分で始末つけられるようになったら来てくれよ。そしたら歓迎してやるから」

 男は痛みのあまり返答もできない状態だ。やりすぎたかと思ったが、ヘス自身今回の仕事をやるせない思いでこなしていた。その鬱憤を思わずぶつけてしまったのだ。

 世間の連中はいつだって、目に見えるものだけが全てだ。地べたを這いずる者たちの存在で「普通の生活」が成り立っている事実を知ろうともしない。

 セスは地面の上でもがく男にもう少し何か語るべきかと思った――元気を出せといったような励ましのひとつでも――が、結局何も言わずに立ち上がった。胸糞悪い仕事のことなど、一刻も早く忘れてしまおうと心に決めて。









「う…………」

 ようやく動けるようになったジャスティンは、地面を掻くように指を立てた。

(認めたくない)

 ――何を?

(サムはどこにいる?)

『サマンサはもう、この世のどこにも存在しない』

 マークの言葉が頭蓋の中にこだまする。
 
(サムは死んだ)(そんなの認めない)(あの男たちの持っていた袋の中に)(違う)(違う)(違う)

 ザリ……、と地面に指を突き立てながら顔を起こす。いつもは遅くまで人の往来が絶えない広場には、ジャスティン一人だけしかいない。その人気のない広場の、黒ずんだ丸い染みの上。普通の人間よりも少しだけ夜目の利く彼の前に、ほんの小さなかけらが落ちていた。

 震える手を伸ばして指先でつまむ。親指の先くらいの大きさの、白いもの。角が尖って、硬くて軽い。石とは違うざらついた質感のそれが何であるか、ジャスティンには分かった。分かってしまった。

「……サ、ム?」

 槌で砕かれ、袋に詰められて。どことも知れぬ場所に葬られるはずの、恋人の骨のかけら。
 ジャスティンはそのかけらを両手で押し戴くようにして、目の前に持ち上げた。
 
 たった十日前に抱きしめた、柔らかい身体が。娘らしい甘い体温が。
 どうして、何でこんな、ちいさなかけらになってしまっているのか。

「うー……っ」

 情けなく地面にへたり込み、かけらを握りしめた両手を胸に押し当てる。ぱたぱたと地面にいくつもの水滴が落ちた。喉が詰まり大声で泣くこともできない。





 広場が本当に無人になったのは、時が経ち夜も更けた後のことだった。

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